またまたゴボウ
きょうの夕飯は何にしようかな~と、ウチにあるものをチェックしたら、7日の「ゴボウ」で書いたゴボウの残りがあった。12、3センチほど。このゴボウの「性格」がよくあらわれている部分なので、写真に撮った。画像をクリック地獄して。
スーパーで売っているものは、スラッと真っ直ぐのびている。しかし、山の畑でとれるものは、このように曲ってゴツゴツしている。これは、まがり具合がおだやかなほうだ。収穫のときも、「抜く」というより、「掘る」かんじだね。
畑の土がかたい性格だと、簡単に抜けるようには育たない。しかも、かたいといっても、このゴボウがとれた畑の土は、粘土質のかたさとちがって、岩石を砕いて土にしたかたさが混ざっている。ゴボウは、その厳しい条件をぬうようにしてのびるから、まがる。まがるうえに、先へいくほど根が土にくいこんでいる。それを抜こうとすると、畑の表面に近い比較的やわらかい土のところは抜けるが、必ず途中で折れて、かたい土の中に残る。それは掘らなくてはならない。そういう深いかたい土を掘るのは大変だ。収穫は重労働になる。そして、こういう土の条件の悪いところは、トウゼン人間にとっても厳しい環境のところだ。
救いは、そういう厳しい条件のところのゴボウは、味も香りも濃くてうまいということだろうか。「滋味」がある。もっとも、味も香りも強いゴボウを嫌うひともいるが。
このゴボウがとれたあたりの畑の景色は、ザ大衆食に載っている。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun/syasinten2.htm
そこにも書いてあるが、秩父困民党の舞台になった地域で、このゴボウを作った家の祖先も、この地域一帯の家ぜんぶ、あの「秩父農民戦争」といわれるジケンに参加して、重い罰金をくらっている。その重さは、ジケンについて口をつぐみ、二度と自分の意思をあらわさないで過ごしたほうが得だという教えをほどこしたようだ。
名前を忘れたが、秩父市の図書館に勤務されていた方が書いた、秩父農民戦争と指導者の田代栄助に関する比較的厚い本には、土地の人だからこそ書ける、秩父の険しい山岳の環境、そこで生きる人びとの気性を簡潔に表現した部分があった。それは、険しい自然のなかで人びとの熱情が熱くなるさまであり、なおかつ山々とむかいあうことで癒されおだやかになるさまである。つまり、なんていうか、ゴツゴツした厳しい自然のなかで育った、激しい熱いものを内に秘めたおだやかな気性を、うまく書いていたように思う。このゴボウの様子は、いかにもその秩父の自然や人のかんじだ。
「哲学はいらないか」の水喜さんコメントに、「ところでゴボウは日本人しか食べないという話を聞いたけど、「ゴボウと日本人」をちょこっと考えてみるのもオモシロイかもしれないね」とある。たしかにそう思う。調べると台湾や韓国でも、少しは食べてはいるらしい。でも日本のようには栽培してないし食べない。こんなにゴボウを食べるようになった日本、日本人って、どういうことなんだ。
それに、5月14日「悲哀の梅田ごぼう」にも、ちょこっと書いた、ごぼうは同じ種でも土の性格によって、ずいぶんちがうものになる。つまり、ゴボウと土と日本人の独特な関係が、なにかありはしないかと思うのだな。ゴボウと日本人、「ゴボウの文化誌」とでもいうか。そういうもの書いても、うまいものや外食店に関するオシャベリじゃないから、売れないのがカナシイ。そして売れないものは、出版されない。
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