黙ってやっているひと
黙っているけど、日記など書いているひと、いるんだなあ。
誰の日記かと思ったら、ごちそうになった御礼に進呈した「汁かけめし快食學」が載っていたので、わかった。
http://www.h6.dion.ne.jp/~mgdr/diary/diary06.html
この日記のトップページは、神保町の森デザイン室ですね。
http://www.h6.dion.ne.jp/~mgdr/
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誰の日記かと思ったら、ごちそうになった御礼に進呈した「汁かけめし快食學」が載っていたので、わかった。
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調べることがあって、「福翁自伝」を見ているのだけど。福沢諭吉は、すげえ酒好き酒飲みなのだ。幼少のころから飲んでいる。だいたい親が、言うことをきかない諭吉に言うこときかせるために、「酒を一杯あげるから」と躾けているのだからなあ。いやあ、福沢諭吉なんか、どうでもよい男と思っていたが、尊敬することにしました。一万円札を額に入れて飾って、毎日お神酒を上げて拝まなくては。いや、一万円札ホンモノは酒代にしたほうがよいから、コピーにしよう。
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きのう。新宿駅中央口、中央通り、談話室滝沢の先、最初の交差点を右へ、土日は馬券通りと呼びたい。甲州街道にぶつかる左側角に、戦後の外食券食堂時代からの古い大衆食堂、長野屋がある。そこへ入ろうと行ったが、ああん、なんで臨時休業なんだよ~。
しかたないから、その角左へ曲って、最初の角のビルの地下一階にある「石の家」に。ココは、1962年春に上京したおれが、生まれて初めてギョーザを食べた店。そのころはボロな木造二階家。新宿でギョーザといえば石の家というぐらいの有名店だったが。
いつもヤキソバとギョーザか水ギョーザ、あるいはタンメンとギョーザの組み合わせの注文だった。ソバが太麺。とくにヤキソバとタンメンは、1962年から変わらない味。
今回は、ヤキソバとギョーザ、に、ビール! うーん、この味だ、思い出しちゃうよ~、まだ18,9歳の青春時代。あのころは、中央通りの、「風月堂」(「風」は、この字じゃない)があったけど、インテリくさいそこは敬遠して喫茶店「ウィーン」にたむろしたなあ。「らんぶる」二階には同伴喫茶があって、そこにも入ったなあ。にゃははは、思い出すなあ。と、書いていると長くなるから、そのうち。
で、腹ごしらえして、中央通り、新宿モリエールは花山らら率いる「劇団40CARAT」のシバイ見物。40CARATは、「94年の旗揚げ以来、”芝居だけでも、音楽だけでも物足りない”をモットーに、芝居と、渡辺勝を始めとするミュージシャンの生演奏とのコラボレーションで独自のスタイルの舞台を作り続けています」とチラシに。
出し物は、「月光」。シェークスピアの「リア王」をベースに、現代ヤクザものに置き換え、組長がリア王みたいに姉妹と子分に裏切られるんだね。んで、ファッションショーのような、ウエストサイド物語っぽい演出、テレビドラマのようにテンポのよい展開、そこに生バンド渡辺勝、大庭珍太、竹間隆、HONZI、岩本平太だ。って、わけで、楽しめた。渡辺勝さんのブログを見ると、ガットギターの弦に爪を削られながらの。いやあ、いつもだけど、完全没入の熱演。
ちょいと脚本が、イマイチ工夫が必要だったかなというところが何ヵ所か。それにテーマが、ま、対立抗争より平和を、という感じだったが。拉致問題を利用したファッショ的な言論抑圧と統制がすすみ、北朝鮮との緊張関係に隠れたカタチで大陸棚資源をめぐるアメリカ国際資本のイラクに続く略奪戦争準備に着々日本が組み込まれているイマ、甘すぎの印象も。ま、でも、戦争準備というのは、太平ムードの下ですすむものさ。気がついたときには、始まっている、泥沼。
とにかく、こういう新しい試みに、思い切り取り組むってのは、見ていても気持がいいものだ。
力強くめしをくい、思い切り、やろうぜ。戦争は、もうすぐだ。いや、日本はイラクで参戦中だった。さらに、やるのさ。
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昨夜は、浅草木馬亭で、「玉川美穂子のやりたい放題! 浪曲春一番」を楽しんだ。満員の盛況。書くのめんどうだから、最近のトラックバックにある、「chomoの日記」を、ご覧いただきたい。おれのコメントもある。新宿ゴールデン街「クラクラ寄席」の案内もある。それゆけどんどん浪花節。
http://d.hatena.ne.jp/chomo/20050226#1109381029
いやあ、そしてそのあと捕鯨船でグイグイ飲みながら、なぜ三重の人間は一見おとなしそうなのに過激なのかなどを、鈴鹿出身のBOOKMAN某氏と話をしていて11時半ごろまで。帰り、電車のりすごしちゃったよ~。
ところで、さて、いよいよだ。
おれエンテツが、堂々40枚の解説(170ページ中143~169まで解説だ!)というムチャクチャをした、日本全国大衆必見の、「神戸ハレルヤ! グルめし屋・勝ったのは大衆食堂だ」オヤジ芝田 著、いよいよ3月下旬発売のお知らせ。
幻堂出版なかのさんから、表紙写真と共に案内が届いたので、ザ大衆食のサイトに掲載した。うーむ、この表紙、なかなか浪花節だなあ。いいよいいよ、それゆけどんどん大衆食堂。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun05/kobe_gurumeshi.htm
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ぎゃっ、「リベラルアーツ科」とは、なにか。
な、なんと、玉川大学文学部じゃないか。
な、なぜなのだ。
い、いったい、「汁かけめし快食學」を教科書に、どのような授業が行われるのだろうか。
ふーむ、むむむむむ。
http://acweb01.adm.tamagawa.ac.jp/Syllabus/SyllabusB.nsf/0/34aca7a4a2c05b3349256e600050980e?OpenDocument
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気がつきゃ2月も終わりじゃないか。30日まであるのとないのとでは、えらい違いだなあ。それに、いろいろあるなあ。
■もう明日25日じゃないか。「玉川美穂子のやりたい放題! 浪曲春一番」。
1月28日に、このことを書いている。
2月25日、浅草は木馬亭に春風は吹くか、吹くだろう、これだけイイ女がそろえば。 玉川美穂子やりたい放題 玉川美穂子としゃみしゃみいず「しゃみしゃみいず」とは。若い男のバアドル沢村豊子、もうこの人の三味線聴いたらドキッとするぜ。アアンかわいいようあんたはホントウのアイドルだ!沢村さくら。あんたはどうでもええオバドル、玉川美穂子。この三人の三味線、こりゃもう楽しみってもんだ)
それからそれから、おっと、関東の空風と野田の醤油でノドを鍛えたかベテラン澤孝子に、三味線の曲師は、アノ佐藤貴美江だ。なにっ?佐藤貴美江を知らんと? おれが5年ぐらい前?に一目ぼれ、いや一聴きでほれた三味線、どことなくニヒルでアナーキーなフンイキが漂う三味線がねえ、いいのだよ。
沢村豊子の三味線、聴いてくれ~、その「艶」、「つや」だよ、「つや」というのはコレだよ。バアドルどころかオバドル、いや「ウバドル」と思ったのだが、いまの連中には「姥桜」のよさはわかるめえ、と、迷ってバアドルにしたが、「ウバドル」を主張しよう。もちろん三味線だけじゃなく、その着物姿も声も、「艶」ですよ、ウバドルです。
となりゃあ、玉川美穂子は、アネサンだよな。アネドル、アネサン元気で力仕事、力仕事も若いときは大事だ。ああ、アアンかわいいようあんたはホントウのアイドルだ!沢村さくらは、そのままで、ヨシッ。
このチラシを思い出してくれ。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/tamamiho.htm
