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2005/07/02

『大衆食堂の研究』html版 掲載完了

『大衆食堂の研究』html版の残っていた「編外編 これこそ食堂」と「あとがき」を掲載した。これで、なんとか発刊10周年の今月に間に合った。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_index.htm

期待されてやっていたことじゃないけど、自分としては一仕事おわった気分で、ヤレヤレだ。さて、一人で祝杯でもあげよう。

「あとがき」には、こんなことが書いてある。

「注文してから何分でできあがり盛りつけがどうで、味がどうで、雰囲気がどうでなどと外食を評価することは悪くはないが、めしくうということは、はたしてそれだけかということを、おれたちはもっと考えてみる必要があるのだ。」

「そもそも人間がめしをくうということは、あの立ちションベンのときの、充実感とか解放感という言葉であらわされる感覚の延長線上にある、「元気」のためじゃなかったのか。それが、どうしてこうまで美味だの本物だのにウンチクかたむけ、いじましいほど健康だの美容だのに気をつかい、情報に追い立てられるような食生活をしなくてはならないのか。もっとおれたちは逞しいはずだし、もっと元気がでるめしのくいかたができるはずではないのか。そこらへんから考え直してみなくてはならん。」

がははははは。10年たっても、なにも変わってないなあ。おれも世間も。

先日もザ大衆食のサイトに御徒町食堂の古い写真を掲載したが、ほかにも古い食堂の写真が出てきたし、資料も出てきたので順次掲載したい。

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