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2004/12/30

酔ったあとはさえる

有名な話だが、ハインリッヒ・シュリーマンさんはホメロスのギリシャ神話の話を手がかりに、トロイの遺跡を発見した。ほかにも書物に残っていたアトランティス大陸文明の記述から、それを求めて、その発見にネツをあげた人はたくさんいるし、まだたくさんの人がネツを上げている。

書物をもとに、書物の外に真実がある、という考えがなければ、こういう行動はナカナカおきないのではないだろうか。

日本人の場合は、どちらかというと、書物のなかに真実があると思い込む、というか書物に書いてあることそのままが真実である、と覚えこまされた歴史が長いような気がする。書物を手がかりに書物の外に真実を求めたり真実を確認したりすることに、情熱がうすいというか、情熱がわかない。圧倒的に「書物崇拝派」であり、書物に対する信頼がイジョーに高く、書物の権威がイジョーに高いし、書物に書いてあることを知る人間の権威がイジョーに高い。つまり体験などより、書物から得た知識がイジョーにものをいうのだ。

日本料理の歴史を調べていくと、そういう印象が残る。

日本料理をさかのぼると「有職故実」なるものが、すぐに登場する。伝統主義日本料理は「有職故実料理」だといっても差し支えないほどである。この「有職故実」なるものが学問の中心にすわる制度が、書物のなかに真実があるという考えを固定化させた元凶といえそうだ。

記憶で書くが。そういう書物イジョー偏重が制度して確立するのは、日本料理から見ると、藤原時代だろう。あるいは、藤原一族は、その書物イジョー偏重を制度化することによって、権力と権威をにぎった。

たしか、四位の上か下か以上でなければ、貴族でも高級官僚にはなれない制度ができる。その四位の上か下かに就けるかどうかは、こんにちの文部省のもとになった、ああ、名前を忘れてしまったぜ、ナントカという学問所のようなものを終了しなくてはならない、ところがそこに入れるのは藤原一門。というようなシステムができる。これがつまり、こんにちまで続く文部省の始まりで、高級官僚制度と連動する東大を頂点とする大学学問制度の始まりなのだ。とにかく古今の書物を読み有職故実を覚えることだった。それはイジョーなほど、書物偏重だった。

伝統主義日本料理をさかのぼると、「日本料理の祖」とされる藤原山陰という人物が登場する。平安時代初期、800年代中ごろの人だ。この人物が、なぜ「祖」といわれるようになったかは、四条流の「庖丁式」に関わる伝説にあるが、それは「史実」ではなく伝説であり、歴史的には、なんらかの料理に関する有職故実の成立に深く関わった人物なのではないかと推測するのが妥当だろう。

とにかく食や料理の世界でも、なぜか本を一冊書くと「先生」と呼ばれ、本を出すことにあこがれ、本を一冊書いたぐらいで別格の人種になったような錯覚を、本人も周りも持って、どこそこにはこう書いてあるぞ「どうじゃ、おまえは知っているか」というような話が、まかり通るのには、そのような背景がある。

書物偏重、活字偏重、文章丸暗記。体験を大事にせずに、まるで体験を否定するように、体験からの知識より書物からの知識が偏重される事態や、書物の外に真実を求める情熱の欠如は、文部省の古い歴史が関係するようだ。

いまだ日本は、教育を「文部」が独裁している。教育の現場は、東大を頂点とする大学学問の下請け機関にすぎない。これが教育がゆがんだ根本だろう。防衛庁を防衛省にするより、文部省を解体して教育省か文化省じゃないの。

書物は、なんらかの真実に近づく手がかりにすぎない。

そういうことを考えたことがある。ということを思い出したので、忘れないうちにメモしておく。酔ったあとはアタマがさえて、記憶の底にねころがっていた、こういうことを思い出すのだ。記憶で書いているので、間違いがあるかも知れない。読んでもらうためではなく、自分用のメモである。食や料理から、いろいろなことがみえる。


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2004/12/29

3キロ太る! 書き足した

今日は、中休みである。一滴も飲まないと決意している。が、自信はない。いや、たぶん、飲むだろう。いや、必ず、飲むだろう。

食べ飲み続け。体重を量ったら、ナント、平均時より3キロも太っている! といっても、まだオンナが惚れる均整のとれた、身長172センチに68キロという肉体だけど。でも、デブに惚れる女もいるからなあ……うふふふ。

65キロをこえたことがなかったのに。ほんとうは、ここでチョイト運動をして締めると、いい身体になる……。明日から山へ行くのだが、山に登るわけじゃない、山の中で飲み食いするだけ。でも山だから、ちょっとでも歩くと、坂道ではある。それに飲み食い寝る部屋以外は、外気のままだ。その場合、はたして体重は、どうなる? しかし、山は雪だぜ。

では、みなさん、がんばって飲み食いしてください。地球上のみんなが、ふつうに飲み食いできるようになること、それが平和というものでしょう。まず自分が飲み食いし、その楽しさを味わい広めよう。というのが大衆食の理念でありましょうか。といいつつ、なにがあろうと、食べかつ飲むのであります。

戦争からは平和は生まれない。ほら、あのバカタレブッシュのもとで国務長官をやった男も、飢餓の撲滅がテロとの戦い、とかいってバカタレブッシュに最後っ屁をかけたじゃないですか。ミサイル核弾頭ばらまいて殺し苦しめ憎しみを拡大するより、うまい食べ物と酒をばらまいて生かし一緒に楽しんだ方がよいに決まっているじゃないですか。でも、至富を求めるものと、ゆがんだ腹黒いものたちは、その考えにしたがわない。

そして、至富を求めるものとゆがんだ腹黒いものたちは、地球上からいなくならないどころか、かれらは強引でズウズウシイものだから、けっこう力をつけるのがうまいのであるな。それににひきかえ平和を願い、ピーヒャラピーヒャラ毒にも薬にもならないブログ日記を書き続けるていどの小さな幸福にあまんじている市民は、たくさんいても力にならない。

ブッシュも小泉も安泰だし、国営放送NHKは国の税金の使い方をチェックする意志もなければ責任感もない。看板番組の幹部職員が不正するのはトウゼンといえば当然。その責任意識欠如の組織を育ててきた無責任指導者ドンの会長も、紅白さえ無事にすめば首はつながるさとタカをくくり居座り続ける。誰もやめさせられないよ。NHKの職員も紅白によろこんで出るタレントも、それをよろこんで見る人たちも、お互いのことはワザと無顧慮だろう。史上最大の軽薄なショー、NHK。

財閥の老舗、三井三菱ごりっぱでござる、そのようにして天下を牛耳ってきたのか。まあ正直にやっていたのじゃ大物になれないからなあ。デカイ家に住んでいるやつは、みんなワルさ。組織ぐるみの税金ネコババ警察庁は誰もつかまらないし。退廃日本バンザーイで、紅白バカ騒ぎおわりゃ今年のことは水に流して、ゆくとしくるとし、毎年おなじことだ。いや、ますます、NHKドン仲間の天下だ。「あなたとともに NHK」の「あなた」とは、ブッシュや小泉や三井や三菱や警察庁や、まあ、ようするにエリート集団のことなのだ。

