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2005/05/31

経堂ドットコム

酔態で思い出した。5月7日の「盗撮されていた酔態寝ながら電話」のおれの酔態写真を撮影した、須田泰成さんたちがやっている。
「経堂ドットコム」であります。よろしく~
http://www.kyodo-kei.com/index.html

そういえば、おれは経堂にある私立学校の事務職員を4年間やったのだなあ。1960年代後半。そのころ経堂と下北沢でよく飲んだ。ああ、むかしから日本の経済に貢献している、税金もだいぶ払っていることになるなあ。酒飲まずにいたら、家が2、3軒建つといわれたが、酒飲むのは金と時間のムダ、飲まないのは人生のムダというからね。

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昨夜のデキゴト

風邪は完治という状態ではないが、前からの約束であったし、一度決めた予定を取りやめると次はいつになるかわからないし、約束は破るためにあるようなものだが酒を飲む約束だけは守らなくてはならない、などイロイロなリクツを考えて出かけて行った。

そして、最初は「今日は風邪だからテキトウなところで切り上げよう」「でも、飲んじゃうとわからないね」と話していたが、けっきょくなるようにしかならなかった。タブン誰にも迷惑かけているわけじゃなし、日本の消費経済に貢献したのだから、それでいいのだ。

こちらに写真アリマス。
http://blog.livedoor.jp/dame_sue/archives/23614758.html

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2005/05/30

モンダイな事大主義と優劣観

食事評論の一環として外食店を評論するのか、それとも無関係に外食店を評論するのか。食事評論の一環ということであれば、とうぜんそこに評者の、ある種の「食事観」が必要になるはずだろう。

食事評論の一環でないのなら、それなりの「観」が必要だろう。評論は、そのように自らの見方考え方を問う行為でもあり、他者を裁くように採点していればよいという気楽なものじゃない。

しかし、コトは、案外気楽にやられている。とくに食の場合は、将棋や碁とちがって、生活であるがゆえに毎日誰もがやっていることで、誰もが一言あってトウゼンだ。

が、すでに何回も書いてきたが、食の話の大勢は、とくにこの数十年のあいだ「栄養」と「味覚」に矮小化されてきた。そこには自らの「食事観」を問うスキマすらなかったといえるだろう。

で、出かけなくてはならないので、少し話しの先を急ぐが、その「観」のたぐいを問うてみると、そこに意外に根深くはびこっているのが、古色蒼然たる事大主義や優劣観なのだ。と、おれは気づいたことがあった。

気安く、「名店」だの「名人」だの「三大ナントカ」だのと言ってはばからないたぐい、あるいはドコドコ産の絶品といったたぐいに、よく見られるが。おれも『ぶっかけめしの悦楽』では「三大かけめし」という言い方をしていて、『汁かけめし快食學』では、それはいかにも事大主義な言い方であったと反省し表現をあらためている。おれって、「誠実」なのね。

今日は、ここまでよ。しかし、「有害図書」とか言っているやつのほうが、よほど「有害人間」のようだ。

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2005/05/29

家庭にあるべきコト

「われわれは今日がドジでもナミダでも明日を生きるためにメシをくう。家庭にあるべきそういう生活のココロを、大衆食堂は地味にささえてきてくれた。東京の大衆食堂は、名もなき庶民の東京暮らしの光と影をしっかり背負い、喜怒哀楽のすべてをのみこんできた。……」

まだまだ続く。名文だな~。誰が書いたのだ? なんだおれじゃねえか。もうこんなこと書いたのスッカリ忘れていた。

『散歩の達人』1997年4月号。「大衆食堂の逆襲」は全9ページ。その最後で、おれは「正しく力強い大衆食堂のめし」を書いた。

当時の『散歩の達人』の編集長は知る人ぞ知る、中村宏覚さん。もうこのとき編集長の交代は既定のことだったはずだ。そして次の5月号の「編集雑感」で中村編集長は、「インテリ学者より工場のおやじが好き。ピカピカの新品よりオンボロが好き。イタメシより日替わり定食が好き。そんな僕の個人的趣味で作ってきた珍東京雑誌『第一期散達』は、今月号が最後っ屁です」と書き、去った。

それはともかく、おれはここで「家庭にあるべき」という言い方をしている。『大衆食堂の研究』でも「東京暮らしの真相」で「自炊いちばん、食堂にばん、三時のお酒に大衆魚、というスタイルなのだ」と書いているが。

おれは家庭でつくって食べることを基本にしながら外食をみているのだな。つきつめれば、「家庭」とは自分の「食卓」である、というセンで考えている。

それは必ず家庭でめしをつくって食べなくてはいけないということを意味するものではない。だけど、忙しいから外食でという考えをヨシとするわけでもない。忙しくても家庭でつくるひとはつくっているし。ようするに、たとえ一人暮らしでも、自分の住まいで食卓にむかって、なにかを食べる飲む、そこに「自分の生活」の基本があるという考えだな。

去年、知り合いが結婚したのだが、夫妻ともマスコミ関係でスゴイ忙しい。で、何か書いてくれといわれ、正確には忘れたが、とにかくバナナ一本でもいいから一日に一回は二人で食卓にむかって食べよう、というようなことを書いた。たとえ別れることになっても、そういう生活があったかなかったかの違いは大きい、と、離婚2回の経験者はいう。

それで、こういう考えがあるかどうかは、外食店の見方や評価の仕方にビミョウに関係しているように思う。回数でも時間でもない、自分の食卓に向かったとき、そこに「自分の生活」があるという考えを、どうもてるかだ。

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山が呼んでいる

故郷の山が呼んでいる。巻機山。

魚沼の四季
http://takitaro.web.infoseek.co.jp/

ザ大衆食「巻機山」 つまりおれと巻機ね
http://homepage2.nifty.com/entetsu/makihata.htm

おれの故郷は、新潟は越後だけど、上杉景勝は関が原で東軍につかなかったから山形の米沢にとばされて、越後の国は細かく分けられ徳川の親藩に支配された。んで、おれの故郷の六日町のあたりは会津藩で幕末をむかえ、「官軍」とかいう国家強奪軍と戦ったね、戊辰戦争だ。おれの父系は百姓で、本家の曽祖父に当たる男が百姓なのに、攻め入る国家強奪軍と戦うため志願し、斥候に行くんだが、だらしなくもつかまって、六日町にある八坂神社の鳥居に縛られてしまった。ところが国家強奪軍は長岡へむかって先を急いでいたらしく、処分されるはずだったのに、忘れられたのかそのまま置いて行かれてしまった。おかげでイノチが助かった。

うちの本家には、そのとき国家強奪軍が踏み込んで、押入れや人が隠れていそうなところを槍や刀で刺していったそうで、おれがガキのころでも長持ちといったかな?人が何人も入れそうな大きな木の入れ物があって、槍を刺したあとが何ヵ所もあったのを見せられた。そして、もしそのとき曽祖父が殺されていたら、まだ結婚前だったから、おまえもおまえの父ちゃんもこの世にいなかったのだ、といわれた。ガキのころ、そういう話を何度も聞かされた。

小泉が靖国神社に参拝などしているが、靖国神社は、その国家強奪軍が勝てば「官軍」ってことで、その兵士だけを「天皇の兵士」として弔うためにつくったもので、おれの先祖などを「賊」扱いする神社なのだ。日本の民に敬われてきた古来からの日本の神社とはちがう、つまり新興宗教団体のようなものだ。個人的信仰は自由だが、首相が参拝となると靖国神社のそのような政治性つまり天皇の威を政治的に利用する不埒とみなされて当然だろう。ま、小泉は、そういう男なのさ。中国関係だけじゃなくて、おれのような「賊」の末裔にもコトをかまえようという、ようするに「有事」が好きな男なのだろうな。

あーなんの話? とにかくおれは殺されそこなった「賊」の血だってこと。 賊だぞ賊だぞ。山が呼んでいる~

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2005/05/28

芋がらのオドロキとヨロコビ

どちらかというと「忘却の食品」といえる状況にあるのではないかと思う「芋がら」だが。

5月21日の日記に書いた、神田神保町の言水制作室で言水さんと若い男と事務所酒をやっているときに、トツゼン話が、芋がらのことになったのだ。それもオドロイタことに、大学卒業して就職まもない感じの若い男が、「このあいだ芋がらを煮たのだけど、もどしすぎちゃって、食べきれないほどでした」と言ったことから始まったのだ。

わからない人がいるかも知れないので、念のために書くが、「芋がら」は里芋の長い茎を干したやつだ。からからにやせ細って乾き、ホボ無期限といってよいぐらい保存がきく。それをテキトウに、もどしながらつかうのだが、見た目以上にかなり増えるのだ。

若い男は、初めてやったそうだが、いったい芋がらを煮るなんて、ナゼ考えついたんだと、あとで思った。そのときは、すぐに言水さんが反応して、「あれは、馴れないと、もどしすぎちゃうんだよね」とあいづちを打ったことから、たちまち芋がら料理で盛り上がってしまったのだが。

あとで考えたら、言水さんだって、若くはないが約40歳の東京生まれの男だから、芋がらのことなど知らなくても不思議じゃない。それが、「あの味噌汁は、めしにかけるとすごくうまいんだよ」と言った。そーなのだ、まさにその通りなのだが、そんなことを知っているのがオドロキだった。

しかし、おれとしては、いま思い出しても一人でニヤニヤするほど、うれしい。芋がらのうまさを知っている人が、少なくてもいいから、まだ若い人にいることが、うれしいね。うまい店を探し歩くのもよいだろうが、こういう「忘却の食品」しかも安くてうまいものを楽しむというのも、いいのじゃないだろうか。

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2005/05/27

快方へ

風邪は病気のうちに入らないというけど、やはり二日酔いよりは悪いな。

しかし二日酔いで寝ていても、いつも優しい同居のツマは知らん顔であるけれど、風邪で寝ていると、いつも優しい同居のツマは、ふだん食べたことのないウナギ蒲焼の国産のいいところを買って来て「はやく元気になってね」と言ってくれたりするから、ぐふふふふふ、いいねえ~。明日になったら、「もうコレ飲んでも大丈夫よ」って、ぐへへへへへ、ふだん飲めない大吟醸とか買って来てくれるかもな、優しい同居のツマだもの。って、このブログを見られているから書いておこ。

ガキのころは、風邪で寝ていると、親が葛湯をつくってくれたな。葛湯といっても、片栗粉をねって砂糖たっぷり入れて甘くしたの。あと、リンゴとかすってくれたり。そのていどだったかな?

