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2004/09/30

とん汁をめしにぶっかけて

某国家機関食堂でとん汁をめしにかけるTakeさん。しかし、このボトルには、オドロキ。
http://take.cocolog-nifty.com/teke/2004/09/post_10.html
これを見て、この秋冬は、全国的にいたるところで、とん汁をめしにぶっかけるという風景が出現するとオモシロイと思ったのでした。ドンドンぶっかけよう。でも、とん汁って、つまみにもいいのだよなあ。

■ザ大衆食のサイトのとん汁関係
阿部食堂 とん汁は冬季限定メニュー
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/abe.htm
ふじや食堂のとん汁は、豚肉と豆腐とネギだけ
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun/syasinten6.htm
東中野食堂のハムエッグ付とん汁定食は、ボリュームたっぷり
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun_3.htm
竹屋食堂にもとん汁があるでよ
http://homepage2.nifty.com/entetsu/takeya1.htm
今月の7日に紹介したけど、もう一度。新潟日報に書いたコラム「豚汁」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/nipporensai.htm

■「とん汁 桝形」有名店だが、某雑誌の編集者が食べに行ってきてウマイといっていた。
http://www.hoyumedia.com/co/ce/tonjiru/

■ついでに、「新井名物 とん汁たちばな」
http://www.arai120.gr.jp/p/tachibana/

■大手小町「ぶた汁かとん汁か」
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200302/2003022600047.htm

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2004/09/29

BOOKMANの会は、本より酒か

どうしたわけか(飲みすぎたに決まっているが)、昨日は、一昨日の酒が、かなり深く残り、7時から始まるBOOKMANの会へ向かうときでも不調。茗荷谷に着いて、サンドイッチを買って食べ、ソルマックを飲んで、なんとか調子を転換。発表のあとの飲み会のときには、快調。もしかしたら、ただアルコールさえあれば快調になるのかも知れないが。

BOOKMANの会の様子は、ナンダロウアヤシゲさんの日記に。
http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/20040928
セドローくんと岡島さんの「古本市場の仕組みウラバナシ?」、森山さんの「あだち充論?」どちらの発表も興味津々の内容だった。

付記すれば、飲み会がおわるころには、1日から始まる「早稲田青空古本市」の初日夜8時ごろには、ナントナク、会場に集まり飲み会をやろうという感じができあがっていた。古本市に行くというよりは、飲むのが目的という感じ。飲む話になると、はやくまとまるBOOKMANな人びと。本と酒、いや、本より酒、か。それもまたよきかな。

早稲田青空古本市。去年は、ここで、よい一冊を安く手に入れた。今年も期待しよう。
http://www.w-furuhon.net/aozora/

ところで、昨日9月28日は61歳の誕生日だったが、自らいいつのらないこともあって、誰からも「おめでとう」といわれなかった一日だった。めずらしい誕生日。これもまたよきかな。

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『汁かけめし快食學』オッ声 12

おっ、このような画像までつけていただいて、うれしいね。ありがとう、ありがとう、「石見庵」さま。しかし、たしかに、こういう汁かけめしもまた、よきかな。
http://blog.livedoor.jp/iwami/archives/5663585.html

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2004/09/28

オモシロイ話を思い出せない、そして小泉信一『東京下町』

西日暮里「竹屋食堂」のち北浦和「志げる」。久しぶりにエントコさんに会った。泥酔、記憶一部喪失。竹屋食堂でオモシロイ話を聞き、こいつはサイトにのせなきゃあ、と、言ったのは覚えているが、その話の中身を思い出せない。ヤレヤレ。

小泉信一さんに会い著書『東京下町』(創森社)をいただく。小泉信一さん、著者プロフィールには、こうある。「1961年、神奈川県生まれ。厄よけで名高い川崎大師の近所で育つ。3年余りの列島放浪を経て1988年、朝日新聞入社。下町記者を志願し2000年から3年間、東京の下町を担当する東部支局に所属。現在、東京本社社会部記者。各地の銭湯と小体な居酒屋、立ち飲み屋探訪を欠かさない」

『東京下町』は、東部支局に所属していた当時、新聞に書いた記事をまとめたもの。このプロフィールは、それようにまとめているね。

東部支局では支局長だった。で、そのとき、両国の「下総屋食堂」を朝日新聞下町版つまり「川の手版」と呼ぶ紙面で大きく扱った。担当記者は某女性記者で、おれは竹屋食堂ほか、何軒か大衆酒場も含めて案内した。小泉さんは、根室通信局時代、日本の北辺から「特ダネ」を発信し続け「国境記者」として名をあげた。『ぶっかけめしの悦楽』の発行元、四谷ラウンドが倒産前に発行した『フォーティーズ』にも登場する。

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2004/09/27

長尾智子さんの場合

「シンプルで存在感のある料理をテーマにする」

かつての料理の技術は、主に習慣や伝承したがった。近年の特徴は、「テーマ」や「コンセプト」を意識することである。それは、生活において、「テーマ」や「コンセプト」が意識されるようになった反映なのかな?

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2004/09/26

サガンと朝吹登水子と醤油の匂い

サガンが死んだそうだけど、日本でサガンといえば、翻訳の朝吹登水子さんをはずすわけにはいかないだろう。その朝吹登水子の自伝的小説?『愛のむこう側』だが、おれにとっては忘れられない印象的な場面がある。

女学校卒業と同時ぐらい(16歳?)に結婚し破れた彼女は、パリですごしていたが、ヒトラーが台頭しヨーロッパが戦場になるころ帰国する。日米開戦前夜、日本は「日一日と軍国主義を強めていた。内では、米穀配給統制、金の国勢調査、国民徴用令等と戦時体制を固め、外では一歩一歩シナの奥地に攻め入っていた」

ある日、彼女は「家から外に出てみた。欧州に行くまでは、近所を歩いたことはほとんどなかった。二、三度出たかも知れなかったが、近所で買い物することは全くないといってよかった。」

つまり彼女は、真の上流階級、真の深窓の令嬢、華族の殿様の娘で、学校への送り迎えはクルマという「箱入り」で成長し、そのままパリに渡ったのだから、このとき、初めて一人で、日本の町、東京の町を自由に歩く。

「急に小さな低い木造の家々が並んでいた。路地を曲ると、おかみさんが干し物をしたり、赤ん坊をおぶって自宅前の溝板(どぶいた)の上を竹ぼうきで掃いたりしていた。下水の匂いと、樟脳(しょうのう)が混じった匂いがした。これはずっと以前に嗅(か)いだ匂いだった。祖母の家の薄暗く大きな側屋や、スキー地の宿屋の匂いだった。また、どこからともなく、醤油の匂いがした。発酵した大豆の匂い。これはパリの石造りの家々にしみついている匂いとはちがっていた。パリの古い家屋はチーズとぶどう酒と黴(かび)の匂いがした。

この太文字にした部分なのだなあ。パリとの比較だから、さらに鮮烈なのだが。かつては、たしかに醤油の匂いがした。おれは、その醤油の匂いのする家や町並みを、このように思い出すことすら難しくなった、イマを思うのだ。

彼女は、駄菓子屋で「これを少し…」と指差すが「百匁というのはどのくらいなのか見当つかなかった」その「粉っぽい菓子をゆっくり噛みしめながら、愉しい少女時代が二度と甦らないことを知ったのだった」

彼女の位置に、イマおれたちはいるのだろうか。かといって、おれたちは、フランス人になったわけでもないし、華族になったわけでもない。ただ醤油の匂いのする家や町が失われただけなのだ。ああ、感傷。懐かしがるだけではなく、二度と甦らないことを知らなくてはならない。

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「ウィキペディア(Wikipedia)」に「ねこまんま」が