今年の最後ぐらいは、アチコチで、こういう悪態をつきたいものだ。それとも平気なのだろうか。増税高負担の来年がまっている。コリコウそうな顔ばかりしてないで、ガツンとめしくって、ガツンと言うときはいって、ガツンとやらなくちゃなあ。

ガツンガツンガツン、うげ~、しかし、はやく年末年始が終わってくれないと、身体がもたない。

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2004/12/25

営業、最終日

本日で、今年の営業はオワリ。最終日なので、なにかと片づけで忙しい。

こんなにはやい営業終了は、ひとえにシゴトがないのが、原因である。開店してムダな経費をつかうより戸締りして引きこもって寝て過ごした方が節約になる、インターネットやってもシゴトにならないムダばかり、という、じつに後ろ向き断末魔な状況であるね。滅びゆく大衆食堂にアイを捧げるサイトにふさわしい現実か。

いちおう、新年は、1月3日に営業開始の予定である。が、来年のシゴトは、まったくナイ。あるのは飲み会の予定だけ。そういや、今年の営業が今日でオワリというのは、明日から飲み会がナイからだ。今日でオワリといっていたのだから、ナイのはアタリマエ。

このあいだから気になっていることがある。名刺入れの中に一枚、名前を見ても思い出せない人がいるのだ。飲み会の参加者なら、そういうことはない。記憶を失ってから名刺交換の場合でも、あとでほかの参加者に、この名刺の名前のひとだれ? とか聞けば、わかる。

だけど、この人は、誰に聞いても知らない人なのだ。となると、どこかの飲み会の帰りに、1人で立ち寄った飲み屋で会った人、という可能性が高い。となると、そもそも、どこの飲み屋に立ち寄ったか記憶がないのだから、見当がつかない。

そのようにして、今年も暮れていくのだ。今年も古い友人が1人死にやがった。たしかにイイやつから死んでゆく。京都や神戸の大衆食堂を年内にザ大衆食のサイトに掲載しようと思ったが、たぶん、できない。ほかにも、掲載したい記事や写真もある。

昨年は、年末蔵出し写真展とかやったが、そうか、昨年は汁かけめしの本の原稿を年末どんぎわまで書いていて、そういうときというのは、忙しくても明日への希望があるから、できるのだな。今年の年末における来年の展望は絶望しかないから、やる気がおきない。

やる気のないときは酒を飲むにかぎる。やる気のあるときだって酒を飲むにかぎるが。思い出したら、この日記を書くことがあるかもしれない。酔えば、わからない。ああ、もう酔ってらあ。片づけしながら飲んでいるのさ。

ま、ご愛顧ありがとうございました。くだらない世の中ですが、それでも新年はきやがるから、どうせ来る新年ならば、気持ちよく迎えてやりましょうか。

しかし、来年は、たのしみのことが、いくつかあるのです。なんだか、おもしろくなるような予感がする。

そうそう、『酒とつまみ』は、いちおう年内に発行のようだね。
http://www.saketsuma.com/index.html

今年、印象に残った料理。いま、パッと思いつくもの。
1、小諸の揚羽屋の「アユのせごし」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/agehaya0407.htm

2、夏、よしばあっこ宅でやった、鈴木嬢の「冷や汁」を食べる会の「冷や汁」。宮崎市出身の鈴木嬢の冷や汁は、うまかった。さすが。写真は撮ってある、作り方を彼女が書いて送ってくれることになっていて、それが届いたらザ大衆食のサイトに掲載しようと思っていたのだが、彼女は日本にいるのかいないのか超繁忙で、いまだ届かず、会える予定だった年末忘年会でも彼女は時間がなくなり。もう、シゴト女。でも、新年会の「呉汁会」では、なにしろ呉汁は彼女が作るのだから、会えるハズだ。期待しよう。

3、おれ自作のものは、たくさんある。ハズ。たくさんあって、思い出せない。

では~

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2004/12/24

料理はココロ?

12月27日発行の「ちくま」1月号に、ちくま文庫から12月新刊の『禅寺の精進料理の十二ヶ月』(藤井宗哲著)の紹介書評を書いている。

こういう本の紹介は、ムズカシイね。なにがムズカシイかというと、料理の話以外の、料理とは関係ない、「人生論」に属するような記述が、けっこうあるから。その「人生論」がまた、文学的観念的であったりするとね、もう困ってしまうわけですよ。

食や料理について書く人には、食や料理をネタにブンガクしたい人とか、ブンガクしているつもりになっている人とか、けっこういるし。また、そういう「毒にも薬にもならない」著書が無難で売れて、本質や現実に関わることは、敬遠されるという傾向もある。

ま、イマの日本人の平均的な傾向が、食や料理のオシャベリにあらわれているというか。本質や現実とむきあおうとしない日本人が少なくない。「癒し」だとかいっちゃってね。これはまあ、どういうことか。

とか言い出すと、一昨夜の罵詈雑言大会の続きになってしまうな。『禅寺の精進料理の十二ヶ月』は料理のハウツーだけを実用書として読めば役にたちます。と、いえるかな。

それはともかく、「料理はココロ」だとかいっている人たちは、そのことについて、キチンと説明してほしいね。

だいたいね、カネも時間もないなかでも、冷凍食品などで急いで料理を作って、その日の安堵をかみしめる食事だってあるのに、冷凍食品を使う料理などにはココロがない、なーんていうのは失礼だよなあ。そもそも他人の生活を罵倒するやつに、ココロはあるのか。あるとしたら、どういうココロか見せて欲しい。……見なくても、わかるが。

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2004/12/23

年末罵詈雑言大会

おなじ呑兵衛でも、堀部安兵衛のような忠臣より、アウトローな平手造酒が好きだから、平手造酒の最後をうなる浪花節、玉川福太郎の徹底天保水滸伝最終回にはゼッタイに行こうと、手帖の予定表の23日にキッチリ書いておいた。

先日、南陀楼綾繁さんから、塩山芳明さんを囲む会を22日にやるので参加しませんかというメールがあった。予定表を見たら、その日だけウンよくあいている。塩山芳明さんとは、『嫌われ者の記』の著者で、高度な品質のエロ漫画編集で知られる漫画屋のシャチョー編集者で、罵詈雑言を飛ばしまくるのが得意のひとだ。コワイもの見たさもあって、参加することにした。

当日、つまり昨日だ。予定表をチェックし、たまみほさんの日記を見たら、徹底天保水滸伝最終回は22日なのだ。ダブってしまった。ダブってしまったが、ここで塩山さんのゲンブツに会わないと死ぬまで悔いを残すと思って、出かけた。すまん、たまみほさん。

ついでに、神戸の女体の詩人が天才な友人だよと案内をくれた、吉田茂樹展が王子のギャラリー沙画夢(サガン)で開催中なのでちょいとのぞき、ついでにババア姉妹が戦後のバラック時代のままのスペースでやっている柳小路の酒場「福助」に寄ってイッパイやってから御茶ノ水へ。

プラプラ本屋をのぞき、書肆アクセスで『あわわのあはは 徳島タウン誌風雲録』(住友達也著、西日本出版社)を買う。畠中さんにみつかり、店頭の『汁かけめし快食學』2冊のサインをさせられる。

