イロケとクイケ
漫画屋からエロ漫画「レモンクラブ」が送られてきた。これまでなかったことなので、塩山長が「これを読んどけ、このうすらばかエロ爺!」という特別記事があるのかと、すみからすみまで見たが、それらしいのはない。
浦和駅西口駅前広場から県庁へ向かう大通り、すぐのところ、つまり駅から数分のところにエロ本屋があって、店の外のスタンドに「レモンクラブ」がある。たまたま通りかかって見つけると、立ち読みする。といっても、「物好き南陀楼綾繁の活字本でも読んでみっか?」と「エロ映画監督山崎邦紀の初老男のボッキ時」の連載を読むだけだ。エロは嫌いじゃないが、「レモンクラブ」のような本格エロ漫画が必要なほど不自由はしてないからな。ようするに、浦和は県庁所在地ながら、駅の近くの大通りに、エロ漫画を立ち読みできる本屋があるのだ。こういう街は、排除性が低く文化度が高いよい街である。エロ本屋が一軒もない、そのくせコンビニにはエロ本が並んでいる街は、たいがいおもしろくでもない見かけだけのロクデモナイ街だ。というのが、おれの街の見方だ。
こういう風に書いていると、またエロ系のサイトからエロ語を拾ってトラックバックがありそうだ。でも、前にも書いたが、性と食、イロケとクイケは深い関係にある。11日の「悩ましい嗜好品」にトラックバックいただいている、「強精ビールとチョコレート」を見てもわかる。アチラの坊主は、イロケやクイケをうまくわがものにする。日本のばあい、かつて知性学問の最高峰にいた坊主どもは、このようにイロケとクイケを大らかに語ることなく、求道的あるいは禁欲的にあつかい、実際は特権階級という地位を利用して、エロエロしてきた。それは日本の風土が貧しいからでもあるだろう。
コンニチのうまいモノうまい店と栄養に矮小化した食談義、生活を楽しむ思想の貧弱、人生謳歌快楽ヨイヨイの視点の欠落、謹厳実直奉仕感謝クソおもしろくない生活のための説教、美人に過度に甘い大小権力男の跋扈、などの風潮は、これと深い関係にあると思う。政界や出版界モチロン、美術界だって作品の力じゃなく媚態エロ度を利用した「美女」がのしあがる。「才」はゼロだとはいわないが。そういう女たちに囲まれてはしゃいでいる男を見かけると、ああ、おれもそういう身分になりたいと思わないわけじゃないが、なるなら、そいつらを相手にカネを稼ぐ「うまいもの屋」のほうがいい。
気がつかなかったが、江原恵さんが「家庭料理をおいしくしたい」(草思社)に書いているところによると、ブリア・サヴァランの「美味礼讃」は、「食通哲学ともいうべきこの本のなかで、特定の料理の作り方を詳しく具体的にのべた」ところが一か所だけあって、それは「マグロ入りオムレツ」である。岩波文庫版なら下巻、「味覚の生理学 第二部」の「ヴァリエテ(雑録)」の「神父さんのオムレツ」に登場する。ホラホラ、アチラの坊主だぞ。
サヴァランさん書く。「この料理は凝った朝食とか、自分が何をしているか十分承知で、ゆっくりと味わって食べる数奇者の集まりなどのために特別に調進すべきもので」つまり、励んだ夜のあとの精力回復のための朝食とかね、スケベをする自分を自覚している数奇者たちのための濃厚な効きそうなオムレツなのだ。
で、江原さん書く。「『美味礼讃』のなかでは、美食の快楽は性の快楽に通じている。【マグロ入りオムレツ】はその主題を象徴している料理なのだ。/ ところがこの本の日本での読まれ方は 、/ ◇禽獣はくらい、人間はたべる。教養ある人にして初めて食べ方を知る。/ ◇どんなものを食べているかいってみたまえ。君がどんな人であるかをいいあててみせよう。 / といった教養主義的な、クソマジメな側面だけが強調されている傾向がある。何か、高遠な哲学のように受けとられているのだ。しかしこの本のアフォリズムには、/ ◇食卓の快楽はどんな年齢、身分、生国の者にも毎日ある。他のいろいろな快楽にともなうこともできるし、それらがすべてなくなっても最後まで残ってわれわれを慰めてくれる。/ というのもあるのだ。日本の食事文化には、この暮らしの中のエピュキリズム、つまりふだんの食事を大切にする思想が欠落しているようにみえる。」
「エピュキリズム」なんていう言い方も気どっているけど、ま、だから、なんといっても大事なのは、日常の快食だね。
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