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2004/06/30

いいかげんな「栄養タレント」

■まずは浪曲
本日、6月30日、と、書き始めて、調べてみて気がついた、あれれれ、昨夜だったのか、今夜だとばかり思っていた。ああ、おれもタマミホさんのような粗忽者だったか、玉川福太郎の天保水滸伝第二夜は、終わってしまった。うーむ、でも、昨夜なら行けなかった。

では、玉川美穂子は、7月3日(土)の、浅草木馬亭定席だ。これに、なんとか行くとしよう。
http://www.geocities.jp/tamamiho55/

■食育問題・・・いいかげんな話
「食育論者」として名高い、自民党の食育調査会でも講演している「栄養タレント」の服部幸應(ゆきお)さんは、こんなことを言っている。いつまで、こういうイイカゲンなことを言っているのだろうか。「季刊 教育かながわ」より。
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/kyoikusomu/sonota/kikan/0305/030508.htm

「 子どもがキレやすいという問題とも関係があるのですが、きちんとした食生活を子どものときからしてほしいですね。骨の成長は特に思春期から二十歳くらいまでにピークを迎えます。でも一番バランスのいい食生活をしないといけない時期にダイエットなどをすると体はがたがたですよ。特に親の目を離れて自分で物を買ったりする時期に、意識して食べちゃいけないものや食べないといけないものを教える必要がある。自由奔放に食べていると体が偏ってしまう。朝食抜きの人も結構いるみたいですけど、何が悪いって集中力や思考能力がなくなるんです。実は物を考えるって、ブドウ糖がエネルギーとして脳にないとできない。脳はエネルギーとしてブドウ糖しか受け付けませんから。だから食べないとだめ。あまり脂こいものや甘いものばかりだと良くないですけど。甘いものは血糖値を一時的に上げるにはいいですが、現状はお昼まで持たないから途中で清涼飲料水を飲んだりする。すると血糖値が一時的に上がり、でもすぐ下がる。それを何回も繰り返していくと血糖値が上がるのを体が抑えようとして、インシュリンが大量に出て血糖値はバランス値で止まらず下がってしまう。そうすると体がだんだん低血糖になる。低血糖だとぼーっとして集中力が欠ける。人間の体はよくできていてこれを押し上げようとする力が働いて、暴力ホルモンとも呼ばれるアドレナリンがでるんです。思考力のないところへ急に血糖値が上昇し興奮させますから訳わからず人を刺したり、訳のわからない言動をしたりすることにつながります。」

最近は、たしか佐世保のジケンにからんで、「パソコンをやるとキレやすい」という「論」がでまわっている。どいつもこいつも、子供がキレるということについて、マジメに考えていない証拠だろう。子供の問題を、自分の主張にひきよせて都合のよいように利用しているだけじゃないか。かれらの特徴は、子供たちの実態から、なにかを学ぼうという姿勢が、まったくないことだ。

ましてや、この「朝食」と「血糖値」は関係ないという実験結果まであって、いまや「朝食抜き健康法」なんてものまであるのに。

このように、たかが「栄養タレント」が、さもさも教育や人間や生命の真理についてわかったごとくいう。イマすすめられようとしている「食育」の根本は、このように人びとの不安につけこんだ、根拠のないリクツで、きわめて悪質なものなのだ。

とにかく、ワレワレは、「栄養信仰」から解放され、自らの思考力で食べ生きることをしなくてはならない。と、思うのだ。

「栄養タレント」は、教育や子供の専門家ではないのだし、ラチもない栄養の話をしていればよい。ちょっとテレビで有名になったぐらいで、なにものかになったように偉そうなことをいうタレントがふえた。そういうカンチガイこそ、笑止である。ひとさまのことより、自分のアタマを心配することだね。

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2004/06/29

給食を考えよう

朱雀正道さんの「コンビニ研グルメ班日記」は、あいかわらず給食でも盛り上がっている。
http://d.hatena.ne.jp/sujaku/
この際、どんどん発言してほしいね。おれは、もうトシで、朱雀さんのようにエネルギッシュな対応はできないから、みなさんアチラで、給食について発言し考えましょう。

で、給食を考えることが、なぜ、イマ大切かというと、すでに一部ではあるが、いままでのパン食とは逆に、週5日ゼンブ米食という給食がはじまっているのだ。これは、いくらなんでも極端ではないか。この極端パン食から極端米食への動きこそ、給食の本質をあらわしていないだろうか。いずれにせよ、給食の転換期、というかんじがある。

そもそも、たしかに戦後、「陰謀的」「脅迫的」といってよいほどアメリカの小麦粉を受け入れなくてはならなかった状況があったにせよ、それでだぶついた小麦粉をナゼ給食に流したかという問題が大きいはずだと思う。

リクツをいえば、米は「日本の主食」だから大事な子供たちの学校給食に優先し、大人たちが小麦粉を消化する政策を、ナゼとらなかったのか、なのだ。その裏返しとして、イマ、慢性的生産過剰状態になった米作の解消策として、「地産地消」を錦の御旗に、給食の米食化がはじまっている。ようするに、給食は、だぶつき食糧の解消策、ゴミ捨て場なのだ。

そして、そこでは栄養学が、偉そうにしている。かつて、米食を否定した栄養学は、いまや米食の推進だ。ようするに栄養学は、政治と経済の動向を見ながらテキトウなことを言ってきた。そのうち書きたいが、そういう栄養学は戦前からのことである。かれらは、日本の近代食の流れや現実など、関心がないのだ。

ま、みなさん、「コンビニ研グルメ班日記」で、給食について発言し考えよう。うふふふ、おれは、ちょっと別なことで、いつものように酒でも飲んでますわ。朱雀さん、がんばって~。

しかし、いまや配達弁当という給食に頼る老人たちも増えて、日本は「給食大国」ですわ。

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2004/06/28

給食は最悪

■南陀楼綾繁さんが、「まぼろしチャンネル」の「帝都逍遥蕩尽日録」に、去る5月某日、千住の「大はし」を振り出しに、入谷の「なってるハウス」まで飲み歩くこと、を書いている。ほんと、あの日はよく飲んだ。この日に、渡辺勝さんのうたを初めて聴いたのだ。
http://www.maboroshi-ch.com/cha/nandarou.htm
おれは、ここに書いているね。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2004/05/post_27.html

うふふふ、いま見つけた。南陀楼綾繁さんが「はてなダイアリー」デビューだ。
http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/

■朱雀正道さんの「コンビニ研グルメ班日記」では、給食問題で盛り上がっているね。
http://d.hatena.ne.jp/sujaku/20040626

おれは、前に古い日記のほうにも書いたと思うけど、食事は家庭でしなくてはならないものとは思わないが、イマの給食はやめたほうがよい「給食廃止」の立場だ。

それは、給食は単なる「ゴミ捨て場」になっているからだ。そこは、現代社会のスカの吹き溜まりだ。給食は、日本のイチバン悪い惰性的な考え方や生き方、つまりオトナたちの最悪のところ全てを包括しているように思う。信じられないぐらいヒドイ、それに慣れてしまったオトナ。ゴミは、なくしたほうがよい。

ま、おれは、給食育ちの年齢ではないので、実際に給食で育ったひとたちが、「懐かしさ」をこえて給食について議論してほしいね。

おれの手元には、最近、ある若い母親から、学校給食の写真とコメントが届いている。近いうちに掲載したいと思う。ほんとに、こんな状態のまま「食育」とは、オトナの最悪のスカの惰性の上塗りみたいなものだ。ま、ろくでもない「栄養教諭」を新設したりするより、1人1食二百数十円の貧困状態を解消したり、あの囚人扱いのような盛り付け容器などを改善すべきだろう。

ご参考
ザ大衆食「給食の風景」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun/kyusyoku.htm
ザ大衆食「『食育』ナンダロ1」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/syokuiku1.htm
ザ大衆食「『食育』ナンダロ2」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/syokuiku2.htm

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2004/06/27

「うまさ」を語る言葉を、どう獲得するか

そゆうわけで、と、「旬だからうまい」とか「今朝築地で仕入れてきたからうまい」とか「新鮮だからうまい」とか「とれたてだからうまい」とか「自然な味だからよい」とか、そういう前時代的な表現や言葉を惰性的に使うのではなく、「食べ物の味やおいしさをもっと自由に表現する新たなヴォキャブラリーを追求してみたい。おいしさを表現するということは、そこに新しいおいしさを発見することでもある。つまり、表現することでさらにおいしさは広がる」ということでね、新しい「研究所」がスタートすることになったのであるよ。

