「和」ブーム
なんだか「和」ブームらしい。「定食」が注目されるのも、それが「和」のイメージということに関係があるようだ。「和」というとフツウ、近代の「洋」に対する江戸期以前の「和」をさす。
でも、2月13日の日記「定食の起源は?」で書いたように、もともと「定食」という言葉は、西洋料理から始まった可能性が強い。でも、「和」のイメージなのは、近年の「定食」につきものである、「コメのめし」が原因と考えられる。
しかし、『汁かけめし快食學』にも書いたが、コメのめしが庶民、つまり国民レベルの日常に定着するのは近代になってからだ。ほぼ昭和30年代といってよいだろう。それまでは、階級差や地域差が激しく、「国民的」とはいいがたい。
前にもザ大衆食のサイトの、どこか、あるいは、以前の日記に書いたと思うが「米食文化」は、庶民の側から見たら「米食願望文化」といえる。
ああ、今日は、そのことじゃないんだな。「定食」が西洋料理から始まった近代の文化であるなら、それ以前は「定食」のようなものを、なんと呼んでいたかだ。それについては、前に、「「定食定義研究」の研究」に書いたが、おそらく「膳」「御膳」だろう。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/teisyokukou.htm
伝統にしたがうなら、「サンマ定食」ではなく、「サンマ膳」「サンマ御膳」ではないか。これなら、近代以後の中華や洋食の定食と混乱することなく、まちがいなくコメのめしにみそ汁に漬物がつく日本の食事の呼び方として、日本文化の特徴を出せる。
では、なぜ「膳」「御膳」の呼び方が、近代以前に庶民のあいだに定着し、かつ近代に継承されなかったのかというと、そこにコメのめしがつきものだったからだろう。コメのめしと縁遠かった、多くの庶民のあいだで、その呼び方は日常的な親しい言葉ではなかった。
で、近代以後のコメのめしの普及とあわせて普及したのは、新しい言葉である「定食」だった。と、考えられそうだ。
ともあれ、こちら、ザ大衆食の「リンクの花園」からリンクしている、アメリカ留学で一人暮らしを始めた澤田寛さんの料理記アンド食記の「お品書き」を見て欲しい。
http://www.geocities.co.jp/Foodpia/2192/oshinagaki.htm
これを見て、おどろいた、ご本人は、どのていど意識されているのかわからないが、この写真の「和定食」は、すべて「膳」に整えられているのだ。かつ「和」以外のものには、膳を利用してない。
日本を離れて、日本人性が表出したのだろうか。でも、「和定食」と呼んでいるのだけどね。それは、いかにも、近代を経過した「和」の姿ではないだろうか。
最近の「和」ブームには、国家主義的な、つまり「国家」としての「和文化」という、キナクサイ思想統制的な傾向も見受けられる。そういうことじゃなくて、自分たちの生活の足元から出発することだろう。と思うね。
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