ま、ぼちぼち、快方へ。

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2005/05/25

BOOKMANの会のち休み

昨夜、風邪を押して参加したBOOKMANの会は、なかなか刺激的な内容だった。飲み会も楽しかった。飲み会では、なにかとてもよい大事な話をしていて、荻原魚雷さんに「キット憶えてないよね」といわれたことだけ憶えていて、本当に中味は忘れた。が、なにしろ雨に降られ濡れるわ、酒は飲むわで、風邪に悪いことばかりで、ついに今日は寝込んだ。また寝る、まだ寝る、おれにしては、かなり重症だから。BOOKMANの会の様子は、古書現世店番日記のセドローくんが書いているので、おまかせ。
http://d.hatena.ne.jp/sedoro/20050524

本質にも対象にもせまろうとしない、ちかごろのノンフィションの傾向を、「メリーゴーランドノンフィクション」と名づけたのはおもしろい。「「主役」は回っている自分」だそうだが、外食本や外食モノにイチバン多いのがこのタイプだし、あらゆる分野にそういう傾向があるようだ。ま、そういう話しは風邪が治ってから。

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2005/05/24

「食べる」方向性

あきらかに風邪の現象であるが、今日は、ひさしぶりなBOOKMANの会なので、なんとか参加しようと、寝床でおとなしく休んでいる。そのあいだに、これじゃ休んだことにならないが、幻堂出版の「何の雑誌」第六号を見ておった。

神戸鶴亀堂本舗 石井章さんといえば「女体の詩人」で有名である。「詩人」とは、詩を書く人という意味ではない。「大衆食堂の詩人」の場合とおなじように、「愛でる人」という意味である。それが元来の詩人の意味である。つまり石井章さんは「女体を愛でる人」なのである。ええなあ。

その石井章さんが、「カレーとラーメン」を書いておる。そのなかで「東京でラーメンと云えば私の場合、築地市場の「井上」であります」という、そしてその味覚について、「味は、特徴がない。どこにでもいる背広姿のサラリーマンのよーでもあり、鼠色の作業着の工員のようでもある。極、自然なのです。だから、何度食べても飽きない」と書いている。

さすが、うまい表現だなあ、愛でる人、詩人だなあ。

日常の食というのは、何度食べても飽きないということが大事だと思うが、そのことについて意識するかしないか、どのていど意識するかは、かなり人によってちがいがあるようだ。で、そのちがいはなんによるかということを、風邪で寝ているのに考えて眠れなくなった。

おれはとくに資料的な価値がないかぎりあまり「外食本」を買わない。「外食本」とは、著者が外食することによって文章が成り立っている本のことだと自分では決めているが、「グルメ」や「ガイド」や「エッセイ」などいろいろあって、でも外食店がないと成り立たない、そういう記事は買わなくても、よく手元に転がっている雑誌に載っている。ま、Webにも、たくさんある。

そういうものを見て気になっていたことがあるのだが、この石井さんの文章で、ちょっとヒラメイタのだ。

つまり「「食べる」ことの方向性」について、ちがいがあるのだな。ということを、今日は身体の調子がイマイチだから、忘れないようにメモしておくだけにしよう。

なぜ「何の雑誌」第六号を見ていたかというと、第七号に寄稿しているからだ。また長いの書いてしまった。犬猫愛好家が泣き震える犬猫の愛で方、必読の掌編。あてにならないが、6月中ぐらいに発行なるのかな? いまから予約しておこう。

そうそう掲載を忘れていたが、おれが大解説を書いた「神戸ハレルヤ! グルめし屋」は、東京・神田神保町の書肆アクセスでお買い求めいただけます。よろしく~

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2005/05/23

田毎食堂閉店の記

渋谷の田毎食堂閉店の記事をザ大衆食のサイトにまとめた。ご覧ください。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/tagoto.htm

どうやら風邪をひいたらしい。酒が足りなかったか。

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2005/05/22

悩ましい「味」と「味覚」

拙著『汁かけめし快食學』では、「旨み」と「コク」が、汁かけめしを把握する大切なポイントになっている。

5月16日の日記「積み木の選び方」にも書いた、『汁かけめし快食學』を教材にしている学生さんからの質問にも、「旨み」について質問があって、ほかの方からも質問のメールをいただいている。

「コク」は味覚の表現だから、あまり問題はないのだが、「旨み」は、長いあいだ味覚表現として使われてきて、かつ最近10年ばかりのあいだに「味」として不動の地位を獲得している。つまり「旨み」は、「味」と「味覚」の両方を表現しうるヤヤコシイ言葉になってしまったのだ。

しかも、いま「コク」は味覚の表現だから、あまり問題はないのだが、と書いたが、近年は「コク」と「旨み」が非常に密接な関係で表現されるようになったので、「旨み」を理解することが「コク」の理解にも欠かせなくなっている。

とにかく、いまだ食の本を書いている人たちのあいだですら、「味」と「味覚」のちがいが自覚されてないというか認識されてない状況もあるなかで、この一つの言葉で、「味」も「味覚」も両方表現できるというのは、かなり困ったものなのだ。

とりあえず、「旨み」を「味」として整理し、かつ「味」と「味覚」のちがいを図式的に整理しているWebページをごらんいただき、「旨み」は「旨み」という「味」なのであるという理解をしておいていただきたい。日本うま味調味料協会なる団体まであるのだ。
http://www.umamikyo.gr.jp/knowledge/index.html
なお、この図表では、「おいしさ」の味覚に占める、「食習慣・食文化」が過少に評価される危険があるので注意していただきたい。

おれはこの説に全面的に賛成という納得をしてないので、『汁かけめし快食學』ではファージーに、「味覚」と「味」を包括できるように、アイマイな説明にしている。

『食の文化』シリーズ(味の素食の文化センター発行、農山漁村文化協会発売)の、いずれの巻かで、「旨み」を「味」とする詳しい論文があったように記憶している。いま手元にないので確かめられないが。
http://www.syokubunka.or.jp/doc/kouza/index.html

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2005/05/21

千住、五反野、神保町

今週は脳天気泥酔の二日酔いで月曜日はデレデレおわったが、火曜日からはウチに篭りっきりで今週中にやらなくてはならないイロイロを片付けた。おかげで一昨日は買い置きの酒が一滴もなくなり、徒歩5分ほどのビッグAへ行けばいつでもアル中になりそうなほど安売りしているのだが、財布のカネまで無くなりCDのあるところまでは反対側へ10分以上だから、酒を買うためには30分ぐらい歩かなくてはという状態になった。めんどうというか、けっこうシゴトに集中していたので、久しぶりに一滴ものまず、昨日午前中に余裕をもって今週中にやるべきすべてを終わる。いつも比較的余裕をもっておわるのは、ハードルが低く土壇場までねばる向上心がなく、ま、4、50点だから上等、というところでケリにするからだ。なおかつ、それを自分では手抜きだとは思っていない。

で、久しぶりに外へ出て、千住で4時にF子さんに会い、幸楽でイッパイ。彼女は、うつ病になるような人じゃないと思っていたが、それが一年前うつ病で大変だったのだ。ま、無事に元気になってよかった。のち、子供を保育園へ迎えに行く彼女と別れ、宿場町通りをフラフラ、なかだえりさんの蔵展へ。「えーと、このあいだ会ったのはいつでしたっけ、なんで会ったのでしたっけ」「もう3年?4年? 永見の飲み会でしょう」まったく、3年4年はすぐたつ。「帰りは、大はしでイッパイですか」「いや、ちょいと五反野へ」「あら、さすが大衆食」

と、五反野へ行ったのは、先日いつだったか、「酒とつまみ」の取材で南陀楼綾繁さんたちと行き、そのとき駿河屋というソソラレル大衆食堂をみつけ写真に撮ったのだが、パソコンでの操作を間違え消してしまった、それをまた撮影しておきたいと思ったからだ。ついでに商店街をジックリ見る。「肉の丸正」で店頭に揚げたてのカレーパンがあるのを見つけ、めずらしい、買いながら話を聞く。1個130円を、これからむかう神保町の言水さんは食べるの好きだから土産にと2個買う。

展覧会の情報誌『etc』を一人で編集発行する神保町の言水制作室では、3回目になるが、古い狭い木造のオフィスで個展を開いている。絵画を神棚に飾るように見るのではなく、日常の空間で見ようということで、言水さんがシゴトする部屋の壁に展示するのだ。そこでは、言水さん、ふだん通りシゴトしたり居眠りしたり酒飲んだりしている。

今回は、加藤陽子さんの「希望へ向かえ!」、力のこもった油絵が壁面を天井まで埋めつくし、うーむ、これはなかなかこういう雰囲気はいいねえ。と、土産のカレーパンを渡す。言水さんは机の下をゴソゴソしていたと思ったら、一升瓶をとりだし、やりますか。茶碗酒をやりながら、アレコレ話しこむ。そのあいだに見物客が来て、絵を見ていく。なにしろ6畳ばかりの狭いオフィスだから、とてもオモシロイ雰囲気だ。もしかすると、こうして酒飲んでいるワレワレも作品の風景なのかも知れないと思いながら。