で、ま、それは人生や生活についてもいえるわけで、どんな言葉で人生や生活を考えるか、あるいはどんな言葉で人生や生活をうたうか、で、ちがうそれを発見できるのだなあ。ってことで、昨夜は、「なってるハウス」へ渡辺勝さんのうたを聴きに行った。

いやあ、前回は、アヤシゲさんと3軒ばかりハシゴしてから行ったので、かなり酔っていたのだが、今回は1人だったし自重して1軒だけで切り上げて行ったからね。もう今回は、おれの両胸の乳首がピクンと立ち、そのあいだを弱電流のようなものがピリピリピリとはしるのを感じたぜ。あの言葉と、妙に味のある独特のリズムというかメロディーだんな。

昨夜のプログラムは、この「live program 渡辺勝」に載っている。歌詞も見られる。
http://www12.ocn.ne.jp/%7Eatbb/liveprogram.htmlこのなかの、たとえば、「東京」という曲の、「飛び出せ 東京 はじけろ 東京 二人の 東京 花の都」というくだりの歌詞なんか、じつにアナクロっぽいというか、ここだけ見たら陳腐な昔の演歌っぽいものだろうが、こういうところはじつに独特の調子でうまくうたうんだなあ。とうぜんながら、演歌にはならんのだよね。

そして、一方「オー 誰もが 路地裏に体を預ける こんなにも時が ゆっくり過ぎるなら晩餐は終わらないさ」なーんていうセリフが、じつに新鮮で、オイ、ありきたりの表現で「下町論」を語っているやつら、ちったあ、下町の下谷の「なってるハウス」へ渡辺勝さんのうたでも聴きに行け、という気分なのさ。渡辺勝さんの、ほかの歌詞も見られるから見てください。

ああ、しかし、昨夜は、有馬忍さんのギターとうたも、よかった。サックスとハーモニカの川下直広も。この3人は、のりにのって、もう「サマータイム」のときは、パッションパッションパッション、というかんじでしたな。わたしゃ、堪能しました。優秀な楽団を買い占めて1人酒宴をはるような、じつにゼイタクなときをすごしましたのです。

で、7月2日の西荻「アケタの店」30周年にも、渡辺勝さんのうたを聴きに行くことにした。
http://silballad.blogtribe.org/

ようするに「うまさ」を語るボキャブラリーを、どう獲得するかが、「ふだんのおいしい生活」のために必要なのさ。

ああ、今日は、コーフン気味。シラフだぜ。料理と音楽は、じつに関係が深いのだ。そのことは、またいずれ。

おおっ、いま調べたら、7月23日に、この渡辺、川下、有馬の三人のライブがある、行きたいなあ。
http://dryriverbed.seesaa.net/category/24772.html

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2004/06/26

旬とニセモノと渡辺勝

ま、「旬」は、悪くない。つい最近、23日も、六日町の万盛庵で「かぐら」つまり「かぐらなんばん」を食べた。まさに旬も旬、その日の朝、わずかにとれた初物を、4個だけ、食べた。カグラナンバンは、まだ、ほんのかすかに辛味がついたていどで、色もピーマンのように青かった。

おれが上京するまでの六日町の生活では、ピーマンなんていうニセの野菜などはなく、夏は圧倒的にナンバンであり、しかもカグラナンバンであった。「ピーマン炒め」などとはいわず「ナンバン炒め」だった。それは青色から始まって、赤味が増すごとに辛くなって、ま、赤くなったら、辛味として使わなくては食べられないぐらい辛くなった。

そのころは納豆だって、暑くなると姿を消し、肌寒くなる秋に登場するものだった。その納豆と比べたら、いまの納豆なんか、とうてい「自然食」なんていえない。

とにかく、野菜の「旬の味」ということであるならば、そのように、在来種か在来種に近いものを、その日の朝とって、その日中に食べなくては、すくなくとも「伝統的」な「旬の味」とはいえないだろう。厳密には、朝露が野菜に生きているあいだに賞味する味である。

それは、このカグラナンバンなどそうだし、ほかのほとんどの野菜がそうだったが、おれがガキのころの田舎では、それが可能だった。野菜は切った瞬間から劣化がはじまり、朝露がそれを遅らせた。

そういう生活が、イマ、どのようにどれぐらい可能であるかというと、特別にカネを出すならべつだが、都会のフツウの生活では、ほとんど不可能だ。

ああ、かつてのホウレンソウなら、朝の摘みたてを、サッと茹で小さな赤い根をつけたままカジルと、たちまち身体がカッとした。イマ、その感覚に近いものを味わいたかったら、どこぞの清流の岸辺に生えているセリを食べてみると、よいだろう。あのセリを、その清流でサッと洗って食べる、と、プチィと苦味走った味が口中にひろがり、やがて身体がカッとなる。

なんの話だったかな? なんの話でもいいのである。

で、そういう旬の味の野菜とくらべたら、いまの野菜は、ほとんどニセモノということになるのだが、そういう野菜を「旬の味で、うまい」ナンテほめるやつは、いちばんのニセモノであろうということさ。

ま、かくいうオレも、ある種のニセモノなのだが。なにも「正統派」「本物派」ヅラすることはないということ。

そういうわけで、いまからでも遅くはない、今夜は「なってるハウス」で渡辺勝さんのうたを聴きましょうね。
http://silballad.blogtribe.org/category-3572ffdf5ef40b26e12d6fa0abf34d1d.html

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2004/06/25

ブログの真ん中で「好きだ」ってか

なんだか、ブログの真ん中で「遠藤哲夫が好きだ」と叫んでいるひとがいる。
http://d.hatena.ne.jp/sujaku/20040623
どうやら、「遠藤哲夫」とはオレのことらしい。困った。相手はオトコなのだ、こういうときは、ケツを洗って待っているべきだろうか。

しかし、ふんとに、「ココロがこもっていておいしい」とかいうやつがいると、ちゃんとそのココロを見たのか、確かめたのか、どこにあるのだ、と言いたくなるね。それに、では、ココロがこもっていないと、どのようにうまくないのか、それは、ホントウに、ココロのせいなのか、聞きたくなるね。

「旬」にしたってさ、「これは旬だからうまい」とか「自然の味で、おいしい」とかいうの、ほんとうかい、と思っちゃうね。ホントウに、旬の味なの、旬の味をどう確かめたの、自然の味ってどういう味なの、知ってるの、確かめたの、と聞きたくなることがたくさんあるね。

「毎日、河岸から仕入れている」といったって、河岸のモノなんか、ピンキリじゃないか。料理屋が自分たちのコストを安く上げるために河岸へ行く、そういう「経営努力」を、そんなにありがたがる必要があるのかね。

もう、近代資本主義の時代を経過して、どれくらいになるのだろうか。すでに、ほとんどの生活は、その巨大な機構のなかで成りたっている。なのに、味覚表現の感覚や言葉は、まるで、その時代がなかったかのように、料理が地場の農漁業風土と一体だった昔のまま、なーんも変わっていない、むしろ、その変わっていない表現のほうがメディアなどではメジャーで、オレのように、そういうオカシイことにイチャモンつけるのはマイナーなのだなあ。「ノスタルジー」だかなんだか知らないけど、どうかしてるんじゃないの。「ノスタルジー」ではなく、「惰性」なんだと思うなあ。思考の停滞。

そんな感覚で、うまい料理なんかつくれるのかい。うまいものが、わかるのかい。とか、言ってみたりして。

何回も言ってきたことだが、イイカゲンな栄養学や観念的な味覚のグルメに矮小化された料理を、フツウの生活のなかに、とりもださなくてはならない。

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2004/06/24

カニバリズムについて知らなかったこと

うへっ~、新潟は六日町へ、遊びに行って来ちゃった。ホタルが、すげえ、ブヨブヨとんでいるの、ひさしぶりに見たぞ。イマ、もちろん酔っているぞ、これは久しぶりじゃなくて毎度のことだが。それに、なんだかウチのなかに酒が、つまり日本酒が、ゴロゴロあるぞ。どうなってんだ。おれは、そんなに飲めね~よ。って、ウソか。

出がけに古本屋で見つけて買った本。綱淵謙錠さんの本、『ひとり旅』(中公文庫版)だが、日本のカニバリズムに関する考察がしこたまあって、知らなかったことがイロイロ書かれていた。大正期まで日本に残存の痕跡があるカニバリズムは、「律令制度とほぼ同じくして古代中国のカニバリズムの思想も日本に入って来たように考えられる」ってなあ、なるほど。

そりゃともかくさあ、酔って言うわけじゃないが、中国何千年の伝統の「薬膳料理」なんていうのは、インチキくさいよねえ。どうか中国何千年を言うのなら、カニバリズムもはずさないようにしてほしい。ヨロシク。

