政治レベルの料理としてのBSE問題
「政治レベルの料理」を考えてみよう。いま始まったことではないが、政府は国民の生活と健康なんかどうでもいいのだ。
BSE全頭検査に限界 日米協議で日本側
【11:17】 【ワシントン30日共同】米コロラド州で30日まで開かれていた牛海綿状脳症(BSE)をめぐる日米専門家・実務者協議で日本側は、若い牛がBSEに感染していても現在の検査方法では検出できず、全頭検査には限界があることを認めた。
これは、共同通信社のWEB版ニュースに先日あった。
おれは以前「ザ大衆食」の「発作なメシゴト日記」に、日本の「全頭検査」は「安全」を保障するものではないし、ようするにアメリカ牛の輸入禁止措置は、政府と政権党の参院選対策であって、選挙が終われば輸入解禁になるだろう、というようなことを書いた。やはり、そうなのだ。
なんというばかばかしさ。しかし、国民には「全頭検査」で安全が保障されているような説明をし、アメリカの前では「全頭検査には限界があることを認めた」とは、どういうことだろうか。いままで国民に安全だと説明してきた責任や、アノ安い牛丼を不可能にしてきた責任を、どうとるのだろうか。責任なんかとるはずねえや。
それに、なんら安全は保障されてない国産牛の霜降り最上級の牛肉を、ほめあげているグルメもいるのだが。素材のよさを問題にするのなら、こういう「政治レベルの料理」も、ちったあ考えてみたらどうかと思う。 いまや、素材の多くは、政治で決まるのだ。
小泉政権は、こういうゴマカシをやりながら、「曽我さん家族の再会」騒ぎと低投票率で政権を維持するのだろう。いやはや。
| 固定リンク | 0
この記事へのコメントは終了しました。
コメント