飲みだすと止まらない、話もイロイロおもしろい。時間が過ぎ、近所の出版社に勤める若い男性があらわれ、加わる。アレコレソレコレ話す。一升瓶がほぼ空く。けっきょく7時ごろから10時過ぎまで。事務所酒っていいね、たくさん飲んで酔った。

そうそう、ガツン写真棚に載せておいた、両国あたりで撮ったと思われる古い唐辛子屋の写真、場所がどこか忘れたので、そのように書いてあるが。
http://entetsutana.gozaru.jp/syatana/mise_karasiya.htm
「あれは両国と森下町のあいだですよ、いま私が住んでいるところの近所で、まだあのままの姿でやっています」と言水さん。ということは清澄通りだ。するとあれは深川あたりから高橋を通って両国へ出たときだなと思い出す。

ま、昨日は、約そういうことでした。と、日記風に書いてみた。

言水制作室での加藤陽子さんの個展は、今月中やっています。こちら、言水制作室のホームページをごらんください。神保町散歩がてらにどうぞ。
http://www.kotomizpress.jp/

千住のなかだえりさんの蔵展は、明日まで。
http://www.nakadaeri.com/

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2005/05/19

一億総グルメ

バブル景気は、経済学的には?1986年から1991年ということになっている。「一億総グルメ」がマスコミの手によって「流行語」になるのは、20年前の1985年ごろだ。その前年、総理府の調査では「国民の90%が中流意識を持っている」という結果が出ている。つまり、「一億総グルメ」は、バブル経済だけではなく、1960年代後半から騒がれだした、「中流意識」という成り上がり意識が関係しているとみてよいのではないか。

「中流意識」というのは、よくわからんシロモノなのだが、ある種の「ゆとり感覚」としてみよう。なにかしら生活に「ゆとり感覚」を持った。ローンやクレッジトで借金生活が簡単になったことをバランスすれば、真相は、ゆとり感覚を「持たされた」のかも知れないが、それはおいておく。

最近気がついたのだが、バブルのときは高級グルメが、バブル崩壊後からB級グルメが流行った、という印象を持っている人が、けっこういる。それは、カンチガイで、「一億総グルメ」は高級もB級も区別はなかった。たとえば、文春文庫ビジュアル版のB級グルメ本は、すでに1986年からヒットをとばしていたし。
http://entetsutana.gozaru.jp/hon/siryou_index.htm

9割の人間が「ゆとり感覚」というのは、貧乏は貧乏なりに「ゆとり感覚」があって、それが貧富のていどによってガイドブック片手のグルメにはしったということだろう。それゆえ「一億総グルメ」なのだ。

そして、バブルのときは高級グルメが、バブル崩壊後にB級グルメが流行る、という印象を持っている人がけっこういるのは、バブルが崩壊し不況になって以後でも、いわゆる「ダウンサイズイング現象」としてB級グルメブームが続いているからだろう。

ようするに、高級グルメもB級グルメも、文化的には同質のものであり、経済的なサイズがちがうだけなのだ。

って、ことで、ま、「一億総グルメ」をWeb検索したら、とても興味あるエッセイがヒットした。井上順考さん、宗教社会学専攻の研究者。一億総グルメの最中の1987年刊行の東京大学少林寺拳法OB会誌『拳生』18号に書かれた、「一億総グルメは味気ない」のエッセイ。
http://www.kt.rim.or.jp/~n-inoue/esk-guru.htm

当時の状態で、食や味覚の全体像をとらえながら書いている。なかなか面白い。共感すること大だが、最後に、「振り返ってみれば、われわれ日本人が愛するお茶の香は、やはり禅の心をそれとなくつけ加えたことによってかぐわしさをいや増したのである。そうした精神的な連れあいをもたないグルメブームは、たまたま経済的な幸運を手にした国民のおごりの象徴でしかなくなってしまうのだ」という結びは、ちょいと、「国民のおごり」という見方は、どうかな。宗教的というかんじがしなくもない。

おれは、どうみているかというと、このグルメブームは、文化的には成長期以前の幼児期のものであって、これから30年ぐらいのあいだに成長がみられ、それから30年後ぐらいに成熟にむかうのではないかという「流れ」「連続」で考えている。ま、なにしろ幼児期だから幼稚であり、おごりもあればクソもあるとはいえるが、今後それなりの成長があるだろうとみている。というよりか、やはり日本の食文化の成長を創造する視点での、「一億総グルメ」の評価が必要だろうと思う。

と、ちょいと、自分の残りの人生の年月をこえる巨視的なホラを書いてしまったが、何度もいうように食は百年から数百年の単位でみなくてはわからないことが多いし、「あたふた流行の言説にふりまわされることなく」考えるひとが、少しだろうし目立たないが、増えてきているようなかんじがある。

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やる気まんまん

はあ、なんだか考えてみると、おれは「やる気がおきない」とか「滅入る」とか、ま、ウツ系というのかな、そういう気分になったことがほとんどないんだよなあ。もちろん、二日酔いでグッタリきているときは別だけど。出かけて、ギャオギャオしゃべり、どうもイマイチ調子がでないなと思うと、熱が38度ぐらいあったりとか。自分の熱に気がつかないのは、トシでボケた証拠といわれるけどね。かといって、躁でもないように思うけど、どうなのかなあ。

吉田照美のやる気まんまんには2回出演したけど、いつもやる気まんまんだから、けっこうよくしゃべれたし、原稿無視!無視!でしゃべって。……関係ないか。

とにかく、まあ、ホボいつもやる気まんまんだから、なにか始めると勢いがついているから、こういうブログ書くにせよなんにせよ、過激にはしるんだな。攻撃的になったりとか。でも現物は、すごくおだやかで、過激でも攻撃的でもないんだよね。かなりバカだけどさ。バカだからコントロールとかホドホドというの知らないね。もうガンガンいく、飲みすぎちゃうんだな。

だからどうした。いや、なんだか、こうバカだと、ウツの方がなんだか知的そうでデリカシーがありそうで、いいなあ、なんて思うものでね。ああ。

と、やや独白的に書いてみました。明日から少しウツになる練習しよ。ちょっとデリカシーがあるふりの練習とか。でも、練習すれば、なんとかなるのだろうか。

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2005/05/18

在郷の食堂そして地震と火事のあと

zaigoまだ16日の日記「脳天気泥酔は最高」の、高千代祭りにおける覚張(がくはり)さんとの話の続きだ。

ガクさんが、一枚の箸袋を取り出して、「これをエンテツさんに会ったらあげようと思って」と言った。箸袋には、「在郷の食堂 みずほ」と印刷されてある(画像をクリック)。新潟県の栃尾市にある食堂で、ガクさんが通りすがりに寄って、「在郷の食堂」が気に入って、おれもこれを見たらよろこぶだろうと持ってきてくれたのだ。

「ほら、東京んしょは、田舎の人間を田舎者といってバカにして、田舎のしょは自分んとこより田舎をザイゴモンといってバカにするだろ、でも堂々と「在郷の食堂」と名のるあたりがいいじゃないすか、ほんとはそ、東京が上で田舎やザイゴが下なんてことはないがだて」と、ガクさんは言い、田舎者を自認するおれも大いに共感して、ギャアギャアよろこびあったのだった。

「在郷」は標準語的には「ざいごう」と読むのだろうが、故郷では「ざいご」というのがフツウ。それにしても「在郷の食堂」とはカッコイイなあ。ちょいと思いつかない。ガクさんは、「エンテツさんが大衆食堂の詩人なら、おれは在郷食堂の詩人になろうかな」と。

そうそうそれで、ガクさんの自宅も店も地震で全壊になったのだけど、おれは全壊というのは家が倒れてしまうのかと思っていたら、そうとはかぎらないのだそうだ。ガクさんの家の場合は、土台がシッカリしていたこともあったらしく、倒れなかったけど、最初の地震で一気に障子は裂け、窓はふっとび、壁が崩れ落ちて、地震が止んだ時には家のなかにいてまわりじゅうが見える状態だった。それから一時間ぐらいのあいだに震度5以上の地震が5回ほどあって、それが止んだときには柱が立っているだけで、しかもどの柱も裂け目ができて使い物にならなくなっていた。そういう状態だから全壊なのだそうだ。スサマジイ話だが、そういう話をしながら、「在郷食堂の詩人」ガクさんは意気軒昂だった。

先日書いたように、地震のあと再建した店が火事で全焼する、家には介護が必要な80過ぎの両親がいる、という状態で、もうコワイものはないやるだけ! いままではこんな料理つくるとどう言われるかひとの目を気にしていたけど、もう気にしない、これが料理だ! というのをやるだけ、と。

雪が消えたから、そろそろ「味の店魚野川」の再再建が始まるだろう。

ガクさんの自宅がある集落約100戸のうち8割が全壊で、その半数がまだ仮設住宅などで避難生活だそうである。

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千住へ

案内のメールに気がつくの遅くなって、もうあまり日にちがないのだけど、なかだえりさんの「蔵」展です。街あるき、千住など、興味のある方、ぜひどうぞ。有名な大衆酒場「大はし」がある旧日光街道を、どんどん北へ。左側、銭湯「梅の湯」の先の路地入ったところ。ごらんになったあとは、北千住の、「大はし」だけじゃなく、いい飲み屋たくさんありますから、テキトウに入ってみるのもいいかもね。飲みすぎないよーに。

………………

今年も普段アトリエにしている築約190年の「蔵」で個展をします。
これまで最大の約70作品(もりだくさん!)を展示します。

 ・会 期:5月15日(日)~5月22日(日)
 ・時 間:1:00pm-6:00pm
 ・場 所:東京都足立区千住5-6-11
 
↓詳しくはHPをご覧ください
http://www.nakadaeri.com

出展作品は日経新聞「プラス1」の「街めぐり時あるき」にて毎週土曜1年間、
この春まで連載していた東京などの風景原画(全51作品中24点展示)、
書籍、雑誌等に掲載された作品、千住の風景など幅広い内容です。