いよいよ、明日、浅草は木馬亭。浪曲はな、労働者の娯楽、芸能だったのよ。だから、労働者嫌いの「市民」のあいだで廃れたのか? そんなこといわないでさあ、見てちょうだい、行ってちょうだい。
■さて、これはなんだ。「関東極道界の抗争を鎮めるため対抗組織の頭を殺すよう、陣社長に白羽の矢が当たった……」なにやら浪曲くさい呼び込みセリフだが、これは花山らら率いる劇団40CARATの出し物、「月光」だ。詳細は、こちら。
http://www.40carat.com/index.html
ありゃ、今日から始まっているのだ。27日(日)が最終日。行きますよ。なぜか、このシバイ、渡辺勝、大庭珍太、竹間隆などの生演奏バンドも出演するのだよ。渡辺勝さんのブログ見ていたら、作曲やら稽古やらやっている。ハテ、どういうものなのか、行ってみなきゃあな。たのしみたのしみ。
でろでろ、まだあるぞ。
■ありゃりゃ、これも明日25日からだ、でも3月17日までやっているね。言水制作室で、押川東一郎展。押川東一郎さんのことは、まったく知らないが。この言水制作室で、展覧会というのは、去年の夏ごろ一度みたが、なかなか面白い試みなのだ。行ってみよう。この言水制作室のある建物も一見の価値あり。行きましょう行きましょう。こちらに詳細。
http://www.kotomizpress.jp/
■どどど、と、sumus同人の林哲夫さんの、素描展、読む人。3月4日(金)から13日(日)まで。行きましょう行きましょう。こちらに詳細。
http://www.geocities.jp/sumus_co/daily-sumus0502.html
■さて、いよいよ、だ。「汁かけめし快食學」を読んで口直しに、この本を見るか。この本見て、口直しに「汁かけめし快食學」を読むか。散歩の達人編集からトラバッタ女編集者の、トラバリふんばり第一作。『THE SNOW QUEEN/雪の女王』 3月8日発売。詳細は、こちら。
http://www.petit.org/online/PBO0095.html
ふう、いろいろあるなあ。まだ、あるんだよな。とりあえず、こんなところで。
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やはり東京は、虚飾情報発信基地なのだなあ。おれのような不安定文筆労働者も、その一端のカスを担っているわけだが。
芸能チックな華やかな話にあふれ、文化ポイ仕事にかかわっているひとや、労働者的ではないテキトウに怠け心のあるアソビニン的人間が、なにやらイキなよい人生を送っているように語られる。そういうことに慣れきった日常。
そして、地味な生産を支える労働者や、その地味な生活を支える文化も、影がうすい。きのうの天津漁港あたりで生きているひとたちも、うだつのあがらない人生として注目されることはない。
ま、日本の農林水産業の没落の根本は、政治的な問題が大きいが、そういう政治がスンナリ続いてしまう「文化的土壌」もあるようだ。「貴賎」という思想の存在。生産を支える労働から離れるほど「貴」に近づき尊いとする。その「広告塔」として、マスコミで活躍する芸能人や文化人がいるわけだが。かつてバブルのころ、生産の労働は「3K」といわれ、トコトン貶められた。そのまま、状況は続いている。
ところで天津漁港のある天津は、特急停車駅の鴨川と小湊に挟まれて各駅停車しか停まらない、まとまった商店街もない漁村の姿だ。天津漁港の案内には、「観光の町として知られている」とあるが、とんでもない。
漁港地域は、みわたすかぎりホテルらしい建物はない。3階建ての建物が一軒あるのに気がつくが、それ以外は高い建物は見えない。フツウの民家が並び、民宿が数軒あるだけ。バブルの残骸も目立つ、「観光化」した鴨川や小湊とは、かなり違う。
この漁港の、すぐ気がついたフシギをあげると。ネコがあまりいない(一匹目撃しただけ)。魚のナマグサイ臭いが、ほとんど気にならない。棄てられたままの老廃物が少ない。漁船数やトン数からすれば、それなりの水揚げがあると思われる漁港なのに。
つまり、漁業労働の環境が、たぶんそこで働く人たちの手で、よく整理されているのだ。じつに清々しい漁港なのだ。この姿こそ、いまや希少な、よい観光資源のような気がするのだが。でも、虚飾になれきった「東京人」は、虚飾な観光を求めるからなあ、難しいのかなあ、残念だなあ、惜しいなあ、また行きたいなあ。
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日本の農業の堕落、じゃない、長期低落衰退はよく知られるところだが、漁業も、それ以上といってよい。「四方を海にかこまれた日本」という言葉が欺瞞にしか聞こえないような、海岸線のアワレな姿。
列車で行くと千葉県外房のJR安房天津駅。天津漁港へ行ってきた。ひさしぶりに、いい漁業の町、いい漁港を見た気がした。生き生きとした漁師たちがいて、漁港も漁船も、よく手入れがされていて。
イワシをズラズラと丸干ししている魚屋があったり。アジの骨せんべいになるアジ骨が、ズラズラと干してあって、写真を撮っていると、オヤジが近づいてきて、「どうだキレイなものだろう」「これは、みんなあのベテランさんが手でさいたのだよ」と二人のオバサンを指差して誇らしげに言う。すばらしい、すばらしい。
はあ、でも、いまは疲れたというか、心地よい酔いなので。そのうちザ大衆食のサイトに、写真と共に掲載する、ということで。
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最近のコメント、2月18日の「定食のススメ」のヤマザキさんのコメント、すごく面白い。ぜひご覧くださいよ。
日本人が多いブラジルだからだろうが、「teisyoku」や「yakisoba」が「sushi」みたいに広がったら面白いなあ。アメリカの「和食」もやっている某飲食チェーンの幹部に知り合いがいるのだが、教えてやるか。
そりゃそうと、ヤマザキさんは、「レズビアン&ゲイ映画祭に参加した時、二日酔いに苦しみながら」見つけたというのが、なんとまあ「らしい」じゃないですか。「『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』『百合祭』脚本担当。ピンク&「薔薇族」監督」というのが、ヤマザキさんの最近の自己紹介。
http://www.7th-sense.gr.jp/
その定食の白身魚フライで思い出したのだが。あっちの南氷洋海域では、メルルーサという白身魚が大量に獲れたはずだけど、いまはどうなのだろうか。ま、日本でいう「タラ」の系統で、かつては給食に大量に供給された、安い魚。これが、フライにするとうまくて、マクドナルドが日本に進出したてのころの1970年なかごろ、フィレオフィッシュには、コレを使っていた。日本の某水産メーカーが、仕様発注を受けて提供していた。
たしか、メルルーサは、最近はあまり輸入されてないのではないかな。ようするにねナニゴトも商売だから、安く大量に手に入るうまい魚でも、商社などが、安すぎて商売にならないと取引しなくなってしまうのさ。ワレワレは有る資源から食糧を得ているのではなくて、マーケティングコストに見合う資源から食糧を得ている、というわけだ。その点、日本人は、企業に管理されやすい。生鮮品のことだけど、スーパーの店頭を見ても、ホント、なんだかんだいっても日本のスーパーは楽しているほうだと思うよ。消費者がおとなしいから、一定のプライスゾーンにおさまる種類の限られた品種、それでいいのだからさ。
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そういうわけで、今朝の↓話の続きであるが、レトロブームがふれない避けているところの戦後昭和の一端を、もっとも意識して書いた、「大衆食堂の研究」の「田舎者の道」をHTML版に掲載した。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_index.htm
