「大衆食堂の研究」HTML版掲載
そういうわけで、今朝の↓話の続きであるが、レトロブームがふれない避けているところの戦後昭和の一端を、もっとも意識して書いた、「大衆食堂の研究」の「田舎者の道」をHTML版に掲載した。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_index.htm
おととい、幻堂出版のなかのさんから、鈴木漁生本の、「漁生の漫画家残酷物語」「漁生の浪漫戦記 青春の墓場」に続く3冊目、「漁生のヒーローグラフィティ60’S」が送られてきたので、さっそく見た。そして、鈴木漁生さんが1980年代になって83年ごろを最後に、「筆を折ったわけではなく、仕事がこなくなってマンガ家業を失業」と書かざるを得ない状況になった、そのワケがピンと来た。
昭和30年代といわれる、1960年代といわれる、その時代の最も核心的な部分を担っていたのは、都会文化ではなく田舎文化だった。かたや対極に元「占領国」のアメリカ文化という構図だった。
総務庁「労働力調査」でみても、1960年には総就業人口の27%が農業就業人口であり、3441万人と国民の3人に1人は農家世帯員だった。東京の下町もちろん、世田谷だって、イナカッペの住むところだった。1960年から70年代中ごろまでは、ほとんどの人たちがイナカッペで、アメリカ文化と向き合っていた。
つげ義春さんや東陽片岡さんをレトロブームの作家とはいえないだろうが、昭和が語られるとき語られるつげ義春さんや東陽片岡さんのマンガにはないものが、鈴木漁生本にはある。それは、田舎そのものであり、田舎者の激情であり野性であり希望であり……なのだ。
そして、鈴木漁生さんは、1980年代以後の田舎文化や田舎者性をハッキリ否定した東京を中心とする都会文化に同化できずに、ダサイ田舎者性を捨てきれず、その絵にためこんでいたがゆえに、「仕事がこなくなってマンガ家業を失業」することになってのではないかと思われる。
ようするに近年の昭和レトロブームというのは、じつは、昭和の最も核心的な部分の田舎文化や田舎者性の否定なのだ。
ってことで、ちょいと忙しいもので、これぐらいで。
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