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2004/06/22

二日酔いのち取材だなんて

今日は、取材を受けなくてはならない。それまでに送られてきた新聞のコピーとビデオを見ておかなくてはならない。

今年のはじめに、ザ大衆食のサイトに掲載したが、新潟日報とBSN新潟放送のテレビの共同企画「食べる」の取材なのだ。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/nippo_tabetai.htm

一月は、プロローグで登場したのだが、その後毎月一回づつ6月まで、計6回の特集があって、その締めの記事と番組をつくるための取材なのだ。このあいだは、新聞とテレビが別の日だったが、今回は、今日時間をずらして一挙にやってしまうことになった。

が、ううううう、じつは、昨夜は台風の嵐の中、藤沢で飲んで、やや二日酔いなのだ。ま、とにかく、資料を見るとしよう。うげげげげげげ…


■連載。一緒に酒を飲んだことがあるひとサイト、新旧とりまぜて。
口を開けば全ては畳に始まり畳に還る、浅草の畳屋・荒井啓佐司商店社長の荒井将佳さんのサイト。
http://www.myshop.co.jp/japancal/tatami/tatami01.htm

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2004/06/21

栄養学の不健全

約3割近い人たちが、「生活習慣病」もしくはその予備軍だとしよう。その基準は、アイマイだから、基準の決め方ひとつで、その数値は上下するのだが。でも、とりあえず、その数字で、よいとしよう。

その原因を「食事の欧米化」に求めるのが、いまハヤリなのである。そして、みんなが「伝統食」にたちかえるべきだというのだ。とくに「食育」などを主張する栄養学のセンセイたちに顕著である。

そこで、とりあえず「伝統食」とは何かはおいといて、こういう質問をしてみよう。

その3割以外の、7割の健康な人たちは、どんな食事なのか、欧米化の影響を受けない「和風」の食事なのか? 生活習慣病における、食べ物以外の、原因となりうるストレスなどと食べ物の消化吸収能力などの個体差は、どう計算されているのか?

栄養学が、食文化を破壊し、食文化の混乱と不健全な食事をもたらした、と、いえるのではないか。


■連載。一緒に酒を飲んだことがあるひとサイト、新旧とりまぜて。
ゲーミングのAZさんのサイト
http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-az/

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2004/06/20

ときには、素面で、高尚なことを

彼は、「文筆家」という肩書でイロイロ書いているが、飲食分野についても書いている。ちょっと、書いているコトに「深み」がある。一緒に酒を飲んで話して、なるほどね~、と思ったのは、ワリと、自分が育った土地の文化、ま、出身地の文化だね、それと奥さんの育った土地の文化に、コダワリがあるのだ。自分の育った土地の文化と奥さんの育った土地の文化が、かなりちがうのだね。そのことで、彼は、何かを視るときに最低でも、二つの視点を持ちえているようだ。

片目ずつ閉じて見ればわかるが、右目と左目では見え方がちがう。両目で見て、奥行きが出る。おなじコトを視ても、視点がいくつかあると、「深み」が出るということだろうか。などと、考えてみたりして……。

この場合の「深み」とは、対象に対して「突っ込んでいる」とか「よく探っている」ということではなくて、視点のズレがそのまま文章に表れることによる「深み」ということなんだね。などと、考えてみたりして……。

ま、結婚してなくても、自分の故郷の文化と、上京したあとの東京の文化、といったぐあいにいくつかの視点を持つことは可能だが。しかし、「東京の文化」は、対象にはなりえても、視点の役には立ちそうにない。それは、東京の文化は、あまりにも「消費」に偏向しすぎているからだろう。などと、考えてみたりして……。

久しぶりに一日酒を抜いたから、今日は、高尚なことを書いているような、気がするね。でもないか。


■連載。一緒に酒を飲んだことがあるひとサイト、新旧とりまぜて。
さっぽろももこさんの「キラキラヒカル」
http://www.cc.rim.or.jp/~momoko/index.html

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2004/06/19

「純」と「雑」

チョイト初顔合わせがあって「遠太」をふりだしに、柳通り「蔵」、最後はオオカワさんと鶯谷「ささのや」で立ち飲み仕上げ。けっこう飲みましたね。でも割りとシズシズ飲んでいたので、ヨッパライ状態にはならず。そろそろ一日ぐらい抜かないと、アタマと胃がチリチリ痛みまする。

堕落をやめ食における「純」と「雑」の思想というのを追求しようと思ったが、今朝は、やや酒が残ったのでとりやめ。

■連載。一緒に酒を飲んだことがあるひとサイト、新旧とりまぜて。
コトのついでに、『酒とつまみ』だ。
http://www.saketsuma.com/index.html
第5号が、オドロイタことに、予定通り、6月中の発売だそうだ。こちらに主な内容があります。直販予約受付中なので、よろしく~。
http://www.saketsuma.com/sasinngou.html
今月号から、南陀楼綾繁さんの、古本屋と大衆酒場を歩く連載がはじまりますね。その取材には同行して、当日記5月9日の「ヒトはナゼ酒を飲むのか」にあります。ナゼ飲むのか? うげー、吐きそうだ。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2004/05/post_10.html

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2004/06/18

貧乏神にとりつかれたか

樋口一葉と野口英世の新札が話題になっているが、ぐうぜんにも、この半年ほどのあいだに、この二人と因縁の土地へ行っていた。そして、ザ大衆食のサイトにレポートまである。

塩山へは昨年の末に行った。「ヨダレな馬肉考と日の出食堂」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/enzan.htm
ここには樋口一葉のことは書いてないが、塩山駅周辺をふらふらしているとき、やたら樋口一葉のポスターが目立った。なぜかなと思って、その文を見ると、樋口一葉の両親が、いまでは塩山市の一部になった山間の集落の出なのである。一葉の両親は、ま、ここで行き詰まり落ちぶれて江戸へ出て、がんばり、周知のように一葉のオヤジは、落ち目の士分の株を買って「武士」階級ということになるのだが明治維新でパー。どこまでも先の判断のきかない、貧乏神にとりつかれたような家族だ。一葉も、ついてないというか、貧乏くじの引きっぱなしで夭折。

野口英世は猪苗代の出身で、ここは先月行ったばかりなのだ。「駅前食堂考、猪苗代、会津」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/ekimaesyokudou.htm
ま、野口英世も、貧しい土地の貧乏臭い話しかない男である。貧乏で不運だったからこそ残ったような話しかない。小さいときのヤケドもそうだし、カアチャンの苦労話に恩師の援助の美談。しかも、その死は、英世が薬品研究開発の会社に勤め、功をあせったようにして発表した病原菌に疑惑があって、それが間違っていたら、とんでもない事態になるところ。その確認に現地へ行き、どうやら自分が間違っていたらしいという感じのところで死ぬという、これまたついてない挫折でおわる。

どちらもトコトン「貧乏系」、陰陰滅滅の人生、ついてない人生のすえの、「功績」しかない。どうもこういう人たちが、札の「顔」になるというのは、日本もつきが落ちて、ますますヒドイ貧乏状態になるのだろうか。

だいたい、あのイラク戦争は、なんなのか。戦争の口実だった大量破壊兵器は見つからない、NYテロもフセインとの関係は証拠がない。ようするにブッシュのバカヤロウが因縁をつけて強盗行為をしただけじゃないか。その尻馬にのって、それがために外交官二人を犠牲にし、多額の税金を無駄に使っている小泉は、どういう責任をとるのか。アフガンからイラク、そしていまやサウジへと殺し合いが拡大している。まさにブッシュと小泉は、世界の疫病神の貧乏神だな。そういうご時世だから、一葉や英世が札の「顔」になるのだろうか。うっへー。

それにしても、グウゼンとはいえ、半年間にこういう因縁な土地に行ってしまうなんて、おれもいかに趣味が貧乏生活とはいえ、いやはや。どうせなら、もっと景気のよい札の「顔」がほしいね。田中角栄とか、ハイセイコーとか。

■連載。一緒に酒を飲んだことがあるひとサイト、新旧とりまぜて。
ま、貧乏神の話のあとだから、景気のよさそうな人と思ったが、やはりおれのまわりには、あまりいない。もしかして、サイトなどもっているのは、売れない貧乏人なのか?
せめて、なんですね、音楽でも。指先の魔術師、十弦ギターの名手、小川和隆さんのホームページ。
http://www.suerton.com/

