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2004/05/31

駅前食堂考

■「ザ大衆食」に「駅前食堂考 猪苗代、会津若松」をアップした。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/ekimaesyokudou.htm
駅前食堂は、大衆食堂や大衆食の、地域性と共通性を反映している。地方と鉄道の盛衰も、そのまま映し出されていて興味深い。

■八丈島のkoitaroさんがblogをはじめて、トラックバックしてくれた。
http://blog.livedoor.jp/koitaro8/

八丈島は、最近「ザ大衆食」の「カツオのシュン」に登場した。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/hatsugatsuo.htm
まだ掲載してないが、くさやの工場の写真も撮ってあるので、そのうちアップします。ああ、八丈島、またいくぜ!

■しかし、このトップページは、この調子で、ずーっと連続してつながったままなのだろうか。ほかのひとのを見ると、こんなにつながってないのもある。このまま同じページにズラズラいったら、すごいことになりそうだ。なにか設定をしなくてはいけないのだろうか。わからん。ま、いっか。

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2004/05/30

ああ、ビンボウ人

女……あなた、昨日はつっこまれてましたね。
男……あははは、せっかくコメントの機能があるのだから、つっこみでもなんでも言ってもらうのはうれしいね。と、書くとおれはエンテツのようだけど。
女……やはり一日一話で完結じゃないといけないのではないでしょうか。
男……あの、それはエンテツの問題でね、あいつはイイカゲンな男だから、そういうキチンとしたことができないんじゃないのかなあ。いつも過程で結果のない男なのだよ。

女……それにしても、話が「快食快便」というより「美味求真」に偏っていたようですね。
男……そんなことはないと思うけど。それに「生活のなかの美味求真」というのは、必要なんじゃないの。「美味求真」は、とかく趣味や娯楽というかんじだけど、生活のなかでこそ追求すべきだと思うね。そのためには、味覚の固定観念から解放されている必要があるんじゃないだろうか。
女……でも、タイの刺身など、めったに買えないです。あれは生活のなかの美味なのでしょうか。
男……そりゃ、あんたがビンボウ人で、あんたが買いに行くようなスーパーにはタイの刺身が売っていないというだけの話でしょ。あっても安い養殖モノだとか。

女……わたしは、どうせ魚沼のコシヒカリも食べられない家計で暮らしています。
男……だからさ、あんたのような都会のビンボウ人は、ドコソコのナニナニがうまい、とかいう素材中心ではなくて、あるものをうまくでやればいいんだよ。料理は、そういう貧乏食通が育てたものだし。
女……でも、そうなると、ダシなどは粉末やダシの素をつかうということになっちゃいますね。カツオ節など高嶺の花だし、雑節も煮干も、いまではけっこう高くつくものになります。醤油だって、あなたがダメとおっしゃる、Kのイチバン安い、粉大豆原料の添加物入り速成醤油ですよ。ふん。
男……まあまあ、そういうことじゃなくて、それでも台所で、どうせならうまいものと思うでしょ。
女……そりゃもちろん。でも、素材や材料が悪ければ、うまいものなんかできっこないんでしょ。
男……だから、そういうことじゃなくて……。

って、今日も、ここで終わってしまうのだった。

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2004/05/29

BOOKMANな人びと・濱田研吾の本の巻

昨夜、フラリ、根津のcafe NOMADで開催されている内澤旬子展へ行った。着いたのは、8時近かったと思うが、グウゼン会場で濱田研吾さんに会った。んで、トウゼン、飲みに行った。飲み屋は、古いうまい大衆食堂「かめや」の隣の「車屋」である。ここは何度か、「かめや」のあと入ったことがある居酒屋で、なかなか肴のよいところだ。値段もリーズナブルで気に入っているのだ。11時過ぎまで、濱田さんと飲み話し込んだ。

それはともかく。濱田さんは、昨年末、晶文社から『徳川夢声と出会った』という本を出している。徳川夢声といえば、おれがガキのころラジオやテレビで活躍していたひとだ。かなりの有名人だったが、それでも、月日がたったいまは、おれは「ああ、そういえば、そういうひとがいたな~」としか思い出さない。

ところが、その夢声について、おれの子供のようなトシの1974年生まれの濱田さんが調べて書いたのである。なんで、あんたみたいな若いもんが夢声に興味をもつのじゃ! そう思った。

ま、とにかく読んでよ、この本。歴史上の人物、むかし活躍した人の話には関心が集まるわりには、現代の人びとについての関心はイマイチだと思う。だから「評伝」といえば、売れない本のことらしい。しかし、イマ生きている時代と人のことを書き残す作業こそ「歴史」だろう。「評伝」は、じつは「歴史」なのだ。

濱田さんは大学生のとき夢声に興味を持ち、ついに、この本に到達した。つまり本の動機は「売れそう」ということではなく、人物への興味そのものなのである。それは、この本を読んでもらえば、わかる。

若いもんは、このように熱中してほしいし、出版社も「ショーバイ」の作家の作品だけでなく、このように興味が呼吸している本を出して欲しいものだ。

hamada_musei.jpg

■本から「濱田研吾」
1974年大阪府生まれ。京都造形芸術大学芸術学科卒業。現在、都内の編集プロダクションに勤務し、企業PR誌の編集や執筆を生業とするかたわら、昭和を彩る名優や放送タレントについて探究。滝沢修や徳川夢声を取り上げたミニコミ誌を発行している。

■本の腰巻から
「雑の人」夢声、再発見。
夢声なき後に生まれた若者が、
明治生まれのマルチタレント、
大衆芸能を牽引した神さまを甦らす。
古本、ラジオの録音、映画など、いまに残る夢声の足跡を
丹念に追った、書き下ろしノンフィクション。

■本文から
路上観察学会の仕事でお世話になっている林丈二さんが、ぼくのことを「孤独な作業“徳川夢声の缶詰”作り」と評してくれた。

■ご参考
http://www.shobunsha.co.jp/html/sinkan/2k3-12-004t.html
http://www.maboroshi-ch.com/cha/sae_19.htm

■『徳川夢声と出会った』定価2000円
晶文社サイト
http://www.shobunsha.co.jp/

■内澤旬子展は、6月1日までやっています。いい時と出会いのために、行きましょう。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2004/05/post_12.html
これだけでも一見の価値あり。高度な現代風俗批評そして芸術か。愛をこめて「おやじがき」
utisawa_oyaji.jpg


■「BOOKMANな人びと」次回は、イヨイヨ、荻原魚雷さんの登場です。荻原さんが編者の『吉行淳之介エッセイ・コレクション』ちくま文庫は、この5月、全4巻刊行なった。よろしく~。

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味覚の短絡

で、「文化・芸術」のカテゴリーに、「BOOKMANな人びと・濱田研吾の本の巻」を書きました。

そして、こちらには、久しぶりに「男と女」の登場です。

女……昨日の話に関係するかな。ラーメン・グルメのあいだに、塩味のラーメンを食べるとスープのよしあしがわかる。スープに自信のあるラーメン屋は塩味をすすめる、とかいう話がありますね。

男……ラーメン屋のオヤジに、「『オススメは?』と聞いたら『塩系のモノ』といった。塩系はスープの味に自信が無ければNGな味だから、いいラーメン屋にちがいない」なんていう話を、通ぶって話しているやつがいるね。

女……スープからカツオのニオイがするから、いいとか。

男……みんな古い料理人、たとえばむかし、辻留の辻嘉一さんあたりがふりまいていた、非現実的なリクツの受け売りだよね。だいたいさ、塩が素材の味をひきたて、醤油では素材の味がわからなくなるというのなら、なぜ上等といわれる刺身に醤油をつかうのさ。すしを塩で食べないのさ。

女……カツオのスープの塩味のラーメンがいいというのは、濃い複雑な味の判断ができないひとがいう話にすぎないという説もありますね。

男……シンプルな味というとかっこよさそうに聞こえるけど、ようするに単純な味じゃないとわからないってことかな。濃い複雑な味を判断できなくなった舌があることは確かだね。味覚つまりアタマがさ、うすっぺらで短絡しているんだよ。

