「江戸東京論」ブームと「B級グルメ」ブーム
25日「横丁路地そして東京や「下町」を考える」に書いた、「雑誌『談』編集長によるブログ」のアルシーブ社が20年ぐらい前から編集制作している『City&Life』(発行・財団法人第一住宅建設協会、季刊)69号=特集「吉祥寺 住みたい町ナンバー1の理由」と、74号=特集「都市の言説を巡る旅 10のキーワードから探る都市[論]の現在」が送られてきた。どちらもオタクなマコトさんらしい編集。ついでに、このマコトさんは、最近、読書界チマタで話題の「ユリイカ」4月号「ブログ作法」特集に登場の佐藤真さんだ。南陀楼綾繁さんも登場するね。
「吉祥寺 住みたい町ナンバー1の理由」には、凝ったつくりの豪華イラストマップつき。74号は、アルシーブ社が最も得意とする?編集方法で、これを見ると、現在の都市[論]がわかるという感じの本が、10のキーワードに分類されて100冊から200冊載っている。
で、その後者に、陣内秀信さんがブックナビゲーターとして、「江戸・東京から見る「都市論」の展開」を書いている。これと先日、五十嵐泰正さんにいただいた五十嵐さんの論文「池波正太郎の「下町」」を合わせてみる。
すると、80年代の「江戸・東京論ブーム」が、どのように始まって、どう流れていったか見えてくる。そして、先日、エンテツ資料棚に掲載した、80年代後半のB級グルメブームの火付け役になった、文春文庫ビジュアル版『スーパーガイド 東京B級グルメ』などを合わせて考えると、「B級グルメ」ブームの始まりは、「江戸・東京論ブーム」と密接だったということもわかる。そもそも『スーパーガイド 東京B級グルメ』の最初の大扉には、「これは一種の東京論である。」と書いてある。
前にも書いたように「味覚」と「地域空間」は密接な関係にある。しかし、舌先だけの味覚に偏向したB級グルメは観念化し、そのことによって地域空間で成り立っていた「B級性」を失い、地域空間から離れ単品へと流れる。そして、地域空間から離れることによって、さらに味覚は観念化する。ちかごろのB級グルメは、東京論も、いかなる地域論とも無関係で、舌先だけの観念になっている。それは一つの、地域性を失い続けたことから発する、コンニチ的自己喪失とみることも可能だろう。
その流れの原因は、じつは、「江戸・東京論ブーム」に内在していた。そして、それは池波正太郎さんが「物語」として書いた、「江戸」と深く関わっている。とくに近年のラーメン屋に見られる、「職人風ファッション」や「職人風言説」に顕著だ。そこには日本の特に男が陥りやすいロマンチシズムや「物語」と「歴史」の混乱がある。と、いうのが、昨夜の発見、あるいは、ヒラメキ。と、忘れないうちにメモ。
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コメント
どーも、先夜は、ほんと、楽しかったです。
やや放談のように思いつくまま話して、いろいろヒラメキ刺激があると、じつに楽しい。
あとで、あれこれ、考えてみたりとか。それが、この日の記録なのですが。
「地域性」というのは、いろいろ面白いと思います。同じ言葉でも、思っていることは、けっこう違ったりして。地球規模で考える地域と日本規模で考える地域は違うし。あと「地域=ふるさと=近代以前あるいは非近代」というような図式がわりと一般的だと思いますが。それに私のような上京田舎者と東京育ちの都会者との、感覚的な違いもあるようだし。マーケティングのなかの地域もあれば、マーケティングされた地域もあるようだし。なかなか面白そうな。
関連して「愛古精神」これは私にもあって、池波さんにもありそうですが。私の場合は、いま目の前にあるモノやコトに対するもので、池波さんの場合は、東京オリンピック後かな?とにかくイマはダメと、江戸まで旅してしまう。そのなかで「地域」や「ふるさと」が、どんどん観念化し、ロマンチシズムやセンチメンタリズムに陥ってしまう。これはわりと一般的なオヤジの傾向であるのでないかとか、思うのですが。だからそういうファンも多いのかな。
ラーメンビルなどは、はやり廃りの激しいマーケティングの産物で、まだ10年ぐらいのものだから、こういうのはどうなるかわからないし、そういうのに頼った「地域振興」が、はたしてよいのか。といっても、「地域」を考える「住民」も、マーケティングと文化のあいだで「地域」を混乱していたり。
などなど、書いているとキリがないので、また飲みましょう。
投稿: エンテツ | 2005/04/01 23:33
どうも。おかげさまで、先日はとても楽しい夜でした。
日記で僕のことをいろいろ言及してもらってありがとうございます。面映いやら何とやら。
さてさて、ずいぶん見当外れなころのコメントで申し訳ありません。
そうですね、池波サンの「ヘン」というヤツですね。
これは、ある友人にも指摘されたことがあるのですが、池波サン自身はたぶん、遠藤さんとそう変わらない感覚で地域と食を愛していたんだと思うんですよ。で、地域性を大事にしなければいけない、と繰り返し書いた。
でも、それがどっかの拍子で、ヘンな「ロマンチシズム」が入り、おかしな形で誤読されていくんですね。
たぶん、読み手と編集双方の問題だと思うのですが。。。
それで、「地域性」が、渋谷や横浜の空調の効いた「ラーメンビル」の真ん中で食べる、「奄美の天火塩」と「利尻の昆布」と「秋田の比内鶏」が使われたラーメンが、スローフードなんちて持ち上げられるみたいなものになっちゃった。
シホン主義の只中で「地域」にこだわった結果、「地域」が記号になっちゃったんですね。こんなことなら、「地域なんてものに頓着しない」方がずっとマシで健全だったのではないかと思うことしばしば。
そんなことを、あらためて考えておりました。
今後とも、よろしくです。
また飲みに行きましょー
投稿: yas-igarashi | 2005/04/01 14:38