6月23日に「『大衆食堂の研究』のころ」を一度書いているので、「その2」ということにしよう。本書は、「近代日本食のふつう」つまり「近代日本食のスタンダード」に関心があってヒラメイタ企画だ。そして『汁かけめし快食學』もそうだが、自分の体験をもとに普遍化を試みるという方法で書いている。
だから全体のページ数の関係もあったが、なるべくスタンダードにしぼった。「特殊」と思われるケースは、載せてないか視野におくていどの扱いだ。
その「特殊」なケースの一つは、デパートの食堂、その大衆版だった〔聚楽〕〔渋谷食堂〕〔食堂三平〕などである。『大衆食堂の研究』では「思えば…編*田舎者の道 三、食堂でなければありえない」の最初で、視野におくていどにふれている。これらは、大衆的な食堂ではあったが、値段も風俗も、おれの体験としては非日常のものだった。その非日常的光景について書いているのだが、どちらかというと、のちのファミレス発生期のファミレスのように「特別」な存在だった。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_5_03.htm
もう一つ、これとは違って、日常生活的な食堂であるが、立地環境が特殊なので、まったくふれてない食堂がある。それは台東区の山谷つまり日本堤地域の食堂だ。しかし、ここには何度も行っているし、『大衆食堂の研究』にとりかかった1993年ごろから、激しい変化をしている。
たとえば、1992、3年ごろは、その地域の「主な産業」であった「ドヤ」といわれる賄いのついてない「木賃宿」は、どんどん一泊二千数百円の個室型に変わっていた。しかし、でもまだ、「カイコ棚」といわれる、一泊400円から700円で泊まれる宿が、何軒か残っていた。一つの階を上下に仕切って、ま、ようするに二段ベッドを並べ詰めたような構造で、しかし個人的な仕切りは一切ないスタイルである。そこに泊まれないものは、いわゆる「露天生活者」ということになり、玉姫神社境内やいろは商店会の通りで寝る。さらに、そこに寝れないで、周辺でテキトウに寝るものもいたが。
その「宿泊構造」は同時に、その人たちの「階級構造」でもあり、それは食堂にもあった。つまり大きくは、1000円前後からの定食を中心にした「高級店」が数軒、ほかは500円前後の定食を中心にした「普通店」、そして食堂を利用できないひとは、いろは商店会の店が店の前で売る、トレーの白めしにおかずをのせて300円以内であげる。
それらは、あるていど、日雇いの賃金構造がスライドして反映している面もあって、「高級店」は階級構造のトップにいた日当のよい鳶職などが利用するところだった。ちょいと忘れたが、鳶職は土建系職人の平均日当の倍ぐらいはあったはずだ。
とにかく、当時は、そのトップの鳶から下層のホームレスまで、じつにたくさんの人たちがいた。夕方のいろは商店会は銭湯あがりの男たちで祭りの夜店のように賑やかだった。そして夜8時ごろ、いろは商店会の店が閉まると、そのアーケード通りは、「ミゴト!」といいたいぐらい、真ん中の通路を残して両側に寝具が整然とひきつめられ、男たちが寝につくのだった。
それから、数年のあいだに、その一泊400円から700円で泊まれる宿は、少なくともおれの知っているところは全部なくなった。食堂もどんどん減り、いろは商店会の整然たる夜の寝床も歯が抜けたようになった。これは、直接的には都内の「公共工事」や「大型プロジェクト」の減少が関係しているようだが、それより、工事の「自動化」が急速に進んだことによって、職人仕事が減ったのが本質的な原因だろう。以前は、ゼネコン土建屋が繁昌すれば、そこにぶらさがっている職業もおこぼれあずかることができたが、もうそういう構造はなくなった。そういう結果なのだ。
それはともかく、その男たちがいなくなった地域は寂れつつ、その男たちにかわり外国人滞在客や旅行客が流入するところとなった。ドヤはどんどん安ホテルになった。
そうそう、あと、こんな地域に詳しくてもしかたないだろうと思うのだが、なんだか下層に通じているのが自慢であるらしい、下層文化散歩人たちや下層文化通人たちが徘徊するところとなった。ま、ニッチ情報で偉そうにしてみたいイジマシイ人間が、けっこういるということか。
泪橋交差点にあった立ち飲み屋「世界本店」などは、昼間から酔っぱらいの喧嘩が絶えなかった。店のひとにボコボコ蹴られる客を見るのはめずらしいことではなかったが、そういう殺伐とした空気は漂わない、なんだか下町風流情緒的あるいは猥雑アジアンテイスト的エエなあ気分の礼賛記事が、雑誌や本に載るようになった(おれもその案内人などをつとめたことがあった)ころから、力強い自堕落な偏屈な殺伐とした男たちが減っていった。焼酎なんか自虐的な気分で飲むものだったが……。そして、「世界本店」も美しいコンビニになった。
あと「特殊」ということでは、「学生街」の食堂も特殊だから、ほとんどふれてない。そのことはまたそのうちに書こうかな。