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2004/05/28

「素材」センチメンタリズム

ある料理人と飲んだときだ。かれもおれも、かなり酔っている。
「ヤキトリは、塩とタレ、どちらで食べるの?」
料理人がおれにいった。おれは、そのあとの話が想像ついた。だから、ワザと、こういった。
「もちろん、タレさ」
すると、想像どおり、料理人は、こういった。
「なーんだ、それじゃ、うまいヤキトリ、食べてないね。ホンモノのヤキトリはね、塩で食べなきゃあ」
「おや、タレで食べるのは、ホンモノじゃないとでも?」
「だって、そうでしょ、タレは肉のホントウの味を殺すでしょ、塩で食べてうまいヤキトリこそ、ホンモノでしょう」
「つまり、素材がよくなくてはいけないと」
「そりゃそうでしょう、素材のよいヤキトリは塩で食べる、これはね、よいコメのメシは塩さえあればおいしく食べられるのと同じですよ」
「しかし、それじゃ、タレはどうしてできたの、ヤキトリをうまく食べるためだったのじゃないのかい」
「それは、むかしの肉は臭いし、まずかったからでしょう」
「では、いまの肉のほうが、むかしの肉よりよくなったとでも?」
「うまい肉をつくる技術は、むかしよりいまのほうが進んでいるでしょう、コメだって同じじゃないですか」
「しかしだよ、食べる人間の味覚は、どうなんだい、いつものあんたのセリフだと現代人の味覚は、コンビニフーズや給食でおかしくなっているんじゃないのかい。つまりだな、その素材をうまいとする味覚は、大丈夫なのかってことだよ。それに、あんたのリクツだと、料理人は生産者になったほうがいいんじゃないのか」
「いやあ、今日も酔ってからんでしまったなあ」
「おいおい、いまおれがからんでいる最中なのに、立場を勝手にかえては困るなあ」

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2004/05/27

「手作り」センチメンタリズム

だが、しかし。昨日のつづきになるが。冷凍モノのおかげで、おおくの人びとが日常、マグロの刺身を食べられるようになったのは、たしかだ。それは、つまり、「日本は海にかこまれた美しい国」ということに関係ない、工業技術のおかげなのだ。

サンマにしても、工業技術のおかげで、とりすぎというほど一度にとり、鮮度のよい生のまま大量に都会の市場へ送られるようになったから、安くうまいサンマが食べられる。

冷凍サンマというのもあって、それは解凍して店頭にならべられる。生サンマの出盛り期に、それに混ぜて売られこともあるようだが、ちゃんと別に「解凍サンマ」と表示して売られなくてはならないし、そうしている例も少なくない。ま、おかげで、一年中サンマが食べられる。

で、まあ、こういうことをいうひとがいるから、おれのアタマは混乱するのだが。

生のサンマを安いときにたくさん買って、自分でラップにくるんで冷凍庫に入れておくのはよいが、店で売られる解凍サンマはイケナイもののようにいうひとがいるのである。機械文明の冷凍もののおかげでシュンがなくなった、というぐあいに非難するのである。

どういうことか、まったく理解しかねる。そして、おれは、それは、自分の手による冷凍ならよくて、機械処理はイケナイというだけの、短絡した「手作り」センチメンタリズムじゃないのと思うのだった。

それにしても、冷凍により、あるていどの鮮度を保つことはできるから、やはり解凍ものでも「新鮮」という言葉をつかっていいだろうかと思うのだった。でも、やはり、「新鮮」というのは、生ものを基準にしているのではないだろうかと、アレコレ迷うのだった。

それにしても、解凍のマグロやタコの刺身を食べながら、「海にかこまれた美しい日本」に感謝なんて、オカシイ。感謝するなら、大漁業会社や大商社など、「国際資本」に対してだろう。もっとも、感謝なんか必要ない、彼らは商売である。

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2004/05/26

「新鮮」センチメンタリズム

昨日気がついたのだが、近所のスーパーの魚売り場の「マグロ」に「養殖」や「解凍」の表示がついている。やっと、ここまできたかというかんじ。

このあいだ郡山で、電車を待つあいだ、どこでもいいやと駅前の居酒屋チェーン店に入った。今週の店長オススメメニューとかいうのがあって、「新鮮でおいしい刺身!」とかあって、マグロ、タコ、それからもう一品あった。どれも、あきらかに、「解凍モノ」である。

こういうことは、よくある。その場合「新鮮」とは、どういう意味なのか。解凍したて? ということ。まさかね。

大部分のひとが、解凍マグロでなければマグロをくえない時代に、いつまでも「新鮮」というのは、おかしいし、そういうマグロを評価するのに、「新鮮だからうまい」というのもおかしいと思うのだが。

日本は海にかこまれた美しい国、というセンチメタリズムが「味覚」になっている。いつまでつづくのか、この惰性。

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2004/05/25

センチは、問題だぜ

■えーと、16日の「栄養教諭と食育問題」と22日の「ちょぼくれ」にコメントいただいているのだけど、返事をしないままアレコレ、パソコンの前にいるより酒の前にいる日にちが過ぎ、日にちが過ぎてみると、いまごろ返事というのもおかしいような。とにかく、コメント、ありがとうございます。

■「栄養教諭と食育問題」は、そもそも「オトナの問題をコドモの教育」で片付けようというのがヘンだね。この逆に、少年犯罪を親の罪を重くすることでなくそうという、「コドモの教育をオトナの問題」で片付けようとしたり。つまり最近は、なんか問題把握や現実把握のしかたからして、オカシイ。

■えと、それから「ちょぼくれ」について、訂正というか、「ちょぼくれ」は大道芸というより、木魚や鈴など鳴り物をつかった門付け芸で始まり、大道芸の浪花節に成長したというのが、国語関係の辞書の解説だね。とにかく、平安のむかしからさ、今様(ま、流行歌か)のように、庶民が節をつけてアレコレうたったり踊ったりしたゲージュツがあるわけだ。和歌や源氏物語や徒然草などだけがゲージュツあつかいなんて、笑わせらアってこと。ああ、まだ酔っているかな。

■高千代泥酔紀行は、あらためて、「ザ大衆食」のサイトに掲載します。なにしろ、今回は、4時ごろまでは、あまり酔わないようにして、ちゃんと写真を撮ったり話を聞いたりして記憶に留めたことがあるから。おれがガキのころ食べた田舎料理を、いろいろ紹介します。ま、結論は、「シュン」だの「ホンモノ」だのという紋切り型センチメンタル・キーワードを、いつまでも大事にしていちゃいけないということだね。今回は、「シュン」だの「ホンモノ」だのというセリフの、先の奥の根っこに、アブナイ「ふるさと」センチメンタルを見た気がした。これは、和歌や源氏物語や徒然草などだけをゲージュツにしてきた結果だろうか。

■しかし、こうもセンチで、いいのだろうか。センチが、日本酒つまり清酒の市場を支え、そして危険にさらしている、ように思うのだった。つまり、センチが、「和食」を支え、そして「和食」を危機にさらしている。といえるようだ。ってこと。

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2004/05/24

なんとか無事だが

なぜ、また飲んで泥酔した話を書かなくてはならないのか。これじゃ「大衆食」ではなく「大衆酒」にしなくてはならんなあ。

昨日の日記を、朝書いてから、9時半ごろ家を出た。前からの予定で、故郷の南魚沼の酒蔵、高千代酒造の「五月まつり」に参加するためである。トウゼン飲まなくてはならない。であるから、前夜のアヤシゲさんとの酒は、極力ひかえめに、翌日に残らないように飲むつもりだったが、酒飲みながら明日のことを考えるなんていう要領のよい生き方はできないから、けっきょくよく飲んだ。よく飲んだから、そんなにひどい状態ではないが、二日酔いだね。

大宮から新幹線を利用し、11時半すぎ六日町駅に着いて、観光協会のクボシュンさんのところに寄って、さっそくソルマックを飲んだ。クボシュンさんに笑われた。

ああ、とにかくこうやって書いているだけでもけだるくて、ダメだ。とにかく、昨年の泥酔紀行のようなアンバイで、高千代では、1時ちょっとすぎからイチバン最後まで残って飲み、うーむ6時過ぎていたですかね、おじゃましてから例によってホテル宮又にチェックインして、例によって万盛庵で飲んで、10時ごろになったら、もうフラフラでしたわ。

もうダメだ。マブタはひくつくし、頭がヒクヒクしているし。とにかく、今日は、もうこれでカンベンです。これから酒飲んで、体調を整えます。土産にもらってきた酒があるもんでね。

昨年の泥酔紀行でも読んでいてください。……って、読みたくないか。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun/muikamati_oosakaya.htm

そうそう、とりあえず、昨日の日記のなかで、アヤシゲさんに教えを願ったことについて、アヤシゲさんからメールが入っていたので、ここに報告いたします。

「鶯酒場」で飲んだのは「ホイス」です。たしか一升瓶のラベルには「ハイボールの素」というような文字があったと思います。サイト検索したら、ナント、サイトがありました。「幻の酒ホイスとは」
http://www.hoisu.com/hoisu.html
「鶯酒場」は地下鉄日比谷線南千住駅の北千住寄り改札口の前にあります。おためしあれ。

それから、下谷のライブハウスは「なってるハウス」です。
http://members.jcom.home.ne.jp/knuttelhouse/

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2004/05/23

なぜ、また、酔ったと書かねばならないのか

昨日、千住の酒場「千住で2番」の「大はし」で、4時半にアヤシゲさんと待ち合わせ。その前に、千住の蔵アトリエのなかだえりさんの蔵展に寄って行こうと思ったが、でかけるのが遅くなり行けなかった。いま、えりさんのサイトで確認したら、蔵展は今日までじゃないか。うーむ、今日は行けないな~。スマン。みなさん、都合ついたら、今日までです、行ってみてください。