おととい、幻堂出版のなかのさんから、鈴木漁生本の、「漁生の漫画家残酷物語」「漁生の浪漫戦記 青春の墓場」に続く3冊目、「漁生のヒーローグラフィティ60’S」が送られてきたので、さっそく見た。そして、鈴木漁生さんが1980年代になって83年ごろを最後に、「筆を折ったわけではなく、仕事がこなくなってマンガ家業を失業」と書かざるを得ない状況になった、そのワケがピンと来た。
昭和30年代といわれる、1960年代といわれる、その時代の最も核心的な部分を担っていたのは、都会文化ではなく田舎文化だった。かたや対極に元「占領国」のアメリカ文化という構図だった。
総務庁「労働力調査」でみても、1960年には総就業人口の27%が農業就業人口であり、3441万人と国民の3人に1人は農家世帯員だった。東京の下町もちろん、世田谷だって、イナカッペの住むところだった。1960年から70年代中ごろまでは、ほとんどの人たちがイナカッペで、アメリカ文化と向き合っていた。
つげ義春さんや東陽片岡さんをレトロブームの作家とはいえないだろうが、昭和が語られるとき語られるつげ義春さんや東陽片岡さんのマンガにはないものが、鈴木漁生本にはある。それは、田舎そのものであり、田舎者の激情であり野性であり希望であり……なのだ。
そして、鈴木漁生さんは、1980年代以後の田舎文化や田舎者性をハッキリ否定した東京を中心とする都会文化に同化できずに、ダサイ田舎者性を捨てきれず、その絵にためこんでいたがゆえに、「仕事がこなくなってマンガ家業を失業」することになってのではないかと思われる。
ようするに近年の昭和レトロブームというのは、じつは、昭和の最も核心的な部分の田舎文化や田舎者性の否定なのだ。
ってことで、ちょいと忙しいもので、これぐらいで。
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当ブログに「オッ「大衆食堂の研究」から10周年」を書いたのは1月4日だった。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2005/01/post_4.html
そのあと数日、そのことについて書いているが、いつのまにか気まぐれに立ち消え。というわけで、またもや話を復活させよう。
最近の「レトロブーム」は、いつ始まったのか調べていた。まだ正確に発生のプロセスはつかめてないが、「大衆食堂の研究」の企画が決まったのは、推測すると93年ごろではないかと思われるが、そのころにはレトロブームの雰囲気が濃かったように思うし、「大衆食堂の研究」の企画がスンナリ決まったのもレトロブームが背景にあったからだと思われる。
ナンジャタウンの開業が1996年。幕内秀夫さんの「粗食のすすめ」の発刊が、1995年7月で、「大衆食堂の研究」と同じ月。銭湯ブームに火がつき、町田忍さんが注目されたのも、そのころだ。
「粗食のすすめ」が爆発的に売れたのには、レトロブームが、かなり影響している。ついでにいえば、いまの古本ブームや「和」ブームもスローフードブーム?も、その延長だろう。
レトロブームというのは、記憶のリサイキュレーションという側面を持っていて、リサイクルOKのものだけ「レトロブーム」でリサイクルされる。つまり、あいだに、フィルタリングが働くのだ。問題は、なにがフィルタリングで、はずれたか、はずされたかだろう。
「大衆食堂の研究」では、そのはずされたものに執着した。であるから結果的に、レトロブームとは一線を画すことになり、レトロブームにのることはできなかった。それは同時期の「粗食のすすめ」と比べてみれば明らかなのだが。そして大衆食堂のイメージに近いであろう、「下町ブーム」や「銭湯ブーム」とも無縁だった。
なにかを選べば、一方で何かを捨てているのだ。
レトロブームや下町ブームで捨てられたのは、ナニだろうか。「先進文化」や「山の手文化」ではない。もちんろん「近代文化」でもない。
大胆な予測をすれば、現在進行中の「憲法改正」のメドが立つまで、現在のレトロブームは続くだろう。
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2月16日の「すごいぞ、この食堂メニュー」の
雅楽多blog
http://gutti.livedoor.biz/archives/14397054.html
にあった横浜は秋葉屋市場食堂のメニューの写真をテキスト化するシゴトは、なーんと、ご常連の駄目ブログの吸うさんが素早くやってくれて、17日朝にはメールで送ってくれたのだ。
んで、雅楽多blogの管理人さんはメアド非公開なので、お言葉に甘え、ザ大衆食のサイトに掲載させてもらった。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/yokohama_akibaya.htm
すごいぞ、すごいぞ。
これは、いい資料になる。雅楽多blogさん、吸うさん、どうもありがとう。
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なんだか「和」ブームらしい。「定食」が注目されるのも、それが「和」のイメージということに関係があるようだ。「和」というとフツウ、近代の「洋」に対する江戸期以前の「和」をさす。
でも、2月13日の日記「定食の起源は?」で書いたように、もともと「定食」という言葉は、西洋料理から始まった可能性が強い。でも、「和」のイメージなのは、近年の「定食」につきものである、「コメのめし」が原因と考えられる。
しかし、『汁かけめし快食學』にも書いたが、コメのめしが庶民、つまり国民レベルの日常に定着するのは近代になってからだ。ほぼ昭和30年代といってよいだろう。それまでは、階級差や地域差が激しく、「国民的」とはいいがたい。
前にもザ大衆食のサイトの、どこか、あるいは、以前の日記に書いたと思うが「米食文化」は、庶民の側から見たら「米食願望文化」といえる。
ああ、今日は、そのことじゃないんだな。「定食」が西洋料理から始まった近代の文化であるなら、それ以前は「定食」のようなものを、なんと呼んでいたかだ。それについては、前に、「「定食定義研究」の研究」に書いたが、おそらく「膳」「御膳」だろう。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/teisyokukou.htm
伝統にしたがうなら、「サンマ定食」ではなく、「サンマ膳」「サンマ御膳」ではないか。これなら、近代以後の中華や洋食の定食と混乱することなく、まちがいなくコメのめしにみそ汁に漬物がつく日本の食事の呼び方として、日本文化の特徴を出せる。
では、なぜ「膳」「御膳」の呼び方が、近代以前に庶民のあいだに定着し、かつ近代に継承されなかったのかというと、そこにコメのめしがつきものだったからだろう。コメのめしと縁遠かった、多くの庶民のあいだで、その呼び方は日常的な親しい言葉ではなかった。
で、近代以後のコメのめしの普及とあわせて普及したのは、新しい言葉である「定食」だった。と、考えられそうだ。
ともあれ、こちら、ザ大衆食の「リンクの花園」からリンクしている、アメリカ留学で一人暮らしを始めた澤田寛さんの料理記アンド食記の「お品書き」を見て欲しい。
http://www.geocities.co.jp/Foodpia/2192/oshinagaki.htm
これを見て、おどろいた、ご本人は、どのていど意識されているのかわからないが、この写真の「和定食」は、すべて「膳」に整えられているのだ。かつ「和」以外のものには、膳を利用してない。
日本を離れて、日本人性が表出したのだろうか。でも、「和定食」と呼んでいるのだけどね。それは、いかにも、近代を経過した「和」の姿ではないだろうか。
最近の「和」ブームには、国家主義的な、つまり「国家」としての「和文化」という、キナクサイ思想統制的な傾向も見受けられる。そういうことじゃなくて、自分たちの生活の足元から出発することだろう。と思うね。
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「宇都宮市を中心に13万3000部配布というフリーペーパー「リビングマロニエ」2月19日号の一面特集「定食」に「定食のススメ」を書いた。」と2月13日の日記に書いた。
この記事が、リビングマロニエのサイトで見られる。カッコイイ!