千住の商店街や路地を散策しがてらお越しくださいませ。

………………

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2005/05/17

悩ましい「抽象化」

『汁かけめし快食學』では、p63に「料理とは、味覚と、それを求める調理法である」と書いているが、本書では、そこがダイジだと思っている。この場合の料理とは、もちろん、技術としての料理のことだが。

ごちゃごちゃの積み木箱の中を考察する場合、あまりにもゴチャゴチャしているときは、その中をあるていど分類整理しなくてはならないだろう。そのとき、その基準を求めるために「とは何か」が必要になるときがある。

しかし、この「とは何か」というのは、いわゆる「抽象化」の作業であって、日本人はあまり得意ではないといわれているらしい。「とは何か」は、めんどう、わからない、リクツ、と敬遠される事態に出あうこともある。対して、抽象化の作業のない「私小説」あるいは「私小説的方法」がよろこばれるともいわれる。

日本人の得意不得意は、よく考えたことはないが、コト食べ物の分野の出版物に関するかぎり、「抽象化」の作業は、かぎりなくゼロに近い。たとえば、カレーライスについて語っていても、カレーライスとは何か、どういう料理なのかは明らかにされてない。そのためには「料理とは」を明らかにしなくてはならないのだが、とうぜん、それもされてない。

歴史的にイチバン多いのが、コトバの意味つまり語義的な解釈だろう。これが抽象化の作業であるかのように誤解されていることがイチバン多いようだ。そういうことが簡単に通用するのが食の分野だともいえるが。語義的な解釈をもって、私的な、あるいは「私小説的方法」による主観的な考察を、客観的なものであるかのように見せる。そこがライターの重要なテクニックだったし、読者もその巧みなところを堪能する、あるいは溺れる。そういう関係が、あったのではないか。

自分の私的な体験をもとに寄せ集めた色もカタチもゴチャゴチャな積み木を、コレはカレーライスだ! コレはB級グルメだ! コレは名人だ! コレが究極だ! コレが日本人のめしだ! コレが三大ナントカだ! とかいう類、これらはほとんど私小説的方法であり、それはそれでよいのではないかと思うのだが、モンダイは、それがあたかも客観であるかのような装いをするのである。

そのために無原則的な「広義」の解釈がどんどん広がる。結果、積み木の箱のなかは、いつまでたってもゴチャゴチャだし、ゴチャゴチャがひどくなるような話が好まれる。書くほうも読者も、そのへんをウルワシイ関係にしてきた感じがする。ようするに、これは、抽象化の作業をサボりながら、なおかつ自分の考えが客観的なものであるかの装いをする、ご都合主義というものではないだろうか。

ここで一つの疑問がわく。なぜ「狭義」にせよ「広義」にせよ、合理性をもった客観であるかのような主張をしなくてはならないのだろうか、ということだ。主観なら主観、これはワタクシ的なことなのです、何か文句がありますか? でよいではないか。と思うのだ。その場合は、ワタクシ的な方法で誠実に述べればよいのであって、自分が紹介する店が名人だとかなんとかの、客観的な基準が必要な評価は不要というものだろう。それなのに、単に自分が好きである、自分が良かった思いをしたことがあるだけで、「名人」にしたり「名店」にしたり「名著」にしたりする。

とにかく、そういうわけで、どういうわけか、料理人でも、「とは何か」を考えるひとは、少ない。昨日書いた、覚張(がくはり)さんは、「とは何か」を考えながらシゴトをしている一人だろう。

たとえば、一昨年は、酔っぱらいながら「大衆食堂とは」について話した。たしかガクさんは、大衆とは「いろんなひと」である、だから大衆食堂とは「いろんなものが食べられるところである、おれの店じゃ、いろんなもの食べさせるよ」と言った。そういえば、ガクさんは手打ちそばも、自分でつくった窯で焼くピザも、ラーメンも提供していた。自分で釣った川魚を食べさせる懲り方をする、山菜だって採ってからの劣化を防ぎ「旬の味」を保つ工夫をするが、それを押し付けるわけじゃなく、一方では「チャーハンだってうまいぞ」と言う。

で、先日は、近ごろ「健康」によいと評判だが、味覚的にはどうにもなりそうにないある食材の話になって、おれが「そんなの使うの無理だよ」というと、ガクさんはイイ食材をつかえばうまいのはアタリマエ「どうにもならないような食材をうまく食べさせてこそ料理ってものでしょう」といった。ま、そのへんに、「料理とは」に対するガクさんの考えがあるようだ。


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2005/05/16

積み木の選び方

はあ、やれやれ。↓今朝書いたが、『汁かけめし快食學』を教材にした授業をうけている、玉川大学文学部の学生さんから質問があって、ボケーッとしたあたまで、でも学生さんにまちがった答えをしちゃいけないから、キンチョウして返事を書いた。

どういう授業なのかゼンボウはイマイチわからないが、ようするに積み木の箱の積み木の選び方のようなものなのだろうか。

積み木の箱のなかに積み木がゴチャゴチャあるね。そこから積み木を選ぶとき、あるいはその積み木を分類するとき、いろいろ基準が考えられる。カタチの同じものを選ぶか、色の同じものを選ぶか、あるいはその両方でか、あるいは組み合わせると家のカタチになるように選ぶか自動車のカタチになるように選ぶか、キレイな色に見えるように選ぶか、売り物になるように選ぶか、ウンコに見えるように選ぶか、酒飲みの頭の中をイメージするか……、いろいろあるわけだ。そこんとこを、どう考え、どうするかの、なんだろうな教養になるのかプレゼンテーション方法になるのか、ま、よくわからないが、なにかそういうことが根底に関係するような気がしたのだが。

しかし、あれだよね、おれが答えてしまうと研究にならないかなあ、というかんじもあって、どこまでどう書くか迷うね、こういうのは。

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脳天気泥酔は最高

そういうわけで、故郷の六日町で、南魚沼市ってことになったのだけど、たらふく飲んできた。日本酒だけ、たぶん1升3合ぐらいは飲んだね。

最初は、おれも友の会の一員の高千代酒造の毎年恒例の五月まつり。今年で4年連続の参加。ここで、ふだんは高くて飲まない純米吟醸「巻機」をガブガブ。うぎゃ~飲んだ。そこが終わって、六日町町内の万盛庵本店で、八海山一升瓶を3人で1合残したぐらい飲んで、うぎゃ~。

で、モンダイは、そのあと、たしか、このへんから記憶がアイマイになるのだが、たしか、もう一軒というので万盛庵を出たのだが、んで、おれは泊まるつもりでいたのだが、そのあと気がついたら、なぜか新幹線の上野駅なんだよな。それからヨロヨロ浦和までもどったわけだが。どうも近ごろは酔って正体を失うとウチに帰ろうとするクセがはたらくらしい。

そえはともかく。とりあえず特筆すべきは、高千代酒造の五月まつりで味の店魚野川の覚張(がくはり)さんと再会したことだ。二人で手をとりあって、目をみつめあい、やや目をうるませ、しばし声もなかったね。

ナゼナラバ、覚張さんとは、いつも五月まつりで大いに飲んで料理についておしゃべりし、昨年もそのようにして別れた。そのあと、あの中越地震で、覚張さんの店と自宅は、どちらも全壊しちゃったのだ。そして、さらに、そのあとせっかく再建なった店が、火災で全焼するという目にあった。だからいまは店がない。

いやあ、たいへんなこってす。ま、それで再会をよろこび、酒をくみかわし、うれしくて、まあ脳天気におしゃべりはしゃぎしました。そういう話は、またのちのほど。

覚張さんの店のホームページ、ごらんください。
http://www2.ocn.ne.jp/~uonogawa/

高千代酒造のホームページ
http://www.takachiyo.co.jp/pc-index.html
万盛庵のまんちゃんのブログ。春の山菜や花、きのうの南魚沼の田園風景などがありますよ。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/38673
今年は雪が遅くまで残ったので、田植えするにはまだ水が冷たいような気がするけど、田植えが始まっている。これから一か月ぐらいが、雪国のイチバンよい時期であります。どこにいても草や花の香りに満ちていた。帰ってきたばかりだけど、また行きたいな~。だいたい泊まって、まだ六日町にいるはずだったのに。

ってことで、まだ酔っているから、また寝よ。
ああ、去る2月25日の日記「汁かけめし快食學」が教科書だと、に書いたのだけど。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2005/02/post_31.html
本当に玉川大学の文学部で「汁かけめし快食學」を教科書につかって授業している先生がいるんだね。今朝、メールを開いたら、学生さんから質問がきていた。学生さん、そういうわけで、私はこれから寝ますが、かならず返事いたしますので、しばらくお待ちください。

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2005/05/14

悲哀の梅田ごぼう

資料のあいだから小さなメモが出てきた。95年8月20日。江原恵さんと埼玉県春日部市東武伊勢崎線北春日部駅から徒歩で10分ばかりのところの農家を訪ねている。「梅田ごぼう」について、取材というか、現地での確認である。

「梅田ごぼう」というコトバは、江戸後期の名高い著書、八百善の「料理通」に出てくる。「料理通」ついては説明していたら長くなるので省略。そこに、ただ一か所「梅田ごぼう」とだけ出てくるのだ。

当時の料理本には、そのように、料理名だか材料名だか判別のつきにくい「名称」があるだけで、レシピなどないのが普通だ。それを一つ一つ確認するのは大変な作業である。少なくない学者や研究者あるいはライターは、本の中などをかきまわし書かれていることから見当つけて書いてオワリである。まちがっているかどうかもわからない、「おれの言うことだからタダシイ」「書いてあるからタダシイ」式の話が食の関係では普通だった。

その「梅田ごぼう」について江原さんが推理探偵のように資料と電話で追跡した結果、それが北春日部駅、その駅名もかつては「梅田駅」で、当地の地名がついた、当地でしかとれないゴボウだとわかった。それで現地の梅田ごぼうを栽培している農家を訪ねようということになった。

