コワイ本
図書館でコワイ本を借りてしまった。アノ、小泉武夫さんの『食の堕落と日本人』(東洋経済新報社)である。
こういうタイトルの本は、読まないことにしている。ナゼナラバ、おれは堕落者を自認しているからだ。しかし、堕落者を自認しているわりには、「この堕落者!」といわれるのがイヤなのである。イヤというより、堕落はイケナイといわれると、なぜだ?と開き直りたくなるのである。
ああ、それなのに、今日は、魔がさした、としかいいようがない。図書館の書棚の前で、手が勝手に、そこへのび、取り出して、パラッとめくってしまったのだ。そしたら、目に入ったのが「カツブシ丼の喜び」という小見出しなのだ。
オヤッ、これって、もしかしてネコまんまのことかなと、ちょっとそこだけ見たら、やはりネコまんまのことなのだ。そうか、小泉さんは、おれとおなじ、ネコまんま鰹節派なのだ!
それだけで借りて来てしまったのである。そして、いま、後悔している。やっぱ、これは、コワイ本だった。堕落はイケナイ、というのである。ああ、こまった、おれは堕落者だぞ。
ああ、ううううう、もうダメダ、ガマンできない。このオヤジのいうことは、なんだ! といっても、おれと同じ1943年生まれではないか。
「鰹節が日本料理の神髄を体現している」だと。「日本のだしを思い浮かべてほしい。鰹節、昆布、椎茸。どれも脂肪が出ないものばかりである」
ああ、もう、イワシ、サバ、アジのだしを、無視している! そうだ、イワシやサバやアジは、「雑節」といわれるわけだが。そして、削りたての鰹節で「カツブシ丼」だなんて、それがネコまんまだなんて……あああああ、うううううううううう。腹減った。
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