最近、このテのフリーペーパーの編集が充実してきて、活躍がめざましい。特集タイトルは「食べたい!知りたい!定食のススメ」
PDF版なので、AdobeReaderをインストールしてない方は、こちらリビングマロニエのトップからダウンロードできる。
http://www.m-living.com/
インストール済の方は、こちらから直接見られる。
http://www.m-living.com/living/kako/pdf/0219/0219_1.pdf
近々、この原稿を書くについて考えたことなども含め、ザ大衆食のサイトに「定食のススメ」を掲載したいと、思っている。
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頭痛をねじふせるようにしてシゴトを片づけたのち、夕方めしのしたくの買い物に出た。歩くと頭がズキズキする。こういう二日酔いはめずらしい、脳に酒瘍ができたか。しかし、最近は、吐かない。もったいないから、出かかっても口の中にためて、また飲み下しているうちに吐かなくなった。のかな。
今朝ココに書いた↓昨夜のことを少し思い出した。財布のなかみが出版記念会の会費以外はあまり減ってないと思ったら、太っ腹塩山社長が払ってくれたのだ。それに鳥園からゴールデン街へ向かった多田さん+女たちとわかれたのは、ゴールデン街へ行ってしまうと終電に乗れなくなるからだ。んで、わかれて塩山さんと駅に向かって歩いていたら、新宿区役所通りでフロイデを思い出し、ちょいと寄ってみたのだった。何を話したかは覚えていない。どうせ罵詈雑言に決まっている。帰り、靖国通りで塩山さんはタクシーを拾って会社だかオンナのところだかへ向かった。
でも、これしか思い出せない。こんなクダラナイこと思い出してなんになる。なんにもならない。
おどろいたのは、テーブルの上に、ロールケーキを食べた痕跡、冷蔵庫のなかに缶ビールロング缶が入っている。どうやらコンビニで買って帰ったらしい、まだ飲むつもりだったのか。ロールケーキの食べかけが残っているから、それを食べかけたあたりで、バタッとベッドに倒れたのだろう。どうもヨッパライというのは不可解な行動をとるようだ。
だいたい出版記念会なんていうのは、会費は御祝儀でロクなものはくえないとわかっているから、新宿に着いてからラーメンを食べて臨んだ。それにしても、あの住友ビル51階のシャーウッドの料理は、マズイ。いつもああなのか。長野屋(新宿南口に昔からある大衆食堂)のほうが、はるかにマシ。それに大衆食堂のマズイのは、おれの口にあわないのだろうと思って許せるが、住友ビル51階あたりで気どっている店があれじゃあな。が、うふふふ、おれと塩山さん多田さんは、いちばん嫌われるマナーの悪い、立食の料理が置いてあるテーブルのそばを一歩も離れず、食べかつ飲んだ。
どうも、ピンク映画やエロ漫画と、むかしながらの大衆食堂は、おなじような「立場」にあるなあと思った。ま、偽善な世間がオカシイし、世間は偽善なものだ。ただの偽善ならまだしも、ちかごろはクソッタレどもが、やたら文化ぶって、上品ぶって、セレブぶって、カワイぶって。貴様のことだよ!貴様、ただの労働者だろうが、文章書いているぐらいで気どるんじゃねえ。……おっと、塩山悪態病がうつってしまったか。おれ、バカで下品な下層の不安定文筆労働者です。
とにかく塩山さん多田さんがオススメの山崎邦紀監督の作品を見なくては。
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山崎邦紀さんの誘いにのって新宿シャーウッド、浜野佐知さん「女が映画を作るとき」出版記念会。むさくるしき塩山さん多田さんエロ漫画編集コンビとバカ話に狂いながらのみまくるうち、吉行和子さんに挨拶しそこねる。浜野監督作品より山崎監督作品のほうがゼッタイによい。だってさ。もちろんスケベオトコにとってということ。終了間近、畠中さん。
のち、塩山多田畠中アンドかわいい茶大生とやきとり横丁鳥園、のちふらららと歌舞伎町。ふららら多田畠中茶大生はゴールデン街へ塩山おれはフロイデへとわかれてしまう。フロイデ、5年ぶりぐらいか。
泥酔記憶喪失帰宅。二日酔い。
浜野佐知
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C9%CD%CC%EE%BA%B4%C3%CE?kid=39165
第七官界彷徨 尾崎翠を探して
http://www.7th-sense.gr.jp/
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ややっ、これはスゴイ。ガツンガツンだぜ。これだけの量のメニューというと、「大衆食堂 横丁」や「さんちゃん食堂」とか、それ以上か? いずれにしても、おもわず興奮ふがふが、テキスト化すると、コメントを残してきてしまった。やるぜ。
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そうそう、今年は「大衆食堂の研究」と「大衆食の会」10周年なのだ。チョット前にここで「大衆食堂の研究」を書いたころの回想を書き始め、話しが横にそれて、そのままになってしまった。あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、おれの人生のような、このブログ。
ま、それでも、第1回の大衆食の会、「サバの味噌煮を食べる」のときに配ったレヂュメのデータが、どこかにあるはずだと、さがしつづけ見つけたのであります。
ザ大衆食のサイトに掲載した。ぜひご覧ください。10年前、あなたは、どこでなにをしていたか。おれは、こんなことをしていたのだ。だから、どうした。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/kai/9510_sabamisoni.htm
1995・平成7年
1月17日 阪神淡路大震災
3月20日 地下鉄サリン事件
「ラブ・ラブ・ラブ」ドリームズ・カム・トゥルー
「ダ・ヨ・ネ」イースト・エンド×ユリ
映画「フォレスト・ガンプ」
本「ソフィーの世界」
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きのうの日中は、ちょいと暖かだったような気がする。いや、外を歩いていて、「ああ、春の山菜の季節だなあ」と思うようになれば、暖かくなってきたということなのだ。
きのう、「ああ、春の山菜の季節だなあ」と思った。そして、昨年も、そのように思って「ザ大衆食」のサイトに何か書いたような気がして見たら、これがあった。「ふるさとの味」考。今年こそは、大崎菜を食べたい。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/hurusatonoaji.htm
しかし、故郷は4メートルに近い積雪の下だ。山菜は、いつ食べられるのだろうか。今年は地震のあとの豪雪だから、故郷の人々の春待つ気持は、例年より強いのではないだろうか。大崎菜が出回りだせば、雪解けは近い。ハズなのだが、最近はハウスを使っているようだから、どうなのかな。
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「いっぽう『西洋料理通』のカレーは「カリド・ウイル・ヲル・ファウル(curied veal or fowl)つまり「カレー粉で肉(仔牛 こうし)や鳥を料理すること」という注がついていて、「肉や鳥の冷えた残り肉を、刻んだネギとリンゴ、カレー粉、小麦粉と水か白汁(米のとぎ汁)で煮てユズ汁を入れる。これを輪状に盛ったご飯の真ん中に盛る」となっている。(カッコ内は著者注)」
これは、『カレーなる物語』(吉田よし子、筑摩書房)のなかの著述だ。第一刷発行が1992年3月の1995年4月発行の第3刷からの引用。
拙著『汁かけめし快食學』では、カレーライスを汁かけめしの歴史に位置づける試みが眼目だったので、インドを元祖や本家とするカレーライス伝来説の著述のヘンなところをイチイチあげつらねるのは最小限にしたから、この点については、触れてない。
きのう、図書館で見たら、この本と同じ著述の本があった。この本は、たぶん、おれの本などより売れているだろう。見ている人も多いだろう。だから、ちょっと書いておこうかな、というわけだ。
この引用の部分には、このテの本を書くにしては、ヒドイ間違いがある。
誰にも誤りはあるし、いろいろな条件のなかでの著述は完璧ではありえない。でも、この誤りは、そういうたぐいとは違うのだ。
「(かっこ内は著者注)」とあるのは、「白汁(米のとぎ汁)」をさしていて、「白汁」についてワザワザ著者は「米のとぎ汁」と注をつけた。なぜそんなことをしたのか。ということは、またの日の話にして。それは、インドを元祖や本家とするカレーライス伝来説を主張する著者にとっては必要なことだった。
しかし、これはヒドイ間違いだし、そもそも、この記述がある隣のページには、『西洋料理通』の原本から、その部分を撮影した写真まで入っているのだが、そこには「水或は第三等の白汁いづれにても」とある。そして、「第三等の白汁」は、この『西洋料理通』を最初から読めば、第一章の最初に出てくるもので、「米のとぎ汁」などではない。つまり、著者は、あきらかに、『西洋料理通』を読まないか解読してないのだ。
ほかの本の解説ならともかく、『西洋料理通』は、インドを元祖や本家とするカレーライス伝来説のカギになる「史料」だろう。インドを元祖や本家とするカレーライス伝来説にとっては「第一級の史料」といってもよいだろう。それなのに、このお粗末は、なんなのだろうか。
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宇都宮市を中心に13万3000部配布というフリーペーパー「リビングマロニエ」2月19日号の一面特集「定食」に「定食のススメ」を書いた。その内容は新聞が発行になってから、「リビングマロニエ」のサイトでも見られるようだが、「ザ大衆食」のサイトにも詳しく掲載するつもりだ。
「定食」というと、近代以前からある「和食」のイメージが強いようだ。でもおれは、西洋料理のコース料理を「定食」と呼ぶようになってから普及したのではないか、もとは明治以後の「西洋料理店」で使われた言葉が普及したのではないかと考えている。
