「魚食の伝統」ってなんなのさ
このあいだの飲み会で、「山の手」新宿区育ちのセドローくんと「下町」葛飾区育ちのイチローくんの話にはナルホドと思った。二人は30歳前後である。
子供の頃、イチローくんは親に連れられていく飲食店というと近所の寿司屋だった。ファミレスやファーストフードは行ったことがない。ところが、セドローくんの場合は逆で、ファミレスやファーストフードしか行ったことがない。
日本人は「魚」ということになっているが、実態は、地域によって、かなりバラツキがある。全国一律に日常的に生魚つまり刺身や生魚の焼き魚が食べられるようになるのは、1970年代以後のことで、それ以後でも、なおこのような違いがある。
東京の魚食の伝統は、海に近い下町地方に圧倒的に色濃く残っている。古い大衆食堂にそれを感じるが、魚屋のたたずまいにも、それを感じる。
http://entetsutana.gozaru.jp/syatana/sakanaya.htm
それから、俺は高校卒業して上京するまで、にぎり寿司を食べた記憶が、うっすらとはあるが、確たるほどではない。刺身でも、ほんのときどきメデタイときに魚屋につくってもらうのであって、家でつくるなんてことはなかった。フツウは塩干物の魚が主力だった。なかでも棒ダラは、いつでも家にあった一つだ。ほんと、棒ダラはよく食わされた。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/nipporensai.htm
「魚食の伝統」は、単純ではない。日本人は四方を海に囲まれ自然の恵みを受け、昔からオイシイ魚食をしてきたけど最近は「洋風化」のおかげで魚食が減った、と嘆くのは、チトおかしい。日常レベルで見れば、生魚の全国的な浸透は、魚食の減少がいわれる近年30年ぐらいのことだし、そもそも魚は「洋風」素材にもなるのだし。なんでも「洋風化」の責任にしていたのでは、問題の所在すらはっきりしない。それで近代以前の生活をすれば「日本の乱れ」があらたまるようなことをいって、魚を食べなくなった日本人を呪ってもしょうがないね。
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