「手作り」センチメンタリズム
だが、しかし。昨日のつづきになるが。冷凍モノのおかげで、おおくの人びとが日常、マグロの刺身を食べられるようになったのは、たしかだ。それは、つまり、「日本は海にかこまれた美しい国」ということに関係ない、工業技術のおかげなのだ。
サンマにしても、工業技術のおかげで、とりすぎというほど一度にとり、鮮度のよい生のまま大量に都会の市場へ送られるようになったから、安くうまいサンマが食べられる。
冷凍サンマというのもあって、それは解凍して店頭にならべられる。生サンマの出盛り期に、それに混ぜて売られこともあるようだが、ちゃんと別に「解凍サンマ」と表示して売られなくてはならないし、そうしている例も少なくない。ま、おかげで、一年中サンマが食べられる。
で、まあ、こういうことをいうひとがいるから、おれのアタマは混乱するのだが。
生のサンマを安いときにたくさん買って、自分でラップにくるんで冷凍庫に入れておくのはよいが、店で売られる解凍サンマはイケナイもののようにいうひとがいるのである。機械文明の冷凍もののおかげでシュンがなくなった、というぐあいに非難するのである。
どういうことか、まったく理解しかねる。そして、おれは、それは、自分の手による冷凍ならよくて、機械処理はイケナイというだけの、短絡した「手作り」センチメンタリズムじゃないのと思うのだった。
それにしても、冷凍により、あるていどの鮮度を保つことはできるから、やはり解凍ものでも「新鮮」という言葉をつかっていいだろうかと思うのだった。でも、やはり、「新鮮」というのは、生ものを基準にしているのではないだろうかと、アレコレ迷うのだった。
それにしても、解凍のマグロやタコの刺身を食べながら、「海にかこまれた美しい日本」に感謝なんて、オカシイ。感謝するなら、大漁業会社や大商社など、「国際資本」に対してだろう。もっとも、感謝なんか必要ない、彼らは商売である。
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