そのことは、前に、「ザ大衆食」のサイトの「『定食定義研究』の研究」に、ちょいとだけ書いた。
『明治大正見聞史』(生方敏郎著、中公文庫78年)をパラパラ見ていたら、「明治時代の学生生活」に、「定食」が出てくる。日露戦争(明治37、1904)前、明治32年ごろまでの学生風俗だ。
「一般の人々、わけても学生がよく行った食物屋は牛屋であろう。」と、木村荘八さんの親父の妾チェーンで有名な牛屋「いろは」のことが書かれている。
そして、「西洋料理は牛屋と較べて数も遥かに少し、また繁昌しなかった。一品料理屋というものはなく、たまたま洋食店があれば堂々としたもので、また私たち、客は自分の好きな物だけ二、三品取って食事をするというようなことも知らず、万事不馴れで、小さく大人しくしていた。ボーイの運ぶままに必ず定食を食べねばならぬように思っていたから、その上エチケットを無視するほど大胆でもなかったので、誰も洋食の卓に向かうことを多少億劫がる傾きがあった。定食は一円か一円二十銭位で幾皿も運ばれ、私などにはどうしても一人前の定食は食べきれなかった。」とある。
ま、これでは、西洋式食事の何を「定食」と呼んだか、どういう言葉の「訳語」なのかまでは、正確にわからないのだが。コース料理のことだろうとの想像はつく。
おれの知るかぎり、江戸期の文献に「定食」の言葉は見かけないし、このような例がほかにもあるので、「定食」は明治の西洋料理店から始まったのではないかと思っている。
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インテリ自己中心主義の香り高い街、国立は地球屋で、鰓さんの旦那ヒゴヒロシさんが企画のライブ「シリーズ 日本の味」なのだった昨日の夜。
出演は、たまみほさん率いる浪曲界のアイドルトリオ「しゃみしゃみいず」(玉川美穂子+沢村豊子+沢村さくら)と「和敷」(森順治+ヒゴヒロシ+つの犬)
鰓さん、ヒゴ旦那、初対面あいさつ。ブログで「交際」していたせいか初対面とは思えない。
口火はたまみほさんの浪曲「シンデレラ」。聴くのは2回目だが、前回からだいぶ難しくバージョンアップした印象。バージョンアップしすぎたせいか、おれがそばで見ているせいか、前半トチリがはいる。ま、出だしは難しい、愛嬌のうち。後半調子にのり、けっこう聴衆をつかんでいた。
と、書いていると長くなるので簡単に。
浪曲シンデレラのあとは「しゃみしゃみいず」。浪曲三味線を3人で弾くなんてのは、初めて見たが、なかなかよいものであった。豊子師匠が浪曲のときのように、押したり引いたり……。
で、そのあと、「和敷」の登場。これはもう、さすが。初めて聴いたけど、ヒゴ旦那作曲の曲は、なかなかなのだねえ、CDが欲しくなった。ヒゴ旦那のベースエレキギター、つの犬さんの太鼓ドラムス、森旦那の尺八や横笛。つの犬さんのオシャベリがちょいと観念的な「和」っぽい感じがあったけど、演奏は、しっかりイマの「日本の味」だったな。おれ的には「海路」が、よかったかな。
最後に「しゃみしゃみいず」が加わってフルバンド。いやあ、その最後も最後に、たまみほさんのボーカル浪曲まで入って、これがまあ、声は出ているのだけど、なにを言っているかはわからない、でもそれが三味線が加わったバンドとやけにあって、盛り上がったなあ。
気がつけば、演奏終了、11時過ぎてた。あわてて終電セーフ。
当夜の詳細は、エラさんのブログにあります、ぜひご覧ください。
http://stelet33.moo.jp/diary/archives/2005/02/post_31.html
今日はナニヤラ飲み疲れ? ぼんやりしているうちに、やはりおれは国立のような、賢い正しい文化的な街というインテリエリートくさいんは息がつまりそうで苦手だね。だいたいねえ、高い建物は規制していても、直線的な道路に、チェーン店だらけ。機械的で、生業者の香りがしない。もちろん昨夜の地球屋や、そこにいた人たちのことじゃなくて。国立の街の持つ雰囲気のことね。
それを考えていたら、おれはようするに、バカでイイカゲンな「めざすは30~50点人生」だ、と思ったので、左サイドバー、「アステア・エンテツ犬」の下に、その文字を書いたのだ。
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そういえば最近、『汁かけめし快食學』の検索を怠っている。
もう飽きたのか。って自分で飽きちゃあ、しょうがないな。
さきほど「はてなダイアリー 汁かけめし快食學」を見たら、2月11日にリンクがある。ほやほや。
「『痩せゆく男』の手記」 うーむ「痩せゆく男」とはのう。痩せたがる女は多いようだが、男は、どうなのだろうか。男は「痩せゆく」思いをしているひとが多いのだろうなあ。そうでもないか、おれのまわりの、モ●●ーくんとかセ●●ーくんとか、「痩せゆく」かんじは、まったくない。
それはともかく「痩せゆく男」さんは、「デイリーポータルZ」で見たとのことなので、そこを調べる。あった。これだ。
コネタ415「ねこまんま弁当を買いに」
http://portal.nifty.com/koneta05/02/09/02/
すごいなあ、『汁かけめし快食學』を見て、熊谷まで「ねこまんま弁当を買いに」行っている。でも、ないんだよな、もう。そうそう、自分で作るのがイチバン。どうも、ありがとう。
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最近のコメント。2月4日の「レモン丸かじり」に
pfaelzerweinさんからコメントをいただいている。
そのなかに、2月3日の「ドカ雪涙の冬山合宿の思い出」に関連して、「「冬山合宿の思い出」、失礼ながら 昔 の 山 雑 誌 の「バックナンバー」の雰囲気を味あわせて頂きました。飯盒の米と何が食料だったのでしょう。餅も使われていましたでしょうか?」とある。
これはオモシロイことなのだなあ。ついでに、ちょいと回想してみよう。
山の装備も食事も、1960年代の前半から大きく変わる。ようするに、まず「工業化」の影響を、つぎに「自由化」の影響を、そして「高度化」の影響を、受けるのだ。その間に交通手段の変化もある。それで、登山の考え方や方法まで、まったく変わってしまうのだが。
1960年前後おれが高校山岳部だったころは、田舎の高校だから高度経済成長や工業化の恩恵はあまりなく、まだ昔の農村地帯の生活環境そのまま。最新のものは手に入らないし、雪が降れば上越線だけが、「外部」との交通手段という状態だから、生ものほか物資が極端に不足し、各家庭は冬前に貯蔵しておいた食糧を食いつなぐ。ほんと、「越冬生活」なのですね。
まず、pfaelzerweinさんの質問だが。冬山合宿は正月前にやってしまうので、そのころは、ちょうど餅がない時期。当時は、餅つきをしなくては餅がなかったし、登山なんていう「道楽」のためにワザワザ餅つきなどできないし。正月あけると、正月、2月の小正月にも餅はついたし、3月4月5月6月と節句のたびに餅をつくのが普通だったから、餅は、よく山行に利用した。でも、秋のお彼岸以後、正月準備までは餅つきはない。
で、ほんとうは2泊3日ぐらいの冬の山行だと、家で飯盒でコメを炊いてしまい、そのまま携行するか、炊いたコメをニギリメシなどにしてたくさん持って行けば、かなり楽できる。しかし、イチオウ合宿の場合、雪中訓練という意味もあるから、それは控えめにして、アルファ米とパンと当時普及しはじめたばかりのインスタントラーメンを主食として準備していたと思う。
あと予備用にカンパン。記憶にあるものでは、煮干と干しぶどうとチーズやジャムやチョコレートあたりが、重要だったように思う。煮干はダシというよりポリポリ食べる感じだね。そうそう当然、魚肉ソーセージやクジラ缶詰や各種缶詰。クジラのベーコンや自製の豚肉の味噌漬けなども、利用したことがある。それから「工業化」の新商品では、スープの素やインスタントコーヒーやココアといったもの。
キューリのキューちゃんが記憶にあるが、あれは夏合宿だったかな、ふりかけの「のりたま」とか。タマゴを、ほろほろというの、スクランブルエッグを塩加減濃い目にグチャグチャに焼いたもの作って持って行って、雑炊に入れた冬もあったな。
こうやって思い出そうとして思い出せないのが、野菜は、なにを持って行ったのか。まず、生野菜は、町中でも手に入りにくい時代だったから。野沢菜漬けとか味噌漬とか持って行ったのかなあ。
雪中で飯盒を利用した記憶はない。ほとんどコッへルを使っていたように思う。コンロは、石油とガソリン。ガスは、フランス製が普及した、60年代後半からだったね。
高校1年のときは、ザイルは麻ザイルだけ、これにワセリンを塗る手入れは1年生のシゴト。50年代後半に丈夫で軽量と登場した「ナイロンザイル切断事件」は、井上靖の「氷壁」で広く話題になったが、そのナイロンザイルを部費で購入したのは、2年のときだったと思う。部室で、真っ赤なナイロンザイルを初めて見て触ったとき、すごく興奮した。きっと、おれの目は美しくキラキラ輝いていたぜ。
てな、ところで、今日はオシマイ。後日、夏合宿の思い出でも書きたい。おれは1年生の夏合宿のとき食糧計画を担当して、それで初めてカロリーだのなんだのを考えたり計算したりしたんだなあ。
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「ナンダロウアヤシゲな日々」2月9日を見たら、なんだか畠中さんや綾繁さんは「エンテツ一門」に属しているというようなことを書いているページがあるらしい。
http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/20050209
んで、おかしいなあ、おれの一門には若い可愛い女しかいないはずだが、と、のぞいてみた。
http://homepage2.nifty.com/ARARYU/sub1b12.htm
なるほど。これはアレだね、「だらしない飲兵衛一門」ということだろうね。ホント、あの人たちの飲み方は、だらしないからな、おれも弟子に合わせるので、いつも苦労している「一門」なんだ。
しかし、なんだな最近も愛人豆子に「酒場の守り神」といわれたのだが。なんじゃ! ようするに、おれは飲兵衛の印象しかないのか!
