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2005/04/29

渋谷の田毎食堂、閉店

しばらくご無沙汰していた田毎食堂のご主人が亡くなっているのを、読者のmotakeさんから知らせていただいて、ザ大衆食の「田毎食堂」のページにそのことを掲載したのは3月30日だった。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/tagoto.htm

そして昨日、motakeさんからメールをいただいて、田毎食堂が今日の4月29日閉店することを知った。もたさんのブログ「もた記」に田毎食堂のなかのみごとな写真と共に、「送る」記事があります、ぜひ、ごらんください。
http://d.hatena.ne.jp/motake/20050428#p2

とりあえず今日は報告まで。この件については、また書きます。

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2005/04/28

久住昌之そして散歩と外食

先日、アルシーヴ社のマコトさんからもらった、『city & life』no.69は、吉祥寺特集。誌上シンポジウムというのがあって「「吉祥寺こうなってほしいよ」まちづくり戦略会議」。出席者は久住昌之さん、五十嵐太郎さん、山下柚実さん、秋山綾さん。

編集部が、「ちょっと突飛ですが、ハモニカ横丁や井の頭公園をいっそ観光資源として捉え直すというのはどうでしょう?」とふる。秋山さんが「観光ですか?従来の観光の仕方だとちょっと無理だと思いますけど、たとえば『散歩の達人』みたいな雑誌がありますよね。あんなふうに吉祥寺の町を「散歩」させるというのなら面白いかもしれない」

この「「散歩」させる」にコチンときたのか、久住さんは「それって散歩じゃないよね。わざわざするものじゃないですよ、散歩って」とバッサリ斬る。

しかし、山下さんが別府温泉取材の経験を持ち出し、いろんな散歩コースを設定して、「高田渡さんがギターを弾きながらこの辺を案内してくださるとか……」と、クサイことをいう。高田渡さんは、そいうおかしなことさせられないうちに亡くなったが。

すると、久住さんは激しく抵抗する。「僕は最初に山下さんがおっしゃったように、路地が入り組んでいてちょっと行くと何があるかわからないというのでいいと思いますね。これをどう行ったらいいかとか、そうなっちゃうともう面白くない。そこは自分で探すというのでいいと思う」

すると、山下さんは「それはそれでいいんですが、やっぱり案内してもらって初めて発見する場所があるわけですよ」

でも、久住さんは言う「それは別府にはたまにしか行きませんからね。だけど吉祥寺は……」。山下さん「確かに違うけど、入口としては……」という展開がある。なかなかオモシロイ。

「観光とは」、「散歩とは」、なにか、ということもあるが。この久住昌之さんの考え?姿勢?視点?は、『孤独のグルメ』にもみられ、「久住昌之的文化」とみえるが、そうではなく、それは普通のひとの日常の文化、めんどうな言い方をすれば「庶民文化」の考え?姿勢?視点?じゃないだろうかと思う。しかし、近年のB級グルメや安物外食本は、そういう庶民文化性に欠け、つまりは庶民文化をネタに、自分はその「達人」であることを誇示することが多いように思う。安いものを語ればB級あるいは庶民文化だと思っているフシもある。久住さんも「B級」を語るが、そういう傾向に対して抵抗するところに、「久住昌之的文化」の真骨頂があるのではないか。

普通のひとの日常の文化については、「何があるかわからない」興味、それを手探りで探っていく面白さだろう。そこで自分の精神や、知識や感性の積み重ねを働かせ行動することが、また庶民文化の成長を促す。「三大ナントカ」を「アンタは知らんだろう式」知ったかぶりや隙間ネライの知識、「教えてやるぞ式」偉そうな先導や教訓などは、日常の都会の散歩や食事には必要ない。『孤独のグルメ』の主人公のようにやればいいのだ。

もっともこの悪しき傾向は、従来の「本」の世界のことで、最近のブログ世界では少なく、最低の情報もしくは探索を楽しむものが増えているように思う。活字をふりまわして偉そうにしてきた「本」の世界の感性が遅れているということか。外食本を捨て街へ出よう。知ったかぶりより、ガツンガツン、探索でいこう。

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谷根千地域、不忍ブックストリートの一箱古本市

はてさて、モノズキの道はさまざまで、ただでさえ土日は混雑する谷根千地域で、ゴールデンウィーク中の4月30日土曜日、その混雑にあてこんで輪をかける「不忍ブックストリートの一箱古本市」をやろうという。この一年中で一番さわやかな風薫る五月晴れの時期に、なんとまあモノズキな。人ごみの谷根千を想像するだけでもウンザリなのに、さらに古本というホコリくさい市というのだから、まあこの日の谷根千は、人ごみと古本のホコリにまみれるホコリ高き人たちでイッパイになるでしょうから、ホコリ高き古本好きは必ずや出かけ、ホコリにまみれて古本を買うだけじゃなく、大いにホコリ高き同好の士と交流を深めるのも一興かと思います。

イザ「不忍ブックストリート」へ。詳しくはコチラ、公式ホームページ。
http://yanesen.org/groups/sbs/1hako

p4240014_1ダストアレルギーかつホコリ高くないおれは遠慮させてもらって、ホコリなき青空へ向かいますが。当日は、会場地域で、画像の「古本ホコリ怪人」を探してみましょう。このものども、去る4月24日、東京は足立区五反野に出没し、古本屋でホコリを食べまくった、古本界では名高い怪人モクローくんとセドローくん、この体型は見ればワカルが、ハテ女怪人はトーシロながらセドリツアーもやるというウワサの誰か? この三怪人を会場で発見した方には主催者から古書現世のホコリを固めてつくった特製ホコリ団子が進呈される……という話しはありません。

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2005/04/27

おもしろや東京の魚屋のデータ

「荒川区東日暮里の魚や」で、このように書いた。

やはり同じ東京でも、下町つまり「川の手」「海の手」と山の手では、魚食の歴史がちがう。下町では「魚食」が生活に深い根をはっているのを感じる。古い大衆食堂へ入っても感じるが、街の古い魚屋のたたずまいにも感じる。それは東京の前身、江戸の町のガツンな庶民の、かすかな息づかいなのかも知れない。ま、それも、いまのうちか?
http://entetsutana.gozaru.jp/syatana/mise_sakanaya.htm

当ブログ4月22日の「魚屋の風景」でも書いて、前から気になっていた。おなじ東京でも地域によって、「魚食文化度」がちがうし、魚屋が東京の街の歴史と文化に何か関係があるような気がしてならない。

気になってしかたないので、文化を数値で押さえるなんてのはナンセンスだが、でも何か手がかりはないかと考え、数字を拾って見た。下記のようなアンバイで、ある傾向は出ているような感じだ。

区名の次の数字は、ヤフーの電話帳の「鮮魚店」の数字で、卸関係は別のようだから小売と判断していい。その次は、「東京都の人口推計」による今年3月の世帯数。最後は世帯数を鮮魚店の数で割った数値。

最後の数値が小さいほど、世帯数に対して鮮魚店の数が多い。ということで、その最後の数値の小さいほど「魚食文化度」が高く、江戸期下町の魚食文化が比較的継続している区ではないかと、大雑把に決めつけて見てみよう。

中段の数値は区部の平均値で、これより小さい区が上、大きい数値の区が下である。最下段は、東京都全体の数値。

この上段の区と下段の区を地図で見ていると、上段は豊島区と渋谷区を除いて、江戸期の海浜河川地帯であり、下段は江戸川区を除いて、内陸部だ。オモシロイ。これだけの数字で軽率な判断はできないが、食文化は百年から数百年の流れのなかで見なくてはならないというのは確かだろう。表面は激しく変わりながらも、ゆっくりとした変化もある。そして、ますます、東京の街を魚屋との関係で見るとおもしろうそうだという気になったのだ。

ま、酒のツマミの話題にでも。なるか?
どうでもいいことだけど。


千代田区 22    19,573    889
中央区  50    47,532    950
台東区  54    81,789   1514
荒川区  41    85,003   2073
墨田区  48   102,577   2137
渋谷区  48   113,215   2358
葛飾区  77   182,378   2368
文京区  36    92,542   2570
大田区 119   314,435   2642
港区    34    92,197    2711
豊島区  51   138,835   2722
江東区  66   184,056   2788
品川区  56   172,029   3071

区部平均 1259  4,062,428   3226

北区    49   159,118   3247
足立区  81   264,272   3262
新宿区  41   166,339   4057
江戸川区 66   277,102   4198 
杉並区  66   280,407   4248
板橋区  53   251,459   4744
世田谷  88   423,177   4808
中野区  35   173,452   4955
練馬区  58   306,549   5285
目黒区  20   134,392   6719

東京都  1612  5,786,215 3589

なお、数字については、検算確認してないので、間違いがあるかも知れません。よ。

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2005/04/26

悩ましい食文化本のこの一冊

「書評のメルマガ」に「食の本つまみぐい」ってやつを偶数月に書いている。いちおう「食文化本」というかんじの本から選んでいるが、「食文化」は範囲が広いし、それらしい本はたくさんある。そして、ほんとうは、「食」を目的あるいは対象に著述した本にしたいのだが、これが意外に少ない。

