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2004/05/20

立食い

何度も入っているのに、名前を覚えていない。上野駅不忍口を出ると、ガード下、正面に立食い蕎麦屋がある。ここで食べるようになったのは、落語家の喜多八が、鈴本演芸場の高座で、あの蕎麦屋はうまくて、とくにかき揚げがよい、かき揚げダブルとやるってぇと大満足ですわ、というようなことを話していたからだ。その帰りに、さっそく「かき揚げダブル」をやってみた。それから、ときどき入ると、喜多八の姿は見たことないが、落語家が食べているのに出っくわす。で、問題は、こういうことだ。

立食いそばは、時計では、ほんの数分で食べ終わる。しかし、いつも、あれはホントウに数分のことなのだろうかと思う。

よくフランス人やイタリア人は、食を楽しむ人種であり、食事に2時間ぐらいかける、食文化が豊かなのだ、食文化先進国なのだというかんじのことをいう連中がいる。

しかしだよ、食事は、時計の時間でウンヌンできることがらなのかと思う。というのも、食事の満足には味覚が欠かせないが、味覚は、時空を超える感覚だろうと思うからだ。つまり食事は時間ではない。そのことをぬきに物理的な時間だけで、時間をかけることが食事の満足や文化度のようにいう連中は、食事も味覚も文化もわかってないやつらにちがいない。

物理的には数分あるいは一瞬の時でも、永遠の満足を得られる味覚もあれば、1時間かけた食事も、そのうまさに、あれは数秒のイノチだったかと思うこともある。永遠といえば永遠、ハカナイといえばハカナイ。そういうものではないか。

とにかく、数分の立食いをバカにしちゃいけないよ。立食いを、これほどまで成長させた、日本の大衆食文化をこそ、誇りにすべきだね。

しかし、思えば、浅草橋とか蔵前のへんには、立食い立ち飲みが、たくさんあっていいなあ。あそこは立食い立ち飲みのメッカだね。中小零細企業が多いのに関係があるのだろうか。いいなあ。

このあいだ入った蔵前の立食いそばも、なかなかよかったし。浅草橋駅そばには、美家古寿司の立食いもあるし、そのそばのヤキトン立ち飲みもいいし、それから……タケさーーーん、こんど、浅草橋・蔵前の立食い立ち飲みハシゴやりましょうぜ。タケさんとは、浅草橋の『酒とつまみ』の熱血呑兵衛営業マン編集長です。

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