ま、それで、十分だけどな。アステア・エンテツ犬だし。一門のものども、ちゃんと酒のお供えを忘れるなよ。
ああ、しかし、その「嬉しい悲鳴」の一箱古本市とかいうの、ゴールデンウィークというのはね、まずいね。書を捨て山へ行くものです。健全な男というのは、山と酒場ですな。
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質問人形の豆はくわないが豆くう会。新宿「ぼるが」19時半前に岐阜屋きくやハシゴ。思い出横丁入口そばの、60年代からあった古本屋とカレー屋がなくなっていた。
質問人形女のちアフリカターザン短歌男にアーンアンアン来月結婚女アンド小瀧したたる女来たる。圧倒的流行先端オシャレ系若者に混じり一人エンテツ浪花節爺。
自分への質問は巧みにかわし質問攻めする質問人形。質問バトルをつまみに酒ぐいぐい。なめろうがうまかったねえ。
二軒目短歌男馴染みの池林房系「犀門」。な、なんと主人トクサンと20年ぶり。トクサンとは池林坊開店前の「もっさん」マネジャー時代から。池林房には毎晩のように入り浸っていたこともあった。しばし昔話。「もっさん」のころはまだ20代だったねえ。タカノ、ナトリ、古い名前が飛び出す。ケッ、みんな偉くなりやがって。おれもあんたもトシくったなあ。
テーブル囲み白ワイン一本のみほし追加赤ワイン一本の途中で、おっと帰巣本能の鐘が鳴る。あわてて出てミゴト終電セーフ。妙にオモシロイ顔ぶれの夜だった。酒代払い忘れ。短歌のお題は「鍵」。
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今夜、というのは、7日から8日にかけて。なんだか「書評のメルマガ」がドバッドバッと下痢便のように続けて送られてくる。編集人の南陀楼綾繁さんの便秘の栓が、インド帰りのヨメの浣腸かなんかで解除され、ほとばしっているのか。
それはともかく、そのvol.199で、おれは最近このブログで書いている1967年発行の『東京いい店うまい店』を取り上げている。書き出しは、こうだ。
「1970年代の外食産業誕生前夜の刊行。人びとは、高度経済成長で少しばかりのカネとヒマを得て、なぜか関心は「家族で外食」へと向かった」
コレ、「「家族で外食」へと向かった」のは、あたりまえのように思っているひとが多いかと思うが、オカシイのだ。
世上、古きよき時代は家庭の平和を象徴するように、家庭で家族そろっての食事がフツウだったと、「昔はよかった」を主張する人たちはいう。もちろん、それは、現象としてフツウだった。問題は、それが文化としてフツウの習慣だったかどうかだ。
文化としての習慣、つまり年月につちかわれた精神的な何かがあるのなら、ヒマとカネを得たぐらいでは失われないだろう。家族そろっての外食へと向かうのではなく、家庭での食事なりホームパーティーなりの向上や充実に、それが使われるはずだろう。すでにある習慣がよいものならば、それをよくしたいほうに向かうのが、生活というのは保守的であるがゆえにフツウだろう。
それが、外へ向かったというのは、内の否定であり、内には、それほど魅力的な文化はなく、経済的諸条件で、しかたなくやっていた。と思わざるを得ないフシがある。
誕生日の食事が、なぜ「家族そろっての外食」になるのだ。とりわけ誕生日は、家族の一員の生命の祝祭であるがゆえに、家庭ですべきだろう。しかし、そういう精神は希薄に思える。
「家庭で家族そろっての食事」は文化として、つまり家族が望むものとして定着していたのだろうか。精神として、「家庭で家族そろっての食事」が素晴らしい良い大切なものという文化が日本には、あったのだろうか。経済的便宜的だったのではないか。
という疑問が残る。いや、そういう疑問を、おれは持っていた。
そして、最近、鈴木漁生本を2冊、幻堂出版から貰って見て、やはり一層その疑問は深くなったのだ、だだだだだっ。
ってことで、今日はオワリ。
幻堂出版の鈴木漁生本、ぜひ見るべし。70年代の真実に、ふれられるだろう。
『漁生の漫画家残酷物語』の「青春軍歌」。『増刊ヤングコミック』76年9月30日号初出。
主人公伊藤律が狂った弟に鉄砲を向ける。弟はハーモニカを吹く。「夜の暗さに はぐれても」「若い一途の純情は~」 ドピュンと撃つが弾は弟にあたらない 「後生大事に抱いてゆく」 ドピュ あたらない 「浪花節だよ人生は~」「ああ東京流れ者」
「うそとお世辞のご時世にゃ」「いてもいいだろこんなヤツ」「ああ東京流れ者」
「うそとお世辞のご時世にゃ」家庭なんか、文化としては、なかったのさ。
だから、「うまい食事」の前に、「いい食事」を。ってことだな。
と、今日は、ちょいと叙情的?に書いてみた。
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ここんとこ日記で「東京いい店うまい店」を話題にしているけど、そこの1番目に出てくる「マキシム・ド・パリ」は、いまはどうかしらないが、かつては超高級、高値の花のパリ上流社交界というフンイキを漂わせていた。
この店をプロデュースしたのが、花田美奈子さん。花田さんが手がけた店は、ほかにもあるけど、みなけっこう人気になった。バブルのころは「Hanako」さんのハートをつかむのもうまかった。そのころは六本木の(今はない)「ストロベリーファーム」の近くに「ハナダ」というイタリア料理店を直接経営していた。これはイタメシブームのマーケットリーダーのようなかんじだった。でも花田さんは、仕事柄フランス料理とか高タンパク高カロリーを食べ過ぎたのか、とにかく肝臓をこわし、「ハナダ」時代には健康面での食品の選択に、かなり気をつかっていた。「ハナダ」は、いまいうところのイタリアの「スローフード」を素材に利用するようになっていたし、無農薬有機栽培食品についてかなり研究していた。
いまは青山に、肉、卵、牛乳、化学調味料は使用しない、ナチュラルフードレストラン「ハナダ・ロッソ」を営業している。おれはまだ行ったことないけど、花田さんのやることは間違いないだろうと、先日安心なニンジンなど野菜を欲しがる知人に教えてあげた。通販取り寄せを利用したらしいが、やはりよいものだったそうだ。当レストランもお試しあれ。
HANADA ROSSO
http://www.hanada-rosso.net/index.html
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「Blogに熱心なライターや編集者は、じつは雑誌を生き生きさせていたそういう「役もの」を、Blogに再生させているのでないか。」ってマコトさんは言う。
「『Heaven』や『遊』、『ビックリハウス』の何が面白かったか」
http://dan21.livedoor.biz/archives/2005-02.html#20050204
そうかもなあ。最近は、まんべんなく清く正しく美しい記事という感じで、ディテールでトコトン遊んでやろうとかないねえ。むかしはさ、と、むかし話だけど、企画書つくるときでも、タイトルや見出しだけでも、内容に関係なくおもしろくしようという「狂気」のようなものがあった。そういうことが、ムダ、ということなのかねえ。ツルンとした顔の雑誌ばかり。そういや、おれの顔もツルンと円満顔になってきた。いやだねえ。
しかし、マコトさんは、もう開店早々のピエール・エルメで買っているなんて、あいかわらずのミーハーオヤジですな。だははははは。
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昨夜は小田急線祖師谷大蔵タカハシ宅まで遠征飲み会。夫妻に方向音痴太郎とヨシダ毛少という久しぶりの面子がそろった。ビールのち赤ワインと大吟醸交互飲みをやらかし、ヨロヨロ帰宅午前1時。へたたたたた。
オヤジ芝田著『神戸ハレルヤ! グルめし屋』の解説、最終校正が幻堂から届いた。おっと前回初校に続き『鈴木漁生作品集 漫画家残酷物語』が同封。うれしいね。
