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2005/08/30

鈴木家の冷や汁!

昨年04年9月18日、都内某所で夏バテ回復の「冷や汁会」をやった話しは、すでにザ大衆食の「ガツンな冷や汁」で紹介した。そこに書いたように、そのとき冷や汁をつくったのは、宮崎市の出身でガキのころから、おばあさんやおかあさんの冷や汁を食べながら育ったスズキサチコさんだ。これがまあ、彼女が自慢するだけあってうまい。それに独自の工夫の鯛の冷や汁もある。このレシピを紹介しようとスズキさんに頼んでおいたのだが、なにしろ彼女は世界をまたにかけ忙しいひとだ。

でも、思い出す機会があったらしく、今朝メールでレシピが届いた。まもなく、昨年の「冷や汁会」から一年になるが、これが、いまの時期の夏バテ回復によいのだ。「ガツンな冷や汁」にスズキさんの解説と共にレシピを掲載しました。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun05/hiyajiru.htm

スズキさんが「今は、最愛の祖母、母も他界していまいましたが、鈴木家の味は私が守っています。安心してね、ばあちゃん、お母さん!」と書く、鈴木家の冷や汁を、やってみよう!

ところで、昨日は、田舎の役所をアチコチまわってきた。入院手術の年寄りの病気が、いわゆる難病指定、正式には「特定疾患」というのかな? その届出手続きをやると治療代などの自己負担分が安くなるというわけで。しかし、まあ、例によってお役所しごと、手続きの面倒なこと。書くのも面倒だから書かない。まだ、そのためにこれから2ヵ所ばかりウロウロし、んで、また役所に持っていかなくてはならないのだ。合計あと3日は、そのために費やされる。

でも、悪いことばかりじゃない。炎天下、田舎道を、暑い夏はノロノロ歩き、とやっていたら、イヌも歩けば棒にあたる、おれが歩けば大衆食堂にあたる、というわけで、スゴイ食堂を見つけ、写真に撮った。んで、行った役所の帰りに寄ろうと思ったのだが、行った先の役所からまた違う役所へタライまわしに行かなくてはならなくなって、寄れなかった。その写真は、近日中に掲載しよう。ホント、こういう食堂を見たのは、ひさしぶりというか初めて。まあ、しかし、役所というところは、まさにコンニチの「隠居化社会」そのものでありました。汁かけめしをくって、隠居化社会を力強く生きよう!と、ココロに誓うのだった。

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2005/08/29

林芙美子『放浪記』と食風俗

ご存知の方もいると思うが、ザ大衆食エンテツ資料棚で、「大衆食堂」の呼称が生れる時代の林芙美子『放浪記』と食風俗というページをつくっていた。

しかし、HP作成ソフトを使ってのやり方だと、まとまった時間での作業が必要になり、どうしても遅れがちになる。ところが、このテーマは、なんとなく思いつきで始めたのだが、関連資料などを調べたりしているうちに、イロイロおもしろくなってきちゃったのだ。

それで、とにかく、思いついたときにすぐ投稿の作業ができるブログをつかって、作業をすすめてみることにした。

どこのブログを使用するか迷ったが、やはり「金をもっているやつが偉い」とか「人の心はお金で買える」とか言うてるらしいホリエモンのところを使ってやるのが、テーマの性質上よいのではないかと思った。

そういうわけで、とりあえず、これまでの掲載分をこちらに移動する作業を終えた。
http://blog.livedoor.jp/hinmin1/

今後は、こちらでボチボチやっていく。といいながら、今週は、年寄りの入院手術のことなどでアレコレあったり、ま、元来ナマケモノだから、ボチボチね。うーむ、しかし、この時代は、大衆食にとってイロイロおもしろいし、またイイ具合に林芙美子さんがいてくれた。

ところで、最近読んだなにかに、61歳のひとをさして「高齢」とあった。それを読んで来月63歳になるおれは、トウゼン高齢だよな、と思った。高齢が、こんなことをしていていいのか、隠居の年齢だろう。でも、ビンボウに隠居なし。

それにしても、ちかごろ、ホラ「団塊の世代」とやらが隠居の年齢に近くなり、ますます日本は「隠居の時代」というアリサマになっているようだ。だいたいこれまでも、このボリュームゾーンが全体のムードをつくり、関係ない世代まで引きずられる状態で「時代のムード」がつくられてきた。

「隠居の時代」の特徴を「隠居」から考えてみようか。…レトロ趣味、むかしはよかった…のーてんき…説教癖…興奮を感動とまちがえる…細かい、神経質、こうるさい、気が短い…人の悪口を言って楽しむ…昼酒…でかい声でしゃべる…自慢話、とくに若いころの自慢…あああああ、ほかにもあるよなあ、そうだ、スケベとか、このようなセンのビジネスに取り組めば、儲かるでしょう。しかし、若い者まで、その隠居趣味に引きずられるこたあないと思うよ。「打倒、団塊の世代」の根性でやってほしいね。

鶯谷とかのエロ盛り場の街角に、インターネットでエロ遊びの相手やら場所を検索できるコーナーがありますでしょ。「高齢者」がたくさん利用してますな。いや、見本のオネエサンの画像などを見て、息抜きしているだけかも知れないけど。いや、おれは入ってみたことないですけどね。はあ、とにかく、隠居の時代の世相を感じますなあ。

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2005/08/28

『名門高校人脈』光文社新書

8月25日に「鈴木隆祐の近著『名門高校人脈』」の紹介を、本のタイトルだけで、まだ読んでないけどよろしく~と書いた。そのあと、ポストを見たら、その本が入っていた。なんという偶然。送ってくれたのは担当の編集者で、彼とも10年来のツキアイだから、そうそう鈴木さんをおれに紹介したのは、この編集者だから、なかなか濃い関係の一冊であるなあ。

大ボス小ボスと利権的な人脈。日本の政治経済は地方のすみずみまで、それで動いている。中央の大ボス大利権をめぐっては、とかく大学人脈が話題になるが、地方となると市町村レベルでは中学、道府県レベルでは高校の人脈に注意しないと思わぬ失敗をする。そういう利権構造のなかの「名門高校人脈」を、この本はときあかすのかと思ったら、チトちがった。

これは、有名高校の「文化的資産」つまり人間を育成する文化的な環境の見方考え方なのだ。「どこの大学を出たか、よりも、どこの高校を出たか、を知る方が、その人の「人となり」がわかるような気がしないだろうか。」そして、気になる有名人のタテヨコを集めてつなげてみると、そこに「校風のようなもの」を感じるというわけだ。

そして鈴木さんは、その「校風のようなもの」を「ハビトゥス habitus」という、「フランスの社会学者、ピエール・ブルデュー独自の理論」にもとずく概念をキーワードに、各高校の「文化的背骨」を探求した。その「文化的背骨」を持つ高校が、その内容において、本書では「名門高校」なのだ。

「名門高校人脈」というタイトル、帯にある「進学の名門300校を厳選!」は、ウリを意識したものだろう。実際の内容は、そういうことで、直接的には受験の子を持つ親たちの高校研究に役立つものであるが、古くは「人国記」から近代の県民性や商圏特性などの研究に見られるような「地域の文化性」や「地方の文化的背骨」を、高校人脈から解き明かした、なんとまあ、たいへんな労作である。

登場人物約1500人、登場高校300校。資料をあたり直接会ったり、ジグソーパズルを組み立てるような作業。鈴木さんは「地を這うジャーナリスト」と、自分でも言い、知る者はそれを認めるのだが、そういう彼ならではのシゴトだ。日本の文化的風土を知る一冊になるだろう。

鈴木隆祐(すずき りゅうすけ) 1966年生まれ。40歳を前に、一つの区切りとなる大シゴトをやった。

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2005/08/27

「輪郭のはっきりした味」のアイマイさ

グルメなみなさまがよく使う「味覚用語」に、「輪郭のはっきりした味」というのがある。「輪郭のはっきりした味」で、Web検索すると、たくさんヒットする。そして、これは高い評価、つまり「A級」の味のようである。

人によってその解釈は異なっているようだし、必ずしも「輪郭のはっきりしない味」を否定しているわけじゃないような人もいるが、大勢としては「輪郭のはっきりした味」はスグレモノで「輪郭のはっきりしない味」はイケナイという関係にあるようだ。

しかし、そのように「上下」関係をつけるのはオカシイような気がする。「輪郭のはっきりした」ものも「アイマイな輪郭」のものも、それぞれの味わいというものではないだろうか。

なかだえりさんという、イラストレーターというか画家というか、千住の古いボロな蔵をアトリエにして活動している人がいる。彼女の画集に、『とらえどころのない曖昧な輪郭』がある。そもそも彼女の作品は、輪郭のはっきりしないものが少なくない。「とらえどころのない曖昧な輪郭」の作品を描き、「とらえどころのない曖昧な輪郭」の千住の街を愛し、「とらえどころのない曖昧な輪郭」の古い蔵をアトリエにし、「とらえどころのない曖昧な輪郭」の大衆酒場を愛している。そして、彼女は、「とらえどころのない曖昧な輪郭」の風景の東北で育った。しかし、輪郭がハッキリした顔立ちをしている。

誰か著名な作家が懐かしい味の一つに、ガキのころ畑から盗って食べたトマトをあげていたように思う。あの味は、輪郭がハッキリしない味だし、むかしのたいがいの野菜は、そうだった。そういえば、糠漬けなんか、輪郭がハッキリしない味だなあ。

とにかく、味覚のことになるとすぐ上下関係をつける「鑑賞癖」があるようだ。「輪郭のはっきりした味」はスグレモノで「輪郭のはっきりしない味」はイケナイという意識や感覚には、イマイチ説得力がないし、偏見を感じる。のは、おれだけだろうか。と、今日はチト高尚なフンイキで書いてみた。

