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2005/02/13

「定食」の起源は?

宇都宮市を中心に13万3000部配布というフリーペーパー「リビングマロニエ」2月19日号の一面特集「定食」に「定食のススメ」を書いた。その内容は新聞が発行になってから、「リビングマロニエ」のサイトでも見られるようだが、「ザ大衆食」のサイトにも詳しく掲載するつもりだ。

「定食」というと、近代以前からある「和食」のイメージが強いようだ。でもおれは、西洋料理のコース料理を「定食」と呼ぶようになってから普及したのではないか、もとは明治以後の「西洋料理店」で使われた言葉が普及したのではないかと考えている。

そのことは、前に、「ザ大衆食」のサイトの「『定食定義研究』の研究」に、ちょいとだけ書いた。

『明治大正見聞史』(生方敏郎著、中公文庫78年)をパラパラ見ていたら、「明治時代の学生生活」に、「定食」が出てくる。日露戦争(明治37、1904)前、明治32年ごろまでの学生風俗だ。

「一般の人々、わけても学生がよく行った食物屋は牛屋であろう。」と、木村荘八さんの親父の妾チェーンで有名な牛屋「いろは」のことが書かれている。

そして、「西洋料理は牛屋と較べて数も遥かに少し、また繁昌しなかった。一品料理屋というものはなく、たまたま洋食店があれば堂々としたもので、また私たち、客は自分の好きな物だけ二、三品取って食事をするというようなことも知らず、万事不馴れで、小さく大人しくしていた。ボーイの運ぶままに必ず定食を食べねばならぬように思っていたから、その上エチケットを無視するほど大胆でもなかったので、誰も洋食の卓に向かうことを多少億劫がる傾きがあった。定食は一円か一円二十銭位で幾皿も運ばれ、私などにはどうしても一人前の定食は食べきれなかった。」とある。

ま、これでは、西洋式食事の何を「定食」と呼んだか、どういう言葉の「訳語」なのかまでは、正確にわからないのだが。コース料理のことだろうとの想像はつく。

おれの知るかぎり、江戸期の文献に「定食」の言葉は見かけないし、このような例がほかにもあるので、「定食」は明治の西洋料理店から始まったのではないかと思っている。

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