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2004/04/10

ヤラセとマヤカシ

日本テレビがヤラセを「社内穏便処分」でカタをつけた。食べ物の番組も関係している。この「発覚」したヤラセは、これが初めてかどうかは、追求されてない。いや、初めてじゃなくて、運悪く発覚したにすぎないのだ。

グルメ番組をヤラセなしでつくるのは、かなり難しいと思う。「ヤラセ」をどう「定義」するかによるが、上手なディレクターなら、ヤラセではなく「自然」に、つまり番組制作側がヤラセたのではなく、取材対象がすすんでやってくれるように仕向ける。取材なれした店や人などはもちろん、でたがりの店や人などは、番組制作側が期待する以上のことをやってのけてくれることも、めずらしくない。

何度か一緒に仕事をしたことがある、フリーのベテラン演出家と飲んだら、もうテレビの仕事はやらない、といっていた。「自然なヤラセ」はアタリマエ、局側つまりプロデューサーの要求がエスカレートして、もう「ノンフィクション」とはいえない状態がフツウだからだ。「プロデューサーの要求は常軌を逸している」かれは言った。普通の人間なら、嫌になるのは当然だよなあ。マヒして慣れるか、やめるかである。俺も彼も、それほど人格高潔ではないし、テレビというのはこんなもんねと割り切ってシゴトをしてきたほうだろうが、それでもそう思うのだ。

昨日の読売の話だが、「国際社会の中で日本が果たすべき責務」を声高にいう。しかし、イラク戦争については、「国際社会」は分裂しているのだ。アメリカ同盟軍に参加しているのは、国連加盟国のわずかであり、人口や面積にしたら、かなり少ない。その事実をごまかすマヤカシをなぜ続けるのか。

ヤラセもマヤカシも慣れると、自分のついたウソをウソと思わず本気になる。滑稽なことだが、かつて大本営が、それで作戦間違いをしたことがある。おなじウソを何べんも繰り返しているうちに、それに慣れた感覚は、それが事実であると錯覚してしまうのだ。ヤラセとマヤカシは正常な判断力を失っているから平気で続けられるのであり、そして正常な判断力を失えば自分がついたウソに気がつかなくなる。ま、企業の常習化した「粉飾決算」も似たような原理だが。そして泥沼にはまる。

もう、いま交渉が進みつつある、「自由貿易交渉」の結果、食糧自給率が本当に危機的になることなど、誰も気にしてない。もうこうなると、ヤラセとマヤカシだけが、その場しのぎのアンシン材料だ。

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