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2005/10/30

ダサイタマはオモシロイ

26日の「上流と下流でドタバタ」のつづき。28日(金)午後4時に主治医から手術の話があるから病院に来いというので行った。すると、29日(土)の午前10時に麻酔科の医者から話があるから来てくれという。フツウなら、患者本人に話せばよいことだが、70歳すぎてシッカリしているけど、イチオウご家族の方にいてもらいたい、という。それだったら最初にまとめて予定を言ってくれればよいものを、今夕の明朝の話、いまどきそんなヒマな人間がゴロゴロいると思うのか、まるでおれがヒマでシゴトのないフリーライターであることを見越したようなダンドリの仕方じゃねえか、クソッ、ああ、まあ、どうせヒマですよ。ガマンガマンガマン。そして、けっきょく、28日は午後4時の予定が、待ちに待って、やっと6時ごろに主治医と会えた。ま、どーせ、あたしゃヒマ人ですよ。それに、医者は忙しい。ガマンガマンガマン。

ガマンガマンと書くとイヤイヤイライラという印象だろうが、そんなことはない。キョトキョトキョト、ウロウロウロ、退屈しているヒマがない。道中往復約4時間も含め、なかなかオモシロイ。病院の中は、またまたオモシロイ。都心の病院は、80年代の前半には病院システムのプランニングのシゴトを手伝ったり、そのあと自分も1月入院したことあるし、最近じゃ次々に知人が入院したり死んだり生き返ったり、いろいろな病院を見てきたが、いやあこの埼玉の医大病院はオモシロイ。だいたいいくら土地があるからといって、山の中腹にだらだら広がる巨大な迷路のような敷地内の全貌が、まだつかめてない。ついでに、近所の蕎麦屋や大衆食堂にも入ったが、なかなかよいし、オモシロイ。

とにかく結論をいえば、埼玉は、東京のように画一化がすすんでいないから、オモシロイ。それゆえ、東京のバカどもは、埼玉をダサイタマという目で見るのだろうが。東京化がすすんだなかに土着が点のようにあったかと思えば、土着の中に東京が点のようにあったり。その土着も電車を乗り換えるたびに、人相フンイキまで変わり、漫画家ならうまく描くだろうなあと思う。

東京のバカどもが、埼玉をダサイタマと揶揄し始めたのは、1980年代のはじめごろからで、『昭和・平成家庭史年表』(河出書房新社)には1983年の流行語に「ダサイタマ」がある。ちょうど「ネアカ・ネクラ」が流行語になった時期でもあり、ダサイタマはネクラと束にして、マイナスイメージ扱いにされた。そしてひとを揶揄し浮かれてイイ気分しているうちに、先日書いたような借金火達磨日本家計になった。だいたい、経済がゆきづまると、そういうふうに、プラスイメージとマイナスイメージがつくられ、東京のバカどもはプラスイメージの担い手としてマスコミに利用される。バブル崩壊のあとは「プラス思考」「ポジティブ」がもてはやされ、実態を直視したり問題を提起するヤツは「マイナス思考」「ネガティブ」と嫌われた。なんのことはない、ネアカ・ネクラの繰り返し。「勝ち組・負け組」だって、80年代の「マルキン・マルビ」の焼き直しだし。かくて脳天気な現実逃避と現実麻痺は常態化した。くだらねえ。ダサイタマはオモシロイぞ。

オモシロイが疲れた。なんせ、8階まで歩いてのぼったりしたしなあ。まだ明日の準備もある。年寄りの病人1人かかえると大変なのは確かだ。これから少子化で、1人で2人かかえる可能性が増えるのだなあ。入院している母堂のために、毎週末山口までバスで往復している40代の知人を思い出し、おれなんかまだ同じ埼玉県だからマシかと思った。自分より条件の悪い人を例に、自分はまだマシと思うのは、バカだけどシアワセ。

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コメント

ホント、吸うさんの云われる様に「ダサイタマ」などと云うのは似非都会者がでっちあげた科白だと思ってます。

オレは東京は東京ですが、東京の西の外れの人間です。都会と云えば新宿。碁盤の目みたいで歩き易い街ですし、小便横丁の様な場所に親しみを憶えたものです。

渋谷は坂が多いし、放射線状だから、疲れていけません。
池袋はだんだん分かってきました...とほほ

投稿: たつ! | 2005/10/31 21:00

「ダサイタマ」なんて言ってるのは「チバラギ」の人じゃないんすか?
原宿とか新宿とかでお互い東京者のふりしてバカにし合ってたりしてね。ふふ。
東京者で実際にそんなこと言ってる輩を見たことない。

東京者はそんなに埼玉には関心無いっすよ。少なくともおいらはね。
東京にもあんまり関心無い。
東京生まれの東京育ちでも生まれて初めて渋谷に行ったのは18ん時。
原宿なんて20ん時。
それまではもっぱら浅草、上野、秋葉原。
16ん時に初めて池袋行った時にゃ迷子になった。たはははは....

うちの母親が良く言ってた言葉。「東京の田舎者」。

投稿: 吸う | 2005/10/31 15:34

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