さてそれで、昨日はすごかった。「大はし」のつぎは、南千住で、ちょこっと写真家のオオヌマさんに会い、オオヌマさんオススメの、駅前の「鶯酒場」、ここでオオヌマさんオススメの奇怪な「ハイボールの素」とかで焼酎を割った酒を飲む。名前、忘れた、アヤシゲさん、あとでメールで教えてください。

そして、つぎは、やはり南千住駅前だが、鶯酒場がある側とは反対の「大坪」だね。あいかわらずの盛況。ここまで安酒場3軒はしご。

で、まだおわらない。アヤシゲさんオススメの、なんでこんな下谷に、こんなジャズライブハウスがあるの、の、名前、忘れないようにとメモしてきたつもりなのに、酔っていたらしくどこに書いたのかわからない見つからない、これじゃ書く意味ないわね。アヤシゲさん、あとでメールで教えてください。

とにかく、そこで、これはもう、スゴイうまいボーカルをひさしぶりに聴いたので、名前を覚えているぞ、渡辺勝さん!だ。うまい! どうして、なぜ、あんなにうまいひとが、下谷の、聴いてる客は、わずかに6名という状態の、ライブハウスでうたっているのか。もったいない、いやぁ、ひさしぶりにタマシイがふるえるようなうたを聴いた。マンゾク。

そして、また、酔って元気よく帰宅したのであった。でも、比較的、よく覚えていたね。

なかだえりさんのサイトだよ。ほんとに、いい絵。
http://www.nakadaeri.com/
渡辺勝さんのサイトだよ。ほんとに、いいうた。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/5469/

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2004/05/22

ちょぼくれ

■昨日、浪曲のことを書いたら、トラックバックがあった。
「がんばれ! 福太郎さん」だ。こちらにチラシの画像があって、福太郎さんの顔も見られる。
http://chobo.jugem.cc/?eid=32
福太郎さん、シブイいい顔しているねえ、声もいいよ。おれは、この人の「明治モノ」が好きだ。築地警察署の探偵が活躍する。山田風太郎さんの『明治波濤歌』の情景を彷彿とさせる、語りがいいねえ。

ところで、このサイトは、「ちょぼくれ庵玄関先」であるね。玄関先だから「浪花節だよ~ちょぼくれ庵」というウチがある、そのURLはこちら。
http://members.jcom.home.ne.jp/nuspace7th/

「ちょぼくれ」というのは、あまり聞かないコトバだと思うが、浪花節のもとは「ちょぼくれ」から始まったといわれている。発生は九州のほうだったかな、ちょっと思い出せない、三味線にあわせて口上を述べるようなものだったと思う。とにかく大道芸だった。それが江戸期に、浪花節として大成長をとげるのだ。

というわけで、このサイト「浪花節だよ~ちょぼくれ庵」は、名前のとおり浪花節=浪曲に燃えている。「2003年12月某日、広沢虎造の第一声を聴いたとたん、私は浪花節に取り憑かれました。取り憑かれたもんはもうしょーがないので、浪花節で思い切り遊ぼうと思います。」

サイトの主宰者は、まだほかにもサイトを持っていて、イマゆっくり見ていられないからサッと見ただけ、ゼンボウをつかみきれないが、どうやらおれよりかなり若い女性であることは、たしかだ。そして、音楽に関わりがあるようだ。

とにかく、このように浪曲に関心の高いサイトができたとはうれしいね。浪曲と大衆食堂は、現代の風俗においては、いくつか共通するものがある。もっとも大衆文化らしい大衆文化が息づいていて、それゆえ、コンニチのコジャレた「市民社会」では、「ダサイ」「コキタナイ」という偏見や誤解を受けているという「立場」まで、似ている。あはははは、ダサイ、コキタナイは、偏見や誤解や立場じゃなくて、現実の姿か。だから、どうしたの~、いいものはいいのだ。

ま、ちょっとイマすぐやらなくてはいけないことがあって忙しいので、いまのところこれぐらいで、また。

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2004/05/21

浅草と浪曲と牛すじ

■ザ大衆食に「浅草と浪曲と牛すじ」を掲載した。ぜひ、ご覧ください。浅草は、ホント、奥が深い。そして、刺激的だ。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/asakusa_hukutyan.htm

■『汁かけめし快食學』の発売日、値段が決まった。
ちくま文庫、7月7日発売(七夕!)。定価780円。
イラスト、東陽片岡さん。装丁、倉地亜紀子さん。解説、熊谷真菜さん。

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2004/05/20

立食い

何度も入っているのに、名前を覚えていない。上野駅不忍口を出ると、ガード下、正面に立食い蕎麦屋がある。ここで食べるようになったのは、落語家の喜多八が、鈴本演芸場の高座で、あの蕎麦屋はうまくて、とくにかき揚げがよい、かき揚げダブルとやるってぇと大満足ですわ、というようなことを話していたからだ。その帰りに、さっそく「かき揚げダブル」をやってみた。それから、ときどき入ると、喜多八の姿は見たことないが、落語家が食べているのに出っくわす。で、問題は、こういうことだ。

立食いそばは、時計では、ほんの数分で食べ終わる。しかし、いつも、あれはホントウに数分のことなのだろうかと思う。

よくフランス人やイタリア人は、食を楽しむ人種であり、食事に2時間ぐらいかける、食文化が豊かなのだ、食文化先進国なのだというかんじのことをいう連中がいる。

しかしだよ、食事は、時計の時間でウンヌンできることがらなのかと思う。というのも、食事の満足には味覚が欠かせないが、味覚は、時空を超える感覚だろうと思うからだ。つまり食事は時間ではない。そのことをぬきに物理的な時間だけで、時間をかけることが食事の満足や文化度のようにいう連中は、食事も味覚も文化もわかってないやつらにちがいない。

物理的には数分あるいは一瞬の時でも、永遠の満足を得られる味覚もあれば、1時間かけた食事も、そのうまさに、あれは数秒のイノチだったかと思うこともある。永遠といえば永遠、ハカナイといえばハカナイ。そういうものではないか。

とにかく、数分の立食いをバカにしちゃいけないよ。立食いを、これほどまで成長させた、日本の大衆食文化をこそ、誇りにすべきだね。

しかし、思えば、浅草橋とか蔵前のへんには、立食い立ち飲みが、たくさんあっていいなあ。あそこは立食い立ち飲みのメッカだね。中小零細企業が多いのに関係があるのだろうか。いいなあ。

このあいだ入った蔵前の立食いそばも、なかなかよかったし。浅草橋駅そばには、美家古寿司の立食いもあるし、そのそばのヤキトン立ち飲みもいいし、それから……タケさーーーん、こんど、浅草橋・蔵前の立食い立ち飲みハシゴやりましょうぜ。タケさんとは、浅草橋の『酒とつまみ』の熱血呑兵衛営業マン編集長です。

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2004/05/19

ナンダロウアヤシゲな日々とコンビ二研日記

■うへぇ~、待ちくたびれた。やっと、やっと、やっと、南陀楼綾繁さんの本が発刊されます。右サイドのカテゴリー「文化・芸術」の、「BOOKMANな人びと・南陀楼綾繁の本の巻」を、ご覧ください。本に淫し本の海を泳ぐ『ナンダロウアヤシゲな日々』

本日の日記は、またあとで書き足す、予定。

■追加~
やれやれ。めったにない本の仕事が片付いたら、やれやれ状態だな。しかし、朱雀正道さんの「コンビニ研グルメ班日記」は、怒涛の勢いで話がすすむな。あれよあれよ、タフじゃなあ。おれが「栄養教諭と食育問題」を書いたのは、16日だね。その日のうちに、「コンビニ研グルメ班日記」は、素早く、かつ15日の日記に、そのことについてコメントしているのだ。
http://d.hatena.ne.jp/sujaku/20040515

「食育? 栄養教諭? ふざけるな! by遠藤哲夫」だって。だははは、このほうがインパクトあるわ。そうなんだ、「ふざけるな!」なのだ。

で、「では、この遠藤哲夫の見解のどこがモテ論の展開なのか?」と、「モテ論」展開。「モテ論」ってなんだあ、と、その前を読んでいくと、これがおもしろいのだが、まあ、たくさん書いてあって、いまさら読むのが大変。なにしろ、株式会社芸術家・片岡鶴太郎が出てきたり。いま最新の18日は、ポンピドゥーセンターになっているよ。でも、モテ論、おもしろい。

しかし、なんだね、モテルってのは、いいことだよ。おれもオンナにモテなくはないんだけど、「人畜無害でアンシン」ということでのモテ老人だからね、こうなると、ツマランね。関係ないか。