須田さん、といっても、このあたりに昔から住んでいる15、6軒は「須田」か「嶋田」の苗字なのだ。名前は差し支えがあるといけないから須田さんだけでいいだろう。会って話を聞いた。

梅田ごぼうの特徴は、「太いわりに短い」。長さを正確に書きそびれていてわからないが、太さは大人の親指と人差し指をまるめても2、3センチ届かない太さ。たしか30センチに満たない長さだったと思う。

メモを、そのまま転記する。
「昔は、9月にまいて、翌年11月に葉が枯れてからとった。連作はできない。2、3年おいて前に作ったところにまたまく。最近は秋のコメなどのとりいれが終わるとすぐとる。昔とちがって排水が悪くなっているため、秋の長雨で腐るようになった。ごぼうを掘るシャクシはがんじょうのもの」「太く短い特徴は、たねではなく、土地の関係だろう。どこのたねを持ってきて植えても、おなじ太く短いものになる。あたり一帯は、かつて利根川が荒れてできた土地で、それが関係しているのかも知れない。(須田さんの家は駅の西側だが)東側の女体様の周辺がゴボウに適していたといわれる」「他の野菜もうまいが、見た目が悪くなる。土地のせいだろう。土目のかたいところがネギやゴボウによい」

駅の名前も「梅田」から「北春日部」にかわったが、駅周辺の農地は埋め立てられ宅地に再開発された。駅前は郊外の新開地といった風景だ。東京駅地下新幹線ホームをつくったときに出た残土の捨て場所だったのだ。梅田ごぼうの畑も、それをつくる暮らしも土の下になった。かわって中流意識な街が生まれようとしている。

須田さんの家も好む好まないにかかわらず環境的に農業のほうは縮小路線。大きな屋敷の庭先で畑をやっている。その一角に梅田ごぼうが植わっていた。

昔の地名は「内牧村大字梅田」。「昔からコメ、ムギ、カイコでやってきました」。もう梅田ごぼうをつくっている家は何軒もない、それも自家用。

梅田ごぼうは「正月には太いまま煮たり、中をくりぬきつめものをして煮て食べます」。その、ゴボウのなかをくりぬいてつめものをする料理が料理書の「梅田ごぼう」なのだ。料理人の発明というより、生活から生まれた可能性が大だ。

そのころ江原さんは言った。「こうやって調べないとわからないことが多いから食文化史なんか商売にするものじゃないね、リコウな先生方は、やらないよ。本をいじって書いていれば、おれだって簡単に書けるけど、性分なのかバカ正直なのか、できない。おれもさ板前やめて本なんか書くようになってしまって、板前が庖丁文化論なんて書いたから、最初はインテリや編集者からめずらしがられチヤホヤされたけど、ただめずらしかっただけさ」……声をたてない薄い寒々しい笑い。

マットウに食と向かいあうなんてバカくさいこと。テキトウに食べ歩き、本をひっくりかえしテキトウにおもしろおかしいことを書いているのがイイ。あと、ひとを堕落者よばわりしたり、むかしはよかった論をふりまわしたり。大勢は、そういうことで、これまでもきたし、これからも続くだろう。そして、梅田ごぼうが消えるように、梅田ごぼうを調べるようなシゴトも消えていくだろう。そのうえに脳天気な文化が咲き誇るだろう。それでよい世の中になったのだ。

そういうわけで、酒でも飲みましょうか。

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身もだえするほどクヤシイ~

火、水、木と出かけてウチでめしをつくらないのがわかっているのに、月曜日、北浦和のC級スーパーをうろうろしていたら、小鯵の丸干しの6尾パックが約200円だったので思わず手が出て買ってしまった。わかっていることだから冷凍庫に入れておけばよかったのに、それをせずに出かけてしまった。きのう冷蔵庫からだし、食べられなくはなさそうだが、やはりアブナイ状態なので捨てた。いま思い出しても、残念だ。小鯵の丸干しをこの値段で食べられるなんてめったにないのに、酒のつまみにもいいのに、クヤシイ~。

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2005/05/13

失われた全体像の末路

最近のトラックバックに「アメリカの食肉処理の現場で内部告発が続いている」がある。なにをいまさらという内容で、すでに知られているアメリカの屠畜方法のモンダイをあげ不安を煽っているにすぎない。この動きは、「全頭検査」が無意味なもので税金の無駄遣いにすぎないことがあきらかになったころから、「アメリカ産牛肉輸入反対」の立場のひとが根拠がなくなり、強調し始めた主張なのだ。

おれは、BSE問題を政治の具にすることで、モンダイの本質がごまかされているという意見を、たしかだいぶ以前の日記時代から主張してきたし、このブログにも書いた記憶があるから、それへのトラックバックだろう。

もう何度も繰り返して書く気がしない。こういうトラックバックをするひとは、ひとの発言を理解しているのだろうかと思う。まったく議論が噛みあっていない。そのうち、今まで書いたことを、ザ大衆食のほうにまとめるつもりだが、とりあえず、人様がまとめたページを利用させていただこう。

「BSE問題 不愉快の政治決着」市民のための環境学ガイド。
http://www.yasuienv.net/BSEPolitical.htm

おれはこの考えに全面的にマンゾクというわけではない。もっと根本的な、誤魔化されてきた重要な問題、つまり日本のBSEはいつごろどのように「始まった」のかの真相解明について(それは生産事業者や政府や政治家の問題になるだろうと想像されるが)、ふれてないからだが。それはまた別の問題へと発展するから、当面はこれでコト足りる。

何度も繰り返されてきた全農や漁協など日本の生産事業者の問題、それと癒着あるいは持ちつ持たれつの関係にある政府や政権党の問題を考えれば、日本の生産事業者ならアンシンと無邪気に信じる前提はオカシイ。アメリカの現状を突っついたところで自らの問題が解決するわけじゃない。

そもそも安全は「天与」のものではなく「文化」であり、人間が創造するものだという視点が必要だろう。

より速く正確に走るダイヤのために、少数ではなく大量の犠牲者が出る。すると、より速く正確に走るダイヤを望み、あのクソJRを絶対アンシンと信じていた者がトツゼン態度豹変で、自分はこのようなことは望んでいなかったかのように声を荒げるが、ソレハ、ほんとうか? では、イツ、あのダイヤを問題にしたことがあるか。

世界のトヨタの日本で政府方式の統計だけでも毎年1万人の交通事故死(統計方法を変えれば、その何倍にもなる)。それでもクルマの販売をやめよという声は聞こえてこなかった。BSEの発生は、その事故死の1万分の1以下の発生率、1名に満たない、あるいはその数字すら明確でなく論じられている。たしかに1人でも犠牲者が出ることは避けなくてはならないリクツではあるが、しかし現実は発症率の低い全ての感染症に関心を持って日々すごしているわけではないだろう。

それに、ひとを人と思わない深い退廃のなかでの安全を模索しなくてはならないのも現実である。さらに食糧についていえば、それが国家戦略の具にされるなかで、「国民経済の実態に即した食料調達」が必要という現実も考えられなくてはならない。

しかし、いつも、問題が起きたときに本質的なところを突っ込もうとすると、表面的で部分的でマニアックな、かつ「常識的」な話だけが声高に通ってしまい、白馬にまたがった正義漢が偉そうにしてオシマイ。おれのような意見は「人非人」あつかいである。けっきょく同じことが繰り返される。

そんなことで、政策的な議論は可能なのか。この高度に発達した複雑な資本主義国の安全を「創造」できると思っているのだろうか。そもそも「安全」とは創造するものだという自らの責任ある視点を持っているのか。安全に関する全体像を追求しているのか。

いつまでもこういうレベルの話を繰り返さなくてはならないのかと思うと、ヤリキレナイ。とても高学歴社会のデキゴトとは思えない。という理由をつけ、酒を飲むとするか。

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2005/05/12

家出にも準備がいる

ああ、ああ、ぜんぜんシゴトがない、フリーライターじゃ食べていけない! 絶望した私は家出して旅に出ます。

こうすればもしかして、エンテツの本を出してあげます、ゼヒ原稿を書いてください連載でお願いします、というメールが山のように届くのではないか……と。そのように某嫁のブログ日記を見て、やってみようかなと思っていたのだけど。

とにかくどんなに忙しくてもアソビの話があるとなにがなんでも都合つけて行く。というのが唯一のポリシーのような信条のようなもので生きてきたのだから、じつは忙しくて大変なんだけど山奥へ行ってきました。

今年は、ゆるんだ腹と脳ミソを引き締めるため、チャンスがあるたびに山に登る。というツモリなので、酒と温泉のあいだに、軽く山歩きも。って、まわりじゅう、歩けば山ですがな。

そして、うへえ~、重大発見があった。けっきょく息を切らし汗を流し歩き回っても、そのあと温泉に入れば、いつもよりたくさん飲めるし食えるわけですよ。朝からビール飲んだ上にめしたくさんくって。だから、「腹と脳ミソを引き締める」どころか、体重が3キロ近くふえて脳ミソはアルコーツ漬けブヨブヨで帰ってきた。ようするに登山は、痩身美容には役にたたない! やはり痩身美容にためには北朝鮮へ新婚旅行し下痢するにかぎる。

おまけに足は痛いし、ヘトヘト。ただただ眠い。

というわけで、留守中に、ブログにコメント、また別途メールなどいただいていますが、シゴトの依頼は一件もないようなので、すべて返事は寝ておきてからということで、よろしくお願い致します。

