センチは、問題だぜ
■えーと、16日の「栄養教諭と食育問題」と22日の「ちょぼくれ」にコメントいただいているのだけど、返事をしないままアレコレ、パソコンの前にいるより酒の前にいる日にちが過ぎ、日にちが過ぎてみると、いまごろ返事というのもおかしいような。とにかく、コメント、ありがとうございます。
■「栄養教諭と食育問題」は、そもそも「オトナの問題をコドモの教育」で片付けようというのがヘンだね。この逆に、少年犯罪を親の罪を重くすることでなくそうという、「コドモの教育をオトナの問題」で片付けようとしたり。つまり最近は、なんか問題把握や現実把握のしかたからして、オカシイ。
■えと、それから「ちょぼくれ」について、訂正というか、「ちょぼくれ」は大道芸というより、木魚や鈴など鳴り物をつかった門付け芸で始まり、大道芸の浪花節に成長したというのが、国語関係の辞書の解説だね。とにかく、平安のむかしからさ、今様(ま、流行歌か)のように、庶民が節をつけてアレコレうたったり踊ったりしたゲージュツがあるわけだ。和歌や源氏物語や徒然草などだけがゲージュツあつかいなんて、笑わせらアってこと。ああ、まだ酔っているかな。
■高千代泥酔紀行は、あらためて、「ザ大衆食」のサイトに掲載します。なにしろ、今回は、4時ごろまでは、あまり酔わないようにして、ちゃんと写真を撮ったり話を聞いたりして記憶に留めたことがあるから。おれがガキのころ食べた田舎料理を、いろいろ紹介します。ま、結論は、「シュン」だの「ホンモノ」だのという紋切り型センチメンタル・キーワードを、いつまでも大事にしていちゃいけないということだね。今回は、「シュン」だの「ホンモノ」だのというセリフの、先の奥の根っこに、アブナイ「ふるさと」センチメンタルを見た気がした。これは、和歌や源氏物語や徒然草などだけをゲージュツにしてきた結果だろうか。
■しかし、こうもセンチで、いいのだろうか。センチが、日本酒つまり清酒の市場を支え、そして危険にさらしている、ように思うのだった。つまり、センチが、「和食」を支え、そして「和食」を危機にさらしている。といえるようだ。ってこと。
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