食べればしみじみ故郷
ザ大衆食「新潟日報連載」に最終回を掲載した。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/nipporensai.htm
02年1月7日から03年2月10日まで故郷の、朝日読売クソクラエの実力紙「新潟日報」に、毎週月曜日の夕刊、「食べればしみじみ故郷」という通しタイトルで書いたコラム、全部で47回。一年で終わる予定が、好評につき、年度いれかえの企画の時期までズレ込んだ。
週一の連載は、これが初めて、そしてたぶん最後だろう。字数は千字だが、けっこう大変だったから、週刊誌などに連載を何本も持っているひとはよくやっているなあ、売れっ子になんかなりたくないね、と、売れっ子になる心配などないのに、思った。ま、それでも、無事一回も落とすことなく終わった。
「食べればしみじみ故郷」という通しタイトルは、新潟日報の担当記者からメールがあって、「何かのテーマで一年間書いて欲しい」ということで、「簡単な連載企画を出してください」といわれ、思いついたのが「望郷食」という言葉だった。なに、たまたま、旅行のパンフレットを見ていたら、「望郷の湯」とかいうのがあって、ヒラメイタだけだ。でも、「望郷食」という言葉は気に入っている。
連載に入る前に、ザ大衆食のサイトで「望郷食のアンケート」をした。計数的にまとめるようなアンケートではなく、ヒントをいただこうという虫のよいことだったが、短期間に20名ぐらいの方から回答をいただいた。じつにイロイロな望郷の食がある。なかでも40歳前後の方から、「これを食べると、あるいは見ると、故郷を思い出すという食べ物や料理」を答えてもらう質問に、「おばあちゃんがつくってくれたインスタントラーメン」という回答があって、目からウロコだった。大変に助かった。
自分には懐古の趣味はないし、ベタベタした懐古にしたくなかった。そもそも「望郷」は必ずしも懐古につながらない。故郷は古いものではなく、いまもあるのだ。そこに生きている人びとがいる。
故郷とは、よくもわるくも故郷で、そこにつながる食がある。それはたとえば、異文化と接するときに、まず食を通して接することがあるように、異郷の地にいながら異郷となってしまった故郷を望むとき、貴重な手がかりであるように思う。とくにおれの場合、実家が倒産して故郷の家がなくなったうえ、自分も転々とするうち、故郷とのつながり示すモノ、写真など一切なくしてしまった。そうなると、もはや食しかない。
というわけで、まだまだネタは残っているので、サイトに書いて行きたいと思う。できたら、もう一度アンケートしてみたい気もある。
あなたの「望郷食は?」
ああ、しかし、いま、「フリーライター」という肩書の仕事をはじめてから、約10年たとうとしているが、いちばんの難物の原稿をかかえている。いやはや。こうして難問を克服し、おれは成長していくのか。って、61歳の爺のセリフじゃねえか。まあいいや。
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