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2004/06/17

BOOKMANな人びと・セドローくんの巻

前回、濱田研吾の本の巻で、「BOOKMANな人びと」次回は、イヨイヨ、荻原魚雷さんの登場です。と書いたが、変更である。昨夜のBOOKMANの会の飲み会のとき、エンテツの前にすわって飲んでいた、セドローくんこと向井透史(むかいとし)さんにする。

おもえば、濱田研吾の本の巻も、濱田さんと飲んだ翌日だった、一緒に飲んだ翌日というのは、なんだか書きやすいのだな。

sedoro1.jpg
(セドローくんのイラストby内澤旬子)

ザ大衆食のサイトには、セドローくんによる、2つのレポートがある。
1つは「公洋軒」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/kouyouken.htm
1つは「早稲田学生街の大衆食堂」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/waseda.htm

セドローくんは、60歳のエンテツの子供ぐらいの年で、早稲田の古本屋、古書現世をガッチリ背負って立つ二代目だ。なぜ「セドロー」なのか。それは古書ギョーカイの専門用語「せどり」からきている。

「せどり」は「競取り」と書く。『東京古本とコーヒー巡り』(交通新聞社)によれば、せどりとは、「絶滅寸前の鳥。古書店から根つけの甘い本を買い、そのまま別の店へ売り込むか、市へ出してサヤを稼ぐ商行為。昔は『せどり屋』『せどり師』なる専門職もいたが、現在はそれ一本で生計を立てる人はほぼいない。『せどり男爵数奇譚』(梶山季之/ちくま文庫)でその活躍ぶりと古本への愛情が見られる」である。

たとえば、昨日、セドローくんは、BOOKMANの会の会場に来る途中の池袋駅でだ、駅構内には近頃よく古本屋がたつが、そこで3冊の古本を買ってきた。箱入り、ハードカバーものだ。駅の古本屋では、ほとんどの人たちが文庫を見ている、そのそばで、文庫本には目もくれず、それを選んできたのである。どれにも200円の正札がついていた。

セドローくんは、BOOKMANの会のあとの飲み会で、エンテツの前にすわり、その正札をはがしながら、「この本はあまり高値をつけられる本じゃないけど、ウチの店で300円でも売れればいいから」といった。コレガ、「せどり」であり「せどり魂」なのだ。

sedoro2.jpg

このイラストを見て欲しい、これは内澤旬子さんが描いたものだが、セドローくんは大きなカバンをぶら下げている。どこへ行くにも、この大きなかばんなのである。いつでもセドリができる態勢で、出歩くのだ。リッパ、いい根性、セドローくんの名を辱めないスタイル、としか言いようがない。

で、セドローくんつまり向井さんは、そのようにつねに商売熱心であるだけでなく、古書店や古書業界、早稲田古書店などに関する、ゲラゲラお笑い話から、フンフン糞まじめな話まで、あちこちたくさん書いている。

mirai.jpg

で、最近、未来社という出版社が発行する月刊『未来』というPR誌に、「開店まで 早稲田古書店街外史」の連載を始めた。早稲田の古書店を一軒一軒取材して書くのであるが、6月号第1回目は、「岸書店」である。ま、すでに、南陀楼綾繁アンド内澤旬子夫妻が発行する、「世界で唯一の古書目録愛好フリーペーパー」なる月刊「モクローくん通信」に、この通信がセドローくんの名を天下に知らしめることになったのだが、「セドローくんの W稲田古書街奇人伝」を連載していて、古書業界の人物がおもしろおかしく書かれていたが、それをもうちょっと歴史風俗風と人物誌風にとでもいったらよいか、書いている。

ま、そういうことで、もう書くのがめんどうになった。今日は、ここまで。もしかしたら、また後日、書き足すかも知れない。

とにかく、頼もしい、古書現世二代目、セドローくんの活躍を見守り励まし応援し、それが古書文化や活字文化や紙文化の未来につながるよう祈ろうではないか。祈る気があったら、古本屋や新刊本屋へ出かけて、本にふれようではないか。

店番日記
http://www.w-furuhon.net/wswblog/cat_60miseban.html

早稲田古本ネット
http://www.w-furuhon.net/

『東京古本とコーヒー巡り』(交通新聞社)
http://www.kotsu.co.jp/book/754.htm

未来社
http://www.miraisha.co.jp/

月刊PR誌『未来』
http://www.miraisha.co.jp/mirai/mirai.html


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酒とイバラと便器の日

ちょっと、今日は、いやまた昨夜は飲みすぎたうえに、今日はいろいろやることがあって、酒とイバラの日々になっています。本日は、これまで。

デジカメのなかに撮りっぱなしになっていた、必要な写真をさがしていたら、こんな写真があった。

benki.jpg

ぜんぜん覚えがない。撮影日は6月6日なのだなあ。この日の状態を、この日記で調べたら、7日に記述があって、浅草を振り出しに池袋、新宿と飲んで、最後は経堂の「太田尻家」という居酒屋だ。ハテ、どこでナゼこの写真を撮ったのだろうか。たぶん、この便器の横の傘立が気になったと思われるが。酔っ払いというのは、記憶のないときに、なにをやっているかわからん動物であるなあ。


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2004/06/16

『汁かけめし快食學』異聞

『汁かけめし快食學』の編集の担当は、長嶋美穂子さんである。「ザ大衆食」のサイトを経由して最初のメールをもらったときはおどろいた。まさか、アノひとが……。

というのも、おれは、ときたま浪曲の鑑賞というスゴイ洒落たことをやっていて、とりわけ関東平野の風土やオトコを(オンナも?)彷彿させる、玉川美穂子さんのガツンな力強い三味線が気に入ってファンだったのだ。その玉川美穂子さんとは、長嶋美穂子さんなのである。いやあ、なんというよろこばしい偶然だろう。もう、アイドルと一緒に本をつくっている気分。

玉川美穂子さんの三味線と初めて出合ったのは、『ぶっかけめしの悦楽』の発行が1999年秋深いころだったのだが、その年が明けて早々だった。玉川美穂子さんや五月小一郎さんら若手が、二か月ごとに新宿のライブハウスでやっていた浪曲に行ったときだ。あれから何度か三味線はきいたが、いつの間にか彼女は、最近は三味線ばかりではなく、うなる浪曲師のほうにも挑戦し、「浪曲シンデレラ」など楽しい意欲的な試みをしている、いまやじつに頼もしい力強い若手浪曲師として成長しつつあるのだ。声はよくでるし、表現力は豊かだし、いいんですねえ。

浪曲は、ウナリとタンカの語り芸と三味線、ま、リズムとビートでしょうかね、それと振りの芸が丼もの的に入り混じりながら一体となり、庶民のココロをうたいあげる、じつに変化にとんだ丼もの的に深い楽しいものなのだ。

やはり、この日本で人情が廃ってしまったらツマランですよ。元気なココロとカラダですごすには、浪曲と汁かけめしですよ。

浪曲の定席が毎月1日から10日まである浅草木馬亭の近所には、よい大衆食堂がたくさんあるし、それにうまい牛すじ煮込みを食わせる飲み屋で、うまい牛めしが食べられる。「庶民の古都」浅草では、やはり「牛丼」ではなく「牛めし」の看板がおおい。アメリカ産牛肉の牛めし牛丼は苦境のなかでも、むかしながらの浅草の牛めしは健在だ。

ってことで。
玉川美穂子さんは、最近、「ほとばしる浪花節! 玉川美穂子のページ」のサイトをはじめた。どうか、ご愛顧ください。浪曲の魅力や、公演の日程などを知ることができるでしょう。
http://www.geocities.jp/tamamiho55/
文章も楽しいblog「たまみほ日記」の本日、6月16日を見たら「堕落だ」だってさ。ありゃりゃ、牛すじホッピーで堕落しているよ。おれなんか日々堕落だけど。やはり、堕落は成功のもと、か?