人間が一生のうちに読める本の量は決まっている。いまじゃ、実際に読む量は、CD一枚に収まる量だ、といっていたひともいたな。そのうえ、ブログのようなものに時間を費やしていては、さらにほかで何かを吸収する時間が少なくなる。

しかも、同じ文字情報であっても、紙に印刷された文字による情報と、ナノ秒文化に支配された光のコンピュータ文字の情報の世界では、その情報を受け取る脳の働きがまったく違う。文字情報を送る、ナノ秒単位の速度に支配される。もちろん制作して発信する場合も事情は同じ。むしろテレビを見ているときに近い脳の働きになる。瞬間芸の「インパクト」が、ものをいう世界である。本をパラパラ読みするのと似ているか。

本を読むことは、自分の人生を時間的に豊かにする行為でもあるはずだ。しかし、ブログをやりブログを書くために本を読むようになれば、そのことが損なわれる危険がある。本を読む行為自体が、ナノ文化に連鎖的に支配されるのだ。

セカせかセカせかセカ、言葉を文字で投げあい、ブログはテレビと似ている。ネットサーフィンなどは、せっせとチャンネルを切り替えるのに似ている。パソコンの文字や写真にむかっていても、本を読むときのような、豊かな時間にひたる気分はない。質感もまったくちがうし。

……と思いつつ、ネット検索していたら、なんと「ウィキペディア(Wikipedia)」に「ねこまんま」があったね。こりゃまた、おもしろい、ふーむ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AD%E3%81%93%E3%81%BE%E3%82%93%E3%81%BE福岡の金龍の「ねこまんまラーメン」は、最近なくなったとの情報もあるのだが、どうなのだろうか。ラーメンにめしが入っていて、鰹節をかけて食べる、というものらしいのだが。

ネットは、マイペースで、ノンキに楽しみたいものだ。ま、おれは、ブログより酒場だな。酒場でなら本も読めるし、ひとと話もできるし。いま、朝9時ちょっとすぎなのだけど、いまからやっている酒場というと。うーむ、今日は日曜日だからなあ……。

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2004/09/25

カウボーイめし物語

アメリカはコロラド州、2000メートルの高地で牧場を営む日本人カウボーイ、ケン・イトウさんから手紙が届いたので、ザ大衆食の「カウボーイめし物語」に掲載した。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/ken.htm

1960年代なかごろに慶応大学を卒業するとすぐアメリカへ渡り、そのままさすらいのカウボーイ生活、60歳になってもロディオなどやって賞金稼ぎに挑む、ガツンな男、の、めし物語。

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2004/09/24

相互理解は「ねこまんま」から?

今どきの子供たち「ねこまんま」は気持ちわるい?! ふーむ、学校でこんなことがあるのだ。
http://www.fine-club.com/child/ima/05.html

ふーむ、これを読んで、イチバンおもしろいのは、ねこまんまを「あんな汚い食べ方はやめてほしい。見ていたら、気分悪くなって吐いてしまった……」という子供と家庭は、モンダイにならないで、「「人の嫌がることはいけないこと」という集団生活の掟が学校ではまかり通る。」ということだな。ねこまんまを食べた子供と家庭は、ヒジョーに理不尽なあつかいを受けている。かくてキレイゴトが、まかり通っていく。臭い汚い人間やモノやコトを軽蔑する人間が、エラそうに闊歩する。

ということなんだけど、ようするに自分とちがう異文化を理解していく力が、こんなレベルでも、キレイゴトのなかで育たない。自分と違う、あるいは自分が受け入れがたい、考え行為には、過剰に反応する。いま、そういうことが、たくさん見受けられますなあ。こんなことで国際レベルの異文化を理解する「国際人」になることが可能なのだろうか。

だけどね、ねこまんま食べるひとは、白めしを気持ち悪がったりしない、だいたいなんでも受け入れてしまうのだよ。子供たちに「イノチを大切にすること」を教えるまえに、ねこまんまを大切においしく食べることを教えたほうが、子供たちが「キレる」のを防ぐためにもええんじゃないの。ま、その前に、例によって、オトナの問題だけど。とにかく、ねこまんまはエライ! 相互理解はねこまんまから! ということなのさ。だから、『汁かけめし快食學』は学校の教科書にする必要があるね。

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2004/09/23

うまそうな、ねこまんま鰹節派

その名も「母ちゃんのねこまんま」。うまそうな、ねこまんま鰹節派の写真。
http://kachan.jugem.jp/?day=20040821

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食堂に賭ける男

逝く男あれば、挑む男あり。ごく最近、力強いメールをいただいた。食堂に賭ける男、クラさんからである。これは大ジケンである。よって、ザ大衆食の「浮世のめし新聞」に掲載した。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/kurasan.htm

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サンマの階級とスーパーの階級

いつも、100円のサンマを買っている。いや、100円のサンマしか置いてないスーパーで買い物をする。今日は、気分がいいしカネも入ったしよいクソしたいから、150円のサンマにしよう、と、思ったら、別のスーパーへ行かなくてはならない。一生に一度ぐらいは、400円のサンマが食べたい、と思ったら浦和の伊勢丹の地下へ行かなくてはならない。

むかしの町の魚やなら、100円クラスから400円クラスまで揃っていることはなくても、店先で100円とプラス数十円ぐらいのあいだのモノの選択は可能だった。1960年代にコールドチェーンといわれる、生産から家庭までを冷凍冷蔵で流通するシステムが普及して、スーパーが生鮮モノに力を入れるようになった70年代以後、魚やは減り、魚やがなくてもスーパーだけで成り立つ町ができ、そして、100円のサンマしか置かないスーパー、150円のサンマしか置かないスーパー、400円のサンマしか置かないデパートというぐあいになったのだなあ。

おれが日常的に買い物する地域には、サンマの階級でいうと100円クラスと150円クラスと200円クラスの三階級のスーパーがある。ただし、サンマの値段は、150円と200円の差はなく、150円ぐらいだが。客単価平均が3階級ぐらいにわかれるということだ。おれはいつもイチバン安い店で買って、ときたま150円クラスでも買う。200円クラスは見るだけで買わない。ということだね。

むかし、魚やでよく買ったころは、魚やのオヤジに「ダンナ今日はこっちがいいよ負けておくからこっちにしなよ」なーんていわれると、ほかの客の目を気にして、高い方を選び、何日も後悔をし魚やのオヤジをうらみ、だけどまたそのオヤジの言いなりになるという、精神衛生によくない生活をしていたものだが、いまじゃそういう気遣いもなく、堂々と地域最下層のスーパーで気分よく買い物している。

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2004/09/21

おいしさは、ムズカシイ? そして生き残り

■Webマガジンen 食のクオリア おいしさの解剖学
第六回 おいしさは言葉で表せるか 茂木健一郎
http://www.shiojigyo.com/en/column/main2.cfm

■けっきょく、一緒に仕事をした古いつきあいの友人のうち、生き残りは、おれと、ヒデと、トリということだ。死んだのは、ヤマ(すい臓癌)と、カモ(喉頭癌)と、昨日連絡があったシュウ(すい臓癌)。みな同じ歳か1,2歳ちがい。昨年、手術を拒否したカモが死んだとき、トリは「ビジネス戦死だよ」といった。昨日、シュウの死を知らせたヒデは、「シュウは仕事が好きだったからなあ」といった。カモもシュウも、社長職や会長職現役のまま死んだ。そのカモとシュウは、40歳ぐらいのときおれに「おまえはワーカーホリックだ」とセッキョウしたことがあるな。あれは、どこの飲み屋でだったかな? フン。

■いつもは毎日300ぐらいのアクセス数なのだが、昨日はその倍以上あったようだ、なぜなのか?