かつて「パチンコ屋で出る台をひとに教えられる程度の技術を誇る人間は結局なにものにもなれない」と痛烈な皮肉を飛ばしたのは関川夏央さんで、この発言には事大主義のニオイがしないことはないのだが、食の本を書く人たちの、精神か知性か感性か、ま、とにかくそういう類の「人間」に関わる貧困を指摘しているとは思う。

「食」について書いているようでいて、じつは自己顕示つまり自分がどんなに物知りか事情通であるかなどを、自分の脳ミソのなかにあるだけを絞って並べ立てるだけの本が少なくない。「食」を語っているようだが、食は対象でも目的でもなく、自己顕示の手段にすぎない。こういうものが近年いちばん多いのではないか。これは「食文化」的現象ではあるが、「通文化」の俗化にともなう現象で、かなり広範囲に見られる。

つぎに多いのが、近年は少なくなったが、吉田健一さんや丸谷才一さんのように、ある種の文学的実験というか、誤解をおそれず簡単にいってしまえば「文学的手段」として「食」を語るものだ。これは、「食」のもつ神秘性や精神性が大いに関係していると思う。が、書かれたものは、その文学的装飾をはいでしまうと、もともと「食」を対象や目的にしていないから、「食」そのものについては、ほんのちょっとのスカしか残らない。でも、「食」を文学的に鑑賞するうえで、有用であることは少なくない。この亜流として、「文筆業」になるための手段として「食」を利用するという傾向もあって、これはとくに1980年台以後の現象。

とにかく、「食」を対象あるいは目的とするなら、たとえば外食店の適切な一店を見つけ、それで「食」の森羅万象を語ってしまうような離れ業ができる「技術」があれば、先の関川夏央さんのタワゴトなどフンサイできるのだが、そういう志もなく、ただただあそこにこんな店ここにこんな店という話に、たいしたことはないが自分だけはたいしたことだと思っている知ったかぶりを羅列しておわる本が多いのだ。

そういうわけで、つぎの6月の「書評のメルマガ」では、そういうオカシナおかしな「食文化本状況」の面白さを、たった一冊で語ろうという離れ業に挑戦してみようと思って、その一冊を考えていた。けっきょく、コレダ。

ソレハ、山本益博さんの『東京 味のグランプリ1985』なのだ。

「味のグランプリ」シリーズは、山本益博さんを一躍有名にしたもので何冊も出ているが、なかでもコレなのだ。ナゼナラバ、その、「まえがきに代えて」は「拝啓―丸谷才一様」だからなのですね。

しかし、こういう挑戦は冒険なのだ。「書評のメルマガ」だから許されると、やってみるよりしょうがない。どうせ、いままでも恥をさらしているのだし。

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2005/04/25

また再び行きたいところがふえてしまった五反野

きのうは、「酒とつまみ」で南陀楼綾繁さんが連載の「古本屋発、居酒屋行き」取材、これは、いつもおれが「酒好きのオヤジ役」で随行することになっていて、本当はそれほど酒が好きじゃないのに付きあわされている。飲兵衛のふりして生きるのもツライ。

先の記事の上野の聚楽台のあと、足立区東武伊勢崎線五反野駅へ、5時集合。ゲストのセドローくんこと早稲田の古本屋「古書現世」の向井透史さん、最近「私は猫ストーカー」という本を出した浅生ハルミンさん。浅生ハルミンさんは、初対面かと思ったら、数年前におれがイノシシ鍋を食べよう会をアルシーブ社でやったときに参加していたとかで、初対面じゃなかった。酒を愛し孤独を愛し生きるおれとしては、どうも世間が狭くていやんなっちゃうね。だいたい「本好き」という世間は狭くてよくないね。これだけ人間がいるのに、おなじような嗜好の連中がつるんで、気持ワル~。

だいたいね古本なんて不健康だよ、薄汚いホコリにまみれて。そういや古本好きの連中って、どこか薄汚いな。おれは清潔好きだから、どうもあわないが、ま、酒が飲めるなら、相手は誰でもいいの。

しかし、五反野、いいねえ。ワレワレが入った、酒場「幸楽」。そうそう「酒とつまみ」編集長の大竹聡さんは、古本屋めぐりのときは姿あらわさないで、この酒場に入るというときに姿をあらわした。あのひとは古本好きなふりしているけど、じつは嫌いで酒が好きなだけにちがいない。で、まあ、この「幸楽」よかった、また行きたい。もっと飲みたい。それから、この「幸楽」の前の大衆食堂、もう一目ぼれのたたずまい。写真撮ってきたから近日中にザ大衆食のサイトに掲載しよう。それから帰りがけ、五反野駅前にみた中華屋「正華」。綾繁さんは、「あそこもうまいよ」と言って、そしておれたちとは「ボクは自転車で帰るから」とわかれたあと、日記を見たら、そこに一人で入って食べているじゃないか。ニクタラシイ。

ということで、また必ず五反野へ行くでありましょう。

どうでもいいことだけど。

南陀楼綾繁さんのブログ
http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/
向井透史さんのブログ
http://d.hatena.ne.jp/sedoro/
浅生ハルミンさんのブログ
http://kikitodd.exblog.jp/
酒とつまみホームページ
http://www.saketsuma.com/index.html

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再開発進行でどうなる? 上野「聚楽台」と「西郷丼」

上野駅周辺では、例によって再開発が進行している。きのう、その対象となっている「上野百貨店」2階の聚楽台で、名物?西郷丼を食べた。そのレポート、ごらんください。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun05/ueno_jyuraku.htm

しかし、こういう空間は、どうして失われていくのだろうか。昭和レトロフェイクには熱心だが、こういう場所を継続させることには、無関心のように見える。それなら「昭和レトロ」は、単なるマーケティングネタにすぎないのであり、歴史的文化的には空虚な無思考のあらわれではないのか。誰もが、マーケテイングのとらわれびとになり、「売れるか売れないか」以外の思考を失いつつあるのだ。「仕方がない」という「大義名分」しかなくなった脳ミソ。ああ、絶望のなかで生きるよりしかたないのか、とか、いいながら酒でも飲むか。

どうでもいいことだけど。

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2005/04/24

歴史的な?最初の1ページ

というわけで下の記事を書いて思いつき、2001年2月14日開設のザ大衆食の最初のページを調べてみた。当初は、ワードで作成しWeb保存してFTPソフトでアップしていた。それをホームページビルダーでつくりかえ2002年4月20日に公開しているので、なかなかハッキリしないが、このページが最初と思われる。

たぬき食堂の「ああ、たぬき食堂のご主人・長尾勇さんが死んじまった。悲しい。」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/tanuki.htm

それから、ホームページビルダーを導入して、最初に新たにつくって掲載したページは、これにほぼ間違いない。

「田中角栄像に「角さんラーメン」、ここは?」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/meshigoto1-2.htm

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なんとなくどうでもよく月日はすぎ

気がついたら、今月の末で、当ブログは1年。ザ大衆食トップページの最下段にあるとおり、「おれは1943年に生まれ、大衆食の会は1995年7月31日に生まれ、おれは2000年11月からパソコンをはじめ、当サイトは2001年2月14日に生まれた。軽くやってみようという気分でスタートしたが、はまってしまった。2002年3月ついに、ホームページ・ビルダーを導入。ああ!! かくて、大改装およびカウンター設置のうえの公開は、2002年4月20日から」というわけで、ザ大衆食のサイトの「本格稼動」から3年。

ブログのタイトル下の目障りなカウンターは、この場所以外だとうまく機能しないのでここに置いてあるのだが、ザ大衆食トップページのカウンターと共通で、どちらかのトップページにアクセスがあった場合だけ一日つき一回カウントされる仕組みで、ほかのページへのアクセスやリロードはカウントされない。この数字がどういう意味を持つのか判断できないが、最初は、たしか一日に50ぐらいじゃなかったかと思う。最近は3百数十で推移しそれ以上にも以下にもなる気配がない。ま、こういうセンかと思っているが、そういうセンだというだけで、それがどういうセンかわからない。

最初のころ、「魅力あるホームページづくり」「カウントを稼げるホームページづくり」など、つまり「売り」になるページをつくるための記事を見たりして研究のようなことをしたが、けっきょくそういうことは自分にはむいていないのがわかっただけだった。

しかし、そういう記事によく書かれていた「更新回数を多く」ということだけは、ヒマにまかせてやってきた。売れないフリーライターゆえ、ヒマがありすぎて、けっこう更新だけは多かった。それでアクセスがふえたのかも知れない。

テーマやスタイルの絞りはないし、文章は多いし、好きな路地横丁をイメージしていたからゴチャゴチャしてワイザツでスッキリしてない。「売れる」条件と反対のことばかりである。まさに読者を苦しめる「クリック地獄」なのだ。ブログにいたっては、自分でも、パソコンに向かうまで何を書くかわからない。キーを叩く指の動くまま。情動のまま、気まぐれ、気の向くまま。そういえば、酔って書いていることも少なくない。

もともと本の文章だって、読者を喜ばしたり引きつけるような文芸的テクニックは苦手であるから、自分で好きにできるホームページじゃ、そんなこと完全に無視、無視、無視! とやっていた。最初は義理で見てくれていた友人たちも、いまじゃ「まだ、あの見にくいホームページ続けているの」というだけで見てくれなくなった。ま、会って飲むときに酒代さえ払ってもらえれば、おれはうれしいのだが。

