「和食」守旧派のジレンマ
「和食」なんてのは、トウゼン守旧派の食べ物である。明治以来、改革派は「洋食」を食べ洋食の普及につとめてきた。洋食を食べることが「国際人」「一等国」への道である、そもそも和食なんてビンボーくせえんだよ、と。そんなことで「国際人」や「一等国」になれるわけはないのに、しかし、なったつもりのエリートや小市民は少なくなかった。ましてや一般大衆は。
ひとつの「集団的自己陶酔」つまり反対から見れば「集団的自己喪失」というわけで、これはコンニチの日本においても同じような状況がある。であるから、米英への卑屈と、たかだか北朝鮮のビンボー状態に対する優越感と拉致問題でのキム独裁体制憎悪あたりで、やっと自らのアイデンティティを保っているありさまだ。
先日、食糧自給率の平成16年度値(概算)が公表された。
http://www.kanbou.maff.go.jp/www/jikyu/jikyu_top.htm
おそらく、世界中の誰もが、資料を作成した本人も含めて、その正体を正確に知らないであろう数値「カロリーベースの食糧自給率は」「前年度と同じ40パーセントとなり、平成10年度以降7年連続横ばいの水準となった」
そりゃまあ、祝着至極でこざいますというべきか、はあ困ったものですなあと顔をしかめるべきか。まだ、詳しく読んでないのだが、一つは、おれが前から問題にしている大豆の品目別自給率は、あいかわらず5パーセントを切っている。これはトウゼン生産供給ベースの数字だけど、まあ、それにしてはスーパーの店頭には、「国産大豆使用」の豆腐や納豆などの大豆製品がタクサンならんでいますなあ。
ようするに、日本のジレンマは、食育推進論者やスローフード推進論者などの守旧派がいうように「和食」を食べれば食糧自給率は改善する、ナンテ、そういう単純な構造にないということだ。「和食」といえば、味噌、醤油の大豆製品は不可欠だし、コンニチのバカ健康ブームもあって、豆腐や納豆の消費は多い。つまり「和食」化するほど、この、すでに自立からはほど遠い「和食」の生命線である、たった5パーセント以下の大豆への依存率が高まるのだ。
なんというアリサマだろうか。これがまあ、なぜモンダイにならないのかな。これは、マットウな外交戦略と食糧政策がないまま過ごしてきた結果であり、かつそれでも誰も政治責任を問われないという、フシギな体制の結果なのだが。財界やマスコミなど先頭きって、郵政数百兆を国際賭博経済に投げ込む「民営化」だけを追求して、そんなことで「国際人」「一等国」のつもりで日々をすごしてきた、日本のエリートや小市民たちの「集団的自己陶酔」のコンニチなのである。
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