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2004/09/20

「定食」のアイマイな記憶と早稲田古本市

16時半すぎ。追記である。なんだか今日はアクセスの数が異常に多いような気がするが?

そんなことはどうでもよい。古い友人の死の知らせがきた。おれは近日中に61歳になる。みんなもうそういうおなじ年頃だが、仕事も一緒にした古い友人となると、何人もいない。そのうちの3人が、ここ毎年のように死んだ。あと残るは、おれと…、5本のゆび以下だ。ブログなんかやってないで、もっとやるべきことがあるかもなあ。と、ブログに書き。フン。

追記おわり。

■ハテ、近代日本のアケボノに意識あらたな「和」だの「洋」だの、を、なかなか超克できずに、シッポのようにひきづったまま、コンニチにいたり、アイマイな記憶のうちに混濁を重ねているのではないだろうか。と、思いつつ、コダワリの「定食定義研究」をタノシミ、さらにその研究をザ大衆食のサイトに掲載したのだった。ま、とにかく「めし」なのだよ。よろしく~
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/teisyokukou.htm

■せんで~ん
第19回 早稲田青空古本祭 ~『読書の秋』はワセダから~

早稲田古書店街、年に一度の大バーゲン。ジャンルいろいろ、のべ30万冊。
会場で1000円以上買うと、古書店街で期間中何度でも使える1割引券進呈。

日時 2004年10月1日(金)~6日(水)
午前10時~午後7時(最終日5時閉会) 雨天決行(大型テント使用)
会場 穴八幡宮境内(早大文学部前)地下鉄東西線 早稲田駅下車 徒歩2分
ホームページ http://www.w-furuhon.net/

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2004/09/19

冷や汁は夏バテ回復によい会

ヨシバ邸のあっこサン4誕生祝「冷や汁」食べ会。3時開始に遅れ4時から参加。冷や汁制作担当は、宮崎出身のフリーエディターあんどライターのスズキサチコさん。イリコダシの宮崎スタンダードタイプと、鯛で作ったスペシャルタイプ。うーむ、コレハ、うまいうまいうまい、みなガツガツあっというまに食べ、うーむ腹いっぱい。前にも、鯛のものは食べたことがあるが、それとはまったくちがって、焼いた鯛の身を、ゴマをすった擂鉢で一緒にすり、アラでダシをとって、そこに入れる、というものだ。ダシ汁は少しで、全体がとろろ汁のようなネバリの仕上がり。後日ザ大衆食サイトに写真と詳しい報告。

ヨシバ旦那は上海へ単身赴任中この日のために?一時帰国。いまごろ上海にもどっているはず。勤まるかと思ったマーケティング屋ビジネスは好調のすべりだしらしい。と、ここで遭遇するは、ナント、って、詳しく書くのはヤバイか、やめよう。イラク帰りの軍事戦場ジャーナリスト男2人。えーと、それから、旅ライター○子さんに、田舎暮らしエディター○子さんに、子連れスーデザイナーさん、歯痛の音楽貿易マツ子さん、それから子育てクタビレママさん、あーあとはあっこんさんか?忘れた。20数歳以上も年下のなかに、おれだけ60歳という、ちかごろよくあるパターン。

カトケンさんのバグパイプに、みな大感動。イラク、タイ、ベトナム、上海……政治経済モノカネ人質殺戮生産流通メディア接待賄賂化粧品長唄日本舞踊結婚離婚バトル子育て子自慢、話題は汁かけめしのごとくゴチャゴチャなり。ビール、泡盛、焼酎何種類?こちらもごちゃごちゃなり。梁山泊の酒盛りという雰囲気のなかで、鋭い見識、とびかう。さすが。のなかで、またまた、ヒラメイタぞ。最近は、よくヒラメクのだ。うふふふふふ、そうなのだ、「流通」なのだ。ここがカンジンのヘソなのだ。

ヨシバ旦那、腹と泥棒に注意し、はやく任務を完了し帰国せよ。サチコさん、うまい冷や汁ありがとう。まだ暑いし夏バテ解消にグッドですな。ああ、あっこさん、最後になったが、誕生日おめでとう。

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2004/09/18

日本料理の概念?

ブログやるより、酒のもう。ということなのだが。
むかし、こんなこと書いているひとが、いたんだなあ。「料理はそんなせまアーい意味のものではありません」という言葉が、いいねえ。「堕落」だの「下品」だの「クソ」だのなんだのと、すぐ人様を決め付けることなく、もっとおおらかにやりましょう。実際は、それほど単純な話じゃないが、まずは引用。

「日本料理通」 楽満斎太郎 四六書院(通叢書)昭5(1930)年

料理概念の巻

(一)料理にも国境が必要か?

 一口に日本料理と云つても、それはずゐぶん広い意味を持つてゐます。
 私の見解では、日本国内で日本人が日本で出来た材料を以て調理し、これを日本人の食物とした場合は、如何なる調理法でどんな味をつけても、それは日本料理であると思ひます。
 其の上にもう少し此の先、時代の推移を見れば、どこの材料を用ひて誰がつくらうと、日本国内で成す料理はみんな日本料理となり、もう一段進むと、日本料理も支那料理も西洋料理も無く、そこには人間の料理があるばかりとなります。
 これを反対に区別をつける筆法で申しますと、日本料理といふものの中にも古代料理あり、足利時代料理あり、徳川時代料理あり、江戸前料理あり、関西料理あり、長崎料理あり、郷土料理あり、其他普茶料理あり、懐石料理あり、これらの一々に又各流派別あり、就中(なかんづく)武家の行つた儀式料理と皇室のみ持たせらる玉宮中式料理とは、其の荘厳神秘的なる点に於いて誠に神国に応Lい発達を遂げて居り、どこの国の料理を持ち来たつても此国と此場所とにこれ以上の合致は絶体に見出されなかつたであらうと信じます。
 さて、これらの料理に就て、ここからここまでが何料理で、どことどことが何料理であるといふ区別は、其時代其時代に於てこそ出来もしたでせうが今日の日本料理を通してこれを区別することは何人といへども其正確は期し難いのであります。
 自体、料理に対して斯かる事の詮議立てをする必要がどこにあるのでせうか。私は、バタを用ひればそれが直ちに西洋料理となり、油を多く使へば支那料理見たやうだと定義してしまふことは不思議でなりません。
 料理はそんなせまアーい意味のものではありません。又そんなせまアーい量見で扱ふべき性質のものとは本質的に違つてゐるのです。
 もしそんな見方で根本にさかのぼると、日本固有のものといふやうなものは一つもなくなつて文物皆外国流となり、料理も各国料理といふことになるべき筈です。

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2004/09/17

虚業と実業と泥酔

展覧会情報の情報誌『etc.』を発行する言水ヘリオさんが事務所の言水制作室で開催中の「奥まゆみ×TATTAKA展」(24日まで)へ。前から一度見てみたい事務所だったが。うーむ、神保町の裏通りらしい、古い木造のシブイ建物。部屋の入口の戸も、木の引き戸だぜ。いい雰囲気。
http://www.kotomizpress.jp/
展示の作品もそうだが、最近の「美術」の概念をこえる創作活動など、美術界の動向や、音楽界の動向との大きなちがいなど、お忙しいなか短時間にイロイロ話を聞き、なるほど~。人間はおろかしい存在なのだなあ、それにしても、どうも美術系の人間には、コマリモノが多い。そのなかでココロザシ高く言水さんはやっているのだなあ、と、感心。「「美術」という言葉は、とりあえずの間に合わせに生まれたのに、そのまま使っているから、創作活動の現状にあわなくなっている、「美術」という言葉にかわる言葉が必要になっている」と。実体が言葉の概念にあわなくなってくると、はみだすことをやる実体に批判非難悪態をつく人間と、新しい言葉を考えればいいんじゃないのという2とおりの人間にわかれるのは、どこの世界も似ている。だいたい後者が最初は「少数派」であるが。

