ホルモン問題
幻堂百年祭、11日の「東西大衆食バトル対談」で、ヤキトンやホルモンの話題になったとき、オヤジ芝田さんが「ホルモンは、関西の言葉で「捨てる物」の意味の「ほおるもん」が語源」という趣旨の発言をした。そのとき、おれは、それは古い俗説で根拠がないものだと言ったのだが、では、いまではどういう解釈になっているかという話を、ボケ頭ですぐ思いだせなかった。
たしか、何かの本に、ちょっと詳しい説明があったように思うが、その本の名前が思い出せない。とりあえずWEB検索してみたら、簡単だが以下のような説明がみつかった。
焼肉のホルモン焼は、大阪の洋食レストラン「北極星」経営していた北里茂男が、毎日捨てている臓物を料理に使う方法はないかと考えた「ホルモン料理」に由来し、1940年に「ホルモン料理」は商標登録されている。 「ホルモン」は、関西弁で「捨てる物」を意味する「ほおるもん(放る物)」を語源とする説が多いが、現代では、臓物料理は印象が悪いため、英語「hormone」にあやかり、体内に活力を与えるイメージで名付けられたとする説や、英語「hormone」と関西弁「ほおるもん」を掛けて名付けられたとする説が有力とされている。 (語源由来辞典 http://gogen-allguide.com/ho/hormon.html より)
食の歴史というと、とかく「語源」に関するウンチクに偏りがちで、しかも古い本に書いてあったことを惰性的に繰り返していることが少なくない。「ホルモン=ほおるもん」説は、そういうもので、これはちょいとよく考えてみれば、現実的じゃないことぐらい気がつくはずなのだが、どうも惰性に陥りやすい。高学歴の、文章を書く人がそういうことだと、ますます世間で信じられてしまう。
このケースでは、語源以前に、日本における「内臓食」の実態が問題なのであって、その内蔵食の結果として言葉が生まれてくる。その関係を無視して、語源だけで食の歴史をみると、こういうアヤマチをやらかしやすい。カレーライス問題もそうなのだが、食や料理の現場である生活の実態としてどうであったか解明しながら、言葉の問題を考えないといけないのだなあ。とかく「食文化」というと本のなかにあるような誤解がマンエンしているが、食文化は生活のなかにある。
「内臓食」についていえば、「ホルモン料理」なる言葉が生まれる前から、日本の「伝承料理」のなかにも存在する。つまり内臓は「ほおるもの」ではなく食べられていたのだ。
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