ザ大衆食「浅草と浪曲と牛すじ煮込み」にも玉川美穂子さんが登場しています。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/asakusa_hukutyan.htm

■連載。一緒に酒を飲んだことがあるひとサイト、新旧とりまぜて。
「食堂は食の殿堂だ」と言う、覚張さんの「味乃家 魚野川」
http://www2.ocn.ne.jp/~uonogawa/

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2004/06/15

こうしちゃいられない

アルコールに沈殿してはいられない。近刊の『汁かけめし快食學』について、メディアから取材の問い合わせがあった。そうかそうか、発売日の7月9日まで、もう一か月ないのだと気がつき、ご参考までに、右サイドのリンクに案内を掲載した。クリックすると、目次などをご覧いただけます。ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

そうそう、ちがう話だけど、きのう名刺を整理していて、ずいぶんいろんな方と酒を飲んだなあ、どうせだから記念に?一緒に酒を飲んだ方のサイトを紹介していこう、と、思ったのだ。今日から少しずつやろう。
■一緒に酒を飲んだことがあるひとサイト、新旧とりまぜて。
ウエタケさん@ジャバラ企画
http://jabarabook.fc2web.com/
のなかあき子さんのblog「練馬怪楽園覗き部屋」
http://blog.livedoor.jp/akkko2004/
イノウエさん@モンキーワークス
http://www.monkeyw.com/index2.html
コトミズさん@言水制作室
http://www.yk.rim.or.jp/~kotomiz/index.html

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2004/06/14

堕落はやめられない

昨日の「味覚表現の底流」という賢そうなタイトルで堕落は打ち止めにしようとおもったのだが、どうもね、堕落はやめられないのだ。

というのも昨日から明日まで東京古書会館で開催の「地下室の古書展」へ行ったのだよ。それがまあ堕落の泥沼でしてね。しかし、じつにおどろいたが、「本を散歩する雑誌」なーんていえばカッコイイが、「本に淫している堕落者の雑誌」といったほうがよい「sumus」の企画展示、これがサスガに面白いのだ。彼らは、ただのマニアじゃない、センスがちがうのだな、やはり。

とくに、パリのエッフェル塔の絵葉書の収集は見ごたえがあった、それに最近発行の南陀楼綾繁さんの本『ナンダロウアヤシゲな日々』に書かれている「いかもの趣味」というガリ版刷りの趣味誌の現物が展示されていて、これはもう興味津々なものであったね。なかなかめったに見ることができないものがズラリ。あと、岡崎武志さんが収集のお笑い本のなかで、やはり大阪のコテコテの装丁の本には、表紙だけで笑えた。

など、この展示は明日までやっているから、断固オススメなのだ。2階の会場でやっている。明日までだよ。

「地下室の古書展」
http://underg.cocolog-nifty.com/tikasitu/

そして、トウゼン、会場で出会った堕落者たちと飲むことになったわけだよ。だいたい神戸鶴亀本舗イシイさん、あなたと会えば飲んで堕落する以外、道はない、というので、古書現世のセドローさん、セドローさんに紹介された前から気になっていた女性、書肆アクセスのハタナカさん、などと、まずはイッパイ。いきなりハイピッチで盛り上がったな。

ここでの成果は、イシイさんに「女体の詩人」という称号が与えられたことだ。おれは「大衆食堂の詩人」という称号を南陀楼綾繁さんにもらったのだが、ああ、どうせなら「女体の詩人」がよかったなあ、と、イシイさんのアタマを見ながら思った。

そして、そして、「sumus」の同人たちと合流してギャアギャア飲んで、さらにまた古書会館で行われた打ち上げに雪崩れ込んで、最後はカラオケだよ。泥酔したが、記憶は割りとシッカリ。であるから、判断よく最終電車にギリギリ間に合って帰ってこれた。

しかし、オカザキさんは、ウワサには聞いていたが、たしかにうたがうまいのだ。それから、飲むといつもおれの耳元で「どうしてボクはこんなにオンナにもてるんだろう、なぜだろう、ボクはホンマに(と、「ホンマ」に力をいれる)オンナが好きなんですわ」といい続けるイシイさんは、途中で居眠りしていて、たすかった。やれやれ。けっきょく神田駿河台下周辺で4か所ウロウロか、最後はカラオケだったから、くたびれた。これは堕落以外のなにものでもない。

でも、誰かが帰りがけに「堕落はいいですよ」といっていたな。やはり堕落はやめられない。

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2004/06/13

行きたいなあ、ホタルと酒と温泉

故郷の六日町中学の同級生から、ホタルの写真が送られてきた。もう何十年もホタルを見てない。六日町にいたころは、家のなかまでホタルが舞っていたのだが…。うーむ、ホタルと酒と温泉、いいなあ、行きたいものだ。
hotal.jpg
ホタルは、いま盛りで、6月26日27日には「ほたるまつり」もあるらしい。

おれがやる、温泉旅館「ホテル宮又」一泊朝食つき4000円から5000円を利用し、夕めしは近所の大衆食堂的蕎麦屋の万盛庵でたらふく飲み食い約2500円というテがね、いいのですよ。低料金大満足コース。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/miyamata.htm

こちら六日町観光協会のサイトに、ホタルとほたるまつりの情報があります。
http://www.yukiguni.ne.jp/mkanko/

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味覚表現の底流

なんとなく、とか、気分がよいからとか、いろいろな理由で、味覚表現の言葉が選ばれている、と、思うが。なぜ、そういう言葉が選ばれるのか?

えーと、5月25日の「センチは、問題だぜ」からの、カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」に書いていることは、なんか味覚表現にからんで、ちょっと気になるというか、ひっかかっていることがあって、それにからんで書いているのだな。やはり気になるのだな。(「センチ」とは「センチメンタリズム」のつもり)

ま、「観念的味覚」といわれたりすることがあるが、おれはもっと、その観念の底にある観念が気になっていたのだが。それは「センチな味覚」ではないかなとヒクッヒクッと思ったのだが、まだ思いつきだから、うだうだ気のつくままに「つぶやき」にしていたわけだが。

このあいだ、ある「食関係で食べている人たち」つまり「食の専門家」だろうか、そういう人たちと話をしていて、おれが「味覚にも歴史があるから」といったら、驚かれたのだが、その味覚の歴史に関わることなのだな。だけど、正直、「味覚にも歴史があるから」といったら驚かれたのに、おれは驚いた。ま、納得してもらえたようだが。

それはともかく、その「センチな味覚」には、保田與重郎(やすだよじゅうろう)の影響が、かなり根深くあるなあ、と思うのだ。もちろん、おそらく保田與重郎の「正しい継承者」たちからみたら、その通俗的な邪道な解釈による影響だと思うし、自分の味覚表現の言葉が、どのような歴史を持っているか考えないで使っている連中に責任はあると思うが。

ま、やはり、とりわけ日本料理のことになると、とりわけ寿司や刺身のことになると、とりわけ山菜や旬の野菜のことになると、とりわけ「清酒」のことになると、保田與重郎の影がチラチラするわけだ。それが、やはり、気になって、ここのところ、「センチは、問題だぜ」から始まって、ついに「堕落」にいたった、ということなのだ。という自分の整理。

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2004/06/12

堕落した街にこだわる?「グラミ会」

昨夜は久しぶりに「グラミ会」に参加した。「グラミ会」とは、上野駅がリニューアル前のコキタナイ地下街にあった食堂「グラミ」の常連会というか。ま、当時、なんとなく、毎週金曜日の夜に都合のつく連中がグラミで飲んでいた、その流れなのだ。男も女も勤め人が、ほとんど。通勤途上に利用するのだからトウゼンといえば当然だ。

しかし、リニューアル後の上野駅ビルに入居した、あのコジャレたテナントの店が10年20年続いたところで、そしてそこを毎日のように利用する客がいたところで、このような「常連会」はできないだろう。

便利になったエスカレーター、ファッショナブルでグルメな飲食店、駅コンサート……芸術的空間?「そこにあるのは饒舌な文明や、『プロ』たちからの一方的なオシャベリ。押しつけられる物語はあっても、ひとびとの手垢にまみれた物語が生まれる余地はない」と、かつておれは書いたことがあるが(こちらに掲載http://homepage2.nifty.com/entetsu/tanoshimikata.htm)。ま、そういうことなのだなあと、またシミジミ思うのだった。そして、人びとも、コジャレた機械的サービス空間で、機械的にあつかわれることに心地よくなれてしまうのだろうか、と、またシミジミ思うのだった。

でも、最近の芸術的な生活処理機能装置として大規模無機化する空間のそばには、かならず、人びとが滞留し「生きる」堕落した猥雑な街がアヤシク息づいているのだ。ってことで、会場は、いつものアメ横となり小路の、上野の安いやきとり屋「いわさき」で、ま、思い切り飲んで騒いだ、というこってすわ。ああ、心地よい飲み疲れ。

ご参考=ザ大衆食「上野駅地下食堂街の消滅」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/syoumetsu4.htm

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2004/06/11

これからの堕落

飲んで堕落なたわごとを言っているうちに、たまってしまったことがある。堕落な告知、吐き出そう。

■こんどこそホントウだ、南陀楼綾繁さんの『ナンダロウアヤシゲな日々 ~本の海で溺れて~』が発売になった。自ら「本の海で溺れて」と告白する堕落者の本を買え! ああ、おれも堕落者としてネタにされている。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2004/05/post_21.html