その「虚業界」の話を聞いたあと、ヤドヤの飲み会ミーティング。こっちは「実業」である。「ゼニ」「人事」「ビジネス」だわな。雑談爆笑のなかに重要案件あり。新しい事業を生み出していくのも、創作活動に似てなくもないが、観念的なキレイゴトなどは、まったく関係ない。いかに現実的にテを打つかだけだ。ナマグサイ話もあって、人間のおろかしさのなかでやらなくてはならないのは「虚業界」と同じだが、やらなくてはならないことやるべきことが相談すればハッキリしてくるのがいい。それにナマグサイ話は、いかにも人間らしく、悪いことじゃないね。とくに、このグループは、能力が高く経験度胸もアリの連中だから、重要案件も冗談いいながら、じつに気持ちよく解決策がうまれて楽しい。しかし、事業というのは、悪ければトウゼン、うまくすすんでも、課題が山積、「〆張り鶴」をガンガン呑んだので、いいアイデアもでたし、泥酔帰宅ですね。「重要なことは赤ちょうちんで決まる」というのは、むかしから日本人の悪しきビジネス慣習のようにいわれるが、酒を飲みながらの相談はいいよ。それに、日本人だけじゃないよ。ああ、それにしても、「実業」は楽しく、ブログなんて、じつにばかばかしい世界に思えた。ブログしているヒマがあったら、ゼニ儲け考えろ。

■昨日、「おすすめサイト」を追加更新する作業で、コピペをしていたら、なんか操作をまちがえたらしく、全部消えてしまった。またリンクをはりなおすのめんどうだし、ほぼ毎日の自分用だったのだから、「お気に入り」で片づく。やめてしまった。

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2004/09/16

弁当とレトルトごはん

昨日の続き。コンビニ弁当と弁当屋弁当の競争は、「マスでみると」、コンビニ弁当が圧倒的なシェアを得て決着したように見える。つまりコンビニ弁当の「勝ち」といわれる。だが、データというのは、そのデータの調査なり資料の目的にそった、データでしかないから、単純にマスの数字だけをあげて、「勝ち」「負け」を決めるわけにはいかない。日本のマスコミジャーナリズムは、よくやるがね。

弁当屋のない地域にもコンビニがあることを無視して、合計の数字で弁当市場にしめるコンビニ弁当のシェアが圧倒的だからといって、コンビニ弁当が勝利したことにはならない。実際の競合関係の地域での数字でないと意味をもたない。そういうふうに意味の無いデータや資料をもとにした雑な解読と議論は、これまた日本のマスコミジャーナリズムが得意とするところだ。

で、そのことではなくて、気になるのは、レトルトごはんなのだ。レトルトごはんは、1970年代の中ごろに、大手各メーカーが進出し、そして撤退している。普及しなかったのだ。それが1990年代以後、「玄関あけたら 2分でごはん」のコマーシャルもあったが、ほぼ定着といっていいほど、普及した。これは、弁当市場の広がりと関係あるのではないかと思われるのだなあ。

いずれにせよ、一度市場から消えたものが「復活」している。食べ物の市場は、そういうことがめずらしくなく、メニューの浮沈にいたっては、かなり変動が激しい。だから、短視眼的に、安直な雑な決め付けをするのではなく、30年から50年のあいだの変化を数百年の歴史のなかで検討する作業が必要になる。ま、昨日の「夜霧のハウスマヌカン」と「ほか弁」の話は、20年前の話ではなくて、イマのことなのだ。歴史は、おなじ時間のなかで変化しているのではない、コトによりけりなのだ。

それに、たとえば、いま「復活」しているといったが、商品の分類ではレトルトで同じだが、同じレトルト商品が復活したのではない。とくに包装の仕組みも含め(たとえば袋式から、トレー型の容器になるなど)、かなり変わっているのである。製造レベルからみれば同じレトルトに分類されても、消費の食事のレベルで考えると、同じとはいえない。が、たいがい、こういうことを歴史にまとめると、同じレトルト商品が、一度「敗退」し「復活」したように表現されることはザラで、そういう方法では食文化の実体も生活の実体も、とらえられない。

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2004/09/15

「夜霧のハウスマヌカン」と「ほか弁」

9月10日の「コンビニ激戦のあと」と関係するが、その翌日の飲み会は、おれのほかに、40歳前後1人、30歳前後3人、23歳1人という顔ぶれだった。ここで、「夜霧のハウスマヌカン」を話題にすると、40歳はすぐ、うたと「ほか弁」で反応した。30歳は、うたは知っていて、「やや」がうたったということも知っているものがいたが、「ほか弁」とはつながらない。23歳にとってはなんだかわけのわからない話でしかない。「ハウスマヌカン」は死語であり、すでに「ほっかほか亭」もアイマイな記憶のなかにしか存在しないのだなあ。

コンビニの弁当は、最初つまり1980年代前半は、ほっかほか亭などの弁当屋専門店に対して苦戦した。弁当屋は目の前でつくってくれるのに、コンビニ弁当は、よそから運んでくるからだ。

『昭和・平成家庭史年表』(河出書房新社)によれば、ほっかほか亭は、1976年に埼玉県草加市に1号店がオープンとあるが、おれの記憶では関西のほうから広がった印象があった。とにかく、大衆食堂でも弁当販売を始めるところがあって、最初のころは、いろいろな形態の営業で普及したのだが、80年代に入って「ほっかほか亭」が市場を席巻するほどになると、「ほか弁」は弁当の総称のようになった。そして、「ほか弁」といわれるものには、コンビニ弁当は含まれないほど、コンビニ弁当は苦戦していた。

「夜霧のハウスマヌカン」は1986年。「お金も無いのに 見栄を張る また 昼はシャケ弁当」の歌詞にある「シャケ弁」は、たしか290円というビミョウな値段の「ほか弁」をイメージするひとが多かったように思う。

で、コンビニ弁当は、主に夜中に起きている受験生をターゲットに、キャンペーンをはり販売の促進を図ったりしていたのだな。「トオル君弁当」なんていうのをつくったりして、けっこう必死だったね。

バブル前夜。「ハウスマヌカン」という言葉は、シャケ弁の現実を覆い隠すような、バブルな感覚にあふれていた。そういえば、あの黒っぽい、いかにも「ワタシはオシャレなプロよ」という感じの服装は、いまの「グルメのプロよ」という感じのラーメン屋の黒っぽい制服に似ているなあ。

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2004/09/14

絶佳! 魚沼コシヒカリ風景

昨夜の呑みごと酔いごとも、まだ書くまもなくアレコレ忙しくしていると、メールが一本きた。故郷の六日町中学の同級生、久保田俊介さんからだ。写真が、たくさん添付。

な~にかな~、と、ひらいたら。おおおおおおおおおっ、故郷の盆地が一面、黄色い海。この時期にしか見られない、魚沼コシヒカリの実りの穂が、南魚沼の盆地を埋めつくしている景色。感激感激。

これは、みなさんにも、はやく見て欲しい。できたら、このタイミングを逃さず、行って見て欲しい。ということで、ほかのことはあとまわしにして、とりあえず、「ザ大衆食」のサイトに掲載した。ぜひ、ごらんください。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/muikamachi_kosihikari.htm

