1962年春の石の家
きのう。新宿駅中央口、中央通り、談話室滝沢の先、最初の交差点を右へ、土日は馬券通りと呼びたい。甲州街道にぶつかる左側角に、戦後の外食券食堂時代からの古い大衆食堂、長野屋がある。そこへ入ろうと行ったが、ああん、なんで臨時休業なんだよ~。
しかたないから、その角左へ曲って、最初の角のビルの地下一階にある「石の家」に。ココは、1962年春に上京したおれが、生まれて初めてギョーザを食べた店。そのころはボロな木造二階家。新宿でギョーザといえば石の家というぐらいの有名店だったが。
いつもヤキソバとギョーザか水ギョーザ、あるいはタンメンとギョーザの組み合わせの注文だった。ソバが太麺。とくにヤキソバとタンメンは、1962年から変わらない味。
今回は、ヤキソバとギョーザ、に、ビール! うーん、この味だ、思い出しちゃうよ~、まだ18,9歳の青春時代。あのころは、中央通りの、「風月堂」(「風」は、この字じゃない)があったけど、インテリくさいそこは敬遠して喫茶店「ウィーン」にたむろしたなあ。「らんぶる」二階には同伴喫茶があって、そこにも入ったなあ。にゃははは、思い出すなあ。と、書いていると長くなるから、そのうち。
で、腹ごしらえして、中央通り、新宿モリエールは花山らら率いる「劇団40CARAT」のシバイ見物。40CARATは、「94年の旗揚げ以来、”芝居だけでも、音楽だけでも物足りない”をモットーに、芝居と、渡辺勝を始めとするミュージシャンの生演奏とのコラボレーションで独自のスタイルの舞台を作り続けています」とチラシに。
出し物は、「月光」。シェークスピアの「リア王」をベースに、現代ヤクザものに置き換え、組長がリア王みたいに姉妹と子分に裏切られるんだね。んで、ファッションショーのような、ウエストサイド物語っぽい演出、テレビドラマのようにテンポのよい展開、そこに生バンド渡辺勝、大庭珍太、竹間隆、HONZI、岩本平太だ。って、わけで、楽しめた。渡辺勝さんのブログを見ると、ガットギターの弦に爪を削られながらの。いやあ、いつもだけど、完全没入の熱演。
ちょいと脚本が、イマイチ工夫が必要だったかなというところが何ヵ所か。それにテーマが、ま、対立抗争より平和を、という感じだったが。拉致問題を利用したファッショ的な言論抑圧と統制がすすみ、北朝鮮との緊張関係に隠れたカタチで大陸棚資源をめぐるアメリカ国際資本のイラクに続く略奪戦争準備に着々日本が組み込まれているイマ、甘すぎの印象も。ま、でも、戦争準備というのは、太平ムードの下ですすむものさ。気がついたときには、始まっている、泥沼。
とにかく、こういう新しい試みに、思い切り取り組むってのは、見ていても気持がいいものだ。
力強くめしをくい、思い切り、やろうぜ。戦争は、もうすぐだ。いや、日本はイラクで参戦中だった。さらに、やるのさ。
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コメント
ややっ、花山らら様のコメント、光栄です。
花山さんのメッセージが伝わったからこそ、こういう感想になったのでありまして。
つぎはどうか、賢そうな顔して人の苦痛はへとも思わない痴漢男や好戦男は、赤いドレスの女装をさせて、皆殺しにしてください。
次回を楽しみにしています。
コメント2つ、同じ内容だと思って、1つを削除してしまいましたが。
投稿: エンテツ | 2005/03/12 19:44
御来場まことに有難う御座いました。
コメント有難う御座います。ああ、やっとなんだか胸のつかえが取れました。つーのは、いまいち
賛否両論、極端、北極南極、の、アンケートや耳に入って来るお客様のご感想・・・??私は何を演った??の日々でした。
どんな戦争も、私は絶対ごめんです!!一番苦しむのは「女・子供のわたしら」ですから。私も、息子の母ですし。で、わたしは男子の方々の様に理論でなく議論でもなく(頭も悪いし)大事なひとつの命を無くす事を感覚的にあのように叫ぶしかなかったのです、日常茶飯事の裏切りもしかりです。良い悪いは、分かりませんが・・納得が行ったのは、まさにそこでした。「もう!!いやぁ!!」ってことをあの様にしか表現出来ませんでした。
ちなみに、紅いドレスは血の色をイメージしました。わたしがたった一着持っている赤のワンピースでした。
後ろにあった絵画の模写は印象派の作家の名は、忘れてしまいましたが、「母の接吻」という題名です。とりとめなくなりましたが、ああでしか表現出来ない自分が口惜しい、でも、それでも幕を開け続け様と思うのです。
投稿: 花山 らら | 2005/03/12 18:47