というぐあいなので、よほど好きじゃないと、お読みいただけないのではないかと思い、ご覧いただいている方には、土下座してお礼を申し上げたい。

ま、基本といえるのは、「なんとなく、どうでもよく」で、とくにブログの方は、めんどうなのでいちいち書いていないが、文章の最後に「どうでもいいことだけど」とつけるココロで書いている。だから、ついでにお願いしておけば、最後に「どうでもいいことだけど」とつけてお読みください。

ようするにナニゴトについてもあきっぽいおれが、まだ数年とはいえ、ここまで続いたのは、そういう「なんとなくどうでもよく」が勝手にできるからだろう。

どうでもいいことだけど。

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2005/04/23

悩ましいアレかコレかの「ゆとりか」「学力か」の大笑い

いやはや、今日はなんという日だ、朝の続きを書くことになっちゃったよ。いま午後4時過ぎ。酒飲んで風呂から上がってパソコンに向かって、yahoo!ニュースを見たら、「学力低下」の項に、「<学力テスト>「好成績」戸惑う文科省なぜ、上向いたのか」の記事。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050423-00000035-mai-soci

ようするに「ゆとり」にダメ出しをして「学力」にカジを切り直したばかり、今回の学力テストは「ゆとり」のヒドイ結果が出るはずだった。しかし……。

ま、この学力テストの結果については、また「学力」派がなんやかんや主張するに決まっているが。それにしても、このドタバタぶりは何か。「文科省が新指導要領見直しに動き出した直接のきっかけは、昨年末に公表された経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査(PISA)と国際教育到達度評価学会(IEA)の国際数学・理科教育調査(TIMSS)という二つの学力調査だ。中山成彬文科相は、読解力がOECD平均レベルに落ち込んだことなどを受け「世界トップレベルとは言えない」と学力低下を初めて認め、指導要領全体の見直しを指示」ということで、これがそもそもオカシイ。

ま、いまさらじゃないが、いかにもコンプレックスで自分を失った姿。これがオトナのすることか。アレかコレかの幼稚なアタマだと、こういうふうに自らのポリシーを失うことになる。わかったかな「抑制のきいた上品な味わい」派たち。モンダイは、上品か下品かじゃないのだよ。しかし、あの「報道機関」のふりして「政府広報機関」である上品ぶったNHKがやってきた、「ゆとりか、学力か」キャンペーンは、どうなるのだろうか。

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「オオイヌフグリ」を知っているかい

「アバタの水呑百姓のインポ」と書けと書いた「アバタの水呑百姓のインポ」のエロ漫画屋の無駄話を見た同居のツマが「あんなこと書いて、よく憎まれないね」と言った。「あいつは愛されるより憎まれて生きていたいというヘンタイだからね、それがあいつの人間への愛情表現なのさ」というと「あなたの上品であるより下品で生きていたいと同じね」と言った。はて?

だから今日はオオイヌフグリを知っているかい。まんちゃんの写真。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/38673?YEAR=2005&MONTH=4&DAY=22

かつてこの可憐な花に、「イヌフグリ」という名をつけた人びとは、とても自由な精神の持主だったと思う。「抑制のきいた上品な味わい」派がもたらした閉塞の中で、余計そのことをうらやましく思うのだった。もしかしたら、この名をつけたのは女ではないかと想像する。万葉の女たちなら、やりそうであるね。いまの、おれを死刑にするような、上品ぶって自由な精神の欠落したオンナどもには、とても無理だ。と、なぜか夢にこだわる。

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悩ましい「ゆとり」と「学力」のあいだ

またもや、という感じだが、「ゆとりか」「学力か」という二者択一議論が仕掛けられている。「野球か」「サッカーか」で姦しい時期もあったが。

なぜ「ゆとりも」「学力も」という議論にならないのかね。なぜ「野球も」「サッカーも」「ほかのスポーツも」ということにならないのかね。

「多様化」「個性化」がいわれて久しい。が、同時に、「閉塞の時代」がいわれてからも久しい。食文化的には「一億総グルメ」、そして「バブル」という時代に「閉塞の時代」というコトバが広がりだしたと記憶している。

「一億総グルメ」は、「美食か」「粗食か」に収斂したというか、そういう議論の仕掛けのなかで続いている。「美食も」「粗食も」には、ならない。ましてや「快食」など。

で、そういう議論のあいだに、ある味覚の標準化された「規範」へと導かれた。それは、「抑制のきいた上品な味わい」ということができるだろう。「開放感のある猥雑な味わい」は、下品な、下品であるがゆえにイケナイ味というフンイキがただようことになった。そのように味覚に「閉塞」が到来したのだった。

どうも、家庭でイワシやサンマやサバなど、猥雑な生臭いニオイの大衆魚が敬遠されるのは、そういうことに関係がありそうな気がする。世相と味覚は密接な関係にある。

二者択一議論が仕掛けられているときは気をつけなくてはならない。それは次の「閉塞」のための準備であり、さらにまた「抑制のきいた上品な味わい」が一歩、より重く世相を支配することになるのではないか。そして自由な精神は、さらに閉塞のタコ壺の底へと追いやられる。後世、「上品なファッシズム」は1980年代中ごろに始まったと、歴史は書くかも知れない。

という夢を見た。二者択一議論の結果、「抑制のきいた上品な味わい」派のために、おれは死刑になるのだ。しかも「抑制のきいた上品な味わい」派というのが、ゼンブ、女なのだ。裁判長は●子だった、検事は●●子だった、断頭台の死刑執行人は●●。うへ~、オンナはこわい、カンベンしてくれよ。「抑制のきいた上品な味わい」ほど暴力的なものはない。そもそも「ゆとりも」「学力も」という議論にならないのは、精神の「抑制がきいた」、解放状態にない証拠じゃないかと思う。

まあ、そういうわけで、きのうは、二者択一議論と「抑制のきいた上品な味わい」をフンサイせよ!と『大衆食堂の研究』HTML版の「編外編・食堂誌史試論」を掲載した。もうすぐ完了だ。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_6_01.htm
「なんじ、疲れたる者よ、われに来たれ。われ、なんじに元気を恢復せしめん」というコトバはいいなあ。

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2005/04/22

なぜ魚を食べないの?

「魚屋の風景」にとりかかったばかりだが、今日の閣議に提出された農水省の「水産白書」は、魚屋にとって「凶」のようだ。こんな記事が。

魚介類の消費は減り続けており、水産業を取り巻く環境は依然として、厳しい。03年に国内で消費された魚介類は前年を1.5%下回る1098万トン。年間に1人当たりが魚介類に支出する金額も、03年は前年比で6%も落ち込んだ。消費者の魚離れに歯止めがかかっていないことが改めて明らかになった。
http://www.asahi.com/life/update/0422/005.html

ふーむ、このモンダイの根は深そうじゃなあ。ウチの場合は、圧倒的に、魚介と野菜なのだが……。なにせねえ、いまシコイワシのシーズンだけど、これなんか、この北浦和のスーパーだって、100円出すと二人で食べきれないほどあって、料理も簡単だしうまいし、骨丸ごと食べられるし、いいのにねえ。

今日はさ、金目の切り落とし、カマに肉がタップリついた大きな頭が300円。これを豆腐と煮付けるのだけど、二人で食べて大満足の量であるね。それに今日は地元埼玉産の大根菜が一束タップリで100円だよ。味噌汁と炒め物と塩漬で二日は食べられるね。うれしいねえ、これはうまいんだよ。しかし、このメニューは、また酒が飲めそう。うひひひひひ。料理は楽しい。

しかし、こういう安いものばかり買っていても、統計上の支出金額にはあまり貢献しないから、支出金額からだけでは、「消費者の魚離れ」は証明できない。

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魚屋の風景

そういうわけで、きのうの続きだが、街と魚屋と生活のことが気になったので、「魚屋の風景」という収集をやってみることにした。何かが見えてきそうだ。
http://entetsutana.gozaru.jp/syatana/sakanaya.htm

大衆食堂もそうだが、日常の食は、街との関わりが深かった。しかし、近年は、それを語ると「懐古趣味」に陥りそうなほど浅くなってきたのも確かだ。それは「経済構造」や「都市構造」の問題もあるが、「B級グルメ」など日常の食を街から切り離し「情報化」する「情報構造」の問題もあるだろう。ま、日常の食と街との関わりを大事にする食文化は衰退し、そんなことなんかどうでもいい食文化が成長しているということかも知れない。しかしおれは、衰退と酔態に、しがみつくクセがあるようだ。

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2005/04/21

スーパーが閉店して

生活の基礎は、家庭でめしを食べることである。家庭というと「複数」というイメージがあるが、一人からでも、家庭は家庭だ。

家庭でめしを食べるについては、なるべく家庭でつくる。というのを基本にしたい。ということで、つくるについては買い物が必要になる。

モンダイは、ここからだ。

わが家の冷凍冷蔵庫は、いちおう2ドアだが、高さ80数センチ横40数センチの、20年ぐらい前の古い小型のものである。この大きさだと、毎日のように買い物をしないと、毎日のようにウチでめしをつくって食べることができない。つまりウチでめしをつくって食べるためには、毎日のように買い物をしなくてはならないのだ。

住んでいる北浦和の駅の反対側には商店街があるが、住んでいる側は、そういう買い物のための商店街がない。八百屋と肉屋はあるが、魚屋がないのが、かなり致命的であり、スーパーの利用が基本になる。