近年は、味の素の「輪郭のはっきりした味」がふえた。ブッ、屁一発。

なかだえりさんのホームページ
http://www.nakadaeri.com/

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昨夜のタモリ倶楽部は

いま午前7時。メールをあけたら、夜中に届いていたメールのうち、2通が昨夜のタモリ倶楽部のことだった。しかも、ほとんど同じ内容。

昨夜のタモリ倶楽部は「ぶっかけ飯」だったので、必ずエンテツが出ると思って見ていたけど、ついに出なかった、やはりエンテツの出ないぶっかけ飯はツマラナイ、出演交渉はなかったのか。と。

うーむ、出演交渉の話しはあったのだけど、ちょうど2、3日出かけている最中のことで出版社の方へ電話があって、いろいろ行き違いがあったようで、そのままになったのでありました。テレビは、「はなまる」はじめ何度か出ているし、イロイロな番組制作にも協力をだいぶしてきたから、ゼッタイ出たくないということじゃないけど、チョイトとね、積極的にこちらからアプローチして登場したいということでもないから。そんなわけで、ま、今回は縁がなかったというわけです。

しかし、ぶっかけ飯は、エンターテイメントなよい食べ物にはちがいないのでありますから、よろしくお願いしますよ。一家に一冊『汁かけめし快食學』

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2005/08/26

愛を感じる「オナニーセット」

きのうの続き、「気どった「食」の楽しみ方」のコメントに書いたが、このあいだ発見した傑作、「オナニーセット」を紹介し、さらに楽しみ方を深めていただこうと思う。これは、かなり有名な方が、ある週刊誌に、ある有名店の通販用の冷凍スープについて書いていた文章だ。原文の、太字のホンノ一部を、括弧内の言葉に置き換えると、「オナニーセット」用として、お楽しみいただける。


作り手の愛を感じる
冬の日にうれしいスープ(オナニーセット)

時間も場所も選ばない。相手も人数も選ばない。ちょっとお腹がすいているときでも大丈夫。手早く食べられる(使える)のに、じんわり体を温めて、ゆっくりした時間を与えてくれる。スープ(オナニーセット)というのは、健気で、エライ奴である。
そんなエライ奴を、手軽にストックしておけるのが、このお取り寄せ品だ。いままで缶詰のものがあったけど、あれはどこかよそよそしい。プロの味が立ちすぎていて、家庭の食卓(オナニー)になじまないのだ。その点これには、素人が、食べる人(使う人)を思い描きながら作ったような優しさがある。


これで原文の半分以上なのだ。買ったことはないけど、むかしのエロ通販の広告に、缶入りのオナニーセットのようなものがあった。このように簡単に置き換えられてしまうって、置き換えるほうが、簡単なスケベなのだろうか。ああ、神よ! いるならこのスケベ爺をお助けください。でも、こんなふうにお金を稼げるって、ウラヤマシイ。

まだまだおもしろい楽しみ方イロイロある。とくに、どうやら、あの気どった辻嘉一さん以来、「ですます調」「ごさいます調」などが、食べ物について書くときのブンガク的な気どった美しい書き方と思われているフシもあり、これはもう、語句を性的に置き換えていくと、川上ソウクンや宇野コウイチロウや団キロクの世界になるというタノシミもあります。そのように読んで、うふふふふふとタノシミましょう。

たくさんある食べ歩きの話に、こういうアソビを見つけるのは簡単だと思う。

グルメの話は2度オイシイ。

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2005/08/25

鈴木隆祐の近著『名門高校人脈』

そうそう、「地を這うジャーナリスト」鈴木隆祐さんの本が出たのだった。『名門高校人脈』光文社新書
http://d.hatena.ne.jp/asin/4334033172
まだ読んでないけど、よろしく~。

ザ大衆食のサイトにも書いているよ。「旨い飯屋は音でわかる」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/yan.htm
鈴木さんには、食べ物のことを書いてほしいのだが、書いて欲しいひとには、なかなか書くチャンスがまわってこないものである。

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気どった「食」の楽しみ方

食べ歩きの話というのは、ほとんど風俗のことである。あそこでこういうものを食べた、それはこういうつくりで、こういう味がして、こういう満足が得られるとか。

こういう類の話しは、「フーゾク店」と書き表される、さまざまなセックスに関するサービスを提供する店の話と同じなのだ。

しかし、「食」に関して書いているひとには、どうもその自覚がないようだ。そして対象にせまるより、自分の知識や文章で気どることに熱心である。それは、性の分野で活躍する風俗ライターと比べれば歴然で、その結果、とても滑稽な現象が生れている。もう笑いが止まらない。この気どった知識や文章を、「性的」に置き換えながら読むと、とても笑える。また、「食」を自覚し突っ込んでないから、簡単に置き換えられるのだ。

もちろん、どちらも根が欲望に発することなので、共通するところはある。しかし食べ歩きの場合は、なんだか「性」は教養ではなく「食」は教養であるかのごとき、つまり形而上と下をわけ優劣をつけているような、セコい「教養主義」がそこはかとなく感じられ、とても滑稽なのだ。

「男子厨房に入るべからず」の伝統は、一方で、男が「食」を教養や趣味として語ることについては、「高尚」なものとしてきた。台所シゴトは形而下のことだが、食べ歩きの話は形而上のこと、という股裂け分裂である。そして、うまいものを知ることは男の教養であるとの錯覚がマンエンした。

そのマンエンの歴史は、とても面白いものがあるのだが、それはとにかく、こうして現代の男たちのあいだには、いやあ、あそこのソープはね、こうこうこうでウフフなのよ、ああんカネがないならソープじゃなくて、ここに行けば、こんなウフフなサービスがあるよ、という類と同じ話を「食」をネタにして白昼堂々と、印刷物はもちろんブログなどでも、気どって行うことが流行しているのである。

自分の知識や文章で気どることに熱心な姿、そこには同根と思われる知識と文体がある。

セコい教養主義、スケベ親父のやることである。

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2005/08/24

なぎら健壱流「B級」?

いま発売中の『酒とつまみ』7号の酔客万来は、なぎら健壱さん。「旬のものとか素材の味に価値を見出してる店が多いでしょ? 大事にしてほしくない、素材の味なんて、醤油とソースの味で殺さなきゃ。(笑)」「構えのいい店は、だんだんなくなってますよね。それはもう、老朽化しているから改築しなきゃいけないんだろうし。問題は中身。店をきれいにしたからって、中身も上品なものにされちゃ、かなわない。安いもの、そのへんのスーパーで買ったものでもね、これだけのものができるんだというのを見せてくれる店が好きなんすよ。オヤジの研究熱心に金を払いたい。」

『汁かけめし快食學』にも書いたが、美味追求そのための料理は、大きくは二つの型があるように思われる。「複合融合型」と「単品単一型」で、単品単一型は素材追求型でもある。

歴史的に、単品単一型が、「プロ」の料理とされ格が上、上品とされてきた。それを精神的権威として味覚文化がつくられてきた。なぎらさんの一言は、とくにここにあげた前半は、その精神的権威に対する反骨皮肉チクチクでもある。

単品単一型の最大のムジュンは、究極は台所ではなく、畑や海や自然に行き着いちゃうということだ。料理の自己否定だね。いや、料理人は素材の味をイカスのだとか言っても、しょせん素材の味なのだから。「そのへんのスーパーで買ったものでもね、これだけのものができるんだ」という台所のシゴトとは大分ちがう。ま、そのことは、いいだろう。とにかく、そういう素材崇拝が、いまや「B級グルメ」にまでマンエンしている。

ところで、駄菓子というものがある。「駄」にして「雑」である。駄菓子で素材の味を楽しむ人はいない。しかし、あれが、かくも語り継がれるのは、ナゼなのだろうか。

ここ「埼玉県」は「ダサイタマ」といわれる。「駄埼玉」である。それが駄菓子ほどの魅力がないのは、「B級」のくせに「A級」ぶろうとするからだね。まるで「B級グルメ」みたいだ。埼玉は、駄菓子のようにあるべきだし、「B級グルメ」も、駄菓子のようにあるべきじゃねえだろうか。

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2005/08/23

「駄」と「雑」と「B級」

「B級グルメ」という言葉は、できるだけ使わないようにしている。というのは、「B級映画」と比べてみるとわかりやすいと思うが、「B級グルメ」の「B級」は、経済的な概念であって、文化的な概念ではない。つまり経済的な安物を意味するだけで、文化的な「B級」ではないような、ギマンやムジュンを感じるからだ。

「B級グルメ」には、「駄」や「雑」といった「B級」の文化を楽しむより、経済的な安価な大衆値段のもので、純粋でエリートな「A級」の文化を楽しもうというような、イヤラシイ根性があるように思う。

安物を利用して、自分は正しい賢い「A級」な人間であるかのような陶酔や演出をする、それがコンニチの「B級グルメ」であるような感じがする。もっと単純に「駄」や「雑」を楽しむのでなければ、「B級」とはいえないのではないか。「駄」や「雑」は、サラブレッドではない、「いかがわしい」のだ。

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2005/08/22

「いかがわしさ」の高度な諸問題

『大衆食堂の研究』では、食堂の「いかがわし度」を評価している。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_7_aiueo.htm

いや、「評価している」とかと書くほどのものではない、それ自体ヒジョーにいかがわしいものだ。しかし、がははははは、堂々と、このように書いている。

 ここで食堂の見方考え方の基準となる「いかがわし度」を整理しておこう。   ▲いかがわし度3▼ほんとうは、看板も暖簾もでていない食堂がある。そんなものはここにのせることができない。だから、看板や暖簾しかでてない店で、なおかつ昭和三〇年代のたたずまいがしっかりしているものである。   ▲いかがわし度2▼暖簾や看板しかでてない食堂。手製な小さなメニュー書きがはってあることもある。どんなものをくわせられるのか、はじめてだと不安がよぎる店。   ▲いかがわし度1▼暖簾や看板のほかにメニューサンプルがならぶショーウインドーがあったり、外から中が見通せたりする。