でも、家出してすごすにはよさそうな場所をいくつか見つけてきた。あそこなら、おもらいしながら住みつけそうだという場所。家出するにも準備がいる。

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2005/05/09

遅ればせながら、中野のクラシック閉店のお知らせ

忘れていたが、中野の「クラシック」が閉店していたのだった。今年の初めのころはやっていたような気がするから、3月ごろの閉店かな? 建て替え閉店なのかどうか、わからない。かつては五木寛之さんも通ってエッセイに書いた、有名な音楽喫茶。とにかく半世紀続いた、あの細い路地にお似合いなボロな風情は姿を消した。しかし、つくづく見事にボロでしたな。

こちらに、おれが撮影した外観と中の写真があります。
http://www.geocities.jp/ed_meshi/sanpo_nakano_kurasiku1.htm

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高度に文化的な泥酔 第一報

ああ、ただいま朝の8時過ぎ。無事に帰っていました。

きのうは、もう最初から大変なことでした。ナゼナラバ。午後2時から千代田区神田神保町1-4-B1(パチンコ屋「人生劇場」隣り)「南欧市場 Ole Ole〈オレ・オレ〉」において、「東京sumus友の会」なる高度に文化的な催しがあったのだけど、コレガ、生ビールは乾杯の一杯だけというので、なんだケチくせえなあと思ったのだが、乾杯が終わってすぐ飲み放題のワインをもらいにいったら、コレガ、グラスワインじゃなくて、ボトル一本ドンとくれるんだなあ。やあ、もううれしくて舞い上がったね。それでもうガンガンですよ。もう一気に泥酔コース。

いま酔いの残るアタマで、ワインをもっともらってバッグに入れ、ペットボトルにトニックを入れて持ち帰ればよかったと、意地汚いことを考えたのでした。ナゼナラバ、うちの酒が切れていて迎え酒ができないからです。

それはともかく、のち、午後5時からは、ゴールデン街のクラクラで、玉川美穂子さんの「私が選んだベスト・オブ・ザ浪曲」ってやつ。ビールを軽くやったあとは、泥酔を覚まさせるような高度に文化的な声節の浪曲を聴きながら、声節にまけじと焼酎ガブガブ。クラクラ。しかし、むかしは浪曲が盛んだったということもあってか、スゴイひとがいたのですなあ。

とにかく、疲れた。東京へ行ってくると疲れる。いくら飲んでも気持わるくなるということがないので飲んじゃうんだけど、ようするにトシのせいだろうか疲れるんだよね。まあ、肝臓もクタビレて疲れやすいのか。

ま、そういうことで、とりあえずここまで。

そうそう、エロバラ監督のヤマザキさんがヨーロッパ長旅から帰って来て、ブログで何を書いているかと思ったら5月5日、電車の垂れ流し式便器のこと。
http://blog.7th-sense.sub.jp/?day=20050505

おなじころ5月8日、烏書房の掲示板じゃカラスさんが、「汽車便」と題して。

http://www.railfan.ne.jp/rj/main/esse_07b.html

 ↑調べてみたのだった。
 驚いたですね。
 つい最近まで「垂れ流し」が主流だったのですね。

 そういえば、昔の列車、トイレは「停車中は使用不可」だったけど、そーゆーわけだったのですね……


と。
知らなかったが、日本でも最近まで「垂れ流し」が走っていたのだ。
はあ、高度に文化的な「黄金の雨」が降る朝です。

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2005/05/08

江戸っ子食彩記

そういうわけで、どういうわけで、東京商工会議所が発行する「月刊ツインアーチ」の03年7月号から04年4月号まで連載した、「江戸っ子食彩記」なるコラムをザ大衆食に掲載し始めた。『汁かけめし快食学』もそのつもりなのだが、単なる系譜論的食べ物話とは違う、全体像を意識したハズなのだけど……。はたして。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/siryo/arch.htm

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失われた全体像

近年発刊された食の本の傾向というのは、けっきょく、全体像がないのだよな。ただただ細かいところをほじくりかえして集めているだけで。それが全体像とどういう関係にあるのかという探究なり考察がない。これは、食に限らず、アチコチにみられる傾向のように思う。

80年代以後というのは、全体像が失われていく時代だったのか。そして天皇と君が代と日の丸が、その欠けた穴をうめるように、全体像として錯覚されることになった。「和」ブーム、「昭和レトロ」ブームも、そういうものであるのかも知れない。そこにあるのは、かつての視野の狭い「系譜論」によって収集された歴史であり現代なのだ。

と、ひさしぶりに、アルコールのぬけたスッキリした朝をむかえ、思うのだった。
今日もまた、午後からハシゴ酒。ああ、ウレシイ。

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2005/05/07

盗撮されていた酔態寝ながら電話

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ぐへ~、太田尻家から決定的な証拠写真が届いた。

電話ボックスで寝ながら話す遠藤さんの盗撮写真です。
撮影はコメディーライターの須田さんです。
須田さんは電話ボックスの中で寝ている遠藤さんを見つけて
起こしたそうですよ。

これもうまわりは暗いじゃないか、何をしていたんだろうねえ、まったく、覚えていない。今日、当日かついでいたバッグをあけたら、中から高級そうなお茶の葉とくぎ煮が出てきた。どうやら祖師谷のタカハシ家でもらったものらしい。まったく覚えていない。

こんどから気をつけないとなあ。と、思っていても、飲みだしたらとまらないもんね。みなさん、おれに飲ませないよーに。

須田さんのブログ、みっけ。
http://yscomedy.exblog.jp/i2

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5月7日はコナモンの日

今日は「コナモンの日」であります。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/kona/konamon.htm

食べ物のことで、煽り立てるような記念日は好きじゃないので、ここでは静かに告知。むかしから粒も粉も食べてきました、これからも。

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砧公園の電話ボックスで寝ていたのか?

先ほど、太田尻家からメールがあった。こういう内容。

公園の横の電話ボックスで遠藤さんが寝ていた
という目撃情報が入って来たのですが、
昨日は当日のうちに無事、ご帰宅できたのでしょうか?

って……いやあ、とにかく、無事に帰宅はしたのだけど、あいだが思い出せない。確かに砧公園のそば、環状八号ぞいの電話ボックスで電話をかけたような記憶があるけど。もしかしたら、そのまま、しばらく寝たのだろうか。まあ、とにかく、まるで覚えていないものでね。しかし、あんた、おれが電話ボックスで寝ていたら、遠慮なく起こしてよ、おねがい。はるか遠い世田谷の空の下で何をしていたのか。これ以上の目撃情報が出ないことを祈る。

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2005/05/06

もうろう酔態シマッタと思ったとき

世田谷区砧公園は遠い。ここ北浦和から京浜東北線に乗って赤羽、埼京線に乗り換えて渋谷、田園都市線に乗り換えて用賀、徒歩15分。2時間近くかかって着いたが公園は広いし人は沢山いるし、運動会のものどもはどこにいるかわからん。どうせ運動したいわけじゃない飲みにきたのだ。まっすぐ売店へ行って缶ビールを買う。暑くて歩いてノドがかわいていたから一気に飲み、「おばちゃん、もう一本」それをもってふらふら歩きながら飲み、太田尻家一行をさがす。いたいた、マジメに運動して汗かいているよ。ごくろうさん、秋田の純米酒の一升瓶があったので、これを飲む。一杯、二杯、三杯……。いい気分、薄暗くなって、みなは太田尻家へ行ったのかな? もうこのあたりよく覚えていない。祖師谷のタカハシ家、ここの亭主は神戸出身だから、『神戸ハレルヤ! グルめし屋』を一冊進呈しようと持っていたので電話。ちょうど家にいたので歩いてむかうが、けっこう遠い、おまけに途中で道がわからなくなる。コンビニに入って缶ビールを買って、道をたずねる。缶ビール飲みながら、教えられたように歩いているつもりだが、酔っているし、どこを歩いているかわからなくなる。電話かけて聞きたくても文化はつる街には公衆電話がない。文化人であるおれは携帯電話なんていう野蛮なものは持っていない。まあ、とにかくタカハシ家に着いたときには、さらに酔いは深く、ビールをだされたが、もうあまりの飲めない状態だったハズ。じつはよく覚えていない、ものすごく飲んだかも知れない。何時にウチに帰り着いたのか。目が覚めたら朝だった。

5月の連休というと、ときどき思い出す。山で一度だけ「シマッタ」と思った失策をやらかしたのが、1960年高校2年の5月の連休だった。巻機山。残雪の多い年で、しかも朝一番のバスで終点から登山口まで歩いて登ったから、昼近くには割引沢の雪崩の巣の中だった。一日これほど雪崩やブッロク崩壊に遭遇したのは、あとにも先にも、このときしかない。でも、うまく回避しながら、頂上に立った。

問題は、そのあとだった。天気はいいし、快調だった。通常の登山路がなく無雪期に入ったことのない沢を下山コースに選んだ。ほんとうは雪がないときに経験してからでないといけないのだが。その鉄則は簡単に無視した。もちろん初めての沢筋。1900メートルちょっとの割引山の頂上から一気にグリセードで沢底に下りる。下りてからわかったが、けっこう沢の様子がけわしい。いつ崩れてもおかしくない大きな二階建ての家ぐらいの雪のブロックがごろごろしている。気持わる~、不気味~。でも、もどることなんか考えない。慎重にコースを選び、下った。

沢筋の底に入ると危険だから高い位置を巻くように下る。すると岩壁に行く手をはばまれた。そこを横切って先にある雪渓に出る以外コースがない。この岩壁が、かなり悪い。メンバーは3年生のマチダさん、リーダー。2年のノザワにカイセ、おれ。ザイルは持っていなかった。難関中の難関にさしかかった、マチダさんとノザワは先に突破し、おれがシンガリ。カイセが進む、と、すぐ一足目というかんじのところで落下、その手を、運よくとしかいいようがない、まだしっかりとしたホールドと足場を確保していたおれの手がつかみ、カイセはおれの腕にぶらさがり。