■そして6月13日(日)~15日(火)神田小川町の東京古書会館の地下で「地下室の古書展」
本の密林泥沼を徘徊する堕落者たちの古書展で、さらに本の堕落の道を歩もう!
http://underg.cocolog-nifty.com/tikasitu/

■6月26日(土)、肉体の波動か魂の波動か、渡辺勝のうたを聴け! 入谷の「なってるハウス」で誇り高く堕落せよ!
http://silballad.blogtribe.org/category-3572ffdf5ef40b26e12d6fa0abf34d1d.html

■6月29日(火)、浅草木馬亭、浪花節、玉川福太郎の徹底水滸伝第2回。さあ天下の堕落者、平手造酒の登場だ。福太郎の語り芸に堕落せよ!
http://chobo.jugem.cc/?eid=32

えーと、これだけだったかな? まだありそうだが……
■そうそう忘れちゃいけねぇや、イベントじゃないが、自ら「駄目人間」を名乗る堕落男がはじめたぞ。文句あるか!の、南千住?千束?吉原?……ま、どこでもいいや、あのあたりの住人にして、前から時々堕落なメールをいただいている。本来、「ザ大衆食」の「大衆食者の食卓」に紹介しなくてはならないのだが、なにせおれは堕落の最中だから、とりあえず、ここでかんべん。携帯画像でライブな下町大衆酒場・食堂。ただ飲んでいるだけ。いいねえ、あんた駄目人間、若そうだけど、シゴトしているのか? あははは、飲みまくれ! 堕落にリクツはいらん。「駄目人間の部屋」
http://www.bari4.com/id/dameningen/

えーと、これで、たまっていた告知はおわりかな? なにか忘れていたら、コメントなりメールなりで、よろしく~。

しかし、こういう告知のやり方では、みんな逃げてしまって、やらんほうがよいということになるかな? そういう心配が、なきにしもあらず? って、こういうこと考えるようじゃ、まだ今夜は正常。イマ、午前1時半すぎです。

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2004/06/10

堕落か健全か

堕落の反対は何かな、と考えたが、わからん。「品行方正」とか「勤勉」だろうか? と、書いたのは7日のことだ。どうもちがうなあ、「健全」ではないかと、昨夜気がついた。というのも、昨夜は、晩酌ていどで軽くすまし、ひさしぶりに「健全な夕飯を食べたなあ」と思ったからだ。そして、どうもね、「健全」というのは、イヤラシイ言葉だねとも思った。

自民党などが、「青少年の健全なる育成」などというときには、とりわけそのイヤラシさがきわだつ。なぜワザワザ「健全」と付けるのだ。そこが、そもそもイヤラシイ。なにしろ彼らは、自分の野心や権力欲のために、企業や団体からの「献金」だけではなく税金から政党補助金を平気でもらう、もっとも不健全な連中である。

コトのついでに、坂口安吾さんの『堕落論』を出してみた。角川文庫版である。「デカダン文学論」なる小編がある。「歪められた妖怪的な日本的思考法」をあげつらね、こきおろしている。「実質的な便利な欲求を下品と見る考えは随所にさまざまな形でひそんでいるのである」

ああ、ここのセンテンスは、「汁かけめし快食学」に引用したかったなあ、あとの祭り。ぶっかけめしが「下品」とみなされるのは、それが「実質的」なものだからにほかならないし、実質的なものを下品、堕落とみる思想があるからだろう。

「私は世のいわゆる健全なる美徳、清貧だの倹約の精神だの、困苦欠乏に耐える美徳だの、謙譲の美徳などというものはみんな嫌いで、美徳ではなく、悪徳だと思っている」

ああ、まだ、日本人は堕落が足りない。もっと生活に実質を追求し、日々飲んだくれなくては。

「日本文学は風景の美にあこがれる。しかし、人間にとって、人間ほど美しいものがあるはずはなく、人間にとっては人間が全部のものだ」

「日本文学」を「日本料理」とおきかえてみよう。それはまさに、美しき日本、旬の日本、生ものがおいしい、だけど輸入に頼らなくては生ものが食べられない、幻想の美しい日本をめでる思想である。人間や生活についての思考の停止。

自民党の安倍晋三幹事長は1日、小学6年の女子児童が同級生に切りつけられて死亡した事件が起きた長崎県佐世保市での講演で「大変残念な事件があった。大切なのは教育だ。子供たちに命の大切さを教え、私たちが生まれたこの国、この郷土のすばらしさを教えてゆくことが大切だ」と述べた。

まだ、ジケンの翌日ぐらい、なんの調べの結果も出てないうちに、安倍幹事長は、こう言ったのだ。思考の停止は、現実から実質的な何かをくみとる努力や能力の喪失である。

テレビの前で、スーパーで買った冷凍マグロの刺身を、醤油とワサビで食べながら、「この郷土のすばらしさを教えてゆくことが大切だ」にうなづいている「健全」な人間が少なからずいるのだろうか。

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2004/06/09

さらに堕落

堕落は続く。昨日は、夕方、中野でYADOYAのスタッフと待ち合わせ、飲み会。というわけで、中野に着いたが、連夜の酒漬かりで、どうにも身体が堕落しきっていて、腐ったマグロみたいだ。このまま飲み会に入るのはシンドイと思い、ソルマックを買って飲んだ。これで調子がでたね。で、ようするに、泥酔記憶喪失帰宅。はあ、まだ胃が重い。はたして、今夜は、どうなるか。泥酔は、飲食を粗末にあつかう愚かしい行為、堕落である。

養殖技術の進歩や冷凍魚介類の普及で、季節や旬のよろこびをなくして鈍感にさせた、そういうことだから、食べるものによる季節感や物の恩恵の深さを知ることができない。食べものを無駄にし粗末にするようになる、その結果、食べ方も味わい方も無頓着ということになる。

というような話は、ワンパターンで繰り返されてきた。ずいぶん乱暴なリクツだが、こういう話が、まだまかり通っているのだな。

そこには「旬」「生もの」「淡味」崇拝がある。

しかしだね、「dancyu」の91年6月号では、生の近海マグロより「冷凍の方がむしろ高品質だ」、生マグロのほうがいいのでは、というのは「偏見」だと書いているぞ。「『生』がすべて、みたいな考え方でなく、生であることより新鮮であることにこだわって欲しい。旬にしか食べられない素材を、好きな時に、手軽に、生以上の新鮮さで味わえる、という冷凍食品のメリットに注目すべき」とな。

ああ、堕落の素晴らしさよ。

その「dancyu」の91年6月号には村上信夫さんの話もあって、こう言っているね。「流通や材料の運送技術が驚くほど進歩し、冷凍、冷蔵技術も進歩、材料はかつてとは比べものにならないくらい新鮮で、贅沢なものを使うようになってきた。それならソースはいい加減なものでよくなったか、というと、実はむしろその反対なのである」

冷凍ものや電子レンジをつかうことが堕落であるならば、よろこんで堕落し、刺身を自家製ソースで食べるぐらいのことをやりたいものだ。

それにしても、この二日酔い状態は、心地よい堕落であるね。

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2004/06/08

堕落のリーダー

「dancyu」という雑誌が、……「食」こそエンターテイメント……、ということについては、なにも文句はない。いいだろう。

しかし、それは食の、ホンノ一部分のことにすぎない。真髄でも本質でもない、文字通り「エンターテイメント」にすぎないのだ。

おかしいのは、そこに登場する人たちが、その雑誌の趣旨からしても、エンターテナーとして登場していると思うのだが、食のホンモノやココロについて、あるいは「食」の本質や現実について、「正しさ」や「正統」など説くことだ。

それとも、「ホンモノ」も「ココロ」もエンターテイメントの対象になったということだろうか。

なるほど。「ホンモノ」も「ココロ」も、ゼニ儲けのオモチャだ。これじゃ、「拝金主義」を批判する小泉武夫さんが、日本人は「堕落」したというわけだし、さしあたり「dancyu」でご活躍の塩田丸男夫妻などは、「堕落」のリーダーのようなものだな。

でも、おれは「堕落」は嫌いじゃない。

■昨夜は、地元の赤ちょうちん「志げる」で堕落した。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sigeru.htm

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2004/06/07

またまた堕落す

身体のキレが悪い。アルコールがぬけてないのだ。昨日は浅草の木馬亭午前11時から12時まで、玉川美穂子の「ほとばしる浪花節」、声はよくでるし、やっている本人が楽しそうだから、会場全体が楽しい雰囲気になる。これからが楽しみだねえ。三味線の沢村豊子は、ひさしぶりだったが、あいかわらずうまいねえ。といっても、もうベテランだから崩れようもないが。

ご参考
ザ大衆食「浅草と浪曲と牛すじ」

ああ、しかし、まだ身体がデレデレしていて、キーをたたくのもデレデレでかったるい。

身体が堕落しているのだな。昨日は「堕落のススメ」を書いてから、堕落しに出かけたのだった。しかし、浪曲は堕落にならんか。いやいや、元来ああいう芸能ものは、やるほうも夢中になるほうも堕落のはずだ。芸能とは堕落だよ。堕落の反対は何かな、と考えたが、わからん。「品行方正」とか「勤勉」だろうか?