これを見て気分を悪くした食堂もあるらしい。そうかもね、「あんたはいかがわしい」と言われて、ふつうは喜ばない。しかし、『大衆食堂の研究』は、大衆食堂の人たちに喜んでいただくために書いたのではない。いかがわしいものは、いかがわしいし、そのいかがわしさをヨシとしようじゃないか、ということだった。

そもそも、10数年前の大衆食堂は、フツウの人から見ると、とてもいかがわしく見える存在になっていた。それは、とりわけバブルを通して、フツウの人たちは、とても高度に小市民化したからということが関係するだろう。「小市民」とは、「NHK的」「銀行員的」「小役人的」な根性の市民と考えてもらって差し支えないのだが。その小市民のみなさまにおいては、いかがわしいものは排除してもかまわない、排除されるべきだ、という考えが正統だったし、これはいまも基本的には変わっていないと思う。

先日、たまたま年寄りの家で、NHK系の番組で名前はわからないが、吉田類さんが出演する大衆酒場案内のようなものを途中からちょっとだけ見る機会があった。初めて見たのだが、こういう日本の番組は、どうも案内人がでしゃばりすぎるという感じがするし、それはなぜかというと、その大衆酒場が本来もっているハズの「いかがわしさ」を隠蔽するか否定し、小市民的な感覚で包んで楽しもうという制作者側の意図があるからではないかと思った。であるから、小市民的演出の案内人がでしゃばりすぎる制作になるのではないか。

とにかく「いかがわしさ」である。これについては、『大衆食堂の研究』の本文に「開き直り」とも関係させて書いている。ここに、広辞苑第4版の解説を引用すると、こういうことだ。

①正体がはっきりしない。疑わしい。怪しい。信用ができない。②風紀上よろしくない。好ましくない。

そういうわけで、大衆食堂や大衆酒場から小市民たちの足は遠のいていた。そしてのち、いまや東京に残された唯一未開の地となり、小市民的案内人の手引きで出かけて、大騒ぎするところとなった。が、しかし、それは「いかがわしさ」を評価してのことではなく隠蔽し否定してのことであるから、著名な案内人たちが案内しない、いかがわしい飲み屋街の一角は、そのいかがわしさゆえに、周囲の小市民的住民に嫌われ、排除されそうなところがあるのだ。

今日は、そのことではない。トツゼン10年前の話になるが、ちょうど『大衆食堂の研究』が発売された、95年7月の「テレビブロス」のコラムに、天野祐吉さんが教育テレビの人間大学で「私説広告五千年史」をやることを紹介している。

そこに天野さんの、「私説=いかがわしい」というイミだとの説明があるのだ。これは、オモシロイ。オモシロイと思ったから、切り抜いてとってあったのだな。

天野さんは「「マユにツバをしてつきあってください」とまで言い放ってるんですから、かなり型破りなんじゃないかな」と。

そうなのだ、小市民的常識からすれば、「私」的で「かなり型破り」であること、これがつまり「いがわしい」ということでもある。そして、そこにドロドロした可能性の熱源があった。

そういうものであったのだが……。ブッ、屁一発。

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2005/08/21

戸川純に、岡崎きゃうこのうんこ

年寄りの手術は、田舎の公立病院ではできないとのことで、おなじ埼玉の田舎だけど悪名高いし高いカネとられる私立大学病院でやることになる。んで、もしかすると、この狭い部屋に、年寄り夫婦の片割れを泊めなくてはならない。DKのほかには、6畳と4畳半だけ。おれがパソコンや本を置いてオシゴトなどしている4畳半に、一人寝られるスペースをつくる。ということを昨日からやっていて、片づいた。片づけをしていると、思いがけないものが出てくる。こんもの、持っているのも忘れていた。

前にも出てきて3月26日の日記「東京おとなクラブ」に書いたが、こんどは、「東京おとなクラブ」増刊の『PRESS』で1984年8月創刊号というやつだ。前の「東京おとなクラブ」は1984年4月発行の4号で、先日亡くなった杉浦日向子が表紙のデザインをやっている。こんどのこの増刊は、スゴイぞ、売ると酒代ぐらいにはなるんじゃないかなあ。

okaazki2特集が「玉姫様伝説 戸川純」。単独インタビューを中心に、10数ページ。その前に4ページ、ガキ顔の浅田彰が。それから藤原カムイのコミックス。とかとかとかで、なんと、岡崎京子が「岡崎きゃうこ」というチャメな名前で「青春ほのぼのまんが るみ子の悩み」を。岡崎きゃうこが描いている「うんこ」を、ごらんいただこう。

しかし、まあ、この編集後記らしいの、サインが「A.N.」であるから、これはトウゼン中森明夫だろうけど、なんとまあ気どって、もったいつけた。若かったのねえ、うふふふ。「いずれ近いうちに人類は滅亡する。いいとか悪いとか、怖いとか怖くないとか、そんなこととは別に、必ずそうなる。ぼくたちは地球最後の観客になるんだ。」と書き出し、「「PRESS」のスタッフは全員60年代生まれ。90年代を20代で、そして21世紀を(もちろん21世紀があればの話ですが)30代で迎える近未来キッズの集団です。先鋭でガキっぽいジャーナリズムに広援を!」って。この「広援」は、たぶん「応援」の誤植だろうけど。

ようするに、そして、みな、ただのオヤジとオバンになりました。

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消費者は口ナシか

なにかのニュースに「森永砒素ミルク中毒事件」から50年という記事があった。1955年の、この事件は、『昭和・平成家庭史年表』によると、粉ミルクに含まれていた砒素が原因で、「また砒素が混入されたのは森永乳業が、本来なら廃棄処分の工業用第二燐酸ソーダの粗悪品を使ったためと判明」「患者は結局1万1788人に達し、うち133人が死亡」

おれがガキのころだが、よく記憶にある。そして、思うのだが、最近の三菱欠陥自動車製造会社まで、大企業が消費者の生命を脅かす事件は、けっこう連続しておきているのだ。一方、その割には、消費者はオトナシイ。最近は騒々しくモンダイになるようだが、じつはメディアがウルサイだけ。メディアのキャスターとかレポーターとか解説者とか記者とか、ぎゃあぎゃあエラソウに騒いでいるだけで、消費者の文化あるいは運動として問題にされているのではない。あくまでも大権力大権威メディアのネタとしてなのだ。メディアのネタでなくなれば、消費者の意識としても、簡単に忘れられていく。かくて同じことが繰り返される。

食の分野についていえば、まあ、ホリエモン流高級グルメから大衆食堂の詩人流低級安物食べ飲みまで、あいかわらずオシャベリは盛んであるが、みな自分がある種の「達人」というような小権威大権威になりたいだけのように見える。メディアのキャスターとかレポーターとか解説者とか記者とか、ぎゃあぎゃあエラソウに騒いでいる姿に似ている。どちらかというと、おれのようなフリーライターにしても、ま、ブログで趣味で書いているにしても、消費者の立場や文化を探求するより、すぐ生産者側や店側に寄り添い生産者側や店側の情報に詳しいベテラン常連ヅラして、エラソウにすることに心血が注がれているような気がする。生産者側や店側が口にする情報や歴史や文化を、そのまま垂れ流したりで、生産者側や店側の情報が飛び交い賑やかなわりには、消費者の意識や文化は向上しているようには思えない。消費者に対する「達人」の教えや説教、「達人」の情報にしたがって右往左往する消費者の姿が目立つのだなあ。

消費者としての自覚より、自分が手にしうる小権威が大事なのだろうか。「ナントカの達人」なんて、そんなにかっこうよいとは思えないが、そういう精神的権威が欲しいし自分もなりたい、ということなのかも知れない。いかにも小市民的だな。

ところで、1955年というと、戦中から規制下にあった食堂の米飯販売が自由になった年でもある。

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2005/08/20

「和食」守旧派のジレンマ

「和食」なんてのは、トウゼン守旧派の食べ物である。明治以来、改革派は「洋食」を食べ洋食の普及につとめてきた。洋食を食べることが「国際人」「一等国」への道である、そもそも和食なんてビンボーくせえんだよ、と。そんなことで「国際人」や「一等国」になれるわけはないのに、しかし、なったつもりのエリートや小市民は少なくなかった。ましてや一般大衆は。

ひとつの「集団的自己陶酔」つまり反対から見れば「集団的自己喪失」というわけで、これはコンニチの日本においても同じような状況がある。であるから、米英への卑屈と、たかだか北朝鮮のビンボー状態に対する優越感と拉致問題でのキム独裁体制憎悪あたりで、やっと自らのアイデンティティを保っているありさまだ。

先日、食糧自給率の平成16年度値(概算)が公表された。
http://www.kanbou.maff.go.jp/www/jikyu/jikyu_top.htm
おそらく、世界中の誰もが、資料を作成した本人も含めて、その正体を正確に知らないであろう数値「カロリーベースの食糧自給率は」「前年度と同じ40パーセントとなり、平成10年度以降7年連続横ばいの水準となった」

そりゃまあ、祝着至極でこざいますというべきか、はあ困ったものですなあと顔をしかめるべきか。まだ、詳しく読んでないのだが、一つは、おれが前から問題にしている大豆の品目別自給率は、あいかわらず5パーセントを切っている。これはトウゼン生産供給ベースの数字だけど、まあ、それにしてはスーパーの店頭には、「国産大豆使用」の豆腐や納豆などの大豆製品がタクサンならんでいますなあ。

ようするに、日本のジレンマは、食育推進論者やスローフード推進論者などの守旧派がいうように「和食」を食べれば食糧自給率は改善する、ナンテ、そういう単純な構造にないということだ。「和食」といえば、味噌、醤油の大豆製品は不可欠だし、コンニチのバカ健康ブームもあって、豆腐や納豆の消費は多い。つまり「和食」化するほど、この、すでに自立からはほど遠い「和食」の生命線である、たった5パーセント以下の大豆への依存率が高まるのだ。

