油揚を食べる話
天カスあるいは揚げ玉、どちらも同じだが、それで「カスカス丼」をつくる話しは、拙著『汁かけめし快食學』に書いた。同じように油揚でもできる。つまりだし汁でテキトウに切った油揚を煮て、タマゴでとじ、めしにかける。ネギかタマネギがあれば、なおよい。カマボコやシイタケをきざんで入れると、さらによい。あるものとカネしだいだ。
これを「貧乏食」と定義するかどうかは、いまは、それぞれの考えにまかせるとして、油揚は肉の代用になる。ま、油脂とタンパクだし、食感もムリヤリ肉のカンジがしないでもない。牛肉は買わずに、牛脂だけをもらってきて、スキヤキ鍋に牛脂をひいて、油揚をつかってスキヤキもできる。鍋料理などは、肉を使わないか減らすなどして油揚をつかうと、安上がりだ。
なぜ、この話になるかというと、きのう書いた、「バーチャルとリアルのあいだ」と関係する。これ、なんの話かわからない、というメールがあった。直截的に書くのは日本のブンガクの道に反する、あくまでも奥ゆかしく。って、わけじゃないが。この話しは、10月16日の「クイケとイロケ」に関連している。
80万円の収入のうち、20万円は借金の返済と利息の支払いにあてなくてはならない。残る現金は60万円。だけど長年借金生活になれてしまった、ま、借りられるうちは借りてすごそう。デレデレ自制のない生活になれて、気がついたら40万円も借金する生活。現金60万円に借金40万円で成り立つ生活。そして100万円つかって80万円の収入しか得られない生活。これが日本で、これを、家長である政府は、100万円の支出に、100万円の収入があると説明し、マスコミもちろん疑義をはさまず。某経済学者は、ほんとうのことを言ったら日本はパニックになるでしょう、といったとか。
近未来は過去から現在までの延長にしかない。たとえば、AとBとCとDとEのボタンがあるのに、イチバン借金のふえるAのボタンを選択しつづけてきた。その先にしか近未来はない。重い辛い暗い現実から逃避し、借金生活に麻痺した精神、その先にしか未来はない。しかも、すでに財政は硬直化し、東京を制するものは日本を制するといわれるぐらい東京一極集中状態のなかで、選択肢はかぎられる。
しかし、なぜ80年代のバブル景気のときに借金を減らす政策をとらなかったのか。バブル崩壊後も、なぜまた景気が回復すれば借金が返せるような幻想をもったのか。また、なおかつ借金をふやさないといっていた前言をひるがえし、借金をふやしながら「改革」をいう首相を支持するのか。もう20年も赤字国債を発行し続け。そんなこと、いまさら考えてもしょうがない。日本人は、そういう人間なのだ。学習は嫌いで玉砕が好きなのだ。それに倹約も好きだね。現実の利得より面子や体裁にこだわるね。
すでに荒野にいる。あとは最終荒野にむかうだけ。デノミやるか?やったらどうなる?ためこんでいた貯金は、一挙に目減りだぜ。じゃぁ、貯金は外貨にしておくか。うーむ。ま、どうでもいいや。鼻歌うたいながら、油揚料理でも食べよう。油揚を肉の代用品なんて、ばかにしてはいけませんぜ。しかし、油揚も原料の大豆が輸入頼りだしなあ。だからね、ほら、おれは前からここで書いているでしょう、食糧自給率アップ一般論じゃなく、大豆の自給率をふやせってこと。決まってしまったが郵政民営化より、大豆の自給率アップが大事なのさ。でも、ここで、なにを言ってもムダ。でも、言おう。大豆を植えよう、大豆を植えよう、大豆を植えよう。って、ねえ、バカだなあ。
ちかごろの文芸評論家は、バーチャルだのリアルだのという言葉をもてあそぶが、ハテサテ大丈夫か。ま、そういや日本の文芸は、現実逃避と現実麻痺でイイカッコするのが、お家芸みたいなものだしな~。という気分なのですよ。
ま、どうでもいいことだが。
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コメント
おやまあ、お二人で「たぬき」だの「きつね」だのと、あなたたちのことじゃないの。
最近はどうなんだろうね、蕎麦屋でも、きつね丼は、もう長いこと見てないけど、たぬき丼は都内の蕎麦屋で何度か見た。このへんの蕎麦屋にはない。前は千駄ヶ谷5丁目の増田屋で、たぬき丼をよく食べた。5年前ぐらいまでは、あったけど。その後は、行ってない。
ま、自分でも簡単につくれるからね。おれはきつねの油揚を細くきざんだやつをタップリ入れるのが好きだなあ。
投稿: エンテツ | 2005/10/30 11:29
「きつね丼」って美味しいですよね(^o^)
喰いたい・・・
投稿: タコ社長 | 2005/10/29 11:06
昔は天かすをとじた「たぬき丼」油揚げをとじた「きつね丼」てのが蕎麦屋の品書きにあったんすけどね。
なぜか今はまったく見かけなくなったなぁ。
投稿: 吸う | 2005/10/29 09:13