で、いよいよ、コワイ塩山さんを囲む会会場の神保町の飲み屋へ。店に入り予約を言うと、そのすぐ横の座敷に1人でいた男が塩山さんだった。いやあ、ただの人間だった。なんだか、もうそのまま話を初めて、そのまま。参加者は集まり、酒を頼み、もう飲みました飲みました、食べました食べました、しゃべりましたしゃべりました。

エト、誰がいたのかな。南陀楼綾繁さん、畠中理恵子さん、『ぶっかけめしの悦楽』の編集者にして、『皆殺しブック・レビュー』(四谷ラウンド、1997年)で佐藤亜紀×福田和也×松原隆一郎に、塩山さんの『嫌われ者の記』や東陽片岡さんの『やらかい漫画』を語らせた、堀内恭さん、古書現世のセドローくん、内澤旬子さん、荻原魚雷さん。初対面は、『レモンクラブ』にコラムを書いている、ピンク映画男色映画監督の山崎邦紀さん。山崎さんに、男色映画は、男色映画専門の映画館で上映されるのであってピンク映画館では上映されないと聞いて、オドロキかつ納得した。男色映画専門の映画館は、全国10軒ぐらいしかないそうだ。

いやあ、それでもう、そりゃもう、この夜、この罵詈雑言大会のような飲み会の俎上にのぼった人たち、たくさんいますね。うふふふふ。クシャミがとまらない作家が何人もいたはずだ。

ま、とにかく、一軒目は、豪勢なことに、塩山シャチョーが払ってくれた。そういうわけで、ここで塩山さんに悪態つくことはできないのだ。それに、そうそう、そのあと、未来社の小柳さんも加わって、もう一軒。これはもう店の名前も覚えていないし、このあたりホボ記憶喪失なのである。

そして、おれは、ナント、初対面のコワイ塩山さんの漫画屋の事務所に泊まることになったのである。午前1時をすぎていたであろう、飯田橋の事務所に入る前に、近所の餃子屋で、さらにビール。もうベロンボロンですわ。もしかすると塩山さんに口とケツの穴を奪われたかもしれないけど、記憶ありません。

そして、漫画屋の事務所は、壁にはハードコアな写真べたべた、天井には飛び散った精液ドロドロと……と思いきや、とんでもない、チリ一つ落ちていない、机の上もキチンと片づいた、すごいきれいなのですよ。まあ、世の中、そういうものですね。学校の教師の机の上の汚いこと。

とにかく、グッスリ寝て、今朝は、塩山さんと飯田橋のシャノアールで、しびれたアタマで、なお罵詈雑言を飛ばし、昨夜参加した連中の悪口をいい、別れたのでした。塩山さんは、事務所へシゴトしにもどりました。

いやいや、じつは、みんな人のよい連中で、罵詈雑言など飛ばしません。参加した人たちの悪口など、いうはずありません。うふふふふ、酔っているので記憶にありません。とにかく、楽しく飲めた。塩山さんには、今朝のシャノアールまで、すっかりごちそうになって、悪口書きたいけど書けません。どうもごちそうさまでした。

ううっ、まだ酔いがさめない不正常状態。だいたいあれだよな、最近こういうパターンの飲み会が多いのだけど、おれと同年代がいなくて、おれだけ60歳過ぎなのだな、それなのにおなじペースで呑むから。

「ナンダロウアヤシゲな日々」にも詳細が書かれている。
http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/20041222
漫画屋ホームページ。塩山さんの日刊漫画屋無駄話ほか、見られる。
http://www.linkclub.or.jp/~mangaya/index.html

そうそう、畠中さんは、塩山さんに「女エンテツ」といわれていた。

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2004/12/22

貧しさのなかでも食の楽しみ

なんども書いているが、戦前の日本には食事や料理を楽しむ文化が育っていなかった。「食通」はいたが、食事や料理を楽しむことには、ほど遠かった。ようやっと、ここ半世紀ほどのあいだに、「解放」がすすんだのだ。

解放されたからといって、まだ自由も民主主義も満足にできないように、うまく楽しめない。日本は、その敗戦まで、実質制度的に身分社会だった、その文化が身体にこびりついている。個性や多様性の理解より、優劣や上下を競うことになる。自分を優れた人間、カシコイ人間として演出する道具立てとして、食べ歩きや食事や料理が利用される。そのことと、新聞の社説と名人気どりの板前と評論家気どりのグルメがエラソウにしていることは、関係あると思う。

ま、でも、事態は解放にむかって、すすんではいるのだ。12月19日のコメントに書いた、「Webマガジンen」に連載中の茂木健一郎さんの「食のクオリア」は、そういう意味で、今年イチバン刺激的な発言の多かった著作のように思う。
http://www.shiojigyo.com/en/column/index2.cfm

ちょいとこなれていない観念的なところもあるような気がするが。おもしろいので、『文學界』に連載の「脳のなかの文学」も読んでいる。文学としてはどうか知らないが、食にとっては示唆に富んでいる。来年は、このセンで食が楽しくなると、いいなあ。

この味は、どういう味だろう。
うーむ、これはね、魚野川の川霧のような、あわいしっとりとした甘味がよいのでは。
ふーむ、これは、どうだろうか。
うーむ、これはこれは、腐りかかけた女体といったところでしょうか。
腐りかけた女体とは、女性に対して失礼ではありませぬか。
いやいや、腐りかけた男の身体とはくらべようもなく、独特の味ですよ。

などと、味覚を楽しむことが、もっと盛んになると、いいかなあ。安物のメザシを食べるにせよ、コンビニの中華まんを食べるにせよ、そういう楽しみがあるはずだ。うまさの表現や言葉を獲得することで、また食はイチダンと楽しくなるのだ。食べ歩くカネはなくても、食事は楽しくやれる。

来年は増税路線で、生活は厳しくなるだろう。誰も騒がないのがフシギだ。みんなユトリなのかな。

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優雅な貧しさ

おれが、今年は25日で営業がオワリですとか、この日記で毎日豪勢に飲んだり食べたりしている様子を書いていると、「優雅ですなあ」といわれる。

うへへへへへ、とんでもねえ、シゴトがないから25日でオワリなのですよ、来年のシゴトもないから、イヤイヤ飲み会につきあって人脈を広げ、なんとか来年のシゴトにつながりがないか、苦労しているのですわ。

昨年のいまごろは、汁かけめしの本の原稿を、せっせと書いていたのだけどねえ。つぎが出せるほど売れないからねえ。ああ、もうダメだ、オシマイだ。来年の見通しは暗いから、ヤケ酒飲んでいるのですよ。ああ、ああ、アアッ、あぅっ。しかし、なんだか、この年末は快調に飲めるね。おれ、ホントウに、トシとっているのかなあ。トシですよ。

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2004/12/21

貧しさのなかで見る夢「やどや」と「汁かけめし快食學」

昨夜は中野の第二力酒蔵で、やどやプロジェクトの忘年会だった。第二力酒蔵は、メニューを見ると、単価が高いのでキンチョウするが、うまいし量が多いので、コストパフォーマンスは悪くない。煮物生もの鍋物を豪華な気分で、たらふく食べて飲んだ。