なんというアリサマだろうか。これがまあ、なぜモンダイにならないのかな。これは、マットウな外交戦略と食糧政策がないまま過ごしてきた結果であり、かつそれでも誰も政治責任を問われないという、フシギな体制の結果なのだが。財界やマスコミなど先頭きって、郵政数百兆を国際賭博経済に投げ込む「民営化」だけを追求して、そんなことで「国際人」「一等国」のつもりで日々をすごしてきた、日本のエリートや小市民たちの「集団的自己陶酔」のコンニチなのである。

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2005/08/19

おら!守旧派、草履(ぞうり)づくり

zouri1年寄りの様子を見に行ったが、寝込んでいるわけじゃないので、46時中ジッと見ていたわけではない。じつを言うとおれは、起きているあいだは、ほとんど酒を飲んでいた、酒を飲んでいないときは寝ていた。医者も誰も、完全ということはないから仕方ないし、人間は死に向かって生きているのだ、辛気くさい顔していればよいというものじゃない。そして、草履の作り方を、年寄りに伝授されてきた。これぞ、年寄りを生かす道であるね。

「草履」というと、文字通り「草の履物」だ。普通多く見かけるのは、ワラで編んだものだ。今回のものは、竹の皮で編んでいる。裏山の竹やぶに落ちている竹の皮に、古い布をからめて編む。使うのは、生身の手と足だけ。

zouri3年寄りの話によると、この竹の皮のものは足の裏が刺激されてよいのだそうだ、それに親指と人差し指のあいだはひらくし、ほかの指と指のあいだも、ふだん靴やサンダルをはいているときよりひらくので、健康によいのだそうだ。で、だから、外ではあまり履く機会がないけど、内履き用に作っているのだとか。柄がきれいだから飾り物にもよい。

ワラをつかうにせよ竹の皮をつかうにせよ、食べ物と関係あるものが、オイシイところをいただいたカスまで利用されているわけだ。はあ、まあ、みごとな守旧派の知恵ですな。人びとは、役立たずの国は滅んでも、こうやって生きてきたのです。

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おら! 守旧派

年寄りの様子を見てきた。どうやら入院手術らしい。ここ数年間に、胃がんの手術に始まり、転んで骨折も含め4度目の入院になる。日本の医療制度は、なにせ入院時の「保証人制度」をはじめ、医者本位ゼニ本位制だからおかしいことだらけ。そういや、医療制度改革って話もあったな、そういや年金制度改革は、あんなに未払い問題が大騒ぎになったのに、どうなったの?「郵政民営化」一本でほっぽらかされている。「郵政民営化」一本で、無政府状態だ、その間に国の借金も増えている。地方へ行くと、不要不急の道路がどんどんつくられている。それは「郵政民営化」が、財政健全化の戦略にそってあるのではなく、国際資本があの数百兆円に手を出したい、というだけのことだという証明だろう。農業土建癒着派閥体質の政治が国際資本癒着派閥体質の政治にかわろうとしているだけなのさ。

医療制度、年金、税金、もちろんこのままイラク戦争に参戦していてよいのか、日本の農業の息の根をとめるような自由貿易交渉をこのまま続けてよいのか、など……バランスのよい定食で健康な身体をつくらなくてはならないときに、一年中たいして食べたくもないインスタントラメーン郵政民営化を押し付けられて、これを食べないと「守旧派」だといわれる始末だ。

守旧派、いいねえ、こちとら、大衆食堂だの大衆食だのと、まあスローもいいところなのだから守旧派ですよ。それに、義理人情、いいなあ。浪曲好きだなあ。やっぱり、義理人情が廃れたら、この世は闇、おもしろくでもない。って、ことで、おら、義理人情を大事にしているのだからなあ。なんでも新しければよい、なんでも金銭の天秤にかけて、なんてね、そんなことだけで世の中成り立っているわけじゃねえだろ。

なにやら小泉は、今回の選挙について、「義理人情から政策本位の選挙、今までになかった」とか自画自賛らいしいが、そもそも「義理人情」と「政策本位」を対立概念でとらえるなんて、おかしいね。なにもわかっていないね。それは違うレベルのモンダイでしょう。そういうふうにモンダイを単純矮小化しかできないんだなあ、といってもあの男は総合的に考えるチカラなんかないから、短絡矮小化なのだけど。

でもね、まあ、最近のコメントに、「小泉+公明式郵政民営化法案には反対なんだよな」に書き込みいただいているけど、もうこの話は、あまりやっていてもしょうがないから、コメントに返事は書きません。しょせんコンニチの選挙、イマスグ郵政改革をやらないと「国が滅びる」とか脅かしやがって、そのていどのアタマの財界やマスコミ、政治家の能力だっていうことだろ。てめえたちの恥さらしじゃないか。ようするに「お国のため」とか言いながら、自分の権力のことだけなんだよな。そういう根性が、いやだね。「正義」とか、ふりまわしたりするの、胡散臭いね、自分だけが「正義」のような顔して。ようするに権力闘争が好きな連中がやっているのですよ。もういいよ、見たくないよ、その正義ヅラ。

「お国のため」なんか、どうでもよいの。自分が楽しい人生を送る、あらら楽しい人生謳歌、その一点に立って選択するようにならなくては、そういう人生に応える政党、選挙、つまり政党も選挙も洒落で楽しむというふうにならなくては、いまのような事大主義な政治なんか、権力亡者同士の争いで、無粋の極地。ま、とにかく、おら 守旧派! はあ、しかし、おれも、かなり顔で損してきたなあ。しょせん、この世は、百姓ヅラより銀行員ヅラの天下か。

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2005/08/15

はてさて

暑い当地から逃れ涼しい山地でノンキに避暑しながら、国立演芸場が募集している「大衆芸能脚本」の浪曲でも書いてみようかと思っていた。締め切りは今月末。が、しかし、まあ年寄りのぐあいが悪くなって、それどころじゃないようだな。と、ジジイのおれが言い。

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ろくでもない戦争と栄養学

前回の記事と関係する。敗戦記念日を前後して戦争をふりかえるイベント企画が盛んになると、そこに必ず登場するのが戦中戦後の、あの苦しく難渋した食生活である。そして、それがナゼか、苦しかったが懐かしい知恵に満ちた、昔はよかったなア昭和のおふくろの味ふるさとの味ということになり、あの苦しみを風化させず、日本人の知恵昭和のおふくろの味を伝承しましょうよ、というような、富士山そびえ日の丸なびく美しい日本かしこい日本人の「日本讃歌」で終わる。

もともと「敗戦」を「終戦」と言い換え敗戦の事実と向き合ってこなかったのだから、あの苦しく難渋した食生活を「敗戦問題」として追求することもない。「お国が大変だったのだから」と。いまじゃ、あの戦争のすべてのモンダイは、戦勝国の責任である、ということになりつつある。ほんとうに、そうなのか。指導者の責任は、なかったのか。すでに食糧が逼迫している状態で、日米開戦へむかった、指導者の責任はなかったのか。

という大きな話しはともかく、ろくでもない戦争と、ろくでもない栄養学や栄養学者の関係についての考察はある。『imago イマーゴ』1993年9月号特集「食の心理学」に、日達やよいさんが「漂流する栄養学」を書いている。「食糧難の背景」という項があり、昭和初期(1926~37年頃まで)と米穀配給制・外食券制が始まる1941年4月から敗戦まで、主に配給制度と栄養学や栄養学者の関係について検討している。ようするに、「食糧難の背景」には、指導的立場にいた栄養学者の責任がありはしないかということだ。

そこでは、「栄養学者の一人で、慶応義塾大学医学部食養研究所所長であり一九四七年に創設された日本栄養・食糧学会初代会長でもあった大森憲太」が、戦後すぐ出版された著作のなかで述べていることを引用している。それは、ま、簡単に要約してしまえば、自分たちには責任はない、「國民の科学性が浅い、また文化が低いところにある」ことが、敗戦の直接の原因であった「戦力の不足、資源の窮乏」をもたらした「根底に横たわる重要なる原因」であると。

で、日達さんは、書く。「非科学的で無知だったのは一体、誰であったのか。必要量の六割程度しか配給されなかった事実を熟知し、しかもその状況を放置したまま敗戦を迎えた栄養学者の姿勢こそ、非科学的だった。配給に関して意見をいう立場にいた研究者が、どのようなことを考えていたのかさえ、ここでは不問になっている」

そしてモンダイは、それ以後、つまり無責任のままであるがゆえに「漂流する栄養学」のイマにあるのだ。食に関して「非科学的で無知だった」状況が続くなかで、食を栄養や味覚にだけ矮小化し、チカゴロでは食育だのスローフードだのと、昭和ナ大衆食堂の食生活にもどれば心身ともに「健康日本」であるかのような、ばかげた話まで流布している。食からみれば、日本は戦前も戦後も終わってない。靖国が意気軒昂なのは、トウゼンである。コンニチ、本を書くぐらいの人たちだって、食からみれば、戦前なみに「非科学的で無知」なのである。

エンテツが書いたものを読み、「非科学的で無知」な状況から脱却することこそ、コンニチの食文化における敗戦記念日的国民的課題なのでアル。一家に一冊、エンテツの本。

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ろくでもない昭和、戦争、外食券

gaisyokuken敗戦記念日らしい写真と話題を。写真はクリック!(ほぼ原寸大が見られる)
戦争が間違っていたか、いなかったか、って、何を基準にするんだ。この外食券を見ればわかるだろう。真珠湾攻撃の前、おなじ昭和16年の4月1日に、六大都市でコメは配給通帳制になり、それにしたがって外食券がなくては外食できない制度になる。つまり外食券食堂の時代。日米開戦前夜、すでに食糧事情は、そのように逼迫していた。

そして昭和20年8月15日。「国は破れても人民は食わなくてはならぬ。二六年の東京都指定食堂組合ができるまで「非常時体制下」の外食券食堂営業はつづいた。」

このあたりのことは、『大衆食堂の研究』激動編に書いた。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_4_03.htm

写真の外食券は、現在の宮崎県延岡市の旧家のひとからもらったもので、そのあたりで戦中に使用されていたものらしい。国家のためにイノチを粗末にあつかうことが「常識」だった、ろくでもない昭和、ろくでもない戦争、ろくでもない外食券。