コワイ本、小泉武夫さんの『食の堕落と日本人』を読んでいたら、「丼に盛った熱い飯に、一缶一五〇円也のサバの水煮の缶詰をぶっかけて、その上から醤油を数滴たらして、それを今生の最高の丼飯だと賞味できる者こそ食の達人であり、文人なのである」だってさあ。

おれはしょっちゅうやっているぞ。なーんだ、おれは「食の達人であり、文人」なのか、つまんねえの、そんなもんになりたくねえや。いまだって、ちゃんとサバの水煮缶あるぞ、しかも「一缶一五〇円」もするやつじゃなくて、100円のやつだ。ああ、やれやれ。台風か。やれやれ。

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BOOKMANな人びと・南陀楼綾繁の本の巻

バンザーーーーイ、やっと、やっと、やっと、南陀楼綾繁さんの本ができる。下記もくじをごらんになればわかるけど、『 「ふつうのめし」を熱く語る--大衆食堂の詩人・遠藤哲夫 』という見出しもあるぞ。

本名(河上進)の方の、『本とコンピュータ』もヨロシク。
http://www.honco.jp/
本を散歩する雑誌『sumus』も、お忘れなく。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/5180/

ご参考 ザ大衆食「南陀楼綾繁さんが彷書月刊にザ大衆食を紹介」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/ayasige.htm

以下は、定有堂書店サイトからの転載です。
http://homepage2.nifty.com/teiyu/info/nannda_ana.htm

■出版案内
南陀楼綾繁さんコト河上進さんがついに著書刊行!

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『ナンダロウアヤシゲな日々 ~本の海で溺れて~』
著者 南陀楼綾繁
装丁/挿画 内澤旬子
無明舎出版 刊行  http://www.mumyosha.co.jp/四六判・268頁・総額1680円
6月上旬発行予定


【内容案内】
 古書の世界に遊び、ミニコミ発行で四苦八苦、図書館で資料を漁り、メールマガジンを編集……。「本」に関わることならなんでも首を突っ込む編集者・ライ ターの南陀楼綾繁、初のエッセイ集。「sumus」「彷書月刊」「本とコンピュータ」「定有堂ジャーナル」などさまざまな雑誌、サイトで発表したもの に、書き下ろしを加えて刊行。パラパラマンガ付きです。



【目次大公開】


ナンダロウアヤシゲな「まえがき」


第1章  「埒外」の本と人
・もっと紙モノに光あれ!
・「いかもの趣味」と『からす会蒐集貼込帖』
・廃物利用は「実用」を超えて
・関西の物数奇(モノズキ)たち
・書斎で出来る猟奇--あるいは川崎ゆきおの文章について
・新宿がアツかった頃--タウン誌の元祖「新宿プレイマップ」
・タウン誌「うえの」と『とんかつ一代』
・わが手にすべての「本づくりツール」を--「跋折羅」と小さな印刷機
・「埒外」の出版人たち
 隣の文化史家--串間努さんのこと
 嫌われ者の存在理由--エロ漫画編集者・塩山芳明
 下手以上のナニかを求めて--幻堂出版・なかのしげる
 フラフラしてるのも悪くない--多面体の雑学者・奥成達
 「ふつうのめし」を熱く語る--大衆食堂の詩人・遠藤哲夫
・神保町の「豆本人」たち
・本から人へ、人から本へ


第2章  私事しながら仕事する
・ミイラ取りがミイラになる
・私事しながら仕事する
 アマくたってイイじゃないか
 「本の学校」はぼくの自由学校
 本を買うことは仕事である!
 枝川公一さんのこと
 いつの日か、年相応に……?
 プラハの物数奇(モノズキ)たち
 儲からない方へ
・大学でも「ミニコミ専攻」だった
・ミニコミという往復運動
・ぼくだって「ふらふらふらり」してた
・わが青春の「ながら食い」
・小沢信男さんとぼく 「sumus」の本読みたち
・「BOOKMANの会」はじめました


第3章  本のためならドコへでも
・今日もおウチで本探し
・神保町、新刊書店そぞろ歩き
・ソウルの本屋さんを歩いて
・プラハはすべて「本の街」である
・チェコ語知らずの古本屋巡り
 「街の記憶」がよみがえる本
 「昭和」の怪しい味満載
 路地裏の散歩者の徒然草
 巷のたまり場の考古学
・バスにのったセンチメンタリスト--田中小実昌と「すずらん通り」
・ちょっと変わった本の話
 薄暗い映画館のベンチに座って
 幻の本に呪縛される
 マジメなパチプロの闘病日記
 「泡沫」でありつづける凄さ
 詩を媒介とするヒトのつながり
 コトバと格闘して「音」を描く
・中公文庫の日記本について書くなんて言わなければよかったのに日記
・ぼくはモクローくん
・夢の古本目録をつくる
・本の世界の「野次馬」でいたい


あとがき

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2004/05/18

ヒトは、なぜ、酒で記憶を失うのか

昨日の午後は、1時半ごろから5時半ごろまで、筑摩書房で校正作業をやった。酒ぬきである。アタリマエか。問題は、そのあとだ。筑摩書房は、蔵前にある、JRだと浅草橋駅が近い。浅草橋には、『酒とつまみ』の編集部がある。『酒とつまみ』は、イマ発行が遅れている5号の編集の真っ最中のはずだ。可愛そうに彼らは、酒も飲まずにがんばっているだろう。ちょっと寄って激励してあげよう。

と、寄ったら、ちょうど読者から送られたきたというホッピーがあって、まずは一杯ということになった。電気ブランのホッピー割り。これが、けっこうきいたね。彼ら、みな忙しいようだから、サラバして電車に乗る。電車のなかで、よく考えたら、やはり生ビールを飲むべきだと気がついた。なにしろ、昨年秋から続いていた、ちくま文庫の本の作業が、ほぼ終わったのだ。よくがんばったと、生ビールで乾杯すべきだろう。そういえば、ちくまの編集者も別れぎわに、「今夜はビールがうまいでしょうね」と言っていた。飲まねばならぬ。

上野から高崎線に乗ったので、浦和でおりた。そしたら、先ほど『酒とつまみ』のオオタケさんと話題になった浦和駅そばの立ち飲みを思い出した。そうだ、あそこで、一杯やろう。生ビール! うめえ、やっぱ、これだよな、おかわり。そこから歩いて帰れるが、酔ったので北浦和から帰ろうと、また電車に乗って北浦和。志げるの前を通ると、足が勝手にうごき、気がついたら、カウンターに座って生ビールを注文している。ありゃりゃりゃ、つぎホッピー! 中おかわり! というあたりから記憶がない。

ウチに帰り着いたら、12時を過ぎていたようだけど。目が覚めたら朝だ。はたして、何があったのか。身体にキズはなく、財布の中身は減り、頭が少々痛い。ああ、ヒトは、なぜ、酒で記憶を失うのだろうか。

さて、それで、ちくま文庫から発刊の『汁かけめし快食学』は、7月中旬には書店にならぶであろうというメドがつきました。『ぶっかけめしの悦楽』を、ほぼ書き下ろしに近いほど、大幅に改訂加筆しました。表紙を飾るのは、またもや、東陽片岡さんのイラスト。解説は熊谷真菜さん。よろしく~。

『酒とつまみ』5号も、よろしく。6月中に発行の予定だけど、もしかすると、おれの本と同じころ店頭にならぶことになるかも。

酒とつまみサイト
http://www.saketsuma.com/index.html
ザ大衆食「志げる」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sigeru.htm
筑摩書房サイト
http://www.chikumashobo.co.jp/
熊谷真菜さんサイト
http://www.kumagaimana.jp/

6月6日は、玉川美穂子のおはようライブ「ほとばしる浪花節!」の日だよ。午前11時から12時まで。浅草木馬亭。木戸銭500円。ぜひ、ご来場。

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2004/05/16

栄養教諭と食育問題

世間が、ならずもの大国アメリカの虐待問題とテレビ芸能界レベルの政治家の年金未加入未納問題で騒いでいる間に、「栄養教諭」が決まってしまった。

そもそもが、すでに何回も言っているとおり、食の問題は、食事と料理を、栄養と躾や作法と味覚に矮小化してきたことに問題があるのにもかかわらず、その原因の制度化をさらにすすめようというのだ。これは日本の食文化の一層の混乱を招くだろう。

すでに長いあいだ「家庭教育」に君臨してきた「家政学」や「家庭科」の反省も改善も検討せずに、つまりその責任はほうかむりしたまま、ただただ「食の乱れ」をあげつらね、栄養専門学校を出た知識ていどの人間を教諭にしてしまう制度として発足するのだ。それ自体が、食の軽視ではないか。だいたい「学力低下」を食のせいにするなんてのは、かつてコメを食べ過ぎるとアタマが悪くなるといって「食の乱れ」を招いた栄養学そのままの低脳レベルじゃないか。こういう連中が「食育」を支配するのである。