もとの位置にカイセはもどったが、もう完全にびびって足がガタガタふるえている。下を見れば岩壁の下に雪渓が口をあけている。落ちたらそのなかに吸い込まれイノチはないね。おれはザックから細引を出して、片側をノザワに投げる。こちらの片側をカイセの胴に。どうせ落ちたら役に立たない気休め。それでそこを通り抜け、つぎが雪渓のトラバース、横切らなくてはならない。下が岩盤で、雪渓はあまり厚くなさそうだ。一度にのったら割れる危険が高い、一人づつ渡ろうということになり。マチダさんがルートをとり、まずわたる。そのルートをノザワ、つぎカイセ。おれの番になった。苦もないだろう。ピッケルを胸の前で、右手にアタマの部分、左手にシャフトを持ち、さっさと歩く。

と、なんとしたことか、スリップだ。しかも、スリップした瞬間に仰向けにでんぐりかえってバンザイのかっこう。左手のシャフトも、右手のアタマもはなしてしまった。仰向けになったまま加速度的に雪渓をすべり落ちていくおれの右手の先に、右手とバンドで結ばれたピッケルがカラカラ音を立てている。それを手元にひきよせ最初のようにアタマを右手に持ち、左手でシャフトを持ち、身体を回転させうつ伏せになり、ピッケルのとがった先ピックを雪に突き立てなくては、そのまま落ちてロクなことにならない。

すべり落ちながらピッケルを手元に引き寄せ持った。そしてくるっと身体を回転させうつ伏せになりながら、ピックを雪面に突き立てる。「シマッタ、マズイ」と思ったのは、そのときだ。速度がついている、おまけに北斜面だから、雪面が固く凍ったようなぐあいで、ピックが刺さらないのだ。ピックと反対側のブレードという部分を胸に当て、上半身でピッケルを打ち込むような動作をくりかえし。ようやっと滑落は止まる。見上げると、マチダさんとノザワとカイセが見えた。そんなに落ちた気はしなかったのだが、けっこう落ちていた。おれが立ち上がると、「そのまま下は見ないで上がってこい」と怒鳴るのが聞こえた。彼らの、そばにもどると、マチダさんが「ばかやろう」と一言、ノザワは満面の笑みで「よくとまったなあ~」と言った、カイセは唇をふるわせているだけで声が出ない。自分が落ちたほうを見下ろすと、あと数十メートルぐらいのところで、雪渓がポッカリ割れていた。すこし下って見たら、そこは大きな滝つぼだった。

そしておれたちが、その雪渓からつぎの岩壁にとりついたとき、おれたちが立っていた雪渓が、大きな爆発音のような音をたて崩れ落ちた。

高校一年生の山岳部夏山合宿というのは、これほどの苦しみは味わったことがないというぐらい、苦しく厳しい。おれもノザワも泣かなかったが、涙を流す男もいる。男といっても、まだ15か6だが。だから、そんなに苦しい厳しい思いをしたのだからと、一年生の夏山合宿が終わると退部する気にはならないと言われている。でも、カイセは、そのあと退部した。話したとき、たしか「イノチがいくつあっても足りない」「イノチが惜しい」というようなことを言ったように記憶している。「ちゃんとトレーニングしていれば大丈夫さ」とおれは言ったように思うが、それほど自信はなかった。でも、日常が、大事なのだ。

ザ大衆食「巻機山」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/makihata.htm

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2005/05/04

「御飯」のもと

かつて、おれは「プランナー」だから自分の人生もしっかりプランしている、と、思われることがあった。でも、「プランナー」というのは職業だから、カネをいただけるときはプランニングするけど、自分のためになんかプランニングしない。一銭にもならないもの。だから自分は「転がる石のように」ごろごろときたし、いまもそうだ。でも、ひとのことはプランできる。職業とは、そういうものさ。「カネをいただける」っても、酒代からで、酒代払ってもらえれば、よろこんで職業する。安あがり~。もしかすると酒のために「不正」もするかも。あはっ、やってきたか。馬にニンジン、志なんかない。

おほさざきのみこと(=仁徳天皇)の皇后は「嫉妬することがとても多かった。それで天皇が使っていた妃たちは、宮の中に近づくことができなかった。妃たちが何か特別なことを言ったりすると、皇后は足をばたばたさせるほど嫉妬した。」

日本古典文学全集『古事記』 山口佳紀、神野志隆光――校注訳 小学館

「妃たち」なんて気どっているが、「側室」「妾」「二号」「三号」「四号」……だ。皇后が「足をばたばたさせるほど嫉妬した」ってのが、いいね。原文では、「足母阿賀迦邇嫉妬」で、なんだかわらんが。昭和天皇の敗戦まで、正妻と妾が同じ屋根の下という妻妾同居があって、上流階級じゃとくにお盛んだったようだけど、ま、いまの憲法になってからもあったね。日本は、そういう国さ。この皇后がいま生きていたら、護憲論者で、女性解放の闘士になったかも知れないな。

その亭主の仁徳天皇の愛妾に黒日売(くろひめ)がいた。これが皇后の嫉妬を恐れて、故郷の吉備国へ逃げ帰る。ところが、その黒日売(くろひめ)がよほどよかったのか、天皇は追いかけていくのだ。

で、ここからカンジンな話。

天皇を迎えた黒日売(くろひめ)も、よほどうれしかったのだろうか、「その国の山の方面の地に天皇をお連れして、お食事をさしあげた」と、これは現代語訳なのだが、原文では「お食事」のことを「大御飯」と書いている。「大」は天皇に対するものだから、これで天皇の食事ということになる。

この「大御飯」の「御飯」は、「みけ」と読む。

3月26日の日記「悩ましい「めし」と「ごはん」」で、「「御食」と書いて「みけ」そして「御飯」と書いても「みけ」とふりがなのある例がある。これは天皇周辺の話だ」と書いたのだが、はて、それが何に書いてあったか思い出せない。なにせもうボケているもので。それがなんと、古事記にあったのだ。古い話だね~。「みけ」が「御食」と「御飯」の二通りあるが、なぜそうなのかは、わからない。こういう例は、ほかにも、たとえば「おほみたから」が「百姓」と「人民」であったりする。

その「御飯」の「みけ」が、いつからナゼ「ごはん」になったのか、はて。とにかく「御飯」は、天皇の歴史の言葉、ってことだ。

こんにちマスコミなどが「めし」とよばずに「ごはん」とよばせるのは、単に上品ぶるためだけではなく、妻妾同居のシンボルでもあった天皇の治世への回帰をめざすインボウが蠢いているからである。なーんていう小説、おもしろいかも。

どーでもいいことだけど。

しかし、このあと仁徳天皇は、皇后が紀伊国へ酒飲みにいっているあいだに、別の女「八田若郎女」と「婚」しちゃうんだよな。とにかく好きなのね~。


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飲み食いどころ 太田尻家一周年

世田谷区小田急線経堂の飲み食いどころ「太田尻家」は開業一周年。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sin/ootajirike.htm

太田尻家のホームページ
http://www.ne.jp/asahi/ootajiri/ke/

先日、ご夫婦に会ったら、「この1年のことは一生忘れません」と言っていた。そうだろう。モノヅクリが好きとはいえ、飲食物を提供して自分たちがくえるだけのカネをいただくことは、学芸会やママゴトとは違う。すべてに、極端な話、自分のクソする時間まで金銭が関係する、神経をつかう。それを週に一日休むだけで一年間。ま、説明の必要はないだろう。ごくろうさま。まだ続くのだけどね。

ときどき、このブログやザ大衆食のサイトをごらんになって、飲食店を開業したいのだけどアドバイスをというメールをいただく。なるべく丁寧に返事を差し上げるようにはしているが、小規模になるほど、立地や資金などの条件が、どう儲けるかのプランに関係するから、丁寧に返事をしても具体性に欠けることになる。ま、自分で研究してやっていただくほかないのだ。

最近気になるのは、グルメマンガやテレビの影響と思われるコンセプトで開業しようとする人が多いように思う。小さい規模で始める場合は、小さい成り立つエリアをシッカリ押さえ、かつそこからの売り上げで利益をだすことが先決で、全国的に通じるようなコンセプトは必要ないのだが、どうしても何かの影響で、材料はどこどこの「よい素材」でという類の抽象になってしまう。グルメマンガの料理人の話みたいなのだ。

プランというのは、どこでどう儲けるかにつきるわけで、そうでないと観念的なものになってしまうし、どこでどう儲けるかに欠けてはプランとはいえない。観念的な評判や名誉は、成功すればつきまとってくるもので、最初から自分で計画するものじゃない。

ま、とにかく、太田尻家を、これからもよろしく。

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2005/05/03

ハッピーラスベガスはハッピーだぜ

なんとなくアレコレ忙しくしているのだが、どうも世間が大型連休なんていっているとシゴトに身が入らない。そこで、きのうの日記に書いた、『ハッピーラスベガス』をパラパラ見たりしたら、これがオモシロイ、はまってしまった。おもしろいぞ~、あっこ。

こういうのは「旅行ガイドブック」という先入観があるから、旅行に行かないのに読む必要はないと、ほとんど手に取ったことはないのだが、これは旅行とかなんとかよりアメリカの一つの風俗ルポとして、すごい面白い。

しかし、アメリカという国は戦争も好きだけど、遊ぶのもドはずれて好きじゃなあ。イカレているのか、ホンキなのか、ジョーダンなのか、その境目が混沌としているって、それは見方や気分によっては、アメリカが好きな「自由」ってことだろうけど、そのへんは、まさにアメリカじゃないか。東京あたりにカジノつくっても、こうはならんだろうから、やめたほうがいいよ。「自由」ってのは、ある意味、かくアナーキーじゃないとな。それでこそ、自分のことは自分で、という「自由」なわけで。

で、まあ、この本は、女だけ10人の「ハッピーラスベガス取材班」ってのが、遊びまくり食べまくりハジけまくって、書いているのだけど。通称あっこ、のなかあき子さんは、その一人。彼女は、たくさん著書があるけど、そしてブンガク的に気どったライターどもはバカにする実用書類風俗系下積み労務者フリーライターであるけど、こういうの書くの、ほんと、うまいね。愛人だから褒めるわけじゃなくて。