モンダイは、ここからだ。

利用していたスーパーの一店、元ナカウチさん系が、一月ほど前だったかな? 閉店してしまったのだ。いちおう、ウチが日常的に買い物するこの地域には、おれがAクラスとする一店、Bクラスとする閉店の一店、Cクラスとする二店、Dクラスとする一店という状態だった。

このクラスわけは、Bクラスが平均客単価つまり客が一回に買い物する平均の金額が2000円とすると、Aクラスのデパート系のスーパーは2500円、Cクラスのスーパーは1500円、Dクラスは1300円というぐあいだ。この数字は、おれの経験値なので正確ではないし、実際に500円のひらきはないかも知れないが、そういう「階級差」がある。

Dクラスの一店は、ボックスストアでスーパーと業態が少しちがうから一緒に比較できない点もある。実際に利用客は、経済的Dクラスとは限らない。酒類など、加工品のまとめ買い客は少なくない。ウチからは、この店が一番近いのだが、ボックスストアというのは、そもそも生鮮モノの品揃えを極端にしぼり、スーパーで最も経費のかかる生鮮モノ管理を省力して成り立つのだから、ここで毎日買い物してめしをつくっていたら、オカズが偏ってしまう。とにかく、ウチにとっては、毎日のためにならない。

Aクラスは、とうぜん品揃えの平均単価が安くない、安くない上に野菜の管理はBクラスと同じレベルであったので、避けていた。ついでに書くと、ウチの場合、日々の買い物の最大の理由は、新鮮な野菜と新鮮な魚だ。

ってことで、BクラスとCクラスをテキトウに回遊しながら買うのが歩き回る都合からもベストだったのだ。そのBクラスが、なくなった。

モンダイは、ここからだ。

じつはCクラスの二店は、「スーパー」というが、むかしの八百屋食料品店と肉屋と魚屋が一緒のフロアーで営業するマーケットのレジが統一されたようなもので、あきらかに、統一的統合的なマネジメントやマーチャンダイジングは行われていない。結果、買いにくい売り場はガマンするにしても、野菜肉魚の生鮮三品以外の品揃えにモンダイがある。

しかし、Bクラスの一店が閉店したので、この二店が頼りの状態になったのだ。アレはここで買って、コレはここで買ってと、売り場の細部まで記憶にあって、日々やってきたことが崩れてしまった。崩れてわかったのだが、「今日の料理」も、その状態にあわせて変えなくてはならなくなる。それに慣れるのに、約一か月かかった。

で、まあ、そのアレコレは、またの話にして。街と生活の関係、生活と自分の行動の関係などについて、いろいろ考えることが多かったのだが、本日は、ここまで。

結論を一ついえば、先日も路地横丁をまわって感じたのだが、元気な魚屋が、街と生活のカナメのような気がする。これからはわからないが、これまでは、そうであったような。そして、ウチでめしをつくらない生活では、地域だのコミュニティだのは、観念的なものになってしまう、ということ。

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生活料理と江原恵

ザ大衆食の「生活料理と江原恵」の資料年表を加筆更新。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/hon/ryouri_ehara.htm

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2005/04/20

万盛庵通信よろしく~

ザ大衆食のサイトにもたびたび登場の、わがド田舎故郷六日町の老舗的大衆食堂的蕎麦屋「万盛庵」のセガレまんちゃんが、ホームページはおれのザ大衆食より古いのだが、「万盛庵通信」というブログを始めていたの知らんかった。今日、18日の「南魚沼高千代万盛庵快酔でれでれ」にコメントもらって知ったのだった。

六日町の景色の写真が載っている。いま見ると、万盛庵のすぐ裏の魚野川は、まだ雪景色だけど桜が咲きそう。ほかにフキノトウやアサヅキなどの春一番の山菜や、オムライスなどの万盛庵料理も載っている。ああ、行きたくなっちゃうねえ。

まんちゃんは地元紙に釣りエッセイを書いたり、「釣り師」でも有名。オヤジは、「山菜採り名人」で有名。カアチャンは、おれの中学の同級生で有名。17日に万盛庵でもらってきたナッパは、きのうまで大事に酒のつまみにした。

最近、このブログをご覧いただいている方で、六日町のほうへときどき遊びに行くという方にメールをいただいた。趣味の競技などでアチコチ旅するらしい。「その土地の「普通」を体験したいというのをモットーにしております」とのこと。いいねえ、こんど六日町へ行ったら、万盛庵に寄ってみてください。

東京方面から六日町は近いからね。いい山があるよ。沢登りが楽しめる、いい沢もあるし。そうそう去年はホタルを見に行ったがすごかったぜ。紅葉も、山が険しく杉や檜が少ないから、まあ紅葉のキレイなこと。温泉あるし。もちろん酒。コメも、あっちで食べた方がうまいよ。これからはカタクリや山桜。まあ、とにかく、しちめんどうくせえことばかり言ってないで、サッと息抜きに六日町へ行きましょうってこと。案内しますぜ~

万盛庵、よろしく~。万盛庵通信、よろしく~。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/38673

えーと、ザ大衆食のサイトにおける万盛庵関係は。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/mansei.htm
http://homepage2.nifty.com/entetsu/manseian.htm

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酔って冴えるアル中への道

昨夜は北浦和の「志げる」でビール1本ホッピー1中3で帰る途中、安い箱酒を買い帰宅してチビチビチビ、酔いのまわった頭でWeb閲覧ってことだったが。いま見たらコワイ妄言大家塩山大先生にむかってアレコレ。「水呑百姓」だの「インポ」だのと本当のこと書き。どうでもよいことにマットウに反応し、なかなか冴えたことを書いている。うーむ、いいこと書いているねえ、正気じゃこうは書けない。しかし酔うと冴えるというのは、アル中にむかいつつあるということか?それもまたよきかな。

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2005/04/19

漫画屋無駄話の無駄話

下仁田の水呑百姓のインポが、こんなこといってらあ。

漫画屋無駄話 其の1683 ▼立川談四楼、立川志らく、松崎菊也。昨今の“カンチガイ文化人”ベスト3。談四楼の高みからのエッラソーな妄言にゃ、昔からゲロ。エンテツ(遠藤哲夫)さん、本当に落語は面白いの?志らくの頭脳程度は、被写体センスに全て露呈(オメ-は落語界の林海象か?)。松崎菊也の発想、文章のハンコ(シャチハタ)振りは、「古書現世」の向井透史が書いてた通り。説教好きの無能無芸。ファンはともかく、起用する人間の馬鹿さに呆れる。雑誌、売れないのに忙しい。長くは続かない状態。('05.4/19)

http://www.linkclub.or.jp/~mangaya/nikkann.html

なんだよ、この話は、落語の話か? それとも「文」や「口舌」の話か? いまどき「文」書いたぐらいで「文化人」のツラしているのゴロゴロいらあ。「文」書くなんてなあ、メシくってクソするのと同じ。それをさあ、有難がっているやつがいる。それをネタにするやつもいる。それを僻むやつもいる。そんなことを、わずか数百字で問題にするやつもいる。そういうやつは、好き勝手にやればいいだろう。

立川志らく? 松崎菊也? 知らないよ。そんな知ったかぶりは、お笑いぐさだ。「談四楼の高みからのエッラソーな妄言」というやつ、おれは知らんよ。ヤツの本なんか読んだことがない。ウチにはテレビもないしさ。直接の噺のほかは、知らんのだよ。それともそれは、どこかの噺でのことなのか? おれは知らんよ。談四楼については、談四楼の独演会以外は知らんのだよ。おれが体験したのは、その独演会だけ、そのことが重要なのだよ。たかだか活字や印刷物や映像? ひとの話? そんなものは、おれは信用してない。

落語は、いまのところ、談四楼と、喜多八、正雀、雲助だけは、鈴本や末広など大手寄席以外の独演会や落語会に行くことがありますわ。とりあえず、興味の理由があるものでね。それだけですわ。あいつは、こうだ、ああだ、という似非ジャーナリスト風や似非評論家風のレッテル貼りは、関係ないですね。自分の興味ですわ。なぜ談四楼に興味を持ったかというのを書いていると長くなる。あんたが、それだけ書いたのだから、飲み代だしてくれるなら、飯田橋まで行って話さないことはないけど。

落語家は落語。古本屋は古本。漫画屋は漫画。それで、いいのだよ。じゃあ、おれは何か? ただの酔っぱらいさ。来年のいまごろは、談四楼をミソクソに言っているかも知れない。ただし、落語についてだ。ヤツのほかのタワゴトなど聴いてるヒマはないよ。それにしちゃあ、あんたのタワゴト無駄話を見ているが。惚れたのかな~。うへ~。

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山菜の季節 野生のわさび

山菜のうまい季節ですなあ。先日、野生のわさびを食べました。料理は簡単、サッと熱湯をかけるだけで、ま、おひたしということか。これでめしもガバガバ食べられるが、酒のツマミにええのですよ。

写真も撮ってきまして、ザ大衆食のサイトに掲載しました。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun05/wasabi.htm

