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2004/04/13

竹屋食堂の常連の死

竹屋食堂の古い常連の一人が亡くなった。享年54。悲しい。

遺体が発見されたのは10日。昨日12日火葬。5日の朝の新聞が新聞受けに入っていたから4日に死んだようだ。3日まで竹屋食堂に一週間いつづけ同様で酒飲んで帰ったあとである。

アル中である、世間でいえば「ロクデナシ」である。しかし、悲しい。ほかの常連、竹屋の主人夫婦も、みな悲しんでいる。

どんな人間でも、死ねば悲しむひとがいる、自分の不注意、軽率で死んでも、それを非難し死んでもアタリマエだなんていうやつは、いない。それが「社会」の常識というものだろう。命があるうちなら、医者はもちろん、誰でも、全力で助けようとするだろう。

外務省の竹内行夫事務次官は12日午後の記者会見で、イラク日本人人質事件に関し「イラク(の邦人)には退避勧告を出している。ぜひ従っていただきたいというのがわれわれの立場。邦人保護に限界があるのは当然だ。自己責任の原則を自覚していただきたい」と述べ人質となった3人の行動に疑問を呈した。

と報道にある。「自己責任」という言葉は最近ハヤリだが、デハ、「社会的責任」「公的責任」はどうなのか。カギを閉め忘れて盗難にあった場合は警察は犯人をつかまえることをしなくていいのか、主婦が天ぷらの最中に電話でバカ話をしていて火事になった家の火は消防署は消さなくてもいいのか。

「テロに屈しない」はいいが「アメリカに屈しる」のは、いいのか。テロには毅然とした態度をとるが、アメリカには毅然とした態度をとらなくていいのか。

どういう事情であれ、全力をあげて助けることが、「社会的責任」「公的責任」ある立場の役目であり、その立場にある人間が、まだ火も消さないうちに「自己責任」をいうのは、オカシイ。一部のマスコミにしても、である。

原因は、あとで論じればよい。まずそれが、当然だろう。まず本人の軽率をナジルことが、「テロに屈しない」政府やマスコミのやることとは、笑わせる。これじゃあ、ますます火は燃え盛るわ。世の中、殺伐としてくるのは当然じゃ。大衆食堂のメシくって、マットウにならんか!

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