最後のページに、鈴木漁生さんが「筆を折ったわけではないが」を書いている。その終わりのほうに、「筆を折ったわけでなく、仕事がこなくなってマンガ家業を失業」とある。そういや我が身も「仕事がこなくなってライター労働者を失業」状態だな。こりゃ、幻堂とつきあうと、仕事がこなくなるのだろうか。いや、能なし編集者ばかりになったということか。そうだな。
とにかく、では、ヒマのはずだから、この校正をすぐ見るかというと、身体の中のアルコールが仕事をするなという。いやははははは。
昨日の『東京いい店うまい店』の続きをちょいと。
この本は、西洋料理、ホテルの料理、中国料理、朝鮮料理、日本料理(懐石・精進料理・季節料理、ふく料理・すっぽん料理・その他、小料理・おでん・活魚、飲み屋・郷土料理、牛肉料理・獣肉専門店・豚肉料理、弁当・夜食・軽昼食、とり、うなぎ、天ぷら、そば、すし)の順で1から350まで、つまり350店の掲載。ラーメンが囲みコラムだ。
で、最初は西洋料理で、1「マキシム・ド・パリ」2「カルチェ・ド・シェフ・シド」3「小川軒」4「クレッセント」5「ラ・セーヌ」というアンバイに始まる。ま、フツウの意識だけ中流ぐらいじゃ、自腹で食べるには一大決心がいるような店ばかり。
ところが、そこに混じって、神田神保町「いもや」、JR(当時は国鉄)御徒町駅高架下の「佐原屋本店」、新橋「東京カレー」、大々的チェーン展開まえの築地の牛丼「吉野家」、自由が丘「金田」など、下世話で安い大衆食の飲食店がのっている。
ちなみに「マキシム・ド・パリ」では、700円だしてもムール貝ポタージュしか食べられないのに、「いもや」の天ぷら定食130円、「東京カレー」の東京カレー100円、「佐原屋本店」の豚モツ煮込60円冷奴・湯豆腐30円、「吉野家」の牛丼並200円、「金田」鯵たたき60円塩焼30円。現在「いもや」の天ぷら定食は600円。
であるが、大衆食堂の「名店」は一軒ものってない。この本の発刊当時1967年といったら、まだまだ大衆食堂全盛期だ。これはナゼなのか。ということなんだねえ。
ってぐらいで、さて、『神戸ハレルヤ! グルめし屋』の解説、最終校正でも見るか。これは、おれの解説、「解説、なようなもの」で約40枚の大作だからね、これだけでも買う価値があるよ。3月発売予定、幻堂出版に予約しよう。といっても、その声むなしく、あの子はヨメに行く。
ああ、そうだ、忘れちゃいけない、明日までの原稿があったのだった。おれに原稿依頼するアンタ、まだ若そうだけど、エライ! あんたは有能な編集者として幸せな一生を送るでしょう。やはり若いやつには、おれの能力がわかるんだな。しかし、その上のエラソウな中年が問題か。だいたい中高年が悪い社会や業界や会社は斜陽ってこと。若い人も大変だねえ、がんばってくれ。うふふふふふ。
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書評のメルマガ「食の本つまみぐい」の原稿を書いた。前回12月に続いて、1967年発行の『東京いい店うまい店』(文藝春秋)だ。近年でも2年おきぐらいに改訂されて発行のロングセラーグルメガイド本。その最初の本だ。
この本と、1980年代の山本益博さんの『東京 味のグランプリ』、そしてそのころから続々と登場する、「グルメ」系ライターが書いたものを比較すると、なにか見えてくることがあるのではないかと、ポッとひらめいたので、やってみている。
『東京いい店うまい店』は、1見開きに3店、全部で350店収録されている。これが、ガイド本なんだけど、読んでいておもしろいのだ。食の楽しみにあふれている、といってよいだろう。「実用書」なのに「教養書」のように読める。
山本益博本や近年の「グルメ」系ライターのものは、「何軒くいたおした」という、飲食店との「味覚勝負」といったアンバイで、「何軒くいたおした」ぐらいで天下の何者かになったつもりで、飲食店に対しても読者に対しても、あるときは高飛車あるときはへつらい。そして、製品広告の分野でなら許されない過剰な表現を平気でやらかしている。
しかし、この本には、まったくそういうことがない。店ごとの個性や特徴を楽しむように説明し、かつ読者に楽しむキッカケを提供する。「元祖」だの「究極」だの「絶品」だの「厳選」だのという、過剰な装飾をほどこす言葉は登場しない。ゆうゆうと自分の感覚で飲食を楽しむのだ。
『東京いい店うまい店』は、安藤鶴夫・飯沢匡・池部良・犬養道子・永六輔・江上トミ・川喜多和子・キノトール・木下和子・戸部晃・橋本豊子・原勉・三木鮎郎・六浦光雄・村島健一・村山光一の各氏が店を推薦し、狩野近雄・古波蔵保好・東畑朝子の三氏が記事にした。
おれの知らない名前もあるけど、ようするにそれぞれの分野で、それなりの人たちが選び。書いたひとも、狩野さんは毎日新聞社取締役で「食談家」として、古波蔵さんは評論家として、東畑さんは新進の「栄養研究家」として、それぞれ評価と位置を得ていた人たちである。ま、文の方も、食べるほうも、それなりの素養がある人たちってことか。
であるから、山本益博本や近年の「グルメ」系ライターのように、自分を偉そうに見せる過剰な言葉は必要ないのだ。きわめて「良心的」なのだな。しかし、そこが後年、山本益博本や近年の「グルメ」系ライターに突っ込まれる「弱点」になるのだが。ま、殿様奥方お坊ちゃんお嬢さんが、野心満々の野武士にやられるようなものだ。
山本益博本や近年の「グルメ」系ライターは、この食の分野で勝負して評価や位置を得なくては、ただの糞ライターである。食べて書くことが自分が世に出るための勝負なのだ。あらんかぎりの精力をつかい「くいたおし」その数にものをいわせ、居丈高にものをいうことで、大衆をまどわし位置を占めるより方法がない。
大衆は、タブ版夕刊紙を見ればわかるとおり、プロレスやK1のような、過激な勝負や表現を好む。かくして、1980年代以後の「グルメ」は「格闘技」のようなアンバイになるのだ。いま、ラーメンやカレーライスなどの分野で「カリスマ」といわれる人たちを見ればわかるだろう、「グルメ」は、知性や教養は関係ない、肉体勝負のスポーツ、格闘技になったのだ。
あなたは、何軒くいたおしたか! 過剰な言葉を持って闘え! これが、こんにちのグルメなのだ。
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レモンを、丸ごと皮ごと、ガブッと食べたのは、高校2年生だったかな。とにかく山岳部の山行のときだった。
谷川連峰あたりの尾根筋だったと思うね。暑い日、カンカン照り。休憩のとき、ノザワが、丸ごとカジった。そんなふうに食べたことがなかったおれは、おどろいて、なにか言った。ノザワは、これがうまいのだやってみろ、というようなことを言った。おれは、やってみた。なあああんと、うまいこと。
それからレモン丸かじりは、暑い夏の山行の定番になった。まだ扇風機が普通の時代の暑い夏は、下界でも、汗をダラダラ流しながら、ガブッとやると、清涼感もあって、なかなかよかったな。しかし、30歳ころからか、それほどうまいとは思わなくなった。いつしか、真夏の山行のときでも、やらなくなった。
幼少のころ、夏になると、酸っぱい夏みかんを、よく食べた。子供たちは、そのまま食べたが、親たちは、砂糖や重曹など、つけて食べていたね。大人になると、夏みかんのように酸っぱいものは食べられなくなる。というようなことを大人は言っていた。そういうことだったのさ。
嗜好は固体差があるってこと。年代別の食文化がある、というようなこと、誰か言っていたように思うけど、そういうことかな。
レモンは、やっぱ、青春か。
大人とは、レモン丸かじりができないひとのことなり。
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故郷の六日町あたりはドカ雪で上越線が止まっているらしい。ドカ雪というと必ず思い出す。高校2年の山岳部冬山合宿。1960年の12月末だ。このときも上越線が数日間止まるドカ雪で。いま岩波書店の「近代日本総合年表」を見ると、61年1月1日に「裏日本の豪雪で列車100本が立ち往生、乗客15万人が車内で越年」とある。