そして木馬亭でグウゼン、ひさしぶりに編集者のホリウチさんに会って、ちょっとお茶、つまりコーヒーをだね飲んであれこれオシャベリ。ホリウチさんは用があるんで帰って、それで1時ごろ、浅草で1人になったというわけだ。

それからですよ。書くと長くなるから省略。浅草、池袋、新宿と、何軒飲んだでしょうね。で、最後は7時半ごろ、新宿から小田急線にのって経堂まで行ってしまったのだなあ。居酒屋「太田尻家」

なんでも作ってしまうモノヅクリ夫婦、夫婦で大衆食の会に参加してくれた「太田尻家」が、モノズキなことに、居酒屋を始めた。それはつまり街につくる自分たちの作品というわけなのだな。ガス工事以外、ぜんぶ2人でつくり。しかし、なかなか、さすがなつくりだ。客席は10人ぐらいの、しかしせまくるしくはなく、芸術的に気どった空間ではなく、ゆったり堕落した落ち着いた空間だ。ま、彼らのあたたかい性格そのままの、作品というわけだ。もちろんイスもテーブルも自分たちでつくった。

どうせワレワレはアパートの太田尻家に集まっては、亭主の手による料理に舌鼓をうち、飲み食いしていたのだから、その場所を街に出したとおもえばよい。

つまみ類、300円~500円の設定で、ニギリメシにみそ汁まであるというのがいいね。それに岡山の酒、「池田候」が一合600円で飲める。

経堂駅北口、すずらん商店街をまっすぐ歩く。左側に古本の「遠藤書店」があり、右に銭湯があり、さらに歩くと、右側にレンタルビデオ屋があって、その先となりに明るい「太田尻家」がある。お立ち寄りください。月曜日は休み。

太田尻家のサイト(居酒屋のほうではなく、作品紹介のほうです)。妻の太田尻智子さんには、拙著『大衆食堂の研究』の装丁、表紙と本文のイラストをやっていただきましたね。
http://www.ne.jp/asahi/ootajiri/ke/

ま、で、そういうわけで、いつものようにあやうく太田尻家に泊まりそうになったのだが、まだ正気だったのか酔いながらも、経堂から北浦和まで帰ってきたというわけだ。ああ、堕落、よいよい。しかし、堕落も、くたびれる。

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2004/06/06

堕落のススメ

■「とびちる放言力にやれやれ」と題して、小泉武夫著の『食の堕落と日本人』(東洋経済新報社、2001年)について書いた、「書評のメルマガ」vol.167、本日発行配信中。
http://www.aguni.com/hon/review/index.html

小泉武夫さんは日本人の堕落に怒っているが、もっと堕落しましょうね。

■ほかの執筆の面々は。

南陀楼綾繁のホンのメド。いつもの「新刊、古書、マンガ、雑誌、ウェブサイト、書店、イベントの近事雑報」
注目は、「地下室の古書展」、来週開催!2004年6月13日(日)~15日(火) 午前10時~午後6時30分(最終日5時閉場) 東京古書会館地下ホール:千代田区神田小川町3-22
http://underg.cocolog-nifty.com/tikasitu/

新連載「もっとピントがボケる音」樽本周馬→2003年度の話題作、安田謙一『ピントがボケる音』が生まれるまで。
「大阪豆ごほん」次田史季(ちょうちょぼっこ)→北堀江のふたつの「本スポット」から届く、楽しくて美味しいお便り。
「酒とつまみと営業の日々」大竹聡→各方面で話題沸騰のミニコミ「酒とつまみ」の営業秘話です。大好評。
「版元様の御殿拝見」塩山芳明→新幹線通勤中に毎日一冊は本を読む男が版元の社屋を徘徊します。
「かねたくの読まずにホメる」金子拓→買ったときから、いや手にしたときから読書ははじまっているのです。

■昨夜は、暑くなったから熱い鍋をやろうと、汗かきかき熱い鍋をやって食べた。メインはタラと豚肉。これはこれで、食欲がすすんでよいね。じゅうぶん堕落した。

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2004/06/05

いいかげんにせえよ

食べたり飲んだり、そのことについて語り合ったり、料理をつくったり料理について語り合ったりすることで、とにかく無条件に、楽しくココロ豊かになる。ハズだと思っていたが、どうもそうとばかりいえないようだ、最近とくにその傾向が強い、と気になっている。

なぜなのかな、と思うのだが、これといって、まだ理由はしぼれない。

とりあえず一つハッキリしていることは、かつての「食談義」や「食通談義」といわれるものが、楽しくココロ豊かになるものではなかった、かなり大きく間違った傾向にあったし、その影響が克服されずに強く残っているということだ。

そして、それが、最近とくになにごとにつけても「優劣」を競い合う社会的風潮のなかで、庶民的分野にまで広がっている。

「どうだ、どうだ」と、他者を見下したり非難したりイジメたりコケにしたりする手段、つまりは人間的な優劣をつける手段として、飲食や料理に関する「通」知識が利用されるのだね。

たしかに、上層の文化として、かなり古くから、そういう傾向はあったし、上下の格式が秩序を形成していた上層文化においては、トウゼンといえばトウゼンだった。

そもそも飲食や料理が、上下関係服従関係優劣関係などを示すものとして利用されてきた歴史は古い。古事記の最初のほう、神武が東征に出発して最初に大分あたりで豪族を支配下におくが、そのときすでに飲食は、そのように利用されている。

しかし、庶民文化レベルで、そのように「通」知識が「活躍」するのは、ごく新しいことだろう。B級グルメが跋扈する近年のことのように思う。そして飲食や料理の「通」知識は、もっとも安直に、隣人たちとの優劣関係を競う手段として使われるようになった。

なにごとにつけても「優劣」を競い合う社会的風潮が、B級グルメの「興隆」をもたらした、ともいえそうである。

そんなわけで、どうもね、最近は、ラーメンやカレーライスどころか、「下町」や「大衆酒場」というものまで、そういうエサになっているようで、どうもね、しゃくぜんとしないし、自分もその一端を担いでいるようで、憂鬱な気分になる。

こうなるとアレだね、自分の家で、ヒッソリ好きなもの作ってヒッソリ飲んでいるのがイチバンいいかもね。かくて、「ひきこもり」になるのか、と思うのだが、どうもおれの性格からしてひきこもりは難しそうだ。デハ、どうするか? だから、とりあえず、こういっておこう、「いいかげんにせえよ、庶民文化はただ楽しめばいいのだ、通ぶった知識を競うものじゃない」

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2004/06/04

ニセ食品とニセグルメ

もうイチイチ覚えていられないから、詳しいことは忘れたが、数日前、鹿児島産の黒豚といつわって、カナダ産の黒豚を売っていた、それも農協組織がやっていたというたぐいのニュースがあったはずだ。だけど前から、その店頭への出回りぐあいからして、鹿児島県産黒豚表示の8割から9割はニセモノだろうといわれていたね。

このたぐいは、コシニカリや牛肉やタラバガニや、など産地ブランドものについては、そういうことがいわれているにもかかわらず、動かしがたい証拠をもって発覚するまでほっておかれるという、おかしな状況が続いている。というのも、その当のインチキをやっている実行者が、天下り役人がトップクラスにいる、政府管理の生産組織や流通組織だからだろう。そして、なぜか簡単にジケンは忘れられていくのだが、かつてのJAの水増し牛乳、無許可農薬散布の果物、インチキ表示、などなどなど連続して「露見」しているのだ。おそらく氷山の一角だけど。

で、なんといってもおかしいのは、そのニセモノは、トウゼン高付加価値の高額品である。つまり、それらの購入者は、「素材が大事、よい素材にはカネを払ってもいい」というグルメたちなのだ。おれのように、そのニセ鹿児島県産黒豚すら置いてないスーパーで、輸入ものでもブロイラーでもメザシでも、安ければいいものね、安いの買ってうまく料理して生きるよりしょうがないものね、という人間には、まるで関係ないことなのだ。

