朝めし
男…今朝はね、昨夜買ってきたコンビニのオニギリを茶漬にして食べたよ。
女…コンビニのオニギリなんか食べていいのですか。
男…そんなものは、時と場合さ。まず、朝、食べるということが先決だからね。もう酒飲んで酔っぱらって12時過ぎの帰宅ということでありましたから。
女…わざわざ茶漬にしたのですか。
男…これがうまいんだなあ。オニギリをね、割ってめし茶碗に入れ、納豆をかけて、お茶をかけるのさ。納豆は、いま「きりざい」という、おれの田舎、新潟の味噌漬けをきざんだやつがあるのだけど、それとシラスをまぜる。
女…納豆にシラスですか。
男…納豆とシラスは常備だね。日本人の基本はな、穀物と大豆と魚だよ。
女…あと、お茶。
男…おお、わかってきたな。ようするに、まずは、食事や料理を「生きる」という感覚のなかにとりもどさなくてはならない。
女…力強く生きる感覚ですね。
男…おお、わかってきたな。食事や料理は、いままで「調理」と「栄養」そして「味覚」や「躾」に偏向していた。矮小化されていた。「生きる」という感覚が欠落して、あれをやってはいけない、こうでなくてはいけないという、それは調理師とか栄養士とか家政学者とかグルメ評論家とかが稼ぐための観念的なリクツであって、そのために食事や料理はおかしくなったんだよ。だからさ、そういう人たちが増えて、テレビなんかでも、そういう人たちを権威にしてガンガンやっているにもかかわらず、実際は、朝食を食べる人が少なくなっているとか、ちゃんと3食たべないひとが増えているとか、ということになるのさ。そういうリクツから働き生きる感覚のなかに食事や料理をとりもださなくてはいけないのであ~る。
女…でも、そういうプロのみなさんは、朝ごはんちゃんと食べなさい、家庭で料理を作りましょうとか言ってますよ。コンビニのオニギリや弁当、おかずはいけないとか。
男…プロというのは、自分で荒野をつくっておいて、そしてまたその荒野をネタにリクツを言って稼ぐのだよ。だから、前からいわれているだろ、日本では、同じテーマが同じレベルで蒸し返される、って。そういうプロの言うことなんか、どうでもええの。自分の「生きる」感覚で食事をすることさ。
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