そのドカ雪の降り始めの日に入山したから、たまったもんじゃなかった。たしか2泊3日の予定で、5日間分ぐらいの食糧と燃料は持っていた。家族にも、それだけあるから、下山が遅れても心配しないように言って出かけた。
ところが並の降り方じゃなくて。登山口の最後の人家に着くまでも大変だったが、そこを通りすぎ2、3キロ行った、まだ登山予定の山の中腹より下の位置で、登山用語でいう「ラッセル」という雪をかきわけて歩行するのに、胸の位置にまで雪が積もって、とにかくドンドン積もるんだなあ。先頭を交代しながらラッセルして、すすむんだけど、ノロノロもいいところ。
ついに、どうにも雪が多すぎて、立ち往生、先へ進めない、引き返せない。腹は減る。新雪ドカドカの深雪で雪洞もほれない。視界もほとんどきかない。雪崩から安全そうな場所にテントをはることにした。しかし、テントをはったはいいけど、雪がドンドン降るから、すぐにテントがつぶれそうになる。交代で雪かきを続けなくてはならない。
このときのメンバーは確か、1年生が3人と2年生がおれとノザワと、あとホンダがいたかな?ホンダのことは覚えていない。とにかく雪山経験者は、1年のとき以来の冬山や残雪期を経験しているおれとノザワだけ。それが普通だったのだが、3年生は卒業を前に部活どころじゃないから参加してない。
ま、それで、予定の2泊3日目になっても、雪はドカドカ降り続いている。下山予定日だけど、身動きできない、そのまま停滞。計算外だったのは、交代で雪かきを続けていたから、濡れた衣服を乾かすのに、ほとんどコンロを使いっぱなしで、燃料のガソリンと石油がドンドン減ることだ。水を作るのにも燃料がいるしね。ついに3日目の夜になって、翌日の食糧はあるが燃料切れで食事のしたくは難しそうだとわかった。
雪はドカドカ降っている。このときはおれがリーダーじゃなくてノザワがリーダーで、ホントよかった。リーダーの責任は重いからね。テントは、当時としては新型の新しいビニロン素材だかの、厳冬期用ウィンパー型のテントだったけど、いまと比べたらお話にならないぐらいお粗末で、とにかく燃料を節約していると寒くてたまらん。
そんなわけで、燃料はなくなりそうだしどうしようかということになった。おれとノザワが小声でボソボソ相談していると、その話は同じテントのなかにいる一年生にも聞こえる。楽観的な材料は一つもない。そのうち1年生の一人が泣き出した。そしたら、ほかの二人も泣き出して。という状態になった。チッ、泣いても、どうもならんよ。で、とにかく、翌日は雪が降っていても、全員で下りにかかり、ノザワは単身先に下って、一番近い人家に助けを求めに行くということにして、なだめた。が、腹の中は、ケセラセラ。
翌日だ。朝、撤収して、くだり始めたら、ナント、雪がこやみになったのだ。立ち込めていた暗い灰色の雲が流れ、天が開けてきた。このときほどうれしかったことはないね。みんなもう、よろこんだ。それっ、いまのうちにくだれ! だけどだけど、とにかく背丈ほどの雪なのだ。まさに雪の中を泳ぐように歩く。もうヘトヘトヨロヨロの下山だった。ぶったおれそうだよう。そして、ついに、最初の人家が見えた。
見えたのは覚えているが、そこから先は覚えていない。家に帰り着いたころ、また雪が降り出した。
はあ、イマ新潟の雪は、どんなあんばいなんでがんしょ。
そうそう来週末は、六日町の雪祭りだ。いいよ~小さな町の雪祭りは。札幌のような大都会の雪祭りと、情緒が違うね。それに温泉と酒。ウへ~行きたくなっちまうな。
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このHPもアッシが作っているのですがね。久しぶりに更新して、立石の呑んべ横丁の写真だけ載せた。
http://www.geocities.jp/ed_meshi/
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ザ大衆食のサイトに、知らないうちに消えてしまった日暮里駅前大衆食堂「まねき屋」を掲載。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun05/syoumetsu_maneki.htm
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28日の「ウソつき主婦」の『イモめし時代の雑記帳』だが。「はしがき」が石毛直道さんだ。そこで石毛さんは、川上行蔵さんの前著『栄養学汎論』(健帛社、1963年)から次の部分を引用し、「このことばの重みは現在でもいささかもゆるがない」と述べている。
栄養学は、栄養に関する知識の綜合である。しかし、食生活に関する知識の綜合ではない。栄養は食生活をささえる重要な支柱の一つではあるが、全部ではない。また、その大部分でもない。したがって、栄養学の見解だけで食生活を動かすことはできない。栄養学を十分に活用するためには、この点に留意して、食生活を支えている他の支柱についても、できるだけ多くの知識を累積する必要がある。食生活とは融合している食物摂取行為である。この食生活を支えているものは、(1)栄養、(2)嗜好、(3)経済である。食生活というからには、生活に関係があり、当然社会の影響がある。それは、食生活の三要素の一つである経済に含まれ、嗜好さえも規制することになっている。だから、食生活を支える支柱としてさらに「社会」を加えることもできるが、社会の「影響」は「嗜好」と「経済」に織り込みずみと考えれば、食生活の支柱は先に述べた栄養、嗜好、経済の三つとなる。この三支柱の間にあって栄養は嗜好に優先することもできず、経済に優先することもできない。非常の場合を別とすれば、少なくとも平常の食生活における栄養は栄養学を学ぶ者の考えるほど、現実の食生活に大きな変動を与えるだけの迫力は持っていない。また、栄養学がそれほどの迫力を持つものと過信してはならない。むしろ、嗜好と私経済とに焦点を合せた栄養を考える上に栄養学の知識を活用するよう心がけるべきものだと思う。
川上行蔵さんの専門は栄養学だった。たしかに、「このことばの重みは現在でもいささかもゆるがない」
栄養学は万能であるかのようなオシャベリは止むことなく。栄養士を「食育教諭」のようなものにすれば、食生活は改善され日本はノーベル賞受賞者をたくさん輩出する「一流国家」になるようなことをいう人気な「栄養タレント」がのさばり、事態はさらに全身ガン症状のように複雑悪化している。
おもうに、『イモめし時代の雑記帳』の1982年以後は、「食生活」をめぐる言論やオシャベリは、ますます「社会」から遊離した。意識的に「社会」を避けているのではないかとも思われる。
そもそも、「社会」に鈍感か関心が低いか知識がお粗末なところで、「食談義」が華やかなのだ。「社会」を考えないか考えられない連中が、栄養で騒ぎ、グルメにハシャギ。あるいは料理の歴史などは、カレーライスの歴史談義などにも見られるように、まったく「社会」など考えられない「好事」の連中がやるものとして存在しているようにも見える。
でもまあブログなど見ていると、「嗜好と私経済とに焦点を合せた栄養を考える」ひとも増えてきてはいるようでもあるが。
とにかく。食生活は社会と自己の現実を認識する場でもあるし、何度も書いてきたが、料理は自己認識と社会認識のあいだにあるものだ。と、おれはシツコイんだね。
しかし、食の分野にかぎらず、どこの分野でも「マニアック」な知識やオシャベリが受け、社会認識はどうなっているのかと思うほどバランスを欠いているように思う。タコツボだらけ。
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