ま、これは、夏の参議院選挙むけの与党の選挙対策として、「食育」の内容も検討せずに大急ぎで決めたことである。いままでだって、食を、いろいろに目先の選挙対策に利用してきた。そういうことなのである。このように、食を政治に利用する政治家そして栄養士の団体や学校を、いまこそ記憶に留めておくべきである。

見よ「栄養士議員連盟」だ。こういう連中に「食育」をまかせてよいのか。
http://www.seiji.gr.jp/kumamail/kumamail55.htm

見よ「日本栄養士会」だ。こういう連中に「食育」をまかせていいのか。
http://www.dietitian.or.jp/topics/topics031108.html

こういう疑問や意見もある。
栄養教諭の創設by瞑想的生活
http://harikyu.txt-nifty.com/kashima/2004/01/post_13.html
栄養教諭の恐怖by極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/02/post_50.html
栄養教諭はどうなるんだろうかby雑想雑思
http://utebahibiku.seesaa.net/article/125084.html
食育-栄養教諭byねこブログ
http://neco5959.exblog.jp/201883/

おれは、前から、極少数派の「食育反対論者」
ザ大衆食「食育ナンダロ…1」
ザ大衆食「食育ナンダロ…2」
続きも書くつもりなのだけど……。なにしろ「食育基本法」は、そもそも自民党の食育調査会は、トップは男だったが、メンバーは女性議員を集めてスタートしたのだぜ、「食事のことはオンナ」そういうアタマのものなのだ。だけど反対の政党は、ない。みなさん賛成。

現状をみれば、ナイよりマシ、ということなのだろうが、ホントにそうなのか。ナイほうがマシではないのか、アノなんでも栄養に還元し、生理学者でもないのに生理学的理論をふりまわし生理学者のようにふるまい、人間の食を生理と栄養に貶め、食の文化を理解しようとしてこなかった栄養士たちを、これ以上はびこらせていいのか。

彼らのアタマは、ネコやイヌの上手な飼い方と同じていどにしか、人間のことを考えられないのだ。そういう連中をこれ以上はびこらせていいのか。もうウンザリだ。

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2004/05/15

魚肉ハムソーセージと思い出横丁

■ザ大衆食「新潟日報連載」を更新し「魚肉ハムソーセージ」を掲載

■6日の日記に「アバヨ!思い出横丁」を書いたが、昨夜、そこで飲んだ。

まずは、思い出横丁の大通り側にある、古本屋の天下堂書店で、オンナと待ち合わせ。名前は「天下堂」と大げさだが、1960年代のまんまの一間間口でまったく変わらないつくり、文庫本のある位置、エロ雑誌のある位置も変わらんね、ちがうのはマンガ本がふえたことか。店内の暗さもそのまんまじゃないのか、店番のオバサンはゴホンゴホン咳をして悪いビョーキがうつりそうな、あやしくも薄暗い。イヤ蛍光灯になって明るいはずだが、壁や天井が、なぜか60年代に薄暗い、そこだけが、通りの雑踏喧騒から取り残されたような静けさ不思議。

オンナを待つあいだに、相原コージの『文化人類ぎゃぐ』200円を買ってしまった。1985~6年の若者風俗が思い出されていとおかし。「労働者」は「市民」になり、「消費者」は「生活者」になり、「若者たち」は「ヤング」や「シティ・ボーイ」や「シティ・ガール」になった時代、労働者や田舎者が、借金バブル成金の労働者や田舎者=市民によって、とことんバカにされた時代だった。

オンナあらわれ、不倫カップルとなったワレワレは、まずは岐阜屋へ。大盛況のなか、ちょうど2人分のイスが確保できた。ヤキソバ、キクラゲ玉子炒めにビールと酎ハイ。おおっ、ここには労働者がいるぞ、イヤ労働者だらけで、市民を気どるやつなんかいない。しかし、男同士2人で飲むのって、けっこういるんだなあ、しかも仲よさそうに飲んでるぜ。ここのキクラゲ玉子炒め、はじめて食べたけど、なかなかよいね。

さあデハ、つぎ、きくや。ナント、満席で座れない。ま、けっこうけっこう。じゃ、しかたない、デカイ店に行けば2人ぐらい座れるだろう、ボルガへでも行くか。と、オンナいわく、あそこはちょっと今夜は知り合いがいるようでマズイ。そうかそうかワレワレは世を忍ぶ不倫カップルなのだった、デハ、鳥園へ。

うへぇ、ここも一杯だよ。デモ、大きな店だから、中国人店員さんが上手に客をつめ、2人分席をつくってくれた。酎ハイにレモンハイ、トマトに煮込み。しかし、ここも労働者だらけだ。自意識過剰のひねた市民も、ここではおおらかな労働者の姿になるね。で、まあ喧騒すさましく、オンナとオレは顔をよせあい声をはりあげないと話ができない。おれたちだけではない、みんな声をはりあげてシャベッテいる。オンナいわく「酒を飲むと耳がとおくなるのかしら?」「うーむ、血圧があがって、そうなることがあるかもね、でも、これは、単なる元気というものではないだろうか」

ワレワレはさきほどから周囲の喧騒をものともせず「夕暮れどきに飲む酒は独特の気分である、なぜか?」「やきそばやたこ焼など、ガキのころオモチャだった食べ物が、オトナになるとビールのつまみになってしまう豊かさ、なぜか?」などについて語り合っていた、と、とつじょ、拍手がまきおこる。ナンダナンダ、ナニゴトだ。人びとの目線を追うとテレビが。女子バレーが韓国を下した瞬間だった。ワレワレは2人だけの不倫な世界に埋没していたから気がつかなかったが、そうかバレーの試合を、飲みながらシャベリながら観戦していた人たちがいたのだ。そういや、1人だけの客も、けっこういるしな。長く続く拍手にワレワレも参加。いやあ、いいねえ、ここにいるとココロが素直にあたたくなりますよ。元気がわきますよ。

そしてオンナとオレは新宿駅西口改札口でわかれたのだった。人ごみのなかへ消えていくオンナ。思い出横丁がなくなったら、新宿は新宿でなくなる。

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2004/05/14

食通以前と昨日の続き

■カテゴリー「グルメ・クッキング」に「食通以前」を掲載。

■昨日の『日本の食とこころ』(国学院大学日本文化研究所編、慶友社、2003年3月)続き。岩井宏實さんの発言だが。「神饌は神と人とのコミュニケーションの一番重要なものでありますから、ありのままのものを神に捧げたということになります」と昨日まとめたとおりだが、もう一つ、おどろいたことがある。

伝統主義日本料理のギョーカイにそびえる権威、「日本料理の粋を継承しつづけてきた」とかいう「日本料理四条流」の四条司家が、先祖祖先祖神として祭る談山神社は、そもそもが藤原鎌足を祭っている。

これは岩井さんの話では、神仏習合で一体として神事が行われていたところで、その神饌は仏供が神事にとりいれられ伝承されたもので、「極めて造型的であり、そして熟饌ではなくて、生饌」なのだ。それは、なぜかというと、仏供のほうは「実はむしろ鎮壇を荘厳にすることのほうに意味があったようです。人間と神様が、神人共食するということではなくて、むしろ仏供のほうは供えることに重きが置かれたので非常に造型的なものになります。この造型的な供え方の方式は、大陸からきたのではなかろうかと思われます」と。いや、確かに、カラー写真でしか見たことがないが、談山神社の神饌は、色も派手だし、どこか大陸的だね。

となるとだよ、四条流などの「日本料理」の伝統が、見た目を大事の料理の細工にこったのもわかる気がする。しかし、そうなると、これは「日本料理の粋」といえるのかどうか。少なくとも、先祖様が和漢折衷では、いまの日本の食が和洋折衷で乱れているナンテいえないだろう。やはり江原恵さんが指摘のように「雑食文化」こそ日本料理の伝統なのではないか。

ま、ともかく、藤原家だの四条家だのと、わけのわからん古い系図を持ち出したところで、生活の美味として位置づかなくては意味がないのさ。

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食通以前

本文は、04年9月27日、「ザ大衆食」のサイトへ移動しました。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/hon/ryouri_ehara6syokutuizen.htm

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2004/05/13

日本料理のナゾあるいは真相

伝統主義日本料理の特徴をいいあらわす言葉に「割主烹従」がある。略すと「割烹」だ。「割」つまり切り裂くことが主で、煮るなんてのは従よ。これは伝統主義日本料理の「なまもの主義」「素材主義」の思想を表している。であるから「板前」のあいだでは「板長」がイチバン偉くて、板つまりまな板の前で庖丁をつかって、刺身をつくれるのは「板長」だけなのだ。ワレワレは伝統主義日本料理における板長の権威を信じて疑わなかった。

