幼稚な感情論
パウエル長官は日本の一部で人質になった人の自己責任を指摘したり、軽率だなどと批判する声が出ていることについて、「危険を知りながら良い目的のためにイラクに入る市民がいることを日本人は誇りに思うべきだ。もし人質になったとしても、『危険をおかしてしまったあなたがたの過ちだ』などと言うべきではない」と述べていました。
という報道である。サスガ、それなりに、ちゃんとした大人がリーダーだね。そもそも、このジケンの発端から、イキナリ「平和ボケ」「自己責任」「自業自得」をふりまわして騒いだのは、日本の一部マスコミだけなのだった。アメリカの指導者は、そんなこと気にしてもいない。
登山禁止の山に登る人がいる。人間いろいろなのだ、禁止してもふせげないことはある。遭難したら、助ける努力をする。そういうものなのだ。それが「平和ボケ」「自己責任」「自業自得」だという話になったのは、遭難を「人命的」なことがらから「政治的」なことがらに矮小化し、さらに政治的に反対の立場のものには感情的になるという、じつに幼稚な頭なのだった。それは「自衛隊の即時撤退」を打ち出した方にもいえる。
もともと遭難した人たちは、家族も含めて、イラク人の友であり、自衛隊派遣にも反対の立場の人たちだ、そのことを理解してもらう以外に手がなかったわけだし、それが理解されたから解放になったわけで、それはイタリアのケースと比べてみても明らかだ。殺害されたイタリア人は、「傭兵」で軍人ではないが軍民ではないか。
背景には、指導者あるいは公的機関の「公的責任」「社会的責任」能力の低下→法的統治能力の低下→「自己責任論」での責任回避→「感情論、自業自得論」台頭→国民同士のリンチ、パッシングの拡大→ああ、世の中、殺伐、という時代がある。
3人のジケンは解決したが、幼稚な頭は残ったままだ。それにしても、昨日書いた小泉武夫さんの「堕落論」も、じつに感情的な、「和」崇拝である。どうして「和」系というのは、こうも幼稚な感情論しか持ち合わせないのだろうかと思うのだった。
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