朝めし
男…「明日への希望」とか「未来」とかいうけど、それはまず前の日に、明日の朝おきたら何を食べるかということから始まるんだね。
女…え~、そんなあ「明日」とか「未来」というのは、そんな近い日のことじゃないし、「希望」も朝ごはんのことじゃないでしょう。
男…いや、でも、明日朝おきたら何をくうかを考えないで、明日も未来も希望もヘチマもカボチャもナットウもない。明日朝おきたら何をくうかを考えると、まず生きていることが楽しくなるし明日が楽しみになる。
女…そんことありません、ああ、朝が来たら、また何かくわなくてはいけないメンドウだわと思うだけです。
男…では、あんたは将来への夢や希望はないのか。
女…それはありますが、それと朝ごはんは関係ないでしょう。
男…そういうこといっているやつには、未来はないね。すべては、朝めしから始まる。だいたいな、人間は寝ることで一度死ぬ、毎日一度は死んでるわけだ。それで、オフ状態になるだろ、で、おきればオンになるかというとならんのだよ、めしくってオンにして生き返らないと、その段階で夢も希望も消えるのさ。
女…それは極論でしょう。朝、目が覚めて、食事をしなくても、身体は生きてますわよ。
男…それは「生きている」ことを錯覚しているにすぎない、ただちにめしを食べなくてはならない。鳥や動物をみたまえ、おきたらすぐめしだ。それでイノチはリセットされる。人間の場合は、大脳がじゃまして、そうはいかない。朝おきたら心臓が動いていた、そこで「ああ生きている。このイノチに何かを与えなくては」と思わなくてはならない。しかし、そのとき何も食べるものがなかったら、どうする、イノチに対して失礼であろう。そういうイノチに失礼をはたらくやつが、明日だの希望だの未来だのを口にするなんてしゃらくせえ。
女…朝おきて、「ああ、まだ生きていたか、目覚めないで死んでいたらよかったのに」と思うことがあります。
男…そりゃ、こないだ、オトコにふられたときだろう。しかし、人間は、このサイトのメシゴトロジーのところにもあるが、山田風太郎さんが「最愛の人が死んだ日にも、人は飯を食う」と書いているように、そういうものなのだ。そういうものだから、前の日から翌日の朝めしを考えると、生きることが楽しくなるのさ。
女…ほんとでしょうか。
男…さあて、明日の朝めしは、何をたべよっかなあ。
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