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2005/04/18

南魚沼高千代万盛庵快酔でれでれ

takatiyo0504174月4日「いざ酒蔵で飲みませう!」に書いたが、きのうは故郷の南魚沼の酒蔵、高千代酒造の蔵開き。タダで酒が飲めるぞ。ってことで、ここんとこアチコチ出かけまくりの歩きまくりで疲れ気味なのだが、とにかくタダでうめえ酒が飲めるとあっては、酒に意地汚い根性がじっとしていられない。それになんといっても高千代の酒だしなあ。と、タダどころか新幹線代を費やして行ってきた。

詳細は、そのうちザ大衆食のサイトに写真つきレポートを掲載するとして。大宮発12時30分の「たにがわ」で、越後湯沢のりかえ、故郷の六日町駅に14時ちょうど着。一緒に行く中学の同級生クボシュンさんがいる南魚沼市観光協会の事務所に寄り、高千代が仕立てた送迎バス14時25分発に乗り込む。ほぼ満席のバスには、なんと若いムスメたちがいるではないか。タダ酒にたかる意地汚いジジイイどもばかりと思っていたが、そうか地元の若いムスメたちも高千代を呑むのか、いいことじゃないかとクボシュンさんと笑う。

高千代の蔵では、原酒の試飲をチビチビやりながら、以前のようにガブガブ飲めないねえトシだねえとか言い、蔵内の写真を撮り、休憩室に移りゼンマイとニシンとクルマ麩の煮付け、フキノトウとカジカのてんぷら、サケのかす汁などで、タップリ飲みましたですね。フキノトウの土産までもらって、すみません。

16時発の送迎バスで六日町にもどり、クボシュンさんに導かれ、六日町温泉随一のバカ豪勢温泉旅館「龍言」の露天風呂へ。はあ、バカ豪勢。はあ、でも、とにかく温泉はいいねえ。と、酔いもぬけ快適。

今年から昔のようにマジメな登山をしようというつもりなので、足ならしに一泊して軽く山歩きと思っていたが、まだ雪がたっぷりあるのだ。想像以上の量で、平地の田んぼも全て雪の下。雪がないのはクルマ道路だけ。おまけに雨が降りだし天気は下り坂。それを押してまでマジメになる気はないので、デハ、いつもの万盛庵でマジメにイッパイやって帰ろうと、クボシュンさんと別れる。

万盛庵の戸をあけると、そこに夫妻が、「あれっ~、はなまる見たよ」と。とくに知らせてはなかったのだが、毎朝「はなまる」を見ているのだとか。どうもどうも。女主人エッチャンが「ほら、このひと、同級生だよ」と、そばのひとを指差す。おお、そういえば見覚えが、「オカムラさん?」「そうそう」てな、ことで、もう酒盛りですわ。つまみは、雪がある時期にしか食べられない、大崎菜だよ。うれしいね、今年は雪が多かったから、まだ食べられた。さらに大崎菜を土産にもらって、どうもどうもありがとう。仕上げにラーメンを食べて、六日町駅21時発で越後湯沢へ、23時ごろウチに帰着。今回は、あいだで温泉で休憩したせいか、泥酔することなく、きわめて快適な酔いでありました。とさ。

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2005/04/16

高田渡さん逝去

さきほどの日記に書いた、きのう下北の「蔵くら」で、飲んだ。そのとき高田渡さんの話をしていた。あの「語り」と「間」は、落語家も勉強しているらしいとか。それにしても容態はかなり悪いらしい、また元気になってほしい、とか。でも、たぶん、ふつうのひとのトシ以上に飲んでいるからなあ、とか。なんと、それからのち、おれがウチに帰り着くまでのあいだに、高田渡さんは亡くなっていたのだ。合掌。

しかし、「酒とつまみ」の「酔客万来」の登場者の死は、わずか6号のあいだに、中島らもさんに続いて2人目だ。あわわわ。でも、最近は、十分飲んで死んだひとの死を、悲しく思うことはない。おれも成長した。みなさん、思う存分、飲みましょう。飲みすぎ人生に悔いはない。

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東京かけめぐり立川談四楼のち蔵くら

予定変更で11時に京成曳舟駅まちあわせのためウチを9時半に出る。キラキラ橘商店街を軸に京島1~3丁目の路地横丁をくねくね歩き回り。押上へ出て押上食堂で昼飯。五年ぶりぐらいか? のち東向島6丁目界隈をくねくね。時間がないためもあって墨田3丁目や東向島1丁目をパスしたのがいけなかったが。全部歩くには一日いるからなあ。でもまあ「向島の力」はキラキラ橘商店街界隈で十分。東武曳舟駅から亀戸線で亀戸、砂町銀座。創業70年のミルクホール「銀座ホール」で一休みのち砂町銀座踏査。ああ、よく歩き回った。

まだまだある。大島駅から新宿で乗り継いで下北沢へ。下北沢だって路地横丁の街だが、なぜかそういう雰囲気に欠けるね。やはりニンゲンの問題か。6時半、北沢八幡神社の立川談四楼独演会。ますますアブラがのって、頭もテカテカでいいねえ。いやハナシもさ、毒針がきいてるし。太田尻家と合流。のち蔵くらでくらくらビール。Aさん、最近は経堂の古本屋E書店でアルバイトだって、「えっ、フルボンなんかに興味も持ったの?」「そうなんですよ」「げっ、あんなものに興味持ったら、ロクな男と結婚できないよ、ナンダロウアヤシゲというひと知っている?」「会ったことはないけど、知っています」「ああ、もう最悪。ああいう男と結婚することになったら人生メチャメチャだよ、お先まっくら。こんど連れてきて見せてやるから、見ればワカル、やめたがいい、さっさとフルボン界から足洗って、まっとうな道にもどりなさい、そうだろフルボンの男たちロクなのがいないだろ!」「はあ、そういわれてみれば、でも」「だめだめ、だいたいねフルボンなんかいまはハヤリだけど、すぐ廃るから食べていけなくなるよ。しかし近ごろのフルボンブームは新興宗教のようにこんな若いムスメまでたぶらかして道をあやまらせる。その元凶はアヤシゲやカオザキか、そうそうセドローもいる、そのうちあいつら古本つんだ上で裸踊りの刑だ」という話をしたかしなかったか酔っていて覚えていない。とにかく、ああ、やっと無事にウチに帰ってきたぜ。

という、きのうというか午前様でした。さて本日は。

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2005/04/14

こういうの、いいな、のサイン会

はあ、ちょいとアレコレ、いろいろモノゴトは重なるもの。「はなまる」ちょいとのことなのに、ごらんいただきありがとうございます。いただいたメールの返事などは、これから。

え~、今週末16日、おれが「大解説」を書いた、オヤジ芝田さん著の『神戸ハレルヤ! グルめし屋』のサイン会あんど飲み会があります。行きたい行きたい飲みたい飲みたい。でも、おれは都合がつかず、行けない飲めない。

コレ、とてもよい、サイン会あんど飲み会。ふつうのバカな「読書階級」のジョーシキでは、ミスマッチとしか思えないだろう「揃い」なのだ。なぜなら、猥雑な幻堂出版と清新なみずのわ出版の本が、そしてわが猥雑なオヤジ芝田さんとわが清新な林哲夫さんが揃ってのサイン会なのだ。えーと、ほかにも猥雑な中村ようさん(この人、ただの飲兵衛あんど女好きで、おれと同類か?と思われる。それに清新な和田作郎さんというゼンゼン知らないが、とにかくにみずのわ出版から本を出すのだから、芝田さんや林さんのように正しいひとに違いない)とかとか。

どうしたらこういう、世間的にいえば「高尚」と「下世話」の組み合わせになるのか、ゲイジュツの香りとホームレスの臭いの組み合わせになるのか、こんなことがありえていいのだろうか? という楽しさだが、楽しい世の中とはこういうものなのだ。排除しあうでなく、クサイ身体を抱擁しあって大らかに、これでこそ文化なのだ。さいこ~。こういうこと平気でやるの、神戸の海文堂のフクオカさんしかいません。フクオカさんバンザーーーーーイ。フクオカさんは、「汁かけめし快食學、ドーンと売らせてもらっています」というから店へ行ってみたら、普通に書棚に一冊あるだけだった。ふん、いいだろう、そういうイイカゲンが世の中を楽しくするのだ、それに昼から酒臭かったから許す。

えと、オヤジ芝田さんのブログに案内があります。
http://d.hatena.ne.jp/MSHIBATA/20050412#p1

林哲夫さんの「デイリー・スムース」はこちら。
http://www.geocities.jp/sumus_co/

みなさま、ぜひお参加を! よろしく~よろしく~、おれのぶんもよろしく~
ああ、明日、当ブログ、もしかするとサボるかも知れません。よろしく~

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2005/04/11

「卵かけご飯」のシアワセ

退屈男さんの昨日のブログ日記に「三浦家の四月十日」がある。『スペインの酒袋』(旺文社文庫/三浦哲郎著)から、三浦家つまり三浦哲郎さんの家じゃ四月十日は「ゆで卵を食べる日」だという話である。
http://taikutujin.exblog.jp/1833822/

本の「あとがき」から引用があって「私が味覚について書く興味は、ありふれたもののなかにひそんでいる思いがけない新鮮な味覚、忘れていた懐かしい味覚を探し出すことだ」と。おおっ、スバラシイお言葉。って、おれ、またもや、孫引き。

