なぎら健壱流「B級」?
いま発売中の『酒とつまみ』7号の酔客万来は、なぎら健壱さん。「旬のものとか素材の味に価値を見出してる店が多いでしょ? 大事にしてほしくない、素材の味なんて、醤油とソースの味で殺さなきゃ。(笑)」「構えのいい店は、だんだんなくなってますよね。それはもう、老朽化しているから改築しなきゃいけないんだろうし。問題は中身。店をきれいにしたからって、中身も上品なものにされちゃ、かなわない。安いもの、そのへんのスーパーで買ったものでもね、これだけのものができるんだというのを見せてくれる店が好きなんすよ。オヤジの研究熱心に金を払いたい。」
『汁かけめし快食學』にも書いたが、美味追求そのための料理は、大きくは二つの型があるように思われる。「複合融合型」と「単品単一型」で、単品単一型は素材追求型でもある。
歴史的に、単品単一型が、「プロ」の料理とされ格が上、上品とされてきた。それを精神的権威として味覚文化がつくられてきた。なぎらさんの一言は、とくにここにあげた前半は、その精神的権威に対する反骨皮肉チクチクでもある。
単品単一型の最大のムジュンは、究極は台所ではなく、畑や海や自然に行き着いちゃうということだ。料理の自己否定だね。いや、料理人は素材の味をイカスのだとか言っても、しょせん素材の味なのだから。「そのへんのスーパーで買ったものでもね、これだけのものができるんだ」という台所のシゴトとは大分ちがう。ま、そのことは、いいだろう。とにかく、そういう素材崇拝が、いまや「B級グルメ」にまでマンエンしている。
ところで、駄菓子というものがある。「駄」にして「雑」である。駄菓子で素材の味を楽しむ人はいない。しかし、あれが、かくも語り継がれるのは、ナゼなのだろうか。
ここ「埼玉県」は「ダサイタマ」といわれる。「駄埼玉」である。それが駄菓子ほどの魅力がないのは、「B級」のくせに「A級」ぶろうとするからだね。まるで「B級グルメ」みたいだ。埼玉は、駄菓子のようにあるべきだし、「B級グルメ」も、駄菓子のようにあるべきじゃねえだろうか。
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コメント
おれも、なぎらさんぐらい本が売れるといいけどなあ~
投稿: エンテツ | 2005/08/24 20:55
あは〜いいっすね、なぎらさん。
偶然にも、同じ酒場で二度も遭遇。
話をしても普通。気取りナシ。
芸能人としてのオーラまったくナシ。
たんなる呑兵衛のオッサン。
エンテツさんみたい。
投稿: 吸う | 2005/08/24 19:30