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2004/09/13

『汁かけめし快食學』オッ声 11

『汁かけめし快食學』の夏もそろそろおわり、もう話題になることもなく、さみしい秋風のなかに忘れられていくのか、もっと1人で100冊1000冊買ってもらってもおかしくないと思うのだが、ああ、はかない、むなしい、苦しい、クソしたい、飲みたい、人生なのだなあ、と思っていたら……
■うげっえええ、いま発売中の、「高尚」「高級」「高額」とにかく「高」がたくさんつきそうな雑誌、『ラピタ』10月号(小学館)の「屋根裏読書倶楽部」の「文庫をねらえ」は、『汁かけめし快食學』ではないか。この雑誌に、この選択。ななななな、なんと大胆な。いや、しかし、『汁かけめし快食學』というのは、ほんとうに真実「高尚」な本なのだな。うふふふふ、しかし、いやあ、東陽片岡さんの表紙が、いちだんと濃く感じますなあ。大竹さん、ありがとうありがとうありがとう。

■8月31日(火) サンデー毎日「文庫王の一冊」
まえに日記に書きましたね。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2004/08/post_24.html
岡崎武志さんによる、こりゃ、本より、こちらの評の方がおもしろいや、というかんじの。ありがとうありがとうありがとう。

■8月15日(日) 高知新聞
高知出身の編集者で、『ぶっかけめしの悦楽』の編集担当だった堀内さんに新聞を送っていただいた。ありがとう。


食慾の秋は、『汁かけめし快食學』で。

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それでも呑む

山谷「大林」→入谷「なってるハウス」→鶯谷「養老の滝」=二日酔い。最後の日本酒がきいた。そして今夜も呑む。
あとで、書くかも知れない、書かないかも知れない。

ナンダロウアヤシゲさんの日記に、昨夜のことも、さらにその前の前の夜のこともかいてあるわい。
http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/
なんじゃ、おれとハタナカさんのヨッパライ伝説が生まれつつあるのか。はあ、ほう、とにかくアタマが重い。

昨夜の「なってるハウス」は、渡辺勝さんがピアノをガンガンひいてガンガンうたうという感じで、つまりいままでは川下さんのサックスとのデュオだったのだが昨夜は、ちょっとイマ名前思い出せないがエレクトリックベースギターなのだな、で、これはまた渡辺さんのピアノとうたがすばらしいわけだ。曲の展開が、すぎさった暑かった夏への抒情というかんじで、その抒情がベタベタしてないってとこがイイね。

鶯谷の「養老の滝」で食べた、シメサバが、おもいのほかうまかったのを覚えている。音楽も食べ物も酔って鑑賞し、記憶が失われるほど飲み、それでも翌日に「うまい!」という印象が残ったものが、ほんとうにうまいのだ。ということにすると、いつも酔って鑑賞できるし、わかりやすくて、いいなあ。ああ、なにいっているのだろうか。

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2004/09/11

BOOKMANな人びと・荻原魚雷の巻

大阪から「10年に1人の逸材」というウワサのマエダさんがきているから、一緒に飲まないか、と古書現世のセドローくんことムカイさんに誘われた。古書現世に注文した本の受け取りもかねて、高田馬場で飲み会になった。そこに荻原魚雷さんもいて、入った飲み屋「紫蘇の実」で、おれと魚雷さんは向かい合って座った。

「BOOKMANな人びと」の前回はムカイさんだったが、アレも飲み会のときムカイさんがおれの前にいた翌日書いたのだな。ま、なんとなく書きやすいわけで、今回は魚雷さんなのだ。まず、その飲み会だが、なかなか豪華なメンバー、今後の出版界と本屋業界の没落ならびに日本の貧乏生活を担うにちがいない本好きの、若き逸材の顔ぶれだった。大阪から来られた「Bookish ブッキッシュ」編集委員のマエダさん、「sumus スムース」同人の荻原魚雷さん、それにムカイさんとオレで始まり。サメとウマの刺身を注文したな。もちろんほかにも頼んだが、サメの刺身はめずらしくかつうまかった、ウマもうまかった。

すぐに、立石書店のオカジマさんあらわれる、そして書肆アクセスのハタナカさんだ。で、閉店の11時という時間に、助教授あらためプチ教授、皓星社のサトウさんがあらわれた。もう「紫蘇の実」は閉店だから、しかしそれで締めることなく、近くの「さくら水産」へ移動。ああハタナカさん、あなたと初めて酒で潤ったのは、駿河台下の「さくら水産」だった。そして魚雷さん、あなたと初めて飲んだのは、茗荷谷の「さくら水産」でしたね。おれたちは同期の「さくら」水産かよ。 

話は、マエダさんの歓迎より、昨年の暮れ阿佐ヶ谷の「よるのひるね」で熱く語られた「愛のコリーダ2004年」の製作が、おれが書く予定の脚本すらできてない現状とあっては、あと今年も3か月しかないし、あきらめなくてはならないだろう。とマジメな議論から始まった。であるならば、「愛のコリーダ ボーイズラブ」でいこう、これならトシをこしてもかまわない、主役は、ムカイさんとマエダさん。と、ここでマエダさんの歓迎酒宴らしくなった。マエダさんは、トリの唐揚が好きな、大学院生、まだ23歳!

マエダさんは魚雷さんのように虚弱体質のフンイキはないが、おなじぐらい小柄な体格。うーむ、これはムカイさんとのカラミがよいかもしれない。それにいまボーイズラブ系では、なんといったかな、そのムカイさんのカラダ、柔道やってデブ、あ、いや、ちがった、ガッチリ筋肉質が人気なのだと、詳しい魚雷さんが言った。で、ボーイズラブ系の雑誌では、編集者が著者の作品をほめるときの言葉は、「うまいっ!」ではなくて、「卑猥ッ!」なんだそうだ。魚雷さんは、そういうことを知っている男である。

と、ここで、また話はそれるが、ムカイさんがセドリ用のカバンから『文学界』最新号を取り出した。そこには、オオッ、われらがBOOKMANの人びとでそのうちここに掲載されるであろう、「糺の森のソナタ」で一躍有名の、ホスト系コーガン柳瀬さんが登場している。その話は、略。その後の話も、略。

ああ、魚雷さんの話だ。1969年生まれ。万年風邪引き子ヤギのような感じ。

明るい白い生活が嫌いな自閉症ってわけじゃないらしいのだけど、なぜか、暗い赤や黒の生活や怪しい紫の生活へとハマってしまうひとがいますね、そのクチのようです。かれの場合は黒系なのか。いやいや赤色エレジーがみごと!

広い明るい白い原っぱに、ポツンと黒い暗い小さなカタマリが見えます。近づいてみると、小さなカタマリと見えたのは巨大な本棚です。迷路のような本棚です。トーナス=カボチャラダムス氏が主任研究員の退化人類研究所「カボチャドキヤ」のような本棚です。

ときどき、小柄な子ヤギのような男が、その間から出てきます。黒いシャツ着て、3、4時間ぐらいしか寝てないような顔で、あたりをキョロキョロみまわすと、とつぜん、その身体とヤワなおとなしそうな顔からは想像つかない声で、「赤色エレジー」を思い切り歌い、またスゴスゴあるいはヨタヨタ本棚のなかに消えます。ときどき本のあいだからは、「はあ」とか「ほう」とか、ためいきとも感嘆ともつかない声が聞こえてきます。ときどき「ぶりっ」と屁の音がします。ときどき庖丁をつかっている音やフライパンで炒めている音がします。「おめえ~ら~」というどなり声が聞こえたりします。でも、たいがいは、静かですなあ。本のページのあいだに入って、本を読んでいるのですよ。

そして、こんなアンバイの文章を発表します。ちょっとだけ紹介。

進歩は、人間からどんどん苦をとりのぞいてくれる。しかし、苦がなくなれば、楽になるかというと、それほど単純なものではない。

二十代の半ば頃、わたしは高円寺の風呂なしアパートで、一日中、部屋にひきこもって、古本を読み、中古レコードばかり聴いていた。

本やレコードが増えれば、すぐ部屋がせまくなってしまう。お金がなくてモノが買えないのではなく、モノを置く場所がなくて買えない。それで本を売ったり買ったりしていたのだけど、どうしてもそういう状況だと、買い控えの気分になる。すると、どんどん気持がしずんできて、仕事をする意欲がなくなる。

もっと広いところに住み、どんどんモノが買えるように努力しようか?しかしもし全世界の人々がみんなそういう努力をしたら、地球はどうなってしまうのか?