で、孫引きだけじゃすまないから、先月ここで話題にした、新潟日報の「卵かけご飯」の記事を思い出し、ザ大衆食のサイトに掲載した。「卵かけご飯」のシアワセ、であるよ。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun05/tamagomeshi_nippo.htm

ゆで卵たべると思い出す、遠足に運動会。

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2005/04/10

「美食の文化史」と「カレーライスの話」

「書評のメルマガ」の原稿が昨日締め切りだったので、締め切りに遅れたことがないおれは書いて送ったら、編集のナンダロウさんはナンダロウ西のほうでウロウロしているらしい。ので、今朝また気になるところを訂正して送り直した。

今回は、『美食の文化史 ヨーロッパにおける味覚の変遷』ジャン=フランソワ・ルヴェル著、福永淑子・鈴木晶訳、筑摩書房1989年、なのだ。

「日本の「知性」な問題と自画自賛」というタイトルをつけ、「かりに日本の食文化本から、日本の知性をおしはかった場合、ほんの一握りをのぞいて、アワレ近代以前の状態であるといえるだろう」という書き出し。挑発的か? いやいや、そのアワレな実態。

『美食の文化史』には、物知り顔の日本人なら知っている”フランス料理はイタリアのメディチ家の娘が料理人を連れてフランスへ嫁にいったことに始まる”ということに歴史的事実をもって反論するくだりがある。そして、浮かび上がる図式は、根拠のない「想像でしかない事実」による循環論法がのさばる様子だ。それは、日本だってねえ、料理の歴史の俗説や味覚や栄養に関する、もっともらしい知ったかぶりの説は、ほとんどその類だよ。インドを「元祖」とするカレーライスの歴史についてもだ。

ブヨブヨ膨張した知識の一方で論理の貧困。しかし、日本には、また料理や味覚や歴史を読み解く論理に、独特のモンダイがあるようだ。なぜか? 短い文章なのに、そこんとこにふれたのが、今回のおれの特徴だね。だが、かんじんな「書評のメルマガ」は、5日締め切りの分も発行になっていないので、昨日締め切りの分は、いつ発行かわからない。ま、購読申し込みしてあれば、近々届くでしょう。
http://www.aguni.com/hon/review/index.html

そういうことがあったりで、ついでに、江原恵さんの『カレーライスの話』について、ザ大衆食のサイトに掲載した。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/hon/nryouri_eharacari.htm


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2005/04/09

立石ゑびす屋食堂と赤坂思い出ふらふら

一昨日、立石でゑびす屋食堂に入ったので、以前外部の写真だけ掲載していたページを更新し写真と記事を追加した。
ザ大衆食「ゑびす屋食堂」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/ebisuya_tateisi.htm

きのうの話だが、赤坂のTBSでビデオ撮りが終わったあと、赤坂見附界隈をフラフラした。そのあたりは、70年代80年代に、かなり刺さっていたところだ。

70年代中ごろは、山王近くのビルに事務所を持っていた某大物代議士関係のシゴトをやった。その事務所によく出入したし、秘書連中と界隈を飲み歩いた。おなじころ、某大手不動産会社のシゴトで、界隈の飲食業調査をした。溜池通り赤坂見附と一ツ木通りのあいだは、路地横丁の多い地域で、その調査のとき初めてくまなく歩いたのだが、駄菓子屋が一軒あったのには、驚いた。当時まだ、そこで買う子供達が路地にたむろする風景があったのだ。しかし、その駄菓子屋がどのへんにあったかすら思い出せないほど、変わってしまった。一軒だけ、見覚えのある美容室があった。

80年代は、一ツ木通りに知人と事務所を持った。そのころ界隈の飲み屋で、大きなビルのオーナーと知り合い、なぜか気に入られ、普通じゃ入れない赤坂のクラブなどを飲み歩くことになった。電車がなくなると、ハイヤーを使わせてくれたり、赤坂東急ホテルに部屋をとってくれたりで、豪遊を重ねた。女性も好きなようにといわれたが、そういうシュミはなかった。白人と日本人は、一泊5万円が相場だった。「高級コールガール」という。そのころ、よく入ったクラブ、二軒のうち一軒は、まだあった。もう一軒は見つからない、それらしいビルはあったが、半分以上が空きになっていた。政治家たちが利用する料亭も、いまじゃ、見かけは「和風」であっても「近代建築」だし、道路はタイル張りだ。そうそう以前は人力車屋が、観光じゃなく、あったのだが。

ビルのオーナーと知り合ったのは、向田邦子さんの姉だか妹だかの店「あ・うん」の近くにあった、古い木造の大衆酒場だったが、そんなものはもうない。246側にあった立ち飲みも、もうない。一ツ木通りの事務所の近くには、名前を忘れたが有名なシャンソンバーがあった、その近くには、魚屋もあった。みんなもうない。おっと畳屋が残っていらア。でも看板だけ。うーむ、あのころは……おれは、けっきょく、あのころの赤坂見附界隈のチンチャラ派手な空気に染まっていれば、こうまで貧乏暮らしじゃなかったのかも知れないが、なにしろ性分というものだろうか、金持と権力者と有名人と文化人は肌に合わない、自分のカネをケチケチしながら呑む貧乏労働者系たまり場が好きだったのだなあ。なにせ田舎者だからねえ。だんだん赤坂見附界隈の人脈からは遠ざかった。

とか、思い出ふらふらやって、写真など撮っているうちに、そうだ天気がよいから、ついでに新宿4丁目の貧乏労働者系、むかしの地名じゃ旭町、南口のドヤ街がどうなったか見ておこうと、行ってみた。いやあ、思いついて行ってよかった。明治通りに面してある天竜寺裏のクニャクニャの路地。むかしは入っていくのに勇気がいった一角に、1960年代に見たドヤの典型の建物がポツンと残っている。多くは新しいビジネスホテルになったり、地上げされたりだが、まだ残っている棚式のドヤがあるのだ。二階の窓が二段になっている建物ね。あれは、いまはどうか知らないが、一つの階を棚で上と下に仕切り、それぞれに宿泊者を収容できるようになっていた。それが一軒だけ残っていた。写真パチパチ。いやあ、赤坂見附と対極だね。ここに、こんなドヤがあるなんて、表通りの新宿南口やタカシマヤスクエアーあたりをチンチャラしているやつは知らないだろうなあ。ま、それが「都会」というものだが。光と影は背中合わせ。通り一筋ちがえば別世界。新宿南口は、むかしはJRAとドヤで栄えたところ。ちょいと怖かったところさ。その話しは、また。

新宿区新宿4丁目のドヤ、写真だけ掲載


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2005/04/08

来週13日、再び「はなまるマーケット」に登場

3月3日の「NHK生活ほっとモーニングの丼ごはん」で、「めし」といえない話をしたのだが、ナント、どうしたことか、TBSの「はなまるマーケット」から、またもや出演依頼があって、今日、赤坂のTBSまで行ってビデオ撮りをやってきた。

今回は、「プチ丼」がテーマのようで、おれは例によって「丼物とは」についてウンチクをたれる「専門家」の役回り。たぶん画面に映るのは20秒ぐらいのものだろうけど、とにかくテレビ番組というのは、ものすごく時間をかけてつくり、アッというまに放映はおわるというシロモノだから。前に何度か制作協力したドキュメンタリーも、ロケハンから何ヵ月もかけ、200時間ぐらいビデオをまわし、放映されたのは実質40分ぐらい。それがまあフツウなので、20秒のために、あれこれやってきた。

もちろん今回も、「めし」じゃなくて「ごはん」ですね。ま、「めし」じゃないとイヤダと、もだえ苦しみ死んでしまいたくなるほど、自分のアイデンティティに関わることじゃないので、ビデオがまわりだすと、自然に「ごはん」という言葉が出た。なんという節操のない堕落だ。そのように、人間は、メディアにならされていくのだろうか。あわわわわ。

しかし、エト、前回はいつだったかな。当ブログ日記を調べると、昨年の8月16日の放映だ。『汁かけめし快食學』の表紙が、ドーンと画面いっぱいに映ったのには、おれもオドロキだった。なにしろ、「はなまるマーケット」といえば、奥様相手のプチな雰囲気であるのだし、そこに東陽片岡さんのイラスト表紙がドカーンだからな。それに出演したおれの風体といえば、よくホームレスと間違われるような近所をウロウロするときの格好そのままで行ってしまい、同居のツマに叱られた。とにかく、やはり視聴者のみなさまとはミスマッチということだろうか、本の売り上げにはゼンゼン関係なかったようだ。

でも、また登場するのだ。どういうことだろうか。すでにほかの番組じゃ、おれの本からパクッたような内容を誰かがしゃべっているし、大らかで寛容のココロにあふれるおれは、いくらパクられても平気だしミミッチイことを言う気はない、ほかのレポーターやタレントで間に合う話のように思えるのだが……。そんなにおれって、プチな奥様方をひきつけるオーラがあるのだろうか。うふふふ。

とにかく今回は、数日前から同居のツマにシツコク着ていく服を指図されていて、それを着て行った。どうなのかなあ、少しはマシな格好なのかなあ、あまり違わないように思うけど。そもそもツラが、東陽片岡的ホームレスなのだから。