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2005/08/14

おら 「料理評論」なんてなあ

書評のメルマガに連載の「食の本つまみぐい」13回目、きのう配信された。vol.225、こちらで、ごらんいただける。
http://back.shohyoumaga.net/?eid=177334

今回は、イヨイヨ、マスヒロ本、日本初堂々の肩書「料理評論家」で活躍する山本益博さんの本の登場だ。さわらぬ神にたたりなしで、こういう現役有名評論家の本をマナイタにのせることはしないほうが無難だが、まあ、かといってやらなきゃツマラナイ。それに、これで13回、過去の本は、今回の話の流れの「前座」のようなもので。と、いうわけで、あります。

過去12回分をごらんになりたい方は、こちらをクリック地獄。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun04/syunnadekigoto.htm

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2005/08/13

オラ! 林家

きのう、ちょいと書いた、新宿区は大久保のハイカラしている「林家」のこと、ザ大衆食のサイトに載せた。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/hayasiya_ookubo.htm

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オラ! サラダ

暑い。冷たいサラダでも食べるか。だが、と、考える。サラダ、サラダ、サラダ、サラダとはなんだ。ポテトサラダは、ポテトがいちおう野菜だからよいとして、マカロニサラダで混乱する。なーぜ、マカロニサラダなのだ。しかも、断固、野菜ではなく、マカロニが主役だぞ。ああ、どうでもええ、今夜は「サラダそば」にしようかなあ。はあ、まてよ、なんで「そばサラダ」じゃねえのだ。タネものだからか。じゃあなんだな、マカロニサラダは、やっぱ、野菜サラダのうえに、タネものていどにマカロニがのっているのが、マカロニサラダの本来の姿なのだろうか。でも、マカロニサラダというと、マカロニ以外なにも入ってない、マカロニのマヨネーズあえみたいなことが多いぞ。ああ、どうでもええ、暑くて暑くて、たまらん。おら、サラダになって冷蔵庫のなかにいたいよ~

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あら! 厳選?

きのうの続きだが。太田尻家は、経堂駅からすずらん通りをトコトコ10数分歩いたところにある。古い商店街で、大きな建物はほとんどない。一年前はシャッターが下りたままが、けっこうあったように思うが、最近はちがう。その事情はさておいて、とにかく飲食店が増えたのだ。ラーメン屋が目立ってふえたが、新しい飲食店のあいだには、古い年代モノの飲食店もある。

それらを歩きながら見ながら考えた。みな大衆的な日常的な飲食店だ。かりに、その飲食店を紹介するとしたら、いまイチバン多い方法は、味や店の雰囲気で、星印いくつ式の採点だろうか。評論家風にエラソウにやるなら「厳選した」何店、とかやるだろうか。

しかし、それぞれの店で、それぞれの客が楽しんでいる。とくにすぐ後背地が住宅街の、こういう立地の場合、地域の馴染みや常連、その評判が基本だ。そういうところへ、トツゼン余所者が入っていき、星印いくつとか、「厳選した」なんていう評価をするのは、ずうずうしすぎやしないか、馴染みや常連客に失礼だし地元に失礼ではないかと、おれは思う。

より高いロイヤリティを求めて、地域性より市場性で勝負しているような企業的な飲食店については、厳しく採点して当然だろうし。また住民などいない歓楽街や盛り場では事情はちがうだろうが。大衆食堂のように、地域の客を相手に、いやあ、わしらはわしらの流儀で、これでくえていければいいのですわ、という生業の飲食店については、広く通用するような「採点」や「厳選」なんて、小さな親切大きな迷惑にすぎない。

だけど、ワタクシは「ナントカの達人」「ナントカの評論家」としてエラソウにするためには、そういうことをしなくてはならないのだろうか。そういう連中がのさばるほど、けっきょく、どの地域でも共通する評価基準が普及することになり、多様なオモシロイ地域性は失われていくのだ。ラーメンなどは、もうそうなっているが。

とか考えながら、いろいろな飲食店が並ぶすずらん通りを考察しながら歩いて、太田尻家にたどりついたのだった。途中に一軒、ものすごくそそられる、年代モノの中華屋があった。いつか、そこに入ってみたいと思った。だいじなのは、そういう自分自身の「そそられる感覚」ではないだろうか。

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2005/08/12

オラ! 林家そして太田尻家

hayasiya_ookubo0508大久保へ行った。まだ、あるかなと思っていた、「林家」があった。「氷」の旗をヒラヒラぶら下げて。うれしい、入った。冷やし中華を食べた。ここの冷し中華は、チャーシューの細切りだな。冷し中華、ハムの細切りかチャーシューの細切り、どっちが多いか考えた。わからん。それにしても、少しずつ手入れをしながら、むかしとちっとも変わっていない。高い天井に木とペンキの店内、むかしのハイカラ風、金魚もそのまま、手書きのメニューも、流れている音楽も、ちゃーんとオールディーズ、オヤジもおかみさんも。新しい発見もあった、詳しくは、のちほどザ大衆食のサイトに、むかしの写真と一緒に掲載。ま、とりあえず、きのうの店内の写真をクリック地獄してみてよ。オラ! レトロ。

んで、下北沢で用を足して、ビールも飲んで小便もして、経堂の太田尻家へ。今夜もまた、10人ちょっと入れば一杯の店内は、常連というか馴染みというかで満員状態。飲む人、めしくうひと。しかし、ここの日替わり変わりめしセット味噌汁おしんこ付300円は安い! 経堂の駅から10分以上歩くけど、開店一年、シロウトなのに。ま、いまの大衆食堂だって、もとはこのように家族だけで始まり、友人知人ご近所馴染み常連にささえられ、立ち上がったのさ。新しいタイプの街の食堂として、これから大いに注目したい。太田尻家夫妻や松江美女と歓談しつつ暑い夏の夜は、のどごしビールのごとく過ぎ……しかし、経堂は遠い。おら、疲れた。

太田尻家
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sin/ootajirike.htm
経堂系ドットコムもよろしく~。更新されたばかりで、遠藤書店がのっている。オラ! 遠藤書店。
http://www.kyodo-kei.com/index.html

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2005/08/11

オラ! なぜ、そこで食べるのかの歴史

最近のコメント、ボン大塚さんのコメントを見て、なんだか「オラ!」が気に入って、なんでも「オラ!」をつけてみたくなった。

「外食史」という言葉は、あまり聞かないが、外食産業の歴史みたいなものはある。この外食産業の歴史というのは、文字通り「産業史」あるいは「業界史」であって、生活としての「外食史」の側面は、ほとんど無視されている。

いつごろ、どんな飲食店ができたか、それがどんなふうに成長したかだけでは、産業史業界史であって外食の歴史にはならない。外食史となると、飲食店が成立する生活や生活意識などの文化的な把握が必要になるだろう。

「大衆食堂」というのは風俗的な用語あるいは概念で、いちおう産業分類上の「一般食堂」に含まれる俗称であるが、風俗であることにはかわりなく、世につれ変わる。

その場合、「大衆食堂の歴史」というのは、どう成り立つか、というモンダイが残る。本来なら、外食文化の歴史のなかに位置づければ、風俗的な意味でも、「大衆食堂」があきらかになってくるハズだ。しかし、となると、「外食史」とか「外食文化史」というものが、必要になる。でも、そういうものは、食文化史ですらマットウなものがない日本においては、存在しない。じゃあ、大衆食堂の歴史のために、そこまでやるかというと、そんなことやっちゃあいられねえ。

そもそも「外食」という言葉も、戦中戦後の「外食券食堂」からの普及という説があるぐらいで、しかし、でも、外食という行為は、それ以前はるか昔からあったようにみえる。しかし、でも、それはコンニチの「外食」と同じ意識、つまり文化として同じものだったかどうか、じつはよくわからない。たとえば、はるか江戸期には、振り売り担ぎ売りという、店舗を持たないで茶飯などを売って歩く例がみられるが、あれは「外食」に位置づくのかどうか、利用するほうの意識はどうであったか、コンニチの「外食気分」だったのか「中食気分」だったのか、わからない。

どうやら屋台という形態になると、すでに「江戸のファーストフーズ」とかシャレた位置づけまでされ、外食の歴史になっているようだが、振り売り担ぎ売りの食べ物は、アイマイである。もしかすると、これは外食の文化というより、弁当の文化というようなものに位置づくのかもしれない。また、日露戦争のころからか、東京の「細民」のあいだでは、軍隊の残飯を買って食べるひとがいたし、それを肥桶のようなものに入れてかつぎ売って歩く商売もあったようだが、これなどは「外食史」に入るのだろうか、むずかしい。

ああ、ややこしい。というわけで、『大衆食堂の研究』では、大衆食堂の歴史などはまとめずに、「食堂誌史論」ということで、文字に記録されて残ったものから、テキトウに備忘録的に拾ってメモするていどですませている。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_6_01.htm

またザ大衆食のサイトでは、「食堂の歴史あれこれ」ということで、これも備忘録的なメモていどのもので、歴史ではない。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/rekisi.htm

ようするに、人びとが、なぜ、そこを利用するのか、なぜ、そこで食べるのかがなくては、外食の歴史にもならないし、大衆食堂の歴史にもならない。そこんとこが、まあ、むずかしいのだな。やれやれ。

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2005/08/10

小泉+公明式郵政民営化法案には反対なんだよな

あらかじめ断っておくと、おれは投票的にはマジメな選挙民ではない。かなり棄権している。しかし、政治的政策的には、いつもよく考えているんだよな。んで、ちゃーんと態度を表明できる。でも選挙に行くかどうかは、わからない。