いやいや、そういうことじゃなくて、この本は、その10人の女性ライターだが、日本から行った「旅行者としての視点からハイテンションな取材をする」スタッフと、現地フリーペーパー『ようこそラスベガス』スタッフならではの「ディープな情報」、さらにハワイ在住のスタッフが大人な情報……というぐあいに、それぞれ違った視点で書いているんだが、それがうまくいっているようだな。

そして、思ったのだが、これが男のスタッフだったら、どうか? 別冊宝島やB級グルメものに、よく見かけるが。どうも男というのは、見栄をはるというか、かっこつけたがるというか。それぞれの視点をキチンとまっとうするより、自分を偉そうに見せる山っ気が先で、違う視点のスタッフが一緒につくりあげるという意識もなければクソもないというかんじで、ヘタするとこれを足場に有名になってやろうというセコイ意識が働いた余計なウンチクや過剰な形容が多くなったり。

まあ、それで、さらに思ったのだが。よくある話、たとえば雑誌の飲食店の取材記事を見て、地元の常連が「コレはちがう一度来たぐらいじゃわからんだろう」とか言ったりして地元民常連意識丸出しストリップする。しかしだよ、訪問者は訪問者の視点で見ているのだということをゼンゼン理解しようとしない。ようするに自分は長く住んでいるから正しい! おれは地元だから正しい、おれは地元だから詳しい、おれは地元だから深い、おれは地元だから常連だ、おれは地元だから愛人だ、おれは地元だからやったことがある、そういうたぐいの威張りだけで、コトをみる連中がいるんだな。地元民だからバカかもしれない、とは思ったことはないような。まあ、「江戸っ子」を自慢する田舎者もいます。東北の人間の方言はバカにするが、自分たちの方言は「江戸っ子だぜ」と自慢そうに使う。余所者とうまく付き合えない、単なるセコイ島国根性。

一見の訪問者と地元常連が同じ視点もったら、そりゃオカシイ、それこそオカシイ、ということを考えてみる必要があるわけだが、まったく考えない。ここは、おれのシマだとね。ああ、あんた、そういう小さな了見で小さな島で殿様でも大王様でもやっていなさい。おれはほかにも面白いとこあるからそっちへ行くよって、こと。東京に何軒飲食店があると思っているんだい。

ひとに言われて気がつく、別の視点があるから面白い、別の視点があるから視野が広がる、そういうことは世の中にたくさんある。そういうことゼンゼンわかってないのがいるね。そういうの視野が狭いから「田舎者」といったりするけど、田舎者をバカにするな、東京人にも、いくらでもいる。たくさんのことを数秒から数十分で見て歩いているひと、半世紀おなじものを見続けるひと、旅人もいれば定住民もいる、いろいろなんだよな。

そういうことを思ったりしたわけだ。ああ、話がとんでもないとこへ転がった。とにかく、ハッピーラスベガスは、いろいろな視点での取材があって発見が多い、ハッピーだぜ。

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夏前からシッカリ食べる

昨日は、けっきょく一日中、調子がもどらなかった。ずっと二日酔い状態だった。ビールだけでガンガンやったのがいけなかったか、翌日こんなに残ったのはめずらしい。もっとも、朝めしをシッカリ食べながら焼酎を飲み、昼間は死んだようにねて、夕飯にまた焼酎を飲み、だったが。とにかく調子わるかった。

こういう調子の悪いときでも、ぶっかけめしならガツンガツンくえますな。タマネギとトマトのレモン汁辛子漬、一昨日出かける前につくって冷蔵庫に入れといたやつを朝、めしにかけて食べ(セロリとオオバも切ってまぜた)、ぜんぶ食べてしまったのでまたつくって冷蔵庫に入れておき、夕飯は豚冷シャブをつくりその上にドバッとかけて、ソーメンと一緒に、もりもり食べた。このときはセロリとパセリもまぜた。パセリは、ドバッと食べると元気が出る、精力食だね。

だんだん暑くなるけど、夏バテしないためには、いまからめしをシッカリ食べて備えよう。暑くて食欲がなくても、二日酔いで食欲がないときでも、ぶっかけめしならうまく食べられるさ。ということで、ほかにもザ大衆食に掲載のぶっかけめし集合をやってみた。

ご存知「不屈のゲロ飯」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/geromesi.htm
そのお仲間「スタミナ奴」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/sutaminayakko.htm
卵かけめしのシアワセ
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun05/tamagomeshi_nippo.htm
タイの汁かけめし
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun05/tai_meshi.htm
ガツンな冷や汁
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun05/hiyajiru.htm

ま、日常的には、これからのシーズンは、ミョウガやナスの味噌汁をドバッとめしにかけて食べてもうめえな。ああ、よだれ。

そういや、この冬も風邪をひかなかったな。これで6年ぐらい風邪ひいてないか。バカ、野蛮人、といわれても元気が一番。しかし、この部屋は、恐怖の暑さになるからなあ、シッカリ体力をつけておかなくちゃ。みなさんは、なにを食べて夏の暑さにそなえるか。

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2005/05/02

頭しびれる連休で

はあ、まあ、よく飲んだ。としかいいようがない。昼は軽くすましていたが、夜の部は、もうガンガン。いつものアヤシゲなウイスキー「メコン」こそ飲まなかったが。30歳前後の元気な連中ばかりだからねえ。ほんと、あんたらクソ元気じゃ。結婚一か月で上海ビジネス界にいかされたヨシバンも、無事に仕事をこなし1年ぶりに帰ってきたし。けっきょく中国人の悪口いっていてもしょうがないよな、ひとのせいにしないで成果を出すことだよ。CG界は、あいかわらず景気よいねえ。歌舞伎役者もがんばっているねえ、この夏の国立劇場たのしみ。景気の悪い話しは、やっぱ出版界だけか。某出版社、いよいよ大リストラらしい。戦争ジャーナリストはそうでもないかな。めんどうな手続きおわってタイ女と結婚できる、こないだから会えばその話ばかりだったが、やっとケリ。まあ、たくましく生きている。ガツンガツン、気どらず、威張らず、媚びず、たくましく生きることだよ。

ってことで、ガールズ・トラベラーズ・ファイル『ハッピーラスベガス』双葉社から。「奥さん、どんな仕事してるんですかと聞かれると困ってしまう」と亭主が言っていたが、そうだなあ「フーゾクライター」がピッタリだからなあの愛人のなかあき子ら女ばかりでラスベガスを書いた一冊。よろしく~

あたまがシビレで脳ミソぐしゃぐしゃ、何かいているかわからん。

おれが大解説書いた、オヤジ芝田著『神戸ハレルヤ! グルめし屋』は、神田神保町の書肆アクセスに入荷なったようだ。よろしく~
http://plaza.rakuten.co.jp/accesshanjoe/diary/200504260000/

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2005/05/01

自意識過剰な連休ごと

めったにない大型連休だからノンビリしていればいいのに、そうじゃないんだな。連休だからナニカセネバとみなあせっているようにアレコレあり。このワタクシも、やっていますぜ。はあ、ちょっとパソコンの前で一休み。と、「読書日記@川崎追分町」を見たならば。
http://d.hatena.ne.jp/kokada_jnet/20050430

ここは、連休など、どこふく風。いつものスタンダードスタイルてか、ホームポジションてかで、淡々。司馬遼太郎さんこと「福田定一青年の肉声から感じられるのは、現在のブログ筆者たちにも通じる、自分の表現行為を少しばかり過剰に演出した、普遍的な「自意識過剰青年」ぶりだ」と。この「現在のブログ筆者たちにも通じる」っての、ズッキンズッキンきちゃうね。ま、ブログだけじゃなく、この大型連休ナニカセネバにも、な。ようするにニンゲン様の数に対して表現の場と方法がありすぎるのかもなあ。百姓しごとする現場がないかわりに。

まあ、でもね、おれの場合、なにをしても酒を飲むためにソレをする、あとの酒のためにソレをするってことで。ブログも、ブログを書いたあとに、よく書いたと酒を飲むのが楽しみなわけですよ。って、ウソだな。書く前から飲んでいるから。

それでっと。久しぶりにムコ南陀楼綾繁さんとヨメ内澤旬子さんが発行の、「モクローくん通信」が届いた。そこに、「モク妻おやじ秘宝館」なる新コーナーがあるんだな。このモク妻は、「おやじがき」なる傑作があるが、ほんとにオヤジが好きなんだな。なんでオヤジな綾繁さんと結婚したかよくわかる。という話じゃないんだ。

その「モク妻おやじ秘宝館」がおれ「遠藤哲夫さん」で、←左サイドバーにあるアステアエンテツ犬なのだ。画像をアップしておく。

inu_tetu3エン妻「あんた! モク妻の前で裸踊りして見せたの!」
おれ「いや、いくら酔ってもそんなことした覚えがないよ。だいたい裸踊りはもう20年ぐらいやってないよ、断固!」
エン妻「だって、だって、これ裸じゃない、チ●●もちゃんと描いてある、これあなたのチ●●でしょ」
おれ「えっ、おかしいなあ、どれどれ。なーんだ、これおれのチ●●じゃないじゃないか、こんなに小さくないよ。これはな、モクローくんのチ●●だよ。この下半身は、モク妻がモクローくんをモデルにしたの」
エン妻「あははは、そうね、やだ~わたし」
と、二人は股のあいだの脚の陰の墨をチ●●とまちがえて、いつまでも大きさを論じるのでありました。

いや、まだ同居のツマは、この「モクローくん通信」を見ていない。たぶん、このブログを先に見るのだ。おれは飲みに行く、帰って来て、また怒られそう。

自意識過剰チ●●でした。

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