そして、おれの全著作を撮影するので用意してきて欲しいといわれ、『汁かけめし快食學』のほかに、『大衆食堂の研究』と『ぶっかけめしの悦楽』それに共著もよいというので『東京定食屋ブック』を持っていった。いちおう全部撮影したので、編集でどうなるかわからないが、また『汁かけめし快食學』がアップになる可能性が大きい。それにな、『汁かけめし快食學』と『ぶっかけめしの悦楽』が一緒に映ると、なかなかスゴイよ。圧倒的東陽片岡カラーだからなあ。それが、朝からプチな番組に流れるところを想像してみよう。それを思うと、なんだか、愉快だなあ。はたして、東陽片岡カラーは、どのていど画面に出るか、たとえ数秒でも、それが楽しみなのだ。

ま、放映前に、あまり書いてしまってはなんだから、詳細はまた放映後ってことで。
来週水曜日4月13日。番組最初の「とくまる」のコーナーを注目。
はなまるマーケットのページはこちら。
http://www.tbs.co.jp/hanamaru/


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2005/04/07

立石ウロウロ

1時半、マコトさん京成立石駅で待ち合わせ。路地横丁の「フィールド・サーベイ」やつですだね。「リサーチ」と「サーベイ」と、どうちがうのか、ということはヌキで、よく歩きました。

2時に開店の宇ち多の前には、1時半ごろからいいトシのオヤジたちが行列。カワイイね。栄寿司は休み。ほか木曜日休みは、けっこうあり。

立石書店に寄ったけど、イチロウくんは不在。ウロウロしているうちに岡島書店。イチロウくんのお母さんが店番。ナント、『美食の文化史』が2千円であるじゃないですか。こりゃ、トウゼン買い。いやあ、ウロウロすると、こういう思わぬイイことがあるな。

さらに東立石もウロウロ。栄銭湯のエントツだけ残っているんだなあ。そうそう、呑んべ横丁のなかも、しっかり「サーベイ」し写真も撮りましたぜ。ここは、おれのようなトシの男にはピンとくる路地でねえ。このあいだ夜の8時ごろの様子じゃ、ちょっと1人で入る気はしなかったけど、昼間下見をすると、ここなら夜来て入ってみようという店を見つけた。ま、ガイドブック読んでるのに読まないフリのやつや誰かのケツのあとについていくようなところじゃなく、男が1人で冒険するところだね。いいねえ、こういう路地。ほかにも、いやあ立石の細い路地の飲み屋、すごい!ナンダロウアヤシゲで。ゴールデン街なんか、もう安全保障のガキの遊び場さ。こういうところで男を磨かなくてはなあ。

って、ことで、ついに入りました、安全地帯のゑびす屋食堂。今日は暑かったし、路地から路地へくまなく歩いたあとだったので、いやあ、ビールのうまかったこと。マコトさんと話もはずんで、まあカゲキというか口の悪い2人の話だからねえ。あのMMさんオカシイよねえ、矛盾だらけだし、ああいうの視野が狭いというのか観念的というのか、ちょいと人気が出ると自分のことがわからなくなるのかなあ。とか。でも、最近あの人の悪口が通じる人がいるのでウレシイね。でも、人の悪口は、いけませんよ。正しい批判ですね。どうせ付き合うことないけど、けっこうニアミスはしているような。アブナイあぶない。で、健全に街や食の話をし、オムライスの写真も撮ったし、オバサンの許しを得てサンプルケースの写真も撮らせてもらったし。近々、掲載しよう。

んで、ま、立石駅でマコトさんと別れ、帰りに途中下車呑んで、まあまあ、いい気分で、明日があるから、これでオシマイ。

今日の至言=塩は嗜好品だ!

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2005/04/06

カウボーイとラーメン

もう一ヵ月前になるが、ザ大衆食の「カウボーイめし物語」の主人公である、ケン・イトウさんから手紙があった。

開けてみると、3月4日の日記に書いた、週刊文春のラーメン問題の記事が、ページごと切って入っていた。このページは、太平洋を往復したことになるな。

そして手紙の文面は、「カウボーイめし物語」のように当サイトで引用してよいことになっているので、ここに紹介すると、こんなぐあいだ。

同封のラーメン特集、どう思いますか。 みそ汁/ゴハンより、大衆食の最も大衆食を思われる、ラーメンは、私も毎週食べて研究しているので、面白い特集だと思いますが。 遠藤さんは、ラーメンについては、そう興味なさそうですね。……… といいながら今日も荒野の大平原で私は日清の「麺の達人」をグツグツ煮込んでいます。

って、ことでありまして、彼への返事のつもりで書くのだが。

私はラーメンに興味がないわけじゃなく、ここでちゃーんと?文春の記事も取り上げているのでありますね。で、おもうに、ケンさんはアメリカはコロラドの大平原で、日常はインスタントラーメングルメをやっていて、それはまさにビンボーなカウボーイたちの常食の姿であり、大衆食の姿なのだけど、いまの日本のラーメングルメは、そういうものじゃないわけですよ。

時間やカネをかけて、どこまでも食べに行く。ラーメンの味を知るものは、味覚の天才、神様であるような言説を平気でふりまわす。そこには、ケンさんのような生活感もなければ、大衆食らしい生活感もない。ラーメンを語ることで、自分がスゴイ才能の持ち主であるかのような自己演出すらある。ラーメンを自己顕示の道具にしているのではないかとも思える。そういう調子なのですよ。

そもそも味覚の探究は、人間や森羅万象の探究であるはずなのに、彼らには、そういう自覚を感じられない。大発見をした科学者以上に、なにもかも知り尽くしているがごとく、ふるまう。もう「ラーメン料理人」の言説などは、ラーメングルメ以外のひとからすれば、大笑いになるようなことだし、あと10年ぐらいしたら、もの笑いのタネにしかならないでしょう。そこには何かを探究したことのある人なら誰でも持っている「洞察力」が欠けている。ま、そういう人たちの仲間には入りたくないので、あまり話題にしてないだけなのですね。私は、ホラ、謙虚な人間だから。

ようするに、いまの日本のラーメングルメは、食文化ではなく、プロスポーツ文化、プロレスとおなじなのですよ。そういう娯楽として、これはよいものだと思いますが、食を語るものじゃない。オーバーな表現も、プロレスを見るように楽しみ、プロレスのワザを楽しむように楽しみ、「ラーメン評論家」の話も「プロレス評論」を楽しむように楽しむものなのです。

こんど日本に来たときには、あのホテルの近くのラーメン屋でラーメン談義しましょう。

と、これをプリントして、ケンさんに送ろう。


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2005/04/05

大衆食堂は地域のイキモノだ

3月29日の日記にも書いた、オヤジ芝田著『神戸ハレルヤ! グルめし屋』の完成版が送られてきた。帯のかわりに、裏面にシールというのが、ユニーク。

帯に載せるスイセン文は、解説からテキトウに利用してほしいと頼んでおいたのだが。シールには、「大衆食堂は地域のイキモノだ」「気どるな! 力強くめしをくえ!」とあった。

なんだか近ごろは、地域・横丁・路地とからんでいることがおおい。ま、大衆食も大衆食堂も地域と密接だからな。ということもあるし、もとはといえば、おれは高校山岳部時代から歩き回るのが好きだったのであるし、プランナーなる肩書で企画屋稼業についたときもマーケティングの分野で、1970年代初頭の「マーケティング」なんていうのは、まだ幼児期で何がマーケティングかわからん、「とにかくマーケティングとはリサーチだ!」というわけで、まあよくリサーチで歩き回ったわけだ。「歩くのが現場シゴト」というかんじで、けっこう気に入っていた。けっきょく、そのときアチコチでみた街や大衆食堂に入った記憶が「大衆食堂の研究」になったわけだなあ。

最近のトラックバックに、「ここは「どこ」だろう? まだまだこんな風に生きてみた」という、ちょっと新興宗教のお誘いくさいものがあって警戒しているひとがいるかも知れないが、これは最近ここでも話題にしているしコメントにも登場の五十嵐泰正さんのブログで、4月3日の「「観光」で東京はナントカなるのか?」へのトラックバックだ。五十嵐さんがかつて彦根あたりで同じような問題意識をもった、なかなか巧みなエッセイだね、こりゃ。そのコメント欄じゃ、おれも加わって盛り上がっている。
http://yas-igarashi.cocolog-nifty.com/hibi/2004/08/post_1.html

おれにとって「地域」というのは、基本的には「生活圏」なのだけど、そしてあるときはマーケティングの「商圏」「エリア」だったのだけど、歴史的にみるとイデオロギーとしての「地域」が根強い。つまり「地域=ふるさと=国家」という。選挙になると、とくに自民党の候補者が、日の丸のハチマキをして、おなじく日の丸のハチマキをして集まった支持者のみなさまを前に、「地域の発展」のために「中央直結」を訴え、自分は中央とのパイプ役であるという光景があった。そういう地域があって、その地域は、国家のしもべとしての地域であり、国家という領主さまに忠誠する地域でもある。そういう地域によって、生活圏としての地域が破壊されてきた歴史がある。

で、まあ、「大衆食堂は地域のイキモノだ」ということで、生活圏である地域を再発見しとりもどそうという、意義あるオコトバなのであるね、これは。

きのうはアルシーブ社で、路地特集の打ち合わせをし、ヤジウマ参加のつもりが、アレコレそれこれと話しているうちにおもしろくなり、取材のスケジュールまで決まって、今月はスケジュールがたてこんでいるうえに、東京の東西南北を歩きわらなくてはならないことになった。そりゃオモシロイが、昨夜は、帰りに北浦和に着いてから、ヤキトンの志げるでイッパイやりながら、いけねぇ、おれはもうトシなんだから、むかしのようには歩き回れないよなあ、でも話をしていると自分のトシ忘れて、おもしろがって夢中になってしまうからなあ、うへ~、今月は疲れそうだぜ、と思いながら飲みすぎてしまった。のである。

おれは、トシだということを、どうかお忘れなく。老人は労わりましょう。老人には、シゴトよりカネを!