どうも今回の衆議院選挙も棄権するような感じがする。しかし、投票へ行くかどうかは、何で決まっていたかというと、選挙のときぐらいにしか電話がかかってこない知人の某宗教団体の「信者」から電話がかかってきて、政策のことより自民党や小泉と対決している党首や候補者について、欠点とかをあげつらね、とくに見てきたかのような個人攻撃をくりかえす、その独善そして陰険陰湿さ、たいがい嫌気がさして選挙に行かない。おれの「清き一票」を、そういう低レベルなやつと一緒にしてもらいたくないんだな。そういう「気分」で決まっていたようだ。

よく選挙ボランティアと称する人たちが、選挙「後進国」へ行って、正しい公平な選挙のための活動をするが、日本の選挙なんてものは、後進もよいところだ。もっとも、かれのことだけで、某宗教団体の「信者」すべてをイケナイとする理由はない。というのも、その同じ団体の別の知り合いは、まったくそういうふうな話はしない。北朝鮮国民が全員、キム万歳じゃないのと同じか。

ところで、今回は、そやつから電話があるか、楽しみである。なぜかというと、このあいだ、たまたま一緒に飲む機会があって、郵政民営化法案では国民のための「改革」にはならない、それは能無しどもの巣窟である銀行、それゆえ自ら危機に陥った銀行を、多額の国税で救った、国民に対して「日本発の世界恐慌をおこしてはならない」といった恫喝をして救った、それがなんの「金融改革」になったかを考えてみればわかるだろう、今回の郵政民営化法案は、その延長にすぎない。という類の主張を、酒を飲みながら延々とやり、かれはついに黙ってしまった。

それはそうだ、郵政民営化法案は、そこにたずさわるン十万人の「公務員」を株式会社の社員にしてしまえば国民の税負担が軽くなるハズだ、なんていう単純な話ではないのだ。これは、能無し金融機関が自らの責任で抱えた不良債権「金融問題」を、政治的に救った結果なのだ。であるから、すでに国際化した資本が中枢の日本の財界はとうぜん、郵政民営化推進の小泉+公明政権支持である。

そもそも自民党は、国民ではなく、財界と利権構造が頼りの政党だから、今回のドタバタは当然として、公明党までが自民党の「造反議員」を、ただ法案に賛成票を投じなかったというだけで非難するのは、おかしい。「造反議員」を悪者あつかいにする前に、実際に、わずかな「造反」で否決されるぐらい反対があった議案と、それを無理押しした状況を、この際よく考えてみるべきだろう。

もっとも、「造反議員」だって、これを自らの政治生命と利権に利用しているのは確かで、地方の郵政サービス体制がどうなるかなんてのは、そのための条件闘争のエサにすぎない。すでに、日本経済は「国際資本」といわれるアメリカ資本が自由に活躍する場であり、近年の業績のよい企業の上位200社ぐらいには「外資系」がズラリならび、そして総選挙というと好況へむかっているかのような印象をあたえる経済観測は「踊り場から脱出」しつつあるというが、国民の負担はますます増すばかりでなんら明るい材料はない。

モンダイは郵便局の数百兆円というカネなのだ。このカネをどうするか。国際資本と、どう折り合いをつけるかは、日本だけの問題ではないし、ある意味では必須のことだから、もっとスマートにやれないかと思うが、選挙というと個人攻撃をやっているようじゃ、まだ無理か。それに、「自民党をぶっつぶす」なんていっている党首に陶酔しているようじゃ、イヤハヤ、百戦錬磨の国際資本を相手に政策を考えるなんて無理だろう。

そうそう、食との関連でいえば、「食育」や「スローフード」の主張者は、とうぜん、郵政民営化法案反対じゃないと、スジが通らないね。

おら、知らんよ。

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2005/08/09

『オラ! メヒコ』そして「オラ! 納豆」

揚羽屋のオヤジが死んだのだから、7日の「喪中」に書いた東陽片岡さんの漫画のように、ゴロ寝の喪中を一年ぐらいやっていたいのだが、そうもいかない。では、毎日イヤイヤ酒を飲むことで、酒好きだったオヤジに弔意を示そうかと思ったが、酒はもともと毎日のように飲んでいたから格別のことにはならない。そもそも根がイイカゲンだから、すぐ弔意を忘れ、喪中を忘れて飲んでしまう。

こういう人間は、内面的というか、精神世界というか、死だの生だの魂だのオーラだの霊だのトランスだのといったコトには、ひごろあまり関心がない。疎い。人間死んじまったらオシマイ、魂なんか絵空事だと思っている。であるが、ヤジウマ根性だけはあるから、「霊地」なるとこへ行ったりしている。国内だが、そのスジでは、かなり有名なところへも行った。ある日、その一角にある大きな冷気ただよう岩の前で、一緒に行った女が「きゃぁぁぁ~、この岩のむこうは空洞になっている、すごいオーラよ」とか言ったのだが、おれにはただの岩にしか見えなかった。

田口ランディさんが、ニフティから作家デビューというときは、そもそもニフティは、おれがインターネットを始めたときから契約しているプロバイダーで、ダメな企業であることを知っていたから、そんなとこ出身の作家なんて、ロクなもんじゃないだろう。と、思っていた。ある日、図書館でナントナク見た雑誌に、田口ランディさんが書いていた。ナントナク読むと、ま、とくに自分の関心やテーマと交差はしないのだが、田口ランディさんがナゼいまどきの若い男女に人気があるのか、ナントナクわかった。

まあ、それはそれで、今回は、田口ランディさんの近著『オラ!メヒコ』の写真を撮っている塩崎庄左衛門さんのほうであるね。すでに7月12日の「塩崎庄左衛門さんから、うれしいメール」で登場している。その後、何度かメールのやりとりがあり、そして、『オラ!メヒコ』とおれの『汁かけめし快食學』の交換交際をやって、『オラ!メヒコ』を読んだ。読みながら、かなり違うが、椎名誠さんの『ワシもインドで考えた』を思い出した。「メヒコ」とはメキシコのことだが、メキシコとインド、なにか、アル。

その話しは、おいといて、塩崎さんのブログをみて、「魯山人式」で笑えた。http://ameblo.jp/todaya/entry-10003262024.html

やってる、やってる。『汁かけめし快食學』を読んで、これをやる人は、何人かいるようだ。あははははは、正しい料理に熱心な読者である。しかし、マジに、魯山人のただならぬところは、この納豆の拵え方などにあるのだ。アユを生きたまま京都から運んだなんていう話しは、魯山人独特のハッタリにすぎない。そんなものより、魯山人は納豆の拵えやタニシの煮方に料理をみていたにちがいないのだ。

ま、料理や「うまいもの」に関心のある方は、この納豆の拵え方を、一度はやってみることをオススメする。「料理とは」に、ヒラメクものがあるだろう。しかし、また、おれもそうだが、フツウの人は2度とやる気にならないだろう。つまり、じつは、それほど日々うまいものに執着しているワケではないのだ。フツウのひとの日常は、フツウにうまければよいのだね。

しかし、塩崎さんの場合は、醤油をたらしながら拵えることを忘れている。いやははは、そのへんは、『オラ! メヒコ』に描かれている塩崎さんである。

しかし、この『オラ! メヒコ』、著者は「田口ランディ+AKIRA」そして写真が「塩崎庄左衛門」。この名前を並べると、コンニチの日本文化の複雑さをシミジミ感じる。その深遠に触れるためにも、『オラ! メヒコ』を読みながら、「オラ! 納豆」を「魯山人式」にやってみることをオススメする。もちろん『汁かけめし快食學』を読んでないなんてオハナシにならない。醤油をたらすのを忘れないように。ちなみに、塩崎庄左衛門さん、本名である。おれよりかなり若いのにな。

塩崎さんのブログ「庄左衛門日乗」
http://todaya.ameblo.jp/

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2005/08/08

喪中につき怒りのタワゴト

揚羽屋のオヤジの直接の死因ではないが、昨年末から揚羽屋は行列ができるほどの混みかたが続き、オヤジはいつになく疲れ弱音を吐いていたとのことだ。

その行列ができる騒ぎは、ある「グルメ」系としては有名らしいタレントが、テレビの番組で「揚羽屋のソースカツ丼が食べたい」と言ったことからはじまったようだ。ウチにはテレビはないし見ないからよく知らないが、ま、約、そういうことだったらしい。

こういう話を聞くと、じつに腹立たしい。有名人が行ったから自分も行く、行列ができるほどだから自分も行列する、それは集団的共感や反感のなかに身をおかないと落ち着かない日本人の悲しいサガかも知れないが、かりに「うまいもの好き」「いいもの好き」を自認するのなら、それは、じつにおかしな行為ではないか。

「うまいもの」「いいもの」は、この世にたくさんある。自分の台所で、毎日安くてうまいものを追求してみよう、一生のうちに食べ切れないほどあるだろう。なにも有名タレントが言ったからと、すぐ駆けつけ、行列までつくって食べることはないだろう。いつでも食べられるのだ。ほかにもまだうまいものがたくさんあるのだ。だから、ほかのうまいものを食べながら過ごし、落ち着けるときに行って食べればよいのだ。

……という話をしてもムリなのだな。じつは、「うまいもの好き」「いいもの好き」なのではない。団体旅行に参加するように同じネタの集団の輪に入っていたいだけなのだ。悲しいサガだ。

前からときどき書いているが、そして『大衆食堂の研究』にも書いた。そもそも大衆食堂は、本や雑誌あるいはテレビを見て先を争って行くようなところではない。むしろそういうのとは逆の生活スタイルのものだろう。身近な日常に、一軒二軒と自分にあった大衆食堂をみつけていけば十分なのだ。そして、出かけたついでに、その土地の風にあたるように土地の大衆食堂に入ってみる。

揚羽屋にしてもそうだが、地元の客を相手に家族だけでやってきた。揚羽屋は観光客相手の面もあるが、それは日中のことで、しかも幸か不幸か小諸は新幹線からも外され観光地らしい賑わいはあまりないから日中でもたいしたことはない。ほとんどのガイドブックに紹介されている「名所」であるが、「名所」すべてに混雑があるわけでないように、比較的ノンビリした雰囲気で、それがまた揚羽屋の持ち味でもあった。夕方からは、ほとんど地元客で、ノンビリ雑談しながらすごしている。そして8時ぐらいで閉店だ。値段も、ソースカツ丼などはそうだが、日常のものは普通か普通以下で提供している。