ただ飲んで食べただけではない。来年の傾向と対策について、気がかりだったことを一つ一つ話して、やることがはっきりしたので、余計ガンガン飲んで食べられた。うーむ、貧乏人だけでも、社会全体が流動的になっていることもあるが、知恵を出すとけっこう事業がやれるもんだ。来年はまたイチダンと面白い展開になりそうだ。カネの準備も大変だけど。老体にムチをいれ、ガツンとやろうじゃないか。……と書いても、関係者以外には、なんのことかわからんね。

やどやゲストハウスに、ご注目ください。
http://www.cheap-accommodation-tokyo.com/
スタッフがフル回転状態で、ボランティアを常時募集しています。興味のある方は、連絡ください。

ま、とにかく、これで、プロジェクトがらみの忘年会はすべて終わって、あとは飲むために飲むだけ。

「ナンダロウアヤシゲな日々」を覗いたら、「貧しさのなかで夢見る12冊」というテーマで選ばれたなかに、『汁かけめし快食學』あった。ま、「貧しさ」でもなんでも、選ばれたのだから、よろこんでいよう。これからは貧乏人の活躍が必要かも知れないしな。
http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/20041220

やどやプロジェクトも、「貧しさのなかで夢見る」作品といえる。

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2004/12/20

地震からの復興まだまだ、覚張さんの店

ザ大衆食のサイトに何度か登場する、ガクさんこと覚張徹さんの食堂「魚野川」は、新潟中越地震で、もっとも被害の大きかった堀之内町地区にある。

ガクさんとは故郷の酒蔵、高千代酒造の五月祭で、毎年会って酒を飲み交わしながら料理についてオシャベリしている。今年の五月も、そのように楽しく飲んで、ガクさんの車で駅まで送ってもらって別れた。

地震で自宅も店も壊滅的な被害を受けたが、なんとか少しづつ復興が始まっているらしい。とにかく、まるで様子がわからなかったのだが、最近「魚野川」のサイトも更新され、「ガクさんなりふりかまわず日記」が始まるなど、少しづつ様子がわかるようになった。もとどおりには、まだまだ、ほど遠いし、これから雪だが、少しは再開への道のりが見えてきたようではある。でも、ホント、大変だ。

「魚野川」ホームページ。
http://www2.ocn.ne.jp/~uonogawa/

ザ大衆食のガクさん。蕎麦打ちの最中。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun/muikamati_4.htm

しかし、どうも、今年は、年賀状を出しにくい気分だね。

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2004/12/19

ぷあんとゑびす屋食堂

怪快愛人あっこさん主催の怪快忘年会は、とうぜん西荻の「ぷあん」だった。人数が多いと、たくさんの種類の料理をたべられるのでよい。ぷあんへ行ったのは、たぶん今年3回目だと思うが、初めて食べるものが多かった。

サテ、何種類あったか。どれも「高級」というものではないし、店も値段も大衆食堂のようなものだね。どれもうまくて、これは、ウチでもやってみようというのがあって、楽しかった。とくに、一斗缶型のスープ鍋で出てきたスジ煮込みは、その鍋も買ってウチでつくってみたいものだった。めしにかけると、うまそう。

ぷあんは、この12月で開店一年だそうだ。ここの料理は、「ねばならない」という原理に縛られず、自由でよいように思う。

以前サイトに紹介したように、「タイ料理中心の、アジアのごはんとカレーのお店」であり、これまでの日本の常識としては「エスニック」に分類されるだろうが、これからの日本のふだんのめし、というふうな鼓動をかんじる。新しい料理の起源には、こういう鼓動があるのだろうとかんじる。

タイの伝統料理もあるが、タイ料理とはこうあらねばならないという現地至上主義者や、タイ風を気どる高額エスニック料理店から見たら、タイ料理とはいえないものもあるかも知れない。「原理主義」とは生き方がちがうのだ。現実的なふだんの日本の食事としては、こちらのスタイルが定着するのではないだろうか。ようするに日本の生活に現実的で、うまければよいのである。これからがタノシミ。

「メコン」ウイスキーのボトルを一本あけ、最後に、例によってカオソイで仕上げ。

ザ大衆食の「ぷあん」はこちら
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sin/puan.htm

ザ大衆食のサイトには、昨日、葛飾区立石のゑびす屋食堂の外観写真を掲載した。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/ebisuya_tateisi.htm

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2004/12/18

ちくわぶとフランス焼酎

「ちくわぶ」が、気になる。神戸の幻堂百年祭の飲み会で、中野りうしさんが、「あんなにうまくないもの、あれはなんですか」ときた。12月13日の日記にも、「なんつーか、とにかくまずい物」と書いている。
http://geocities.yahoo.co.jp/dr/view?member=riushishishi

ちくわぶは関西人にとっては縁遠いものなのだが。アレは、うどん粉のカタマリなのです。アレがないおでんはおでんじゃない、と、関東人はいうぐらい、関東人の食べ物なのです。アレはね、アレにだし汁がしみこんだところがうまいのですよ。とか、ああでもないこうでもない、ウンチクをかたむけた。

しかし、よく考えると、アレは不思議なものである。「ちくわぶ」は漢字じゃ「竹輪麩」であるが、竹輪でも麩でもない。もっとも作り方が何種類かあるようで、なかには、麩であるものもあるし、かつて1970年代に見学した工場ではすり身をホンノ少しくわえていたから、竹輪の仲間ともいえないことはないかも知れないが。でも、おでんのタネにするアレは、基本的には、うどん粉のカタマリ、堂々たる、関東の粉物なのだ。スイトンの仲間といったほうが現実的だろう。

そして、あのようなうどん粉のカタマリは、粉の質がものをいう、と思う。讃岐うどんのように、のどごしのよさで食べるものは粉の質は、さほど問題にならないだろう。実際、のどごしをよくするためにうどん粉以外のまぜものをしている例もある。しかし、ちくわぶは、まさにうどん粉のカタマリをかじるのだ。と、讃岐うどんを貶めたい気持がわくのは、自分が関東夷だからか。

と、いうことを考えていたら、ちくわぶが食べたくなって、昨日は東日暮里の「遠太」で飲み会があったので、そこへ行く前に、遠太までは歩いて行くことにして鶯谷の「信濃路」でおでんのちくわぶを食べた。食べながら気がついたが、自分でおでんをつくるときには、ちくわぶを入れたことがないのだ。おれは、それほど、ちくわぶを愛していなかった、ということなのか? 関東の粉物として、もっとちくわぶを探究してみようと決意する。

遠太は満席の盛況であった。そこでの飲み会で、チョットだけ話題になった、焼酎。散歩の達人ムック『東京手みやげ案内』で、小沢剛さんがオススメのフランス焼酎の「パリ野郎」。フランス製の焼酎があるとは知らなかった。これはボトルのデザインもよいし、写真をよく見たら、甲類焼酎である。どうやら質のよい甲類焼酎のようだから、手みやげではなく自分用に、ゼヒ買って飲んでみたい。