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2005/04/04

いざ酒蔵で飲みませう!

新潟は南魚沼の酒蔵、高千代酒造。おれは、ここの友の会の会員だ。おなじ地域の八海山を嫌っているわけじゃないが、もう八海山は有名だからワザワザ宣伝することはない。それに、都会の味にマーケティングされた八海山とは、一味ちがう味が高千代にあるのも確かだ。

ってことで、高千代の「酒蔵一般開放」4月17日(日)へ、いざ行こうではありませんか。東京から新幹線つかって一万円ちょっとでラクラク日帰りできます。山菜食べて、六日町温泉に入って、ああ、ええなあ。もし泥酔し泊まるなら、六日町の温泉旅館、安いところは朝食つき一泊4千5百円か5千円。

きのう地元の中学の同級生から電話があったのだが、まだ1メートル50センチの積雪だそうだ。しかし、もう暖かくなったから雪もどんどん消えるだろう。コブシやカタクリや山桜が山を飾るだろう。

高千代酒造サイトの「酒蔵一般開放」の案内
http://www.takachiyo.co.jp/Event/index.html

おおーい、どうだあ、一緒に行くかあ~

ついでに。ザ大衆食のサイトの「高千代酒造泥酔紀行」。これは一般開放じゃない五月祭りだけど。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun/muikamati_oosakaya.htm

そうそう高千代の酒は、都内だと御徒町駅そばの吉池に行くと、いつでも手に入ります。

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2005/04/03

ダックライスとチキンライスと鶏飯

昨日の日記に書いたように、「タイの汁かけめし ダックライス」をザ大衆食のサイトに掲載し、そこに、写真のトリは、ダックというけど、鶏じゃないの? というようなことを書いた。

ごらんになった方からメールをいただき、もしかしたら、この店の「チキンライス」と同じようなものではないかと。

海南チキンライスの店・夢飯
http://muhung.fc2web.com/

たしかに、海南チキンライスは、鶏のスープでめしを炊き、蒸し鶏を切ってのせ、タレをかけるし、トッピングまで選べるので、ほとんど同じようだ。あと、フライドチキンを切ってのるのもあって、オモシロイ。

うーむ、こりゃ、うまそうだ、値段もリーズナブル。西荻へはときどき行くから、こんど食べてみよう。

ふつう日本では、「チキンライス」というと、チキン入りケチャップ味のヤキメシというイメージが一般的じゃないだろうか。ところが、拙著『汁かけめし快食學』にも書いたと思うが、日本には江戸期から「鶏飯」なるものがあり、これが、鶏のゆで汁でめしを炊き、そのめしにゆでた鶏肉を切ってのせ、だし汁をかけるというもので、ダックライスや海南チキンライスと、ほとんど同じような料理なのだ。これを、明治期の「西洋料理店」で「チキンライス」といって提供していたような痕跡もある。探れば探るほど、おもしろい。

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「観光」で東京はナントカなるのか?

昨夜は、吉祥寺で、ハモニカ横丁を調査した大学生いのけんさんと会い、そのレポートを見せてもらいながらオシャベリかつ飲んだ。レポートは、「吉祥寺 ハモニカ横丁の魅力と実態」というタイトルで、「戦後ヤミ市を起源とする横丁の存在意義」というサブタイトルがついている。

いのけんさんは、都市計画研究を専攻する、この4月で4年生になった。つまり、このレポートは、3年生のときに調査研究し、3月にできあがったばかりのものだ。たった一人で、A4で53ページの、ボリュームもすごいが、内容も文章表現も、じつにスバラシイものなのだ。今朝から、このレポートを読んでいるのだが、コーフンであるね。

で、読みながら回想しつつ思ったのだけど、いま国は「観光立国」をいい、東京都も、それに連動して、ま、お台場も観光地だし恵比寿だって観光地、六本木は田舎の非知的成金の観光地、赤坂は田舎のお医者サマなど知的成金の観光地とかなのだが、新しく上野を世界的な「観光地」にしようなど、アレコレ動きがあるわけだ。

こういう動きは、すでにバブルのころから顕著だった。その中心になっていたのが、文化人だの芸術家だの知識人だので、一次産業も二次産業も既存の三次産業も衰退し、やたらブヨブヨ増えたそういう連中が、「仕掛け人」だ「プロデューサー」だとうぬぼれ、町づくりだ地域おこしだと、都市計画からイベントにまで口を出してきた。彼らは、そのことでしか食えていけないわけで、地域のためとかいいながら、じつは自分のPRや販促やゼニ稼ぎで、地元に協力させオイシイところをいただく。

町全体をエンターテイメントな芸術文化空間にしましょうと、最初はイベンントをやって人を集め、そのためにちゃっかり自分の「芸術品」を街角に置かせたり、それで、そうそう、これを町の集客の目玉にしようとかいってオブジェを2千万円もとって街頭に据えさせた「芸術家」もいたな、アンタだよ、伊豆の某町で音楽で町おこしだとかやって自分のコンサートでゼニ稼いで、あとはおさらばというオメエもいたな、そういう連中がウジャウジャ都市計画だの地域振興だのとやっていた。なんら構想を持ち得ない地元民の問題もあるが、とにかくそういう連中が地域をくいものにしていたバブルがあった。

それでイベントなどやり、そのときは人が集まり賑やかで、ソリャわが町は「観光でくっていける」となる。だけどね、地元民が楽しむためじゃなく、他地域からの集客に頼るイベントは、それはつまり地域がより広域のマーケティングに飲み込まれるということであり他地域の同種あるいは異種のイベントと競合する。ま、他人の財布と時間の取り合いになるのだ。一挙に地域の経済枠が広がるのだな。それから、イベントなどがうまくいって急激に人が集まると、一方ではそれまであった地元の魅力が薄れ寄り付かなくなってしまう人がいる。もっと大問題は、かりに成功が続くと地価が上昇し固定資産税があがり、もとからの地元の商店がやっていけなくなり資本力のある外からの参入がふえる。そういうことでビミョウに町の雰囲気が変わっていく。

そういうモンダイが、「仕掛け人」だ「プロデューサー」の計画には考えられていなかった。もちろん、そのことに気がついて、もっと地元の商店や、そこを日常的に利用する人たちを基礎にした計画でなくてはいけないという「プランナー」もいた。だけど、それだと文化人だの芸術家だの知識人だのは、あまり儲けられないし、「地域振興=観光集客」というぐあいにアタマが固まってしまうと、集客イベントを中心に、どうしても派手にやりたがるね。

そういうことが、さらに近年「観光立国」という思想?と政策のもとに、アチコチの地域で惰性的に続いているように思う。そういう面を、大学生のレポートは想起させてくれた。吉祥寺のハモニカ横丁は、その存在意義が「観光」的に高まっている。それは、成り行きでそうなったのだが、これからそれが「観光資源」として注目されることにより、どう変質するかわからない。

だから、ま、話がとぶが、「向こう三軒両隣のまちづくりのすすめ」というのは、わりとよいかもね。
http://dan21.livedoor.biz/archives/17825583.html

ということでした。

いいレポートつくった、いのけんさんのブログ
http://blog.livedoor.jp/truestepper/archives/17863465.html

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2005/04/01

ぶっかけめし食べる ホリエモン

「ぶっかけめし」でWeb検索していたら、「ホリエモンも絶賛したという「ぶっかけめし」」が載っていた。

「GENDAI NET」の「ホリエモン 常連の店へ行ってみた」
http://gendai.net/contents.asp?c=051&id=15723

ここに載っている、六本木『海南鶏飯食堂』の「鶏飯」も、ぶっかけめしじゃないのかな。タイの汁かけめし、ダッグライスに似ているような。ふーむ、ホリエモン、ぶっかけめし食べるのか。ふーむ、では、ホリエモンを応援せねば。

「時代が動くとき、汁かけめしを食べながら上昇する庶民がいた」とか『汁かけめし快食學』に書いたが。アクティブ アンド アグレッシブな活動には、汁かけめしがつきまとうのか。いま、丼物が話題のようだし。うーむ。

ということもありまして、とは関係ないのだけど、このあいだの日本の汁かけめし「冷や汁」に続き、ザ大衆食のサイトに「タイの汁かけめし ダッグライス」を掲載した。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun05/tai_meshi.htm

そこにも書いたが、これは『汁かけめし快食學』の原稿が進行していた、一昨年末だったか昨年始めだったか。バックパッカーで写真家の山本真梨子さんがバンコクへ行ってくるというので、じゃあ本に載せたいからダッグライスの写真を撮ってきてとお願いして、写真は頂戴したのだが、本には載せる余裕がなく、そのままになっていたものだ。うまそうな、ダッグライス。よだれ~

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