ようするに地元の日常の食堂なのだ。それは家族でやっているから可能なのであり、それで地道になりたっているのであり、特別なうまいもので地元民以外をニギニギしくかき集めて儲けようというのではない。

それから、かりに、有名な、そして舌の確かなタレントが、それを褒めたにせよ、大衆食堂のメニューの仕組みは、一品だけで勝負しているのではない。揚羽屋は、ソースカツ丼以外にもうまいものが、たくさんある。自家製豆腐の冷奴など200円、モロキュウ300円だったかな?味噌汁もうまい。ほかもろもろ地元の客はイロイロなものを食べている。ソースカツ丼だけではない。だけど、行列はソースカツ丼に集中した。

行列ができるような混雑は、無理があるのだ。しかし、店はナントカ対応しようとする。無理は避けられない。

行列をつくる人たちは、「うまいもの好き」「いいもの好き」なのではなく「行列好き」なだけだから、すぐに新しい別の「行列」へ移動していく。

行列ができる混雑が去ってみれば、オヤジが死んでいただけだった。

ま、オヤジ、ご苦労だった。同じ年頃だったし、酒も話も楽しかったし、もっと一緒に飲んで大いに語り合いたかったのになあ。残念だ。

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2005/08/07

喪中

ダメだ、なにもやる気がおきない。二日酔いかと思ったが、そうでもなさそうだ。揚羽屋のオヤジが死んじまってよう。どないしたらええねん。

東陽片岡さんの漫画に「勝新が死んじまってよ。う」という漫画がある。『されどワタシの人生』(青林工藝社)に載っている。タイトルのそばには「どないしたらええねん。」

例の、ちゃぶ台が真ん中にある四畳半畳絵的な、部屋の片隅で男が寝ている。女が言う「ちょんとアンタ、いい加減にさ、仕事に行ってよ。」「もう米を買うお金もないんだからね。」男「うるせー!!」「勝新がよぅ、死んじまったんだぞ。」「仕事なんえやってられるけえ!!」

女「勝新が死んだってアンタ、もう2ヵ月もたってんじゃない。いい加減にしろ、バカ!!」男「きのうニュース23で言ってたっけな。」「北朝鮮じゃ金日成が死んで、三年間喪に服していたそうだ。」「勝新が死んじまったんならな、俺ぁ十年だって喪に服してやるぞ、バカ野郎!!」「これで森繁でも死んだら、一生喪に服してやらぁ」

怒った女「ああいやだ。もう我慢出来ない。」「あたしゃ家出ていくからね。」
男「けっ、テメエなんざいなくたって、生きていけらぁ。」
女「12年間もあんなバカの相手してきた自分が、偉いと思うよ、つくづく。」と部屋から玄関のある台所に出ると。玄関たたきのそばの流し場の下で、ガキが男と同じように寝ている。

女「何やってんだよお前は」
ガキ「え? ロバートミッチャムの喪に服しているの」

いやあ、マジに、その心境だぜ。

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2005/08/06

揚羽屋のオヤジが死んだ

ああっ、揚羽屋のオヤジが死んだ、揚羽屋のオヤジが死んだ、揚羽屋のオヤジが死んだ。イヤ、死んでいたんだ。6月26日に。死んで、ザ大衆食のサイトの「揚羽屋」の印刷された一式は、一緒に火葬されたそうだ。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/agehaya.htm

オヤジィーーーーーーーーーーーーー涙、涙、涙………
店は、奥さんと娘さんたちが、続けている。料理をつくっていたのは、奥さんと娘さんたちだったからな。これからも、よろしく~、とな。「亀の海」もあるでよ。あーあ。あーあ。あーあ。

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大発見、大発掘、うらぶれうらぶれ

きのう、夕方になって何気なしフラフラフラと西日暮里へ。うらぶれ竹屋食堂でイッパイ駅そば飲み屋でイッパイ、いい気分で、フラフラフラと「古書ほうろう」へ。「ふちがみふなと」か「ふちがみ」のCDを欲しかったが見つからず。「古書モクロー」棚に、辰巳ヨシヒロの「大発掘」と「大発見」を発見。どちらも800円を消して700円。値段を記入したモクローくんのイラスト入り伝票に、「大発掘」は「フツーに生きたいだけなのに、常に不幸になってしまう男たち」、「大発見」は「辰巳ヨシヒロのうらぶれ加減に学べ」のコピーとな。ええじゃないかと購入。カウンターで、ヤマザキさん?女性の方に、この本は今日入れ替えたばかり、と聞く。じゃあ、それにひきよせられるように、フラフラフラ西日暮里まで来たのか、と考えるとロマンチックだが、どうもモクローくんじゃ、そういう気分にならんな。

フラフラフラ帰り、北浦和「志げる」で、その本をみながら、ホッピーぐびぐびぐび。ああ酔った酔った。うらぶれ加減ならおれも負けてませんぜ、ま、フツーに生きているし、もともと「不幸感覚」が欠落しているから、うらぶれていてもイツもシアワセ。だははははは、竹屋食堂とその客たちみたいだ。と、日記風に書いてみた。

「大発掘」の一昨目は「地獄」で、「昭和46年8月6日広島平和公園」から始まる、「昭和20年8月6日午前8時広島上空で炸裂した一発の原子爆弾は瞬時にしてこの世を地獄と化した」

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2005/08/05

マスヒロ本、そして西江雅之

きのう、書評のメルマガの原稿締め切りだったので、書いて送った。今回は、山本益博さんの『東京味のグランプリ1985』だ。この本とヒトについては、書きたいことがたくさんあるから、「続く」で2回にすることにした。まもなく、たしか、中旬の発行だと思う。

購読申し込みがマダのひとは、こちらで。もちろん、タダ。
http://back.shohyoumaga.net/

いま気がついたが、ちょうど20年前に発刊だね。その10年後に、おれの『大衆食堂の研究』が発刊になったのだな。そして、さらに10年。外食本は、飲み食いイロイロたくさん出ているけど、ま、この20年間の政治のようなものだ。そして、おれは相変わらず、マイナーに地味にコツコツでれでれガンガン飲んですごしている。

おもしろいスクラップ資料が出てきた。『週刊プレイボーイ』95年9月12日号、「読々健脳ランド」という新著の著者のインタビュー。『異郷から』(大巧社)の文化人類学者・西江雅之さんが登場だ。がははははは、見出しが「伝統、親の教育なんてなくても 人間は立派に生きてゆけますよ」

おれは幻堂出版の『ナンザツ7』の「鳥獣戯食」で、モグラや犬猫を食べる話を書いたのだが、その前に、この資料を見つけていたらなあ。ヤッパ、資料はいつでも使えるように整理しとかないとね、と、イマは思ってもやらないんだな、これが。それは、ともかく、西江さんの話。

…子供の頃、犬とか猫を捕まえて食べてたという話ですが。
西江  愛情の裏返しですね(笑)。尾ヒレがついて、西江は犬や猫ばっかり食べてたなんて話になっちゃいましたけど、ずーっとそればっかり食べてたわけじゃないですよ。でも、みんなから見たら考えられないようなものを食べてるんでしょうね。今でも家ではご飯とかミソ汁なんかは食べない。だいいち、お釜がないですから。
…なに食べてるんですか。
西江  大きな肉の塊。あと、野菜と果物とお酒。
…それは牛肉ですか。
西江  トナカイ、シカ、オットセイ、クマ。今月は日本に数日しかいなかったんだけど、クマとアザラシとウサギの丸焼きですね。牛肉も時々食べるけど、牛肉の大きい塊なんて買ってたら破産しちゃいます。ここ10年ぐらいで食べた肉で一番マズかったのは、都内で捕れたタヌキでしたけどね(笑)。
…主食は肉なんですか。お米は食べない?
西江  自分から進んでは食べない。学校で会議とかあって、お弁当とか出ると現地食といった気分で食べますけど。
…それは世界各地を旅していくうちに身についた習慣なんですか。
西江  いいえ、子供の頃からそうなんです。子供の頃、母親が頼むから10円やるからご飯食べてくれって言ってた(爆笑)。疎開先では近所の川に行けば魚はいるし、虫もいるしで、そういうの捕まえては食べてたんですね。

西江雅之さんについては、このような紹介がある「1937年、東京生まれ。文化人類学、言語学者。現在は早稲田大学文学部教授。故・平野威馬雄氏との対談『貴人のティータイム』は必読すべし。」

はてなの西江雅之

こういう話に接すると、奇人変人のことのように済ますことが多いが、むかしは、ただの平民には、こういう類のひとが、たくさんいたハズであると思う。

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2005/08/04

山口瞳さんの「世相講談」には

街道筋の大衆食堂を舞台に始まるエッセイがある。「韋駄天街道」
そこからの引用が長すぎたかんじもあるが、前からやりたくて、なかなかチャンスがなかった、街道筋の大衆食堂、イマ風にいうと「ロードサイド型レストラン」とか「ドライブイン」とかになるのだろうが、について、ザ大衆食に掲載した。ほんらい二回にわけるべき話を一つにまとめたので、チト長い。そのうち、二つにわけるとしよう。

福島県会津南郷村 三喜亭
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/nangou_miki.htm

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2005/08/03

ザ大衆食のサイトに

「10年前のきくや食堂」を掲載。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/kikuya_ikebukuro.htm

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2005/08/02

めずらしい、サツマイモの花

ふるさとの六日町中学校の同期生、遠山力さんから、メールでサツマイモの花の写真が届いた。
image002


夏たけなわというところですね。今年は、日照りが続かないで適当に雨が降ったりして、まあしのぎやすい新潟県ですが、いかがお過ごしでしょうか。畑の草取りに終われる毎日です。今朝は、サツマイモの花を見つけましたので、早速ご披露します。
紫芋だから、珍しくもないのかもしれませんが、小生にとっては、62年サツマイモに付き合っていて初めてです。皆さんの中にも「めずらしいなあ」といってくれる人が居たら幸せです。
色は紫、昼顔に似ています。
芋の手の付け根から茎が伸びて、葉っぱと同じくらいのところで、5つぐらいつぼみがつき、順番に咲いて、落ちていきます。
以上、けさの「たまげたこと」でした。