そのムックで、大沼ショージさんが、南千住の「パワーブレンド」のたこやきをオススメしているのには、笑ってしまった。大沼さんのことだから、大真面目なのだろうと思うが、愉快。デカデカと写真まで載っている。今年もあとわずかだから、どうやら「パワーブレンド」のたこやきを食べないうちに、今年は終わりそうだ。

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2004/12/17

「ぶたかつ」ト「とんかつ」

「豚汁」と書いて、関西じゃ「ぶたじる」で、関東じゃ「とんじる」というように、関西は「豚」を「ぶた」と、みもふたもない読み方をする。というのが、常識になっているようだ。

ところが、先日、幻堂百年祭の会場と阪急六甲駅のあいだにある「とんかつ屋」に入ったら、店の看板にも「とんかつ」とあったが、店内のメニューには、「ぶたかつ」と「とんかつ」の両方があるのだ。

これはどうしたことか、どこがちがうのか店の人に聞いた。すると、「とんかつ」というのは肉厚で、「ぶたかつ」というのは肉が薄い、という違いだそうである。それは、この店だけのことなのか、関西ではそういうことなのか聞くと、この店で勝手にやっていることだという。値段の差は、ほとんどない。

関西の大衆食堂でよくみかける「ぶた天」がある。ぶたの天ぷらで、東京では中華料理店にはよくあるが、関西ではフツウに大衆食堂でみかけることがある。1960年代中ごろだが、おれは就職した会社で一年間大阪に長期出張になって、初めて大衆食堂でぶた天を食べ感激し、しょちゅう食べていた。

「ぶた天」は豚肉の薄切りの天ぷらだから、もしかして「ぶたかつ」は、そこからの連想かなと思った。いずれにせよ、肉の厚さで名前を変えるというのが、オモシロイ。上下関係が好きな人なら、「上カツ」と「並カツ」とかにわけるのじゃないだろうか。

しかし、「豚足」は、やはり関西でも「とんそく」なのだなあ。いずれにせよ明確な東西の差異ではなく、食文化的には枝葉のことである。


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2004/12/15

幻堂百年祭参加京阪神泥酔紀行メモ

やっと、アタマが平常にもどりつつあるようだ。といっても、アタマはいつも異常なのだが。そもそもが12月7日(火)~12日(日)の幻堂百年祭のうち、11日午後3時から1時間ばかりのトークショー『東西大衆食バトル対談』大衆食堂の詩人遠藤哲夫×関西大衆食彷徨人オヤジ芝田×ゲスト石井章、に出ればよいだけだったのだが、どうせ行くなら。というわけで、こうなった。忘れないうちにメモだけしておこう。

9日(自宅)→(京都)新京極「スタンド」→桂「だるま」→ホテル泊→10日(京都)新京極、うどん屋名前?→(大阪)梅田、立ち飲み「大阪屋」→(神戸)新開地、立ち飲み名前?→三宮「皆様食堂」→六甲、幻堂百年祭会場→居酒屋で飲み会→女体の詩人宅泊→11日女体の詩人宅→長田、うどん屋名前?→六甲、幻堂百年祭会場、昼食は六甲駅近くのお好み焼、のち午後バトル対談、夕刻会場近くのとんかつ屋名前?→居酒屋で飲み会→ラーメン屋→女体の詩人宅泊→12日女体の詩人宅→六甲、幻堂百年祭会場→三宮、元町「丸玉食堂」→六甲、幻堂百年祭会場→(大阪)大衆酒場「松屋」→ライブハウス名前?「ふちがみとふなと」ライブ→「村さ来」→ホテル泊→13日(大阪)うどん屋名前?→(小田原)「天金」「清盛」→(自宅)

10日の幻堂百年祭の会場5時ごろ以後から12日の大阪の夜までは南陀楼綾繁さんと、ホボ、寝た部屋まで一緒の行動。幻堂百年祭については、ナンダロウアヤシゲな日記が詳しい。
http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/20041212

幻堂百年祭では、幻堂関係者にたくさん会った。森元暢之さんをのぞいて、初対面ばかり。森元さんは、かつて朝日新聞大阪版夕刊「夢中な人びと」という欄で漫画を描いていたのだが、ワザワザ大阪から大衆食の会の取材に来られたのだった。そのとき以来、7年ぶりの再会。

幻堂関係者は、「サブカル系」といわれれる系らしい。「マイナー系」でもあり、どのみち、地道な労働者系のおれには、あまり縁がない人たちだ。だけど、なぜかおれはこういう連中と縁ができてしまって、ひきずりこまれてしまう。

なぜかなあ、と、考えたら、あるていど似通っているところがみえた。こういうの、嫌いじゃない。共通項→本質的にバカだから本質的に遊ぶことには真剣になる=本質的に怠け者である=本質的にだらしないのが心地よい人間である=本質的に酒が好きである(百年祭の会場は、どこにでもある気どったギャラリーであったが、そこでワレワレは朝から酒を飲んで、神戸の中流じゃないが中流意識な香りがする街のゲージュツの小さな殿堂に酒のニオイをしみ込ませる作業をしていた)。

であるのに、彼らは、自分はナンカ内面的に精神的に高度なものを持っている、と、自覚か錯覚しているし、それで苦しむことは喜びであり、その苦しみに他人を巻き込むことも喜びであり、となると、サドマゾか? となりそうだが、それほどでもない怠け者で、酔っ払っていればウレシイ、タダの堕落人間なのだ。

ともあれ、伝説的な人物たちに、これほど集中的に会ったことはない。アノ、川崎ゆきおさんは病気を押しての参加、もう感激でしたな。午前11時から、アノ、川崎ゆきおさんは酒を飲んじゃいけない身体だから飲めないのに、しかも会場まで来るのに、電車もクルマも身体にダメだから自転車で1時間半かかって来たのに、それを囲むワレワレは酒を飲みながら、川崎ゆきおさんの病状の話を聞いた。ま、酒の催促をしたのはおれだったが。朝食のパンを食べるのにビールが欲しかっただけなのに、ほかの連中も便乗して飲みやがった。

竜巻竜次さんと読ん太さんは会ったらオンナだったのでビックリしたし、もちろん今回の主催共催者、幻堂のなかのしげるさん、中村ようさん、烏本舗の太郎吉野さん、あやしいオヤジたちだった。小野原教子さん、中野りうしさん、海文堂書店の福岡さん、みなコイイ。ようするに、神戸はギャングな街なのだと、しみじみ思った。

今泉昌彬さんと安田謙一さん、は、そういうなかで、見た目だが、例外的にオタクっぽさのない、ギャングなかんじもない人物だった。そうそう『大阪下町酒場列伝』の著者・井上理津子さんとも、中村ようさんの紹介で挨拶をすることができたが、もっとも働き者という感じだった。

そのうち、大衆食堂と酒場については、写真つきレポートをザ大衆食のサイトに掲載する予定。

「ふちがみとふなと」ライブは、すばらしかった。CDも買ってしまった。まだもう一枚ほしいCDがあるのだが、千駄木の「古書ほうろう」にあるということだから、カネをためて買うつもり。