やりたいことをやるにせよ、やりたくないことをやるにせよ、その行為がプラスになるのか、マイナスになるのか?

(略)

昔はあるていどガマンしていれば、年功序列で給料もあがり、いずれは大きな仕事がまかされた。今はどうか?新入社員がはいってこない会社は、いつまでたっても下っ端扱いだ。そんなところで、ガマンだけ要求されるのは、理不尽としかいいようがない。「やりたいことがわからない」若者が増えているのは、世の中が若者を必要としていないからだともいえる。

自分のことを必要としていない世の中で、どうやって生きていけばいいのか?そうした苦境に立たされたとき、人は文学を必要とする。とはいえ、文学もまた「向上しながら滅びる」運命にあるのかもしれない。

……メルマガ「皓星社通信」2号
●つまり、そういうこと 「第1回 向上しながら滅びる」より……

ボクの前に本棚があり、ボクの後ろに本棚がある、ああ、自然よ父よ、あなたはなぜ沈黙なのか。沈みます沈みます沈みます。絶望とはちがうと思うが、いつも出口はない。袋小路をたのしんでいるようなフリーターあんどブンガクやオンガクをしながら、魚雷さんは「カボチャドキヤ」のような本棚に、赤色エレジーを歌いながら生息する。高円寺での引越しを繰り返しながら。魚雷さんにとっては、高円寺という街は本棚なのだな。高円寺の「黒色の詩人」

sumus(スムース)同人
『借家と古本』(スムース文庫)
『吉行淳之介エッセイ・コレクション』編者(ちくま文庫)
ほか、アチコチに書いているが、小説を待ち望む声が、台風のように発達しつつある。

はてなダイアリー 荻原魚雷
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B2%AE%B8%B6%B5%FB%CD%EB
Bookish ブッキッシュ
http://homepage1.nifty.com/vpress/bkbackno.html
sumus スムース
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/5180/

連載中の「皓星社通信」の申し込みは、株式会社 皓星社「皓星社通信」編集長・佐藤健太
info@libro-koseisha.co.jp      http://www.libro-koseisha.co.jp/

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2004/09/10

コンビニ激戦のあと

資料を探していたらオモシロイものが出てきた。1980年代の中ごろ、おれはフリーのプランナーで、某大手コンビニチェーン本部に出入して、主に関東地域の、ニギリメシや弁当や惣菜のマーケットを拡大するオシゴトをしている。そのときの企画書や資料だね。

忘れていたが、この時期にコンビニ各チューンは、ニギリメシや弁当や惣菜の市場をめぐって、市場獲得合戦で激しく争っている。もう激戦だったね。ついでにいえば、その前の時代は、まだ主力商品はパンや牛乳などで、スーパーの商品構成をコンビニのスペースにあわせて絞ってしまう、というようなやり方が主で、コンビニ独自のマーチャンダイズイングは弱かったけど、この時期から、ニギリメシや弁当や惣菜などを軸にガラッと変わっていくのだなあ。

で、ニギリメシも弁当も惣菜も、それまでと商品の構成や、製造流通の方法などがかわっている。つまり、納品している各メーカーが、それまでは既存の商品をコンビニ用に変えて(主に少量パックにつめるだけで)流通させていたのが、有望な将来性の高い市場との認識のもとに設備投資をし、本腰を入れた商品開発に乗り出した、ということなのだろうなあ。

たとえば、漬物のアイテムが減って、生野菜のサラダの、いまフツウになった、丸い透明のプラスチックの容器に入ったやつが増えている。あははははは、若い男が「ヘルシー」などといって、「女たちのように」そういうサラダをコンビニで買って食べるようになるのは、そのころだ。うーむ、カップケーキもふえているなあ。

が、なんといっても激戦は、ニギリメシだったね。まだ包装の方法が、いまのかたちに収斂していなくて、「おにぎり忍法帖」などという新しい包装の方法が、商品名になってウリだったぐらいだから。「おにぎり忍法帖」は、三角おにぎりの下部両隅をちぎってから、上部先端をちぎって、海苔と外部包装のあいだのフィルムをひきぬくという、当時としては画期的な方法だったが、やがて、いまのようにセンターを細い帯状にビリビリッと切り下げる方法になり姿を消した。

というふうに、昔の資料を見ていると、イロイロ忘れていたことを思い出してオモシロイけど、カンジンな探している資料がなかなか見つからない。やれやれ。

ところで、この時期、おれがよく行っていた大衆食堂というと、まさに昨日書いた、池袋の大戸屋や、東池袋四丁目のあたりの小さい食堂だったなあ。あの、ツケメンで有名になったラーメン屋も近くにあって、そのころから昼には行列ができる店だった。……と、書いて、おれが関わっていたコンビニの本部が、すぐわかるかたは、「業界通」ってことですね。

はあ、あれから、20年がすぎたか。

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2004/09/09

大戸屋そして焼き魚

日常のめしの評価は難しい。そもそも、「大衆食堂」と呼ぼうが「定食屋」と呼ぼうが、日常食を食べるところであることにはちがいないのだな。

で、そうなると、そこに、もう一つ、日常食を食べるところや方法として、弁当と家庭がある。だから、もう二つか。つまり、外食店のめし、「中食」といわれたりする弁当店(惣菜店)のめし、そして家庭での「自作」あるいは「手づくり」のめしだ。

生活スタイルによってと、朝飯か昼飯か夕飯かによって、選択の基準は異なるだろう。それをいっぱひとからげにして、外食店のめしだけを論じるわけにはいかない。

たとえば、うまいサンマ焼きをおかずにメシを食べたいと思ったら、おれは自分で焼いて食べる。そのかわり外食店では、別のものを食べるという「気づかい」をする。そういうふうに、一日の「食べ方」が決まっていく。外食店でないと食べられない「高級」な素材と「高度」な技術を使った料理を食べる食事とは、選択の方法がちがうし、トウゼン評価の方法もちがわなくてはならないだろう。

しかし、大戸屋の焼き魚定食は、「安くて、うまい」と、あまりにウルサイので、ときたま機会があると食べてみる。まず、いえることは、店によってバラツキが激しいということだね。それは魚の質の問題ではなく、焼き加減なのだが。ま、ようするに、大戸屋の料理はチェーンオペレーションのなかで成り立っているわけだけど、焼き魚がイチバン人的能力の影響を直接受けやすいということなのだろうなあ。マニュアルでの徹底が難しいのだ。

どのみち、日常食はどんなに安くてうまくても、そのために、ワザワザ金と時間をかけて訪ねて食べるようなものではありえない。サンマの時期になると、どうしても、あそこのサンマを、あの焼き加減で食べてみたい、と、思い出すのは、ちょっと高め料金の店(炭火で焼くところがある)や、「女の子が1人で入れないような」大衆食堂をあげることはできるが(もちろん、ちゃんと1人で入って食べている女の子だっている、それに、炭火とはいかないが練炭で焼いている大衆食堂は都内にもある)、その場合でも、テーブルの上に焼かれたサンマがのってみるまで、実際の出来不出来は、わからない。