で、つまりイマ正確な統計はわからないが、豚を例にすると、抗生物質タップリの飼料で量産された安い豚肉は、市場の7割から8割を占めているはずだ。それは豚肉にかぎらず、消費者の所得構成から見て、量産安物普及品が市場の7割ぐらいあっても不思議じゃない。そうでないと、みなさまの生活がうまくいかない、という経済構造があるわけだ。

ここから、出てくる、結論は、なんであるか。

一部のホントウの高額所得者以外の「グルメ」というのは、ニセモノだということではないのか。ニセモノをつかまされているのは、ニセグルメなのだね。そしてグルメ情報などは、生産者や流通業者の受け売り情報をバラマキ、手先をつとめているというわけだ。だから、おたがいさまということで、いつまでも続いているのだなあ。

それは、ビンボウ人には関係ないこととはいえ、市場の7割をしめる「必需」のフツウの食品、とくに生鮮ものは、もうこれ以上悪くなったらかなわんぜ状態だと思う。その状態は、高付加価値高額商品のために、普及品が犠牲になるという構造に深く関係している。だから、バカなニセグルメをあざわらっているだけじゃすまされない。というわけだ。それにしても、この状態のまま、「食育」だの「食育教諭」だのと、笑わせる。

ついでに、「コピー食品」は「インチキ食品」「ニセ食品」とはちがう。もちろん、それは表示にもよるが。

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2004/06/03

うめえ

ダイソーに100円で売っている、四方にツメがついていて、バッチリ密閉できるタッパーがある。

タマネギのうすぎり、トマトのきざんだの、トウガラシてきとう、レモンを絞った汁をまぜたやつ。ピーマンを細かくきざんで入れてもよい。セロリーをきざんでまぜてもいいよ。塩や醤油や味噌でもよい、好きな味付け。ほかの野菜の量にもよるが、中ぐらいの大きさのタマネギ二個をきざむと、タッパーに山盛りの量ぐらいになる。それを無理やりタッパーに押し込んでふたをする。冷蔵庫にいれておくと冷え、量は半分近くに減る。

それをそのまま食べるのもよいが、サケかシーチキンの缶詰を皿にあけ、そのうえにタップリかけて食べる。うめえ。さらにそれを、めしにかけながら食べる。うめえ。アジやカツオの刺身のうえにかけて食べても、うめえ。豚の冷シャブのうえにかけて食べても、うめえ。これから暑くなったら、これだなあ。

■いらないね「食育基本法」なんか。食育なんかより、ハンナンやニセ黒豚問題のような、食品をダシにした、業界と役人と政治家の癒着構造を無くすほうが先じゃないか。「教育、農林水産業、食品の各業界と連携した食育推進」だって、腐ったもの同士が連携だなんて、笑わせらア。マスコミもハンナンやニセ黒豚問題じゃ腰がひけてるぞ。個人の自己責任は責めるくせに、大きい権力には弱いのか。世間の偉そうな「グルメ」たちも、こんなことを許しおいていいのか。グルメの真価が問われるぜ。

Web共同通信社「KYODO NEWS」2004年(平成16年) 6月 3日

食育法案の今国会成立断念 自民

 自民党は3日、食育調査会を開き、学校給食や家庭の食生活改善で、国民の健康増進を目指す議員立法の食育基本法案について、今国会での成立を断念することを決めた。
 与野党合意による内閣委員長提案での成立を目指していたが、審議方法で民主党との協議が難航したためで、今秋の臨時国会での成立を目指すことにした。
 食育基本法案は、内閣府に食育推進会議を設置するほか、都道府県や市町村に対し、教育、農林水産業、食品の各業界と連携した食育推進の計画策定を義務付けている。

■なにも審議されてないにひとしい。もともと国民の生命は軽いのだ。加えて「強行」という暴力的行為。言葉より暴力的行為でケリをつけようという風潮は殺戮大国アメリカのイラク戦争を支持する与党としてはトウゼンなのだろうが、子供たちにむかって「生命の尊さ」を説くことはできないね。

与党が年金法案を強行可決 参院厚労委
【15:18】 自民、公明両党は3日午後、参院厚生労働委員会で年金制度改革関連法案の質疑を打ち切り採決を強行、法案は可決された。

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2004/06/02

妙味といふこと

また昨日の続きだが。山口瞳さんは、こうも書く。

「関西人と食べものの話をするのはあじけない。どこかで話がくいちがってしまう。つまり、私にとっては、食べものというものはそんなにうまくなくていいのだ、というあたりの心持ちを理解してもらえないのだ。このへんが肝腎なところである。なぜ食べものはうまくなくてはいけないのだろうか」

「関西人と」というのが気になるが、最近は、どうも食べものの話をすると味気ない思いをすることが多い。そして、おれが「大衆食」なるものをやっていることがわかると、相手は必ず食べものの話をするのである。

で、それは「食べもの」の話ではなく、「うまいもの」の話なのであって、ナニナニはドコドコのものよりドコドコのものがうまい、とか、やはりドコドコのシュンにはかなわない、とか、ナニナニはこうやって食べるのが基本でコンナ食べ方は邪道だとか、そういう話になる。会話としての妙味もなければ、食べものの話としての妙味もない。テキトウに相槌はうつが、腹の中はウンザリしている。

ときたま、ガマンして聞いたあとに、「おれは、うまいものに興味はないんです、興味があるのは快食ってことでしてね」と、切り返すこともある。

じつは、ちょっと話はちがうかも知れないが、最近、すごくウンザリしたことがある。

あるところでタケノコを食べたのである。東京では姫タケノコといわれるものなのだが、その地方では5月ごろが最盛期だ。その姫タケノコを皮がついたまま炭火で焼いて、そして皮をむいて調理した味噌(味噌と酒かミリンを混ぜたていどでもよいのだが)を付けて食べるというのが、楽しみで、これは、その地方へいけばフツウのことで、おれは、その地方の、いわゆる田舎味噌の味も楽しみだった。

しかし、今年、それを楽しみに行くと、いつも、そのように食わせてもらえるのに、今年は味噌ではなく、塩がついて出てきた。おれが食堂のオヤジに「アレッ、いつも味噌だったけど」というと、「いや、このあいだ○○というテレビに出ている料理人がきて、こういう採れたての山菜は味噌でなんか食べるものではない、それじゃ素材のうまみを殺してしまう、塩で食べなさい、というんでね、味噌はやめたのさ」というのがオヤジの答えだった。

おれはそれ以上はなす気もせず、味噌を出してくれという気もおきず、かといって残すのもワガママのようだから、そのまま味気なく食べて、悲しみにヒタヒタひたりながら帰ってきた。

まったく、味気ない話さ、味噌味には味噌味の妙味というものがあるだろう。こんな世の中に誰がした。

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2004/06/01

山口瞳の「食べもの論」

最近ちくま文庫から刊行された荻原魚雷さん編の『吉行淳之介エッセイ・コレクション 1 紳士』を読み終えたら、なぜか山口瞳の『男性自身』を読みたくなって読んでいる。手元にあるのは、1965年発行の68年5刷版だ。その「カレーライス」

以下引用……

 カレーライスというものはどの店でも味がすこしずつちがう。どこの家庭でもつくるが、どこへいって御馳走になってもすこしずつ味がちがう。
 どの店でも味がちがうということは不安であるはずなのに、私ははじめての店ではカレーライスを注文してしまう。なぜかというと、カレーライスはまずくてもいいからである。ちぇっ、まずいね、このカレーライスは、と思ったことがない。まずくてもいいのである。まずければ不味いなりに妙味があるから妙である。

……引用おわり

ふりかえってみると、食べ物の話や食べることの話になると、「うまいもの好き」が「うまいもの」について語るのがアタリマエのような風潮になったのは、グルメブームの80年代以後のことだろう。そして、「うまいもの好き」が大手をふるようになった。

しかし「うまいもの」を語れば、「食べ物」や「食べること」を語ることになるのか、といえば、もちろん、そうではない。それは、ホンノ一部なのだ。「食べ物」や「食べること」は、「うまさ」という、うすっぺらな話ではすまされない「妙味」がある。それは、人生や生活には、「成功」という言葉だけでは語れない「妙味」があるのと同じだろう。「うまいもの好き」とは、そういう「妙味」のわからない連中である。

山口さんは「食べものなんてそんなにうまいものである必要はない」と、くりかえす。

おもえば、食べものの話をつまらなくしたのは、「妙味」にアタマがおよばない「うまいもの好き」たちではないか。

ま、なんにつけ、通ぶるなんて、イチバンかっこう悪いことだ。

それにしても、吉行淳之介と山口瞳は、どこか似ている。とても、かっこいい。

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