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2004/12/14

西日本出版社の新刊はおもしろそう

コツコツ本を作っては売っている、西日本出版社の内山正之さんから、新刊案内のメールがあった。ナンダカおもしろそう。

一年半がかりで作っていた、「あわわのあはは 徳島タウン誌風雲録」がついに完成しました。 内容は、著者住友達也さんが、徳島でタウン誌「あわわ」を自分のアパートで創刊し、総部数5万部の月刊3誌を発行するようになるまでの痛快な話と、江戸時代に作られた吉野川第十堰が取り壊され可動堰(ダムみたいなもん)になるらしいと知った、住友さんたちの、住民運動の話。

雑誌社の話も面白いけど、特に第十堰の話は圧巻。メンバーは、タウン誌社長の住友さん他、デザイナー・コピーライター・行政書士など、住民運動とは無縁の人達。ともかく「市民の話を聞いてよ!」と住民投票をやろうと企画するけど、行政が次々と出してくるハードル。とりあえずクリアすると、今度は徳島県と徳島新聞がタッグを組んで、がんがん圧力をかけてくる。これも、とにもかくにも乗り越えて、最後は知事まで作って取り壊しを阻止。

とにかく、面白いもんができました。1575円、全国の書店さんと、ネット書店さんで発売中です。

みなさん、よろしく~よろしく~

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ホルモン問題

幻堂百年祭、11日の「東西大衆食バトル対談」で、ヤキトンやホルモンの話題になったとき、オヤジ芝田さんが「ホルモンは、関西の言葉で「捨てる物」の意味の「ほおるもん」が語源」という趣旨の発言をした。そのとき、おれは、それは古い俗説で根拠がないものだと言ったのだが、では、いまではどういう解釈になっているかという話を、ボケ頭ですぐ思いだせなかった。

たしか、何かの本に、ちょっと詳しい説明があったように思うが、その本の名前が思い出せない。とりあえずWEB検索してみたら、簡単だが以下のような説明がみつかった。

焼肉のホルモン焼は、大阪の洋食レストラン「北極星」経営していた北里茂男が、毎日捨てている臓物を料理に使う方法はないかと考えた「ホルモン料理」に由来し、1940年に「ホルモン料理」は商標登録されている。 「ホルモン」は、関西弁で「捨てる物」を意味する「ほおるもん(放る物)」を語源とする説が多いが、現代では、臓物料理は印象が悪いため、英語「hormone」にあやかり、体内に活力を与えるイメージで名付けられたとする説や、英語「hormone」と関西弁「ほおるもん」を掛けて名付けられたとする説が有力とされている。 (語源由来辞典 http://gogen-allguide.com/ho/hormon.html より)

食の歴史というと、とかく「語源」に関するウンチクに偏りがちで、しかも古い本に書いてあったことを惰性的に繰り返していることが少なくない。「ホルモン=ほおるもん」説は、そういうもので、これはちょいとよく考えてみれば、現実的じゃないことぐらい気がつくはずなのだが、どうも惰性に陥りやすい。高学歴の、文章を書く人がそういうことだと、ますます世間で信じられてしまう。

このケースでは、語源以前に、日本における「内臓食」の実態が問題なのであって、その内蔵食の結果として言葉が生まれてくる。その関係を無視して、語源だけで食の歴史をみると、こういうアヤマチをやらかしやすい。カレーライス問題もそうなのだが、食や料理の現場である生活の実態としてどうであったか解明しながら、言葉の問題を考えないといけないのだなあ。とかく「食文化」というと本のなかにあるような誤解がマンエンしているが、食文化は生活のなかにある。

「内臓食」についていえば、「ホルモン料理」なる言葉が生まれる前から、日本の「伝承料理」のなかにも存在する。つまり内臓は「ほおるもの」ではなく食べられていたのだ。

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2004/12/13

無事帰還

9日、出発。京都、神戸、神戸、大阪、小田原とマジメにマジメにシゴトをこなし、ナンダロウアヤシゲな濃いいいいいいいいい日々を過ごして、肝臓も胃腸も無事で帰って来た。脳だけは、これだけは、いつものように異常。

ま、東だ西だといっても、それぞれの個性だということだな。もちろん、「食」のことだけど。大阪でウドンを食べた店に、能書きが壁に貼ってあって、「淡い出汁」がソバにもウドンにもよく、それがウソのない味である、というようなことが書いてあったけど、ジョーダンじゃないぜ。

ま、そういう話は、また今後。

とにかく、なんだかね、東も西も、「タベモノ屋」というか「プロ」は、文学的観念的に気どりすぎですよ。

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2004/12/09

『東京いい店うまい店』と「ヤル気のない」食堂

「書評のメルマガ」に隔月で連載中の「食の本つまみぐい」。12月8日発行vol.191に「中流意識市民のためのスタンダード」というお題をつけ、文藝春秋編『東京いい店うまい店』文藝春秋1967年を掲載。配信中。申し込みは、こちら。
http://www.aguni.com/hon/review/index.html

12月1日の日記に書いた朝日新聞夕刊に載った不二食堂の記事を読んだ、大衆食の会に参加の読者から手紙が届いた。長いあいだ不二食堂のある台東区竜泉に住んでいたひとである。

彼は手紙に、こう書いている。「不二食堂、ホントよかったです。あのヤル気のなさがまだ続くかと思うと泣けます」

いやあ、こういう手紙をもらうと、ホント、泣ける。そうだ、「ヤル気のなさ」が魅力の大衆食堂は、ほかにもいくつかあるが、その魅力を、マーケティングな尺度、たとえば経済的な成功のために「意欲的」で「輝いている」ワタシじゃなきゃいけないといったことを、日常の「生きる」基準にしてしまったひとたちや、西欧エリートのモデルにすぎない近代合理主義でかたまった客観的で普遍的な正義や美学を信仰しているひとたちに説明するのは、とても難しい。彼らは「優劣」を評価するだけで、「優劣」以外の存在を知らないからね。

食事や料理は、客観的あるいは普遍的な「優劣」じゃ評価できない。ナゼナラバ、それは、人生とおなじように、一過性のものだからだ。かなり主観的な、個人的な、身体的感覚の世界のことだからだ。

「ヤル気のなさ」がよいこともあるのさ。そもそも、「ヤル気」なんか、どうだっていいのさ。自分にとって、なにが大事かであって、それによって食事も料理も決まる。客観的な評価、普遍的なうまさ、なんか、幻想。自分の身体感覚を自由に保つことだね。客観だの普遍だの、というのは、日本的には、「みんなの目」「まわりの目」「誰かさんの目」ということにすぎないんじゃないの。

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2004/12/08

フルクサスがらみ

最近のトッラクバックに、2つの「デューラーの兎とボイスの兎」があったが、1つは削除しても差し支えないので、削除した。

2つとも、「フルクサス」に関係するTBで、11月25日の日記「フルクサスは素晴らしい! そして83歳婆にキス」で、タイトルのようにうらわ美術館で開催中のフルクサス展を観ての感想というか興奮を書いたのに続き、27日の日記にも、ちょこっとフルクサス展についてふれていたので、2つのTBになったようだ。