だから、うまい焼き魚でめしを食べたいとなったら、自分で魚を買ってきて焼くのが、まず間違いない。ということになる。焼き魚だけは、外食店には、あまり頼れない。だから、おれは、大戸屋の焼き魚定食ぐらいを「安くて、うまい」とよろこんでことさら言い立てる、しかも自ら魚好きを誇示しながらよろこんでいる、そういう食文化には疑問を感じるのだ。ようするに、それでレベルが高いだのなんだのの話ではなく、フツーのうまさであればよいのだ。

ついでにいえば、「ザ大衆食」のサイトで大戸屋を取り上げないのは、酒のことでも書いたと思うが「八海山」のように、有名になったところを取り上げる必要はないのとおなじ理由からだ。有名店や有名銘柄をほめちぎりながら、自分を誇示することは、虎の威を借りるようなものではないか。

世間の評価さだまらない生業店、イカガワシイ店や個性的なモノなどを、自分なりに楽しむことが、このサイトのとりえなのだ。「ザ大衆食」のトップには、こうあるね。「サイトの編集方針「スロー、スモール、ローカル、よしっ!」「自由闊達、痛快無比、平凡日常再発見」「つくる地獄に見る地獄」」あははははは、そういうこと。

大戸屋は、かなり前1996年に、日刊ゲンダイで大衆食堂を特集したときに編集協力したのだが、そのときに取り上げている。ときと場合によるのだ。だいたい80年代後半、90年前後だったかな? おれは池袋に事務所があって仕事をしていた時代に、池袋の大戸屋にはお世話になりましたわ。ふりかけのボトルキープなんかでな。その大戸屋が最近、上場で話題になったからといって、ハヤリものに飛びつくように話題にすることはないのさ。チェーンオペレーションのプラスマイナスを抱えながら、大戸屋は大戸屋でやっていくことだろう。

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2004/09/07

豚汁を

先日、味噌汁をつくろうと思ったら、ダシにするものがない。いつもは、雑節の混合削り節である。それがない。カツオ節のヘロヘロ削り節小袋詰めも、煮干も、ダシにできそうな野菜も、あらゆる種類のダシの素も、とにかくダシに使えそうなものが何もないのだ。そんなことは、これまでなかった、一大事である。ウンコしたいのに紙がないようなものだ。ちがうか?

で、小さな冷蔵庫のなかをかきまわした。そこに豚バラの薄切り数片を発見! ヨシッこれで味噌汁つくってやろう。水は、いつもより少なめにはって、豚バラを細かくきざんで煮る。テキトウなところで、豆腐を入れる、汁が多目の豆腐の煮物という感じのバランスで、イメージどおりだ。味噌のほかに、醤油をちょっとだけ入れる。最後にネギをタップリ小口きりにして、ドサッといれて出来上がり。食べたら、これが、うまいんだなあ。うーむ、しかし、これは豚汁というのだろうか、豆腐汁というのだろうか。

豚汁は、関西では「ぶた汁」で関東では「とん汁」だという話があるが、そんなことはどうでもよい言葉の問題だ、それでできるものが違うのかどうかだが。で、ようするに豚肉が入っているだけで、豚汁になってしまうんだよな。豚肉のほうが少なくても。

ということなどをアレコレ考えていたら、とにかく、味噌汁の名前というのオカシイのだ。たぶん、家庭内でつくられているうちは、とくに呼び名のない味噌汁、おおざっぱに菜っ葉汁とか、なんとかテキトウだったのだろう。それが飲食店で出したり、料理の本にのせるとなると、もっともらしい名前をつけることになる。料理としては家庭でつくられていたのに、名前は飲食店の記録や料理本で、はじめて登場することになる。すると、後世、どこどこの店が元祖だの、何年の料理の本からはじまっただのということになる。そういう「歴史」がたくさんあるのだろうなあ。

と思いつつ、「ザ大衆食」のサイト、「新潟日報連載」に「豚汁」を掲載したのであります。ご覧ください。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/nipporensai.htm
なお、「新潟日報連載」の掲載は、あと数回でおわるが、続いてサイト独自に、「望郷食考」的なものを書いていく、つもり。

それから、ヒソカニ、こんな準備も始めているのだ。「東京めし快食學」? あははははは。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/hon/hyouronka_meshi.htm
そうである、あの「幻の奇書」といわれる『大衆食堂の研究』のテキスト化の作業が、ほぼおわりそうなので、それを、ここにこういう感じで掲載していこうかな、ということなのだね。エンテツの「気どるな力強くめしをくえ!」の「快食學シリーズ」だ。

いずれも、タダ、出血大サービス、もったいないなあ。って、ほどじゃないか。でも、こんなに日記も含めて書いて掲載しても読めないだろうなあ。やっぱり、やめるか。

ヒソカニ進んでいるとはいえ、そのうちの話だから、いつになるかオタノシミ。

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2004/09/06

戦前の納豆ライスカレー

やややのや、「納豆ライスカレー」というのは、戦前の本に登場するのだ。これは、町田忍さんの『納豆大全』にのっているのだろうか? 読んだことがないので知らないが。

『最新 納豆製造法(第二版)』だ。タイトルが右から左へ。昭和12年発行、二版の本書は、17年発行。発行元は東京市神田区錦町の明文堂。定価、80銭。本文98ページ。著者、村松舜祐、成瀬金太郎。

第九章が「納豆の食用」。「第一節 納豆の食用季節」だね。そういやおれがガキのころは、夏にはフツーの納豆は食べられなかったな。「夏納豆」というのがあって、糸をひかないやつ。

で、「第二節 納豆の食用法」だ。最初の「即席納豆」は、「納豆を適当な器物に移し、醤油を適宜に加え強く攪拌後温い飯に添えて食用する」だ。以下、卵納豆、納豆味噌漬け和え、納豆の卸し和え、納豆アミかけ、納豆紫蘇かけ、トロロ納豆、納豆及び葱の七味和え、納豆汁、とあって、つぎが、「納豆ライスカレー」だ。「納豆を油(バター又はラード)及び玉葱と共にフライ鍋に入れていため、カレー粉を水又は牛乳で適当の濃さに溶きて加え、ライスカレーとして食用する」

ふーむ、これは、納豆を肉の代わりに利用する思想か。ふーむ、となると、「納豆ライスカレー」という名称が、戦前からあったというだけではなく、納豆を肉の代わりにする、動物タンパクのかわりに植物タンパクを利用する、豆腐ハンバーグに通じる思想があった、ということになるのだろうか? ややややのや、オモシロイ。

納豆ライスカレーのあとは、納豆オムレツ、なんと!これは最近どこかの大衆酒場で食べたし、自分でもつくったやつではないか。それから納豆サンドウィッチ、千納豆、納豆嘗味噌、である。

ところで、納豆ライスカレー、実際には家庭では食べられているのだろうか?
「納豆カレー」で検索すると、いろいろヒットしますなあ。
あなたの場合は、どうでしょうか。

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2004/09/05

カレーライスの「本家」と「起源」の諸問題

インドを「本家」とするカレーライス「伝来説」の歴史は見直されるべきだと、『汁かけめし快食學』では主張した。

そもそも、歴史を考えるのに、「本家」だの「祖先」だのという言葉で、発想することがオカシイ。そこには、あきらかに、系図をさかのぼりそして下るような歴史が、あらかじめイメージされているし、しかもその系図たるや「洋食」の「本家」は西洋にあるという、西洋との関係でしか日本文化を考えない悪しき習慣が反映している。

系図をさかのぼりそして下るような歴史ではなく、水が熱を得て沸騰するようなイメージで発生と広がりをとらえるなら、「本家」とか「先祖」とかではなく「起源」という言葉で料理の歴史をシッカリとらえることができるはずだ。