しかし、これはホントウに古くからの伝統なのか。『日本の食とこころ』(国学院大学日本文化研究所編、慶友社、2003年3月)で、岩井宏實さん(国立歴史民俗博物館民俗研究部長、この発言当時、帝塚山大学長)は、こう語る。

「実は日本人の食生活がそのまま神饌となっているのではないか。だから神饌を調べることによって日本人の食生活がわかるのではないか」

神饌というのは、神事のときに神に捧げる食べ物のこと。これを神と人間が一緒に食べるというのが、祭りの中でも御神輿ワッショイより大事な儀礼なのだ。

その神饌について岩井さんは、こういうね。「実は現代の神饌というのは、神道が国教化されまして、ここでは神饌はどういうふうにお供えするかが決められた。……これは「神社祭式行事作法」で定められました。これは明治八年から始まりまして、明治四十年に完結するわけであります。このときに、神様には清浄なものを奉らなければならないという考えから、生のものを捧げるようになりました。いわゆる生饌であります。今日われわれが見るのも、一般には生饌です」

「しかしながら、現代においてもなお、……伝統的な行事において伝統的な神饌を捧げているところがたくさんあります。これを見ますと、まさに熟饌であります。すなわち煮炊きしたもの、調理したものです。というのは、われわれが日常食べているものをそのまま、同じ方法で調理をして、それを神に捧げて、われわれは日常こういうものを捧げ、食べて生活を営んでおります、これも神のおかげであります、と。神様はこれを味わってくださいと。それを人間が頂いてここで神人共食の実をあげるというものです。だから神饌を調べていきますと日本人の食生活というものが、ある程度明らかになるのではないかと思うわけです」

神と人の共食にあたっては「人が採取あるいは作りうる最高のものを、最上に盛りつけて供えようとすることは当然でした。その最高のものというのは、いわゆる山海の珍味というものではなく、それぞれの時代の人々がもっとも食生活に恩恵を与えられた食料で、盛りつけもたんに美しく見せるということではなくて、それを食べた時代にもっとも好まれた調製・調理の方法であり、盛りつけでした。このような食料を、こう調理しておいしく食べられるのも神様のお陰であると捧げ、神様に賞味して頂き、神様と共に食べる」それで、人の神にたいする崇拝や一体感を確認したのだと。

つまり、あれですな、カレーライスやコロッケや肉じゃがのようなもの、つまり大衆食を神と一緒に食べたというわけですよ。となると、あの板前が威張っている伝統主義日本料理は、なんなのでしょうか。神と人びとのあいだに割って入り、日本人の食のこころをナマモノ崇拝にゆがめたのは、ほかならぬ伝統主義日本料理ということになるのでしょうか。

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2004/05/12

簡単に捨てきれない

最近は、あまりないけど、「東京のギンシャリのうまい店」というような記事をまとめてもらえませんかあ、テナ話がときどきあったね。そうすると、おれは、なんだかんだ言って逃げてきた。

まず必要なことは、「簡単に捨てきれない何かをもった店」という基準が大事だと思うからだ。99パーセントいいとこナシ、ダメでも、1パーセントでも捨てきれない何かがある、ということが大事なのだ。

よりうまい生活は、そのうえに創造されるのであって、カネの高さに比例したような「究極」だの「こだわり」だの「美味」だのを目標や基準にするのは、オカシイのだね。と、思う。

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2004/05/11

居酒屋食堂考

え~、本日は「ザ大衆食」に「居酒屋食堂考 その2 鶯谷 信濃路」を掲載したので、こちらはオヤスミ。

「居酒屋食堂考 その2 鶯谷 信濃路」

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2004/05/10

BOOKMANな人びと・内澤旬子の展覧会の巻

内澤旬子のetc.
http://www.cloverbooks.com/shop/book11.html
http://www.tosho-sekkei.gr.jp/kaiin-list/103uchi.html
http://www.asiawave.co.jp/asiamoji4.htm
http://homepage2.nifty.com/teiyu/info/nannda_1.htm

口上
あるときは韓国でイヌを食べ、あるときは沖縄でヤギを食べ、そしてあるときは日本の山からヤマドリを持ち帰って食べ、チェコの古本をあさり、ドイツの学生寮にもぐりこみ、はたまた南陀楼綾繁と「世界で唯一の古書目録愛好家フリーペーパー」なる「月刊 モクローくん通信」を発行する、水もしたたる鬼も土下座する奇人美女、内澤旬子は、イラストルポなるものをやりながら、じつはブックデザインクラフトネエチャン。ああ、どうでもええ、これを見れば、わかる。

内澤旬子・展覧会のお知らせ

「手にとって、読んで笑える本作りを目指しております」

▼CRAFT碧鱗堂BOOKS第一回展示会

「本の世界のはじっこから」

イラストルポライターとしてさまざまな雑誌で活動する一方、ユニークな手づくり本作品を発表してきた内澤旬子の新作、旧作を展示します。個展というよりは、コーヒーを飲みながら気軽に観ていただける展示です。ぜひいらしてください。

【出品物の一部】
豆本「昼寝犬」
「モクローくん絵ハガキ帖」
「シラカバ絵巻」
「おやじがき」
その他、イラストルポ掲載の雑誌など。

【日時】 
5月13日(木)~6月1日(火) 
14:00~24:00
■定休日 18日(火)、19日(水)、26日(水)

【会場】
cafe NOMAD 文京区根津2-19-5 電話03-3822-2341
(千代田線根津駅1番出口より徒歩1分)
*カフェですので、ワンオーダーお願いします

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教条主義な食

刺身はワサビとショウユで食べるもの。というのは、一つの教条だ。ところが、一つの教条だということに、なかなか気がつかない。さらに刺身をワサビとショウユで食べるのは、「和食」の伝統と思い込んでいる。

そういう教条主義がもたらす悲喜劇は、日常たくさんあるのじゃないだろうか。たかがメザシを食べるにせよ、買ってきたその日に食べるのと、2、3日たったのと、おなじ焼き方おなじ食べ方をしたりとか。

「右」な教条主義、「左」な教条主義、「宗教」な教条主義いろいろあるが、とにかく教条主義は、こっけいだ。やりきれない気分になるほど、かなしい。

ザ大衆食「旬なデキゴト保存版」にも掲載のサイト、「清閑PERSONAL」さんの「BANYAN BAR」の「教条主義」を、ごらんいただきたい。

http://www.tamarizuke.co.jp/seikan/ban/20040501.htm

『「なるべく自然な状態で醗酵させた、熟成期間の長い、できれば2年以上のお味噌を探しています」 という問い合わせをいただき、僕は相当に頭を働かせて以下を書いた。』とはじまり、『と、こういう返信を送付して、つくづく自分は商売が下手だと思う。「はい、手前共の味噌は2年以上寝かしてございます。おかげさまにてお客様にはいつもお褒めの言葉をいただいています」 と答えれば商品は右から左へ売れてしまうのに、どうにもそれができない。自分をイライラさせているものは何なのか? と考えて、それが教条主義だということにここへ至ってようやく気づく。』でおわる。

こういうことは、もうゴロゴロあるのだ。こういう問い合わせのような教条主義が、「ニセ表示」を生む環境をつくっているともいえる。

こんにちの食を「堕落」と罵り、むかしはヨカッタ式の話を見聞きしているヒマがあったら、大豆を買って煮て食べてみることでもしていたほうがよいと思うのだが。

しかし、切ないなあ。

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2004/05/09

ヒトはナゼ酒を飲むのか

綾瀬で古本屋+酒をやろうという誘いがあった。酒の誘いは断る理由がない。

しかし、綾瀬というのは、東京都か? 念のため地図を見ると地下鉄千代田線北千住の一つ先で東京都だった。それなら、北千住の「大はし」に寄ってから行こう。「大はし」は、昨年の改装閉店の日に入ってあと、行ってない。

というわけで、まずは一人で、大はし。ビール1本熱燗2本。どうも最近は、自棄酒マンさんのサイトの影響で、清酒の糖類添加が気になる。

自棄酒マンさんは、日本酒文化のためには、糖類添加はしないという志をもった酒蔵の酒を支持しようという主張である。大吟醸だの純米酒だのとヨロコブのもいいが、マズ普通酒から糖類添加をなくそう、普通をよくしようというのは、マットウな主張だと思う。しかし、おれは、アルコールならナンデモよいのだ、と思って飲んでいたのだが、糖類添加は飲めばわかる。とくに熱燗だと、スグわかる。大はしの山形正宗は糖類添加だね、いままで気にしたことがなかった、一口飲んでわかった、でも男は黙って日本酒だよ、もう一本ちょうだい。と、まずは、軽く身体を酒にならし、綾瀬へ。