TB先のブログタイトル「Wein, Weib und Gesang」は、どう読むかどういう意味かわからないが、とにかく、「ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける」というマルティン・ルター(1483-1546)の言葉がタイトルスペースに掲げられている。いいねえ~。おれもコメントを書かせてもらった。おれは「ワイン、女 そして歌」も愛しているが馬鹿者である、とね。

それはともかく、「フルクサス」のやってきたことは、やっぱり、料理や料理史を理解するためにも大いに刺激的だと思う。とくに、料理に関する似非ペダンチックなオシャベリが盛んな近年においては。そのことは後日。

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2004/12/07

年末アレコレソレコレ

■浪曲
8日、玉川美穂子、1時~浅草・木馬亭。明日じゃないか。たぶん、行けない。
22日、玉川福太郎の「徹底天保水滸伝」最終回「平手の駆けつけ」、いよいよ飯岡一家と笹川一家の大利根大喧嘩、そして肺病アル中剣豪・平手造酒の壮絶な最後。これはもう、ゼヒ聴きたいね。7時~浅草・木馬亭。ゲストは、平岡正明さんと演芸評論家で月刊浪曲編集長の布目英一さん、2人の話も聞きたいねえ。はたして、行けるか?
hukutaro.jpg
ガハハハハ、この生顔を見よ!この生声を聴け! 気どった芸術をぶっとばす男、福太郎を観なくちゃ、一生の損。問い合わせは、玉川美穂子さんへ。
・ほとばしる浪花節! 玉川美穂子のページ
http://www.geocities.jp/tamamiho55/
・月刊浪曲のホームページ
http://homepage2.nifty.com/kurogo/gr.html

■展覧会
『大衆食堂の研究』のイラストと装丁を担当した太田尻智子さんが、大衆食の会参加のアノニマ女のギャラリー「ガレリア★アノニマ」(荻窪)で個展「宿題」を開催中。毎週土日、12時~7時、最終日26日。無料。たぶん、18日に行けるだろう。大衆食の会の方、この会場で会いましょう。連絡ください。
・太田尻家のホームページ
http://www.ne.jp/asahi/ootajiri/ke/
・太田尻家の居酒屋食堂「太田尻家」(ザ大衆食)
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sin/ootajirike.htm
・ガレリア★アノニマのホームページ(更新されてないじゃないか、冨士食堂でめしくったら、ちゃんと更新しろよ。
http://homepage3.nifty.com/g-anonima/top.html

■エンテツ参上
11日3時~、エンテツが殴りこみバトルトークショーに参上。めったにない世紀の奇祭、神戸、幻堂百年祭。
こちらのチラシをご覧ください。みんな来いよ。
http://artrandom.fem.jp/index.htm

■ほかほか、やどやプロジェクトの忘年会ほかほかズラズラズラ。
年内は25日までの酔態営業です。

そうそう高岡さんとこのみかん販売も始まりました。ご希望の方は、直接連絡するか、私にメールをください。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/takaoka.htm
この案内が届くと、ホント、年末だなあという気分。


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散歩の達人ムック・東京手みやげ案内

そうそう、毎日酔っ払いで、書くの忘れていた。散歩の達人ムック『東京手みやげ案内』が発売になった。

→コメントにときどき登場の、快怪女のあっこさんこと野中あき子さんも書いていますぜ。編集担当はアノふぃんらんでぃあ高野麻結子さん。どちらもおれの愛人で複雑な三角関係であります。

あっこさんのブログに写真と案内があります。
http://blog.livedoor.jp/akkko2004/archives/2004-12.html#20041204

よろしく~よろしく~

ああ、おれに手みやげのときは、酒でいいですよ。

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ラジオ出演は無事?終了

3日の日記に書いたように、今朝は6時20分ごろから10分間、東京FMに電話で生出演だった。いま終わって、これを書いている。

登場の10分前ぐらいに電話がかかってきて、音声レベルのチェックと確認。子機ではなく親機の有線を使うこと、同じ部屋のラジオは切っておくこと。で、いったん切った後、2分前ぐらいにまた電話がかかってきて、そのまま始まるまで待つ。という仕組み。

話の内容は、大衆食堂について、10分ほどで、事前の打ち合わせでは、1「大衆食堂とは」2「よく行く食堂」3「日本人にとって大衆食堂とは」ということだったが、始まって話していると、1と3がからんでしまい、2で終わるという流れになってしまった。

しかも、スタジオで出演のときは、目の前に時計があったり、隣にディレクターがいたりで、時間のすすみぐあいがわかるので、あと1分だから、これを話してしまおう、というかんじの判断ができるのだが、時計を用意しておかなかったので、残り時間がわからない。話している最中にトツジョおわりがきて、最後のシメができなかった気分。

ガツンと力強くめしをくえ! といえなかった。残念。

ま、こんなところだね。まもなく、6時50分。

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2004/12/06

ソースヤキソバが食べたい

とつぜん、なぜか、めちゃくちゃソースヤキソバが食べたい。
できたら、キャベツを細くきざんだのをタップリいれて、
ソースで全体がまっくろになるぐらいの、
ソースヤキソバを山盛り、
イマ、食べたいのだ。

こういうとき、どうするか。
ああ、食べたい、食べたい、食べたい。
ソースヤキソバ、食べたいよ~
たすけて~
ソースヤキソバ、食べたいよ~

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2004/12/05

小沢剛展に行けず、酔っ払いアンド原稿

殺人ドア六本木アークヒルズ森美術館で開催中の小沢剛展は今日が最終日という案内があって、行こうと思っていたがアレコレソレコレ、なんだけっきょく酒飲んでいるだけじゃないかといわれると、ハイそれまでよ。

でも、今日で締め切りの今月上旬号の書評メルマガの原稿は忘れずに、誰かさんと違って締め切り遅れたことのないワタクシは、原稿を仕上げて送った。ま、拙速ということかもしれないが。いいじゃないのシアワセならば。

しかし、書評のメルマガで取り上げようと思っていた、『東京いい店うまい店』(文藝春秋編)1967年版と、『東京 味のグランプリ1985』(山本益博著、講談社、1985年)を見ていたら、ホントウに面白くて新しい発見はあるし、関連する資料をみたりアレコレ時間はすぎ、これだけで本一冊が書けそうなコーフン。

「味のグランプリ」は1982年から毎年改訂発行だったけど、んで、どうやら今年で最後のようなのだけど、なんで「1985」かというと、その「まえがき」が、「拝啓―丸谷才一様―まえがきに代えて」というものであって、これがもう、すごいのですよ。いやあ、山本益博さん、スゴイ! 鼻息。

ああ、このようにおれだけ興奮して書いていても、仕方ありませんね。
それでは。

小沢剛さんについては、ご自分のブログは、かなりオサボリ中なので、こちらをゼヒごらんください。
http://www.kamada.co.jp/ss/ss.htm

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2004/12/04

カラスを食べた? なんでも食べるぞ信州人

11月30日「BOOKMANの会に「アステア・エンテツ犬」登場」だが、作者の現代鳥獣戯画の神様巫女教祖様・内澤旬子画伯に断らず「アステア・エンテツ犬」を掲載した。しかし、内澤さんが日記で「由緒」を書いているので、これはもう「使用許可」と解釈し、←左サイドバーに昇格、内澤さんが「由緒」を書いている日記にリンクをはった。「アステア・エンテツ犬」に酒とゲロめしかけて可愛がっておくれ。著作権は内澤さん。