というわけで、いま「ニッポンのめし」と「エスニック料理」と「料理の起源」の関係を考えてみるとオモシロシ。なので、「中尾佐助と『料理の起源』」をザ大衆食のサイトに掲載した。『汁かけめし快食學』の背骨に位置する本のなかの一冊である。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/hon/nakao_ryourinokigen.htm

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2004/09/04

下品を装いながらの哲学

8月31日の日記「今日発売の『サンデー毎日』」に書いた、『サンデー毎日』9月12日号で『汁かけめし快食學』を紹介した岡崎武志さんの「文庫王の一冊」は、大好評だ。「さすが文庫王といわれるひとだね」という声も聞く。岡崎さんの株は上がる、おれの株は、一緒に上がるのか? はて。

その「文庫王の一冊」の見出しは「下品を装いながらの哲学」だが、おれを知る人は、「下品を装っているんじゃなくて、おまえは本当に下品なやつだ」という。そして「でも」と続ける。「でも、下品なやつでも、哲学はする、ということだよな」 

ふん。上品ぶっているやつが多いから、わざと下品ぶっているのさ。下品を装うのも楽じゃない技術がいる。とくにな、わざと下品な文章を書くのには、たいへんな技術がいるのだぜ。が、しかし、長いあいだ下品ぶっていたら、どうも下品な人間のほうがラクチンチンのような気がしてきた。うふふふふふ、もう、下品ぶるのをやめられない。このまま下品でいこうかな、と思っている。

とにかく、まだ岡崎さんの「文庫王の一冊」をごらんになってない方は、ぜひ、ごらんください。サンデー毎日は、もう次の号が発売になってしまう。どうしても見たいが手に入らないかたは、おれまで連絡ください。

■9月5日浪曲 玉川美穂子 浅草木馬亭 午前11時から勉強会(独演会)、午後1時から定席前座
http://tamamiho55.seesaa.net/
■9月10日から 言水制作室展示会
http://www.kotomizpress.jp/exhibitionatkotomizpress.html
■9月12日ライブ 渡辺勝 入谷なってるハウス 午後8時から
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/5469/

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2004/09/03

「食事評論」は難しい、か?

昨日のつづき。「そもそもフツーの飲食をテーマにするのは、とても難しい」について。それは、特別に強いものや特別の他人の不幸などがないと感動できない日常があるように、「特別なもの」「奇なるもの」に感動を頼る日常があるからだともいえるが、ほかにもワケがあって、こう書いている。

そのワケの1つは日本の食文化の特殊性にも起因する。素材や産地などモノのイワレや調理のウンチクなど、つくる側の情報を「賞味」することに眼目があり、自ら飲食を楽しむセンスの向上は眼中になかった。

からである。これはガイド文にからんでのことだが、評論のばあいは、もっと関係するだろう。

食事は日々のことだから、誰でも、その評論は、やれるはずなのだ。あるいは、ナントナク、やっているはずだろう。にもかかわらず、イザとなるとなかなかうまくできないのは、ワレワレが生きている日本の文化が、フツーの食事を楽しむことに未成熟、積極的ではなかったからだと言いたいのだな。

同時代史的にみれば、そういう未成熟状態であったのに、トツゼン70年代後半に「食文化ブーム」が、80年代に「グルメブーム」90年代「B級グルメブーム」へ、ということになる。これは、直接的には工業社会の成長による環境変化、加工食品産業や外食産業の成長がもたらしたものだが、そのように食文化的には未成熟であったから、「何軒たべあるいた」という実績を誇り、ミシュランガイドを真似て「うまいまずいの評価採点」をすることが、それで山本益博さんが「料理評論家」をなのって成功したこともあって、あたかも「評論」という作業の第一義であるかのようになったのだと考えられる。

「何軒たべあるいた」「うまいまずいの評価採点」が評論の第一義になった、これを仮に、その成功者にちなんで「山本方式」というなら、それは食文化の未成熟段階での現象であり、1人の価値基準に大勢が従うという、自由な個人の価値観にもとづいた楽しみとはおよそかけ離れたものであったが、歴史的に仕方のなかったことだったといえるだろう。

しかし、もはや山本方式は、過去のものになりつつある。山本さん自身、かわっている。ここ30年ぐらいのあいだに、それなりに食文化は成長し、ワレワレは食事を楽しむ文化を、それなりに体得しつつあるのではないか。「評論」に対して、従順であるだけではない。

ところが、かつての山本方式が、まだ通用するし、またその方式での成功を夢見る人たちがいる。食事を楽しむことに、自分らしさ、アイデンティティなど関心がない人たちは、まだ少なくない。おれは世代論には組しないが、「個人としてのアイデンティティがないことに、危機感がない団塊の世代の男性」といわれたりする人たちが、まだ量的影響力を保っているしね。

というぐらいで、今日は、オシマイ。一つ、かんじんなことは、自分が「うまい」あるいは「まずい」と思ったら、なぜそう思ったかを考えることが、欠かせないように思う。そのことで、「うまい、まずい」をこえるのである。そもそも、自己を問わない「評論」など、およそナンセンスだと思うのだが。

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2004/09/02

「食事評論」は難しい?

[書評]のメルマガ 2004.8.20 発行 vol.176 にも書いた。
http://www.aguni.com/hon/review/index.html 

「飲食店ガイド」の類は重要だ。これで食文化の程度や傾向がわかる。とりわけバブル崩壊後は、B級グルメだのワンコイングルメといった、フツーの飲食のそれである。しかし雑誌記事も含め点数は多いが、その内容たるや、食文化的な水準から見たらペンペン草の荒野。

ファッション系なら、ガキのころからオシャレし、たくさんの店に出入りしても、それぐらいじゃライターになれない。ところが飲食系は、たくさん食べ歩いたぐらいの「実績」で、書くチャンスがある。なのにだから、飲食店ガイドも満足に書けない。書けないついでに「ガイド文ライター」をバカにし、「評論家」だ「エッセイスト」だとナニサマを気どる。「カリスマ」にバケもする。

そもそもフツーの飲食をテーマにするのは、とても難しい。……

などと書いたのだが。2003年8月1日に、「食事評論」について、このように書いているひとがいる。
http://www.age.jp/~fir/2003_B/2003_B004.htm

ここまで難しさを理解されたのなら、もっと書かれたほうがよいし、書いたものを読みたいと思うのだが、世の中うまくいかないもので、脳天気に「評論家」を気どったものばかりがのさばる。だいたい、自分から「評論家」を名のるやつに、食に関してだけのことだが、あまりまっとうなものがない。ときには、あるが。

でも、よかった、「私の食べ歩き日記」は続いている。この方のサイトのトップはこちら。なかなか一味あっていい。
http://www.age.jp/~fir/fir.htm

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2004/09/01

「スタミナ料理」はオモシロイ

■スーパーやコンビニのパン売り場に立つと、憂鬱になる。日本も人生も、真っ暗である。なぜなら、ちっともうまくないヤマザキのパンが、圧倒的に売り場を「独占」しているからだ。

■「信濃路の〔スタミナ奴〕そしてスタミナ料理はオモシロイ」をザ大衆食のサイトに掲載した。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/sutaminayakko.htm

日本の「スタミナ現象」はオモシロイ、と、前から思っていたが、オモシロイ。その背後には、巨大な「強迫観念」が横たわっているような気がする。非文明的な社会や人間ほど「強迫観念」に支配されやすい、ということであるならば、「スタミナ現象」は、科学技術的には文明国のように見えるが、文化的心理的には未熟な日本の実体のあらわれである、と、みることもできるのだなあ。それは、また、「栄養ブーム」や「ラーメン・グルメ」の背後にあるものと同質なのではないかと、思われるのだが。ま、とにかく、〔スタミナ奴〕は、自分でも簡単につくれるものだから、お試しあれ。いいですぜ。

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