綾瀬駅、改札出たら、前に南陀楼綾繁さんとお友達1人。待つことチョット『酒とつまみ』編集長のオオタケさんあらわれる。あははははは、この古本+酒場というのは、『酒とつまみ』5号に南陀楼綾繁さんが書くための企画なのだ。古本屋は、アノ知るひとぞ知る「デカダン文庫」。名前からすると、かなりアヤシイ本があるのではと思ったが、フツウの古本である。でも、なかなかの品揃え、しかも、どの本も管理状態が良好。オオタケさんが買った古本、おれが先に見つけたら、おれが買ったのに。クソッ。ようし飲むぞ、と、前の大衆酒場「三楽」へ。

ビール1本に熱燗2本。もう糖類添加かどうかなんか、どうでもええ。デモ、これは糖類添加じゃなかったね。納豆オムレツというのを、初めて食べる。うーむ、納豆に熱をくわえるというのは、ナント下品なよい味だろうね。

デハ、つぎ。とことこ歩く。ちょっと歩いて、前に「デカダン文庫」があったという地域の酒場へ。これが、なかなかよいヤキトン屋である。名前忘れた。ホッピー、中おかわり、ホッピー、中おかわり、というあたりから記憶がなくなる。

気がついたら朝だよ。どうやって帰って来たのだ。電車で帰って来たに決まってるだろなあ。ああ、ちょっと頭が痛い。この顛末は、『酒とつまみ』5号に載ります。綾繁さん、どう書くのだろうか? そういえば、毎月たくさんの原稿を書きまくり、共著はあるのに自著がなかった綾繁さんの初めての本が、イヨイヨ今月発売になる、無明舎から『ナンダロウアヤシゲな日々』楽しみだなあ。

ああ、まだ酔っている。飲んだら、二日酔いのほうが得した気分になれるね。同じカネで二日酔えるのだから。

ご参考。
「ザ大衆食」昨年、改装閉店の日の大はし
自棄酒マンさんのサイト 酒のことは、この人に書かせるべきだと思います。
酒とつまみのサイト のんべえは、この雑誌を読むしかない。
無明舎のサイト 『ナンダロウアヤシゲな日々』を買いましょう。おれのことも書いてあるそうだ。

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2004/05/08

心地悪い「グルメ」

■カテゴリー「グルメ・クッキング」に「まな板文化論」を掲載。
■「グルメ」という言葉は、どうも心地悪い。いま思い返せば、少なくとも、1980年代前半の「グルメ」には、それなりの「美食」の教養があったように思う。もちろん、じつに観念的というか、芸術コンプレックスやロマンチシズムあるいはペダンチズムにイカレたものが大勢だったが。それが、とくに90年代「B級グルメ」以後の「グルメ」は、なんの理念も精神性もない「無思考低趣味」や「無知性自己陶酔」を指す言葉になったようだ。これは、もしかすると、「ファッション」あるいは「世相」の傾向の反映かもしれないなあ。と、思ったりして。
■以前から拙サイト「ザ大衆食」をご覧いただいているハジメさんから、久しぶりにメールがあった。うれしいね。そのうちザ大衆食の「大衆食者の食卓」に掲載するけど、思うところあって30年間住み慣れた山の手から下町へ引っ越し、場末の酒場や「なにげない食堂」で「生・食の喜び」を感じているそうだ。いいねえ。

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まな板文化論

本文は、04年9月19日、「ザ大衆食」のサイトへ移動しました。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/hon/ryouri_ehara5manaita.htm

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2004/05/07

コナモンの日

いまやコンニャクもトウフもショウユも「粉」からつくる、と言ってもよさそうな状況になっているが、今日は「コナモンの日」だ。5月の「5」を「コ」に、7日の「7」を「ナ」に語呂合わせ。

「コナモン」は関西表現だから漢字だと「粉物」だね。去年の5月7日が、第1回のコナモンの日で、東京でイベントをやった。主催は、そのちょっと前に発足した「日本コナモン協会」。

日本コナモン協会の会長は、「たこやき」(講談社文庫)の著者・熊谷真菜さん。熊谷さんとおれはタダナラヌ関係? おれは、熊谷さんに指名され、「関東コナモン連筆頭」なのだが、なーんもやってない。

先日、熊谷さんが上京したので、西日暮里の竹屋食堂と新宿の昨日日記に書いた思い出横丁を案内してやった。そのオカシナオカシナ顛末と熊谷さんとおれが出会うキッカケは、いま進行中の発刊はいつになるのか?ちくま文庫「汁かけめし快食学」の解説に熊谷さんが書いているから、オタノシミ。

「粉食」と「粒食」は、「こしあん」と「粒あん」のように、ときには憎悪をまじえんばかりの因縁の対立をはらんだゴチャゴチャな関係で今日まできた。しかし、西宮コナモンお嬢様育ちの熊谷さんと、魚沼コシヒカリ貧民育ちのおれが出会って、粉と粒のように育ち性格品性体格見た目まるで違うようだが、「料理は生活の技術だ~っ」「うまいもの食べながら楽しく生きようぜ」で意気投合したのかな? ここに「粉食」と「粒食」は手をたずさえ、大衆食の大道を歩むことになった。

というほど大げさな話じゃないが。ま、とにかく、今日はコナモンの日であるから、サテ、脱脂粉乳でも飲みますか。というジョーダンはさておき、今日のイベントはないが、9日に京都で、第2回コナモン倶楽部 『 蕎麦がき と 雑草の天婦羅 』というのがあるから、おれは参加できないのだが、興味あるかたは、下記、日本コナモン協会に連絡してみてください。

ご参考。
ザ大衆食「関東コナモン連」
日本コナモン協会
熊谷真菜さんのサイト

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2004/05/06

アバヨ!思い出横丁

 もう「惜別の情」もわかない。何回も見てきた、同じことの繰り返しだ。
 報道によれば、「JR新宿駅西口のバラック風商店街「西口飲食店街」(通称・思い出横丁、やきとり横丁)に再開発計画が浮上している。幅約30メートル、長さ約80メートルのわずかな敷地に焼き鳥屋や飲み屋など計81店舗がひしめくこの一角を取り壊し、地上11階、地下2階の商業ビルを建設しようという計画だ。地権者は準備組合を設立し、08年秋の完成を目指して連休明けにも再開発案の調整に入る。ただ、独特の雰囲気が消えていくのを惜しむ声も根強い」とのことだ。
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/shakai/20040506/K0001201911012.html

 すでに、もう何回も見てきたことである。この横にそびえる、正式の名前は知らないが、いま「さくらや」が入っているビル、「地下鉄ビル」と呼んでいたが、そこがそうだった。あそこが再開発のときには、それまでそこでバラックで営業していた思い出横丁のような飲食店が、再開発ビルの地下や一階に残っていたが、しだいに姿を消した。いまや、どこへ行ってもあるビッグストアだらけ。近年では、おれも「散歩の達人」でレポートした、JR総武線の平井駅前の再開発があり、そして上野駅のリニューアル?だ。
 「再開発組合」などといったって、背後にゼネコン土建屋がいて、それが手をひけば、どうにもならない「組合」である。こういうことがあると「経済効率第一主義」が非難され、昔ながらの人情のある街を守れ、という声も上がるが、じつは「経済効率第一主義」にもなっていないズサンな計画が、ほとんどである。
 欲と儲けの土建屋が勧める計画は、目先の欲得にまみれている。歴史も文化も、そこで生きてきた人間のココロの奥底を見る目もない。再開発ビルができあがると、土建屋は銀行からカネをもらって逃げ、あとはローンと固定資産税にまみれた空間が残る。けっきょく、そのカネの手当てができる、例の同じサービスの大会社が入ることになる。小さい経営だからできた関係は消えてゆく。
 背景には、いまの石原都政になってからの、強引に土地から税収を上げる「悪循環の方法」がからんでいる。なんの生産性も創造性も組織できず、「お上」の強権だけで仕切ろうという、土地封建領主とかわらぬ政策だ。もう何度も見てきた光景である。
 いまさら、なにか言う気もしない。
 ふん。ワレワレは新宿がダメなら、新大久保も大久保も中野も高円寺も阿佐ヶ谷も大塚も田端もあるでよ、イヤ浦和のガード下があるさ、と、タイトな強権管理が行き届かないルーズな空間をめざす。銀座や霞ヶ関の横には、ちゃんと猥雑な新橋が生きてきたように、どんな強権管理の空間も庶民の猥雑な人間関係の空間を、完全に死滅させることはできない。新宿も思い出横丁も捨ててやるさ。
 それにしても、新宿で終電まで飲んだくれるところがなくなるのは、困ったものだ。ああ!