「62年サツマイモに付き合っていて初めてです」とある。おれも記憶にないから、初めてだと思う。めずらしいので、みなさまもお楽しみくださいよ。最後の「たまげたこと」とは、方言になるのだろうか? おれたちは、「びっくりした」「おどろいた」を「たまげた」というのであります。

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2005/08/01

食の「風俗」と「文化」

幻堂出版の『ナンザツ7 何の雑誌第七号』に三本美治さんの漫画「ゴミ・ウォーズ」がある。主人公の清掃作業員の「俺」は、この仕事にとても向いていると思っている。その理由の一つが、この仕事をしていても「人々が俺に関心を持っていないので、誰にも気兼ねせず人間観察できるからだ」

そのコマでは、彼が清掃している。そばで、女の子が「新しいビデオ持って来た」、オバサンが「いいの いいのー 借りてー」、別の女の子が「私 スカパーから録った」 つまり、冬ソナブームの光景である。

「そこで俺は ある事に気がついた」
「人はコミュニケーションをとらないと生きていけない」
「ブームとは人の経済活動を円滑にする為のツールでしかない」

「だからそれを 過度に評価するのも」と。このコマでは、テレビの「くめ」という名らしいキャスターが「韓国の文化が 正当に評価される事は素晴しいです」

「批判するのも どこかズレている」と。このコマでは、先ほどのビデオを借りたオバサンが見ているそばで、その亭主が「恥ずかしくないのか 何がヨン様だ」と怒っている。

つぎのコマで「お父さんが 同僚誘って女のコ居る店に行くのと同じ事である」と。
そしてつぎのコマで、「特に意味は無い」と、俺は自転車に乗って家へ帰っていく。

「人はコミュニケーションをとらないと生きていけない」「ブームとは人の経済活動を円滑にする為のツールでしかない」「だからそれを 過度に評価するのも」「批判するのも どこかズレている」「お父さんが 同僚誘って女のコ居る店に行くのと同じ事である」「特に意味は無い」

この話しは、80年代のグルメブーム以後の、食べ歩きや飲み歩きの「外食ブーム」と、本質的に同じだ。ようするに、とくに近頃の「B級グルメ」といわれる、安物外食ネタの分野も、けっきょく、安いうまいよい飲食店はドコにあるか、知っているということである。それは、よく玉の出るパチンコ屋はどこにあるか、とか、可愛いオンナのコがいるヘルスやキャバクラはどこか、外見からよいオンナのコがいる店を判断する方法といった、風俗ネタと同じであり、それ以上でも以下でもない。

そして、そういう本というのは、「エッセイ」という体裁をとっているにせよ、ほとんどが「風俗」の視点のものである。本によっては、風俗ガイドとしての要素をとったら、まったく体裁をなさないものも少なくない。

ようするに安物外食ネタは、最近では、受けのよさで「経済活動を円滑」が期待できるものとして、存在する。「食文化」の視点で、実態や本質に迫ろうというものではない。そして読者も、食文化の実態や本質より、本の情報をネタに、自分の「外食体験」との共感あるいは反感のコミュニケーションを楽しめばよいのだ。これは、近頃ハヤリの下町ネタについても、いえるだろう。下町ブームで、下町文化が「正当に評価」されたわけではない。

ほかに「特に意味は無い」

食の文化としては、ほとんど意味は無いし、無かった。実際に、80年代のフラメシに始まり、イタメシ、エスニック、ラーメン、カレーライス、そば、さぬきうどん、大衆酒場、立ち飲み……ようするに経済効果が期待できそうな分野を追い掛け回してきただけである。この動きは、食の文化とは、なんら連動しない。

しかし、モンダイは、「食」について発言しながら、発言者自身が、「風俗」の視点と「文化」の視点を混乱することだ。その結果、「お父さんが 同僚誘って女のコ居る店に行くのと同じ事である」つまり「自分の好きなモノがある店」の話が、ドえらい「食文化」の話になってしまう。やれやれ。ま、日本は「食文化」を意識しだして、まだ30年ぐらいの黎明期だから、仕方ないだろう。ようするに、安直にエラソウに知ったかぶりしないことだな。

しかし、こういう三本美治さんの漫画が載る「ナンザツ7」は、なかなかのものだ。
また、三本さんは、「ドイツ三本」の芸名で、紙芝居芸などに取り組んでいるらしいが、なかなかのものらしい。見てみたい。

「ナンザツ7」は、こちら。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/siryo/nanzatsu0507.htm
この三本美治さんの漫画『テロル』、見たいなあ。
http://mimi33.com/star/0001mitsumoto/

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10年目の大衆食堂の研究

前から何度も書いている。この7月は、『大衆食堂の研究』発刊10周年だ。この10年というのは、おれ自身のことだが、イチバン変動が少なかったような気がする。そもそも「大衆食」という広大な分野であるにしても、同じことに10年もからんでいるなんて、あきっぽい変転きわまりないおれとしてはめずらしいことだ。そういえば、3回目の結婚も、『大衆食堂の研究』と同じ10周年で、これまたいままでになく落ち着いたものであるね。やれやれ、そろそろ年貢のおさめどきということなのだろうか。

大雑把にふりかえろう。小学校入るまでは、世間が落ち着かないように、おれ自身も落ち着かなかったね。母方の兄弟5人のうち、男2人が戦地で罹ったマラリアがもとで復員後しばらくしてから病死、女1人が離婚で出戻ってから肺病死、よく可愛がってもらい覚えている。母の実家は、当時、すでに母の父はなく、いまの調布市のつつじヶ丘にあったから、おれは田舎とココを行ったり来たりの生活だった。おかげで、水が貯まった庭の防空壕や、占領軍や、紙芝居や、配給のパンや、そうそう新宿の闇市も記憶にあるぞ。おれは、新宿の東口で迷子になって、国防色の服や外套を着たオジサンたちに親切にされたのかアブナイ目にあわされたのかしたのさ。そのころは、東口の前は、広場というより焼け野原で、伊勢丹が見えたよ。そこにあった公衆便所の前の激しい混雑の中で、おれは一緒にいた母方の祖母の姿を見失ってしまった。

そのあいだに弟が生まれ、おれが4歳のとき2歳で死んだ。まあ、小学校あがる前はバタバタ近親者が死に、葬式続きだったな。そうそう、その間に、母も結核になって、毎年一年のうち一か月は入院したり。で、にもかかわらず、おれが9歳か10歳かのとき、父の家業は倒産。まあ、茶箪笥はもちろん、大きなアルマイトの鍋にまで、差し押さえの赤札がベタベタ貼られた。けっきょく、もともと仲が悪く喧嘩の絶えなかった父と母は離婚、父は1人で出て行った。それが、最初の10年か。

母子家庭。しかし、母は結核で1人では家計成り立たず、一年後ぐらいに、母はおれを連れ、好きでもない父が1人で暮らしていた間借の四畳半に転がり込む。家は人手に。そこで、おれは生家と生家と共にあった、数々の写真やオモチャその他もろともオサラバ。これで、人生身一つを悟ったか。

つぎの10年。父は新たに家業再建、がんばって家まで建てちゃった。しかし、母の結核は悪化する一方。家族に結核患者1人いると家は破産するといわれた時代だ。イノチのためだ、おれが中学2年のとき、母は国立病院に一年間入院して大手術。このときの費用が、あとあとまで重かった。とにかく、それでもナントカと、おれは高校へ大学へ。上京して一年家業はもたなかった。二度目の倒産。こんどは決定的だった。家は競売。父は、田舎で再起をはかろうとしたようだが、とても無理。転がるように夫婦でふるさとを出奔。やって着ました流れ者の都、東京へ。荒川区熊野前にあった土建会社の飯場に。このころの話は、前に書いたような気がするな。

こんな話しは、くだらねえな。ま、でも、つぎの10年、簡単にいこう。結婚して子供3人できたあたりが、ちょうど10年目つまり30歳ぐらいか。この間に転職。で、つぎの10年に入ったあたりで、3人目の男子が2歳のとき病死。生き残っていた下の子つまり2番目の子が10歳のとき、1回目の離婚。40歳こえたぐらいかな。つぎの離婚は92年、49歳か。

ああ、もうメンドウだ。そういうわけで、ようするに、この10年は、おれにとっては、そういえば引っ越しは1回だけだったし。大切な友人が数人死んだりしたが、まあ、平穏なほうであった。

それで、ここんとこ、たかだかココ10年のモノを、「持ち物」っていうのは、それしかないからな、それを整理しているのだが、大衆食堂の写真や入ったときのメモが出てきた。まだ、サイトに掲載してないのも、けっこうある。それに、大衆食の会のときの写真もある。百円ショップで一冊に写真紙焼200枚が収まるアルバム4冊分あった。

そういうアレコレを、「10年目の大衆食堂の研究」として、まとめてみようかなと思ったわけだ。発表方法を、どうするかだが。10月の何日かは、『大衆食堂の研究』発行以後の大衆食の会の第1回の集まりがあった日で、あの時代、あの本を買っていただけただけでもエライのに、よく集まっていただいた。で、それを記念して、ここんところ、「ザ大衆食」のHPでイイカゲンにやってごまかしてきた「ザ大衆食」の紙版を復活する準備をしているので、それに掲載しようと思う。この10年は、あの、いまではリッパなビルになってしまった、ボロ家の「パオ」の中庭に集まった、1回目の「大衆食の会」は、イメージどおりの素晴しいものだった。もちろん、そのあとも。しかし、サボりすぎた。すまん。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/pao.htm

酔った。だははははは。

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