オンナの美醜と食べ物の味
「食」と「性」は、よく一緒に、あるいは対比され、語られることが少なくない。たしか梅棹忠夫さんなんていう大学者は、「食事学」を語るとき同時に「性事」についても語っていたと思うし、懐石料理の大家といわれた辻嘉一さんなどは、かなり俗っぽく食べ物の味を「オンナの味」にたとえたりしている。
イマ、『吉行淳之介エッセイ・コレクション2 男と女』(荻原魚雷編、ちくま文庫)を読んでいるのだが、「美醜について」吉行さんが語るところは、吉行さん自身が「私は女性を見ると、食物に比較して考える癖があります」というとおり、オンナやオトコの美醜は食べ物のうまいまずいの評価や表現とも関係していておもしろい。
吉行さんは、美人を数字によって上下をつける試みは無駄に終わるだろう、「美人というものは、それを眺める人の主観によってもさまざまで、あいまいなところに面白味がありそうです」と述べた上で、このようにいう。
たとえば、引用……
私は女性を美人不美人に区別して眺めるというよりは、むしろ快不快に分けて感じることが多い。相手と向かい合っていて快い気分になれる女性の方を、いわゆる美人よりもずっと好ましくおもいます。
毎日たべる生活のなかの料理となれば、ますますそうだよなあ。と思う。
さらに、引用……
私は女性を見ると、食物に比較して考える癖があります。これは、美人不美人の判断に快不快の感情がからまっているため、食物になぞらえると自分にとってのはっきりした評価ができてくるためとおもわれます。
そして、さらに引用……
たとえば、「のびかかったウドンのような女性だ」とか「あんこ少しはみ出したタイヤキのような女性だ」とか、いった具合です。
さらに引用……
美しさにも、いろいろの形があるわけです。カリン糖のような美人もなかなか趣があります。ファッションモデルのような美しさから私が何を連想するか、といえば、ボール紙の上にクリームを盛り上げて作ったデコレーション・ケーキやデパートの食堂の硝子ケースの中の商品見本です。もっとも、そういう食物に突発的に食慾を感じることが無いとは申しません。
作家という人種は、モノの美醜について述べ、食べ物についてもイロイロ書いているが、これは秀逸のほうではないだろうか。
……「のびかかったウドンのような女性だ」とか「あんこ少しはみ出したタイヤキのような女性だ」とか……ウーム、逆に、安い定食を食べながら、「このタクアンは……」「このサバの塩焼きは……」と、オトコやオンナにたとえてみると、食事や味覚談義が、さらに楽しく豊かになるような気がする。
さて、では、目鼻立ちはチグハグだけど肌艶がたまらんラーメンでも食べにいってくるか……というていどの表現では、とても吉行さんにはおよばないな。それでは、「うーむ、これはカリン糖のような美人の趣のラーメンだな」とかいってみるか。
まだまだおれは、オンナについても食べ物についても修行が足りん。ということだ。
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