ご参考。「ザ大衆食」から。
思い出横丁の景観
平井の大衆食堂「福住」と再開発
上野駅地下食堂街の消滅

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2004/05/05

コンビニ研グルメ班日記

■昨日は、めったにない、いいことがあった。というのも、おれのことをときたま話題にしていただいている「コンビニ研グルメ班日記」に、江原恵と『庖丁文化論』が登場したのだ。江原恵さんの『庖丁文化論』は、1974年に講談社から発刊されてから今年で30年になる(エナジー叢書の懸賞作品の入選作だから発表は前年だった)が、当時の学者研究者や専門家以外で、この本について述べる人と出会ったのは、やっと2人目である。
■「コンビニ研グルメ班日記」は、すでにWebサイト「ザ大衆食」で紹介している。朱雀正道(すじゃくせいどう)さんの日記だ。昨日の日記は、こちら。タイトルも「日本料理、おまえはすでに死んでいる、と告げた男」、まさに、江原恵さんのことである。
http://d.hatena.ne.jp/sujaku/?of=1
■朱雀さんて、おれよりかなり若いかんじだけど、よくこの本を読んでいたなと思って、何歳か気になって「はてなダイアリー 朱雀正道」を見た。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%EB%BF%FD%C0%B5%C6%BB
1959年生まれだから、庖丁文化論のころは、まだ15歳。いくら早熟でも、あの本は、15歳が読むにはムズカシイ。おれは、いくつだったかというと、31だね。
■ま、そういうわけで、めったにないことに感激して、昨日は、その日記にコメントを書いた。朱雀正道さんから返事のコメントがついて、古本屋で見つけて読んだのだそうだ。それにしても、うれしい。今日もまだ、気分がよいのであるよ。それに、こういうことがあると、しみじみ、インターネットって、よいね、と思うのだった。よい出会いしましょう。

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2004/05/04

「庖丁文化論」のコンニチ的意義

■ま、まだよくわからないところがあるのだが(とくにトラッキングとやらについては、さっぱりワカラン)、なんとか順調に? このblog版も動き出した。当面、ここは右横メニュウの「カテゴリー」にあるように、「グルメ・クッキンング」と「日記・コラム・つぶやき」に分類して書くつもりだ。
■そしてだね、じつは、ここは、やはり右横メニュウ一番上にあるリンク「ザ大衆食」のトップページの、「発作なメシゴト日記」のリンク先が「日記・コラム・つぶやき」であり、「貧乏食通研究所>生活料理と江原恵」のリンク先が「グルメ・クッキンング」になっている、という仕組みなのだ。であるから、あくまでも、メインというかトップは「ザ大衆食」なのだ。でも、更新は、こちらのほうが、ヒンパンになるだろうね。
■日記のほうは、前からレンタルノートを使用してやっていたのだが、中身はまさに「発作的」で何が出てくるからわからん状態だった。で、そのなかに、ときたま、江原恵さんの「庖丁文化論」や「生活料理学」を念頭に書いたことがあった。それは、本当は、「貧乏食通研究所」に書きまとめておきたいことを、備忘録的にメモっておくつもりだったが、ノートの日記というシステムのなかに埋没して、それだけをあとで拾ってまとめるというのは大変なので、けっきょくほったらかし状態なのだった。で、このblogってやつは、そのへん、思いつき的に書きながらも、わけて整理できるので使ってやってみようというわけであります。
■で、江原恵さんの「庖丁文化論」はいまからちょうど30年前ぐらいに発表されたものだけど、内容的にはイマこそ考えるべきことがたくさんあるのだ。と、つねづね思っていて、ま、「大衆食」という「切り口」も、その一つなのだが、やはり、江原さんの「庖丁文化論」や「生活料理学」については、イマの時点で理解しなおす必要があると思っている。これをぬきに「グルメ」だの「クッキング」とはシャラクセエと思いながら「グルメ・クッキング」のカテゴリーを使わせてもらっている。
■たとえば、先日、郵便局の通販「ふるさと便」で「北海道のカニ」を頼んだら「アラスカ産」が届いたというジケンにも典型的にみられのだが、まだまだ味覚の「ふるさと幻想」「シュン幻想」がある。そして一方では、最近おどろいたことに、「鳥インフレエンザの広がりやBSEの発生は、金もうけと効率第一でやってきた人類の生態系からの復讐と考えるべきです」といった発言あるのだ。この後者の発言は、「アエラ」04.4.12号でアノ小泉武夫さんが「いまこそ伝統食を」という見出しで述べている冒頭の部分だ。
■この状況は、かつて30年前ぐらいと、なーんも変わっていない。なるほど、「ふるさとの味」も「シュンの味」もよいものだった。たしかに、農林漁業の衰退は、それをこのまま放置しておくわけには、いかないだろう。が、それは食卓や料理の環境変化のことであり、それぞれの家庭の食卓や料理の課題として考えた場合、「伝統食」に還ればよいのか、実際にかえることができるのか、という問題が残る。そして、その場合トウゼン「伝統食」とは何か、ということになる。
■とかく、この小泉武夫さんの発言のように、生産の問題あるいは文明論レベルの問題を、日々の食卓と料理のレベルに持ち込み、「伝統」だ「スローフード」だと観念的なオシャベリをしていれば、コトが片付くような風潮が続いている。しかし、そんなオシャベリでは、なにも片付かないのだ。そういや、30年前にも「ユックリズム」なんて言葉がはやったりした。
■日々めしをつくり食べなくてはならない現実においては、つまり日々の食卓と料理のレベルにおいては、環境変化に対応しうる「食べる技術としての料理」の向上が必要なのだ。そういうことを江原恵さんは30年前に主張し、カレーライスも刺身も同じ日本料理としてとらえなおすことで、日本料理の伝統を生活料理として構築しようとした。
■先日、飲み屋でアジのタタキを注文した、いわゆる活づくりってやつで、出てきたらアジの口がパクパクしていた。ハハンと思って見て、一口食べ、「ああ、養殖アジ、ちょっとこりゃマズイね」といったら、一緒に飲んでいたやつが、「エッ、アジも養殖があるの?」というのだ。あったり前だろう。それにな、ケッ、トマトだってキュウリだってホウレンソウだってヤマイモだって、養殖モノと同じじゃないか。そういう実態から、日々の食卓や料理は出発しなくてはならないのだぜ。もっと現実を直視しなくてはな。養殖ものだって使いようさ、それをワンパターンの伝統主義で活づくりになんかするから、マズイものを食べなくてはならなくなるのだ。

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2004/05/03

カツオ

スーパーでは、カツオが目立つようになったし、テレビでもカツオの話題があった。だけど、カツオのシュンというのは、いつなのだろうか、初鰹はうまいのか。ということなどについて書いたので、本日の日記は、これでオシマイ。
ザ大衆食「カツオのシュン」

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2004/05/01

彷書月刊を読む

■12時から新宿で打合せ。往復電車の中で、頂戴した『彷書月刊』5月号を読む。特集「嬉嬉会会」。イマ「ききかいかい」と入力変換したら「奇々怪々」しかなかった。編集後記「猿楽町だより」によれば、「嬉嬉会会と名づけていろんな人の集まりをたずねてみた。役にたつのかたたないのか、何となく楽しそうなネットワークがあちこちにある。江戸時代から現代までの散歩道」
■高田衛さん(国文学者)「江戸のサークルさまざま」の「天狗芸術と言ったって、今どき何のことやらわかるまい。剣術のことなのである」「昔(江戸期をさす)は芸術といえば、まず剣術、弓術、馬術、槍術など武芸百般のことであった」にビックリ。ナニナニ「それに次いで文事も芸術になった。儒学、漢詩文、和歌、国学、講釈、医学、天文、茶道、能楽、人相学、卜占等等」ナント「世の太平につれて遊芸も芸術と呼ばれるようになる。連歌俳諧、謡曲、絵画、立花、書道、唱歌(浄瑠璃、長唄など)、笛太鼓、舞踊、芝居、曲芸その他もろもろ」だと。軍事殺人用のワザが芸術だったとは、ずいぶんイマのイメージとちがうなあ。料理は、どうだったのだろうか。
■しかし、昔から、いろいろな会というかサークルというかネットワークがあるものだ。ま、おれも、イチオウ大衆食の会を主宰してはいるが、最近はオフィシャルにはさぼっている。テキトウにナントナク続くというのもいいんだなあ。今日打ち合わせのとうきょうEDは年2回の定例の研究会とイベント、まもなく始まって1年になるBOOKMANの会は隔月に座談の会のようなものがあって、いずれも堅苦しいものではなく面白いだけだから、続いているんだなあ。
BOOKMANの会座長の南陀楼綾繁さんは『彷書月刊』では連載をもっていて「ぼくの書サイ徘徊録」第34回は「レコメンドはお好き?」だ。紹介のサイトは、「書肆 砂の書

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生活料理と江原恵(『庖丁文化論』もくじ)

本文は、ザ大衆食のサイトに転載し、追記しました。04年9月6日。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/hon/ryouri_ehara3_houbun.htm

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