そのBOOKMANの会(11月29日)には、書肆アクセスの畠中理恵子さんがゲストで参加。食関係の地方出版物「食~北海道から中部まで~」をもとに、各地の「郷土食」のオモシロサを話した。なんといってもオモシロイので話題が集中したのは、長野県。本もオモシロイものが多い。

『なんでも食べるぞ信州人』中田敬三著・郷土出版は、カラスまで食べる信濃人の食文化考である。みな「エッ、ほんとうにカラス食べるの?」とオドロイタ。が、その実際が、イマイチはっきりしなかった。

ほんとうに食べたのだ。畠中さんが調べて、書誌アクセスのページの「半畳日録」に書いている。11月30日「カラス田楽」。
http://plaza.rakuten.co.jp/accesshanjoe/diary/200411300000/

うーむ信州人、おそるべし。これは「奇食」じゃないのか。なぜ、こうもイロイロ食べるのか。と興味がわく。信州人は好奇心が強いからだという説明をときどき聞くが、それだけか?

そういえばおれも、ザ大衆食のサイトに、小諸の揚羽屋でめずらしいものを食べた話を書いている。ホントウに信州人は、「なんでも食べるぞ」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/agehaya0407.htm

先日おれは、書肆アクセスで、長野市の柏企画が編集発行の『粉物のすすめ 信濃は小麦粉消費大国』を買ってきたが、なかなかオモシロイ。粉物やおやきに対する「情熱」がちがう、ねついのだ。大都会のマーケットを見ているだけじゃ日本食の実態は、わからん。

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2004/12/03

東京FMに出演するのだけど

朝日新聞夕刊の記事を見て、東京FMから出演の依頼があった。打ち合わせもホボおわった。

来週、7日火曜日。朝6時からの「6 Sense」という番組。なんて読むのかなあと思ったら、素直に「6センス」なのだ。
http://www.tfm.co.jp/6sense/index.html

東京FMは昼間よく聴いているけど、こんなに朝早い番組は知らない。クルマで出勤の方が聴いたりするのだろうか。

この「グローバル ボックス」というコーナーで、朝6時15分から10分間、電話で生出演なのだ。

ありがたい出演依頼なのだが、どーもね、こういうのはユーウツなのだな。ラジオは、文化放送『吉田照美のやる気まんまん』の「興味津々」のコーナーに2回生出演したことがあるけど。これは、まあほとんど好き勝手にオモシロオカシクしゃべっていいのだから、気楽にしゃべって、けっこう評判もよかった。

だけど、そういうのじゃないのもあるのだな。この夏のTBSテレビの「はなまるマーケット」に出演のときもそうだったけど、あるていど番組やコーナーのフレームやらテーマが決まっていて、そのセンで、ま、「専門家」として話すというやつ。これは、なかなか難しい。ちょっと、緊張する。ユーウツ。酒のんで悩まなくてはならない。

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2004/12/02

キショクわるくない、「奇食の館」

コメントの上野朝夫さんは、「三代続いて朝日新聞」だそうだけど、おれは新聞をとっていない。NHKは嫌いだからテレビもない。親が、マスコミと学校の先生と坊主は信用するな、としつこく言っていた影響かも知れない。どういう組み合わせでこうなったのか、おもしろいが、なにしろ明治生まれの田舎の百姓の次男だから、田舎インテリが嫌いだったのか苦手だったのか。

NHKは、以前、松平ナントカいう偉そうなアナウンサーが、酔っていたかもしれないが、タクシー運転手を蹴った。それで、いったん「自粛」だか「謹慎」だかしていたが、いつのまにか復活している。

あのジケンの報道を、おれはある大衆食堂のテレビで見ていた。タクシー運転手の溜まり場になっていた食堂だ。みな激しく怒っていた。どうせ自分たちは、NHKの職員から見たら虫けらのような存在だというのは、みな身にしみてわかっている。そういうことを口にしているひともいた。

だけど、彼らは、NHKの番組をよく見るし、のど自慢、紅白大好きである。大衆食堂のテレビもNHKにチャンネルをあわせていることが多い。だけどNHKは、大衆食堂も大衆食堂あたりでめしくっている人間も、税金と料金と視聴率の数にすぎない虫けら。タクシー運転手が蹴られたジケンに、みなそのことを見ていた。でも彼らは、NHKを「信用」している。なぜか? NHKの職員は、「学校(一流有名大学)を出たエリート」だからである。だから、「学校を出てない」自分たちは、ばかにされても仕方ないと思っている。彼らは従順な納税者であり、NHKの料金をまじめに払い、そしてNHKの職員に蹴られる人たちだ。かなしい。

なにをいいたかったのかな? ようするにエリートはエリートでよろしい。だけど、税金や料金で、そのエリートの生活が成り立っていることを、ちったあ考えたことがあるのか。足蹴にした人間からカネとって、足蹴にしたタクシー運転手とは比べようのない華やかなエリートの生活が成り立っているのだよ。そのことを、ちったあ考えたことがあるのか。といえば、ないのだろう。

NHKには人を人と思わない退廃がただよっている。あの料金徴収人の態度、おれは一度怒った。怒ったら営業所だかなんだかの管理職が謝りにきた。それぐらい、アノ新聞の勧誘員以上に、失礼だった。組織退廃以外のなにものでもない。だから、タクシー運転手を蹴った人間を、冷却期間がすぎてから、平気でもとにもどす。いかにも退廃したエリートらしいカシコイやり方である。

エリートはエリートでよろしいが、もっと厳しくしなくてはいけないだろう。むかしは腹を切った。一度ドジしたら永久に復活はいけない。ただちに退くべきだ。なぜならエリートだからなのだ。そういうエリートとしてのケジメやモラルや矜持があって、エリートとしての地位や権力やカネを手に入れるべきなのだ。

ま、しかし、おれのような平民は気楽である、何度ドジふんでもよい。腹を切らなくてよい。反モラルも許される。なぜなら、エリートではないからだ。地位も権力もない、自由なのだよ。うふふふ、自由がよくて、エリートになれる能力があっても、なりたくなかったのだ。とか、いってみたりして。

アレッ、話は、なんだか、おかしいな方向へ。でも、酔っていると、いいこというんだよな。それはともかく、酒飲みともだちに、シュークリームを上下パカッとわって、クリームの上にキムチをのせて食べるとうまい、と言いはる男がいる。うまいからやってみろといわれるのだが、いまだやる決心がつかない。「奇食」とおもうのは、偏見を口撃するおれとしては矛盾だが、どうも「奇食」と思ってしまう。食は深いのだなあ~

食は深いのだな~、「奇食の館」
http://ww2.tiki.ne.jp/~morim/menu.htm

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2004/12/01

不二食堂と朝日新聞の記事

昨日書いたように、台東区竜泉の「不二食堂」は営業を継続することになった。ザ大衆食のサイトに、不二食堂の写真と朝日新聞の記事の紹介を掲載した。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/huji_ryusen.htm

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