« 大衆も大衆食も、エライ!の「ミート・トーフ」 | トップページ | 松本清張と大衆食堂 »

2004/11/25

フルクサスは素晴らしい! そして83歳婆にキス

うらわ美術館で開催中の「フルクサス展」を見てきた。ひさしぶりのワクワク興奮で会場を出たあとも街を歩きながら踊りたくなるほど。開催中に何度も行きたいと思う。

コンニチ、昭和レトロだの60年代だの70年代だのというが、じつに一面的で定型的であるように思う。ま、いってしまえば、すべてはNHKの番組に登場するような気どった安っぽい言葉で「平和的」に語られる。

60年代70年代のフルクサスの活動が破壊的波動的にもたらした興奮を、忘れているか見落としているか、あるいはあえて知らん顔している、といえないだろうか。

フルクサスの精神からすれば、ガイドブック片手に散歩したり大衆酒場や立ち飲みへ行くなんてのは、管理された、じつに陳腐な行為であるはずだし。もっと街を、飲食という場や行為を、自分の感性で自由に楽しむ精神こそ必要であり、そこは生活するワタシのパフォーマンスの場所であるはずなのだ。そして、ワタシのパフォーマンスによって、さらにワタシの精神は自由になるし、街や飲食つまり生活は素晴らしいものとして存在する。ようするに「ライブ」なのだなあ。料理はライブなのだよ。ま、演奏や工作みたいなもんだしな。

60年代70年代は、そういう精神が躍動していた。そもそもね、大衆食堂や大衆酒場や立ち飲みなど、大衆的な空間に入るのに、ガイドブックを必要とするやつなんかいなかったのだ。

それはともかく、でありまして、このフルクサス展、
タイトルは「芸術から日常へ Art into Life」である。
いいタイトルだ。

NHKのように「芸術」をひな壇に飾り、上のヨイものとして気どって眺め、生活に「格差」をつけることがオカシイ。食や料理が文学であり芸術であるなんて、シャラクセエ、生活なんだよ。「蕎麦と酒」だの「隠れ家」だの「立ち飲み」で、オトナだなんて、幼稚なアホじゃないの。と、自らの自立した感性と精神で街や飲食を楽しんでいるうちに、これが「アート」になってしまうんだなあ。そうなのだよ。

ガキのころアレコレつくったり、こわしたり、箱や引き出しに何かをためこんだり、街で大声出したりいたずらしたり、知らないところへ入ってコワイ思いしたり……そういうことをオトナになっても、オトナらしく続けると、フルクサスになる。

うらわ美術館でフルクサス展を見て、オトナになろう!

アヤシゲ妻の内澤旬子さんがよろこびそうなモノがたくさんあった。卓球もできるよ。展示もオモシロイが、パフォーマンスのフイルムやビデオがあって、これがもうメチャ楽しいわけだよ。でも、これを全部見ると一時間以上かかるので、時間がなくなって全部みれなかった。時間にタップリ余裕を持って行きましょう。

で、ワタシは、酒場で、フルクサス精神を発揮して、このようなパフォーマンスをしたのである。撮影はアルコールアーチストの駄目人間。どうです、これが、アートというものでしょう。アートと醜態は紙一重。
osen.jpg
うへ~、83歳婆に祝誕生日のキスのプレゼントって、最高~。(若いオンナが相手ではパフォーマンスになりません。ワイセツやセクハラで訴えられるか、カネをむしられるだけです。念のため)

ああ、それにしれも、コーフン。フルクサス展へ、また行くぞ~

うらわ美術館のサイトはこちら。
http://www.uam.urawa.saitama.jp/

| |

« 大衆も大衆食も、エライ!の「ミート・トーフ」 | トップページ | 松本清張と大衆食堂 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: フルクサスは素晴らしい! そして83歳婆にキス:

» デューラーの兎とボイスの兎 [Wein, Weib und Gesang]
{/note/} 2004 08/11 編集 ヨゼフ・ボイスの兎を上手く使ったのが映画監督シュリンゲンシッフの「ヴァーグナー・パルシファル」の新演出だ。ボイス... [続きを読む]

受信: 2004/12/03 15:28

« 大衆も大衆食も、エライ!の「ミート・トーフ」 | トップページ | 松本清張と大衆食堂 »