さらに『東京いい店うまい店』と鈴木漁生本「浪花節だよ人生は~」
今夜、というのは、7日から8日にかけて。なんだか「書評のメルマガ」がドバッドバッと下痢便のように続けて送られてくる。編集人の南陀楼綾繁さんの便秘の栓が、インド帰りのヨメの浣腸かなんかで解除され、ほとばしっているのか。
それはともかく、そのvol.199で、おれは最近このブログで書いている1967年発行の『東京いい店うまい店』を取り上げている。書き出しは、こうだ。
「1970年代の外食産業誕生前夜の刊行。人びとは、高度経済成長で少しばかりのカネとヒマを得て、なぜか関心は「家族で外食」へと向かった」
コレ、「「家族で外食」へと向かった」のは、あたりまえのように思っているひとが多いかと思うが、オカシイのだ。
世上、古きよき時代は家庭の平和を象徴するように、家庭で家族そろっての食事がフツウだったと、「昔はよかった」を主張する人たちはいう。もちろん、それは、現象としてフツウだった。問題は、それが文化としてフツウの習慣だったかどうかだ。
文化としての習慣、つまり年月につちかわれた精神的な何かがあるのなら、ヒマとカネを得たぐらいでは失われないだろう。家族そろっての外食へと向かうのではなく、家庭での食事なりホームパーティーなりの向上や充実に、それが使われるはずだろう。すでにある習慣がよいものならば、それをよくしたいほうに向かうのが、生活というのは保守的であるがゆえにフツウだろう。
それが、外へ向かったというのは、内の否定であり、内には、それほど魅力的な文化はなく、経済的諸条件で、しかたなくやっていた。と思わざるを得ないフシがある。
誕生日の食事が、なぜ「家族そろっての外食」になるのだ。とりわけ誕生日は、家族の一員の生命の祝祭であるがゆえに、家庭ですべきだろう。しかし、そういう精神は希薄に思える。
「家庭で家族そろっての食事」は文化として、つまり家族が望むものとして定着していたのだろうか。精神として、「家庭で家族そろっての食事」が素晴らしい良い大切なものという文化が日本には、あったのだろうか。経済的便宜的だったのではないか。
という疑問が残る。いや、そういう疑問を、おれは持っていた。
そして、最近、鈴木漁生本を2冊、幻堂出版から貰って見て、やはり一層その疑問は深くなったのだ、だだだだだっ。
ってことで、今日はオワリ。
幻堂出版の鈴木漁生本、ぜひ見るべし。70年代の真実に、ふれられるだろう。
『漁生の漫画家残酷物語』の「青春軍歌」。『増刊ヤングコミック』76年9月30日号初出。
主人公伊藤律が狂った弟に鉄砲を向ける。弟はハーモニカを吹く。「夜の暗さに はぐれても」「若い一途の純情は~」 ドピュンと撃つが弾は弟にあたらない 「後生大事に抱いてゆく」 ドピュ あたらない 「浪花節だよ人生は~」「ああ東京流れ者」
「うそとお世辞のご時世にゃ」「いてもいいだろこんなヤツ」「ああ東京流れ者」
「うそとお世辞のご時世にゃ」家庭なんか、文化としては、なかったのさ。
だから、「うまい食事」の前に、「いい食事」を。ってことだな。
と、今日は、ちょいと叙情的?に書いてみた。
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