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2005/10/26

上流と下流でドタバタ

きのうは年寄りの入院で大騒ぎ。荒川の上流の下流の町で下流の暮らし。鉄道もない埼玉のド田舎の大赤字町立病院では手術できないからと、紹介でまわされた先が、とにかく評判の悪い某私大病院。8月のことだ。診察を受け、入院の手続きをし自宅待機、二か月かかってやっと入院となった。その間、本人はもちろん、まわりのものも落ち着かない。こういうとき私大病院というのは、どこをどう突くと早く入院できるか知らないわけじゃないが、それは中流や上流のひとがやることで、おれのような下流の人間は浮世の流れに生き死にをまかせるのがイチバンだということも知っている。そもそもダサイタマに住んでいるだけで、東京と比べたら医療条件は悪いし、リスクは大きい。ジタバタもがくほど、アリ地獄の底に落ちる。じっとガマン。ガマン強くなる。おれはもともと忍耐強いといわれる新潟県の田舎者のうえ、さらに田舎者のダサイタマ人であるから、ガマン強くなるのだ。

それに、年寄りは、一度の話じゃわからん。町立病院と私大病院、山の中の暮らしと都市の生活、感覚も文化もちがう。その違いを長年山の暮らしを守ってきた年寄りにわからせるのは無理だ。根気よく何度も同じ話を聞いてあげ、何度も同じ話をしなくてはならない。しょっちゅう聞こえないふりしたり右耳から入れ左耳に流したりかもね。ボンボン小泉のようにやったらと思わなくはないが、それをやってしまっては、悩みも主義も道理も廃る。ガマン強くなるのだ。

ま、入院手術のジイは、この7、8年のあいだに、胃がんの手術、ヘルニアの手術、前立腺の手術、痔の手術、それに足の骨折、エトあと一つ手術したな。入院は馴れているが、こんどはなにしろ地元の町立病院とはちがう私大の大病院だ。自宅から4時間もかかるところだ。大移動の大騒ぎ。入院のジイについてくるバアは電車の乗り方もわからん。帰りも途中まで送って行かなくてはならない。しかし、メンドウが増えるだけだからついてこなくていい、とはいえんしな。ガマン強くなるのだ。

とはいえ病院は埼玉の都心部ではない。ここ浦和からでも、直線距離なら数十キロというところだが、3回電車に乗り換えて片道2時間かかる。その行き来も、ガマンガマン。はあ、ぐったり、くたびれますなあ。しかし、明後日も、来週の月曜も、いろいろあって行かなくてはならない。カネはドンドン減る。電車賃だけでもバカにならないしな。まだまだ続くガマンガマン。ガマン強くなるのだ。

それで、とにかく駅のホームで、東京新聞を買って電車の中で見ていた。「文芸評論家」の川本三郎さんが登場し、東京新聞の高田信也記者とアレコレ「即興政治論」という雑談している。ま、例によって、世相の上っ面をなでるような話だが。

気になったのは、ちかごろ「下流」というか「下流社会」が、話題らしい。こういう話しは、だいたい「上」のものが「下」をみる話であるが。「(年収が)三百万円で十分と思っている人もいる。その層は確実にいるし増えると思う。経済的にみれば豊かでないかもしれないが精神的には、上流階級という人たちがいるんですよ」と、川本さんの発言にある。

こういう話を、ちかごろ比較的よく目にするような気がして、そのたびに思うのだが、年収三百万の生活というものを、むかしの「現金生活」の感覚で考えているらしい、ということだ。1944年生まれの川本さんの話にも、そういう感じをもった。

しかし、むかしと大きなちがいが二つあると思う。一つは、資産の状況が大きくちがう。たとえば、親の持ち家の比率は高くなっているはずだし、その話題になっている年収三百万の若いひとでも、自宅で暮していたり、親を頼れたり、将来親の資産のわけまえにあずかる可能性の高いひとの割合が増えているはずだ。もう一つは、カード利用の日常化、あるいはローンのある生活のアタリマエ。前にもふれたが、とくに1980年代以後「信用経済」が急成長し消費生活をのみこんだ。単式簿記現金出納帳式の生活より複式簿記貸借対照表式の生活が、かなり普及しているはずだから、年収の金額だけみてものをいうのは、営業収支だけで経営を判断するように、キケンじゃないかと思うのだ。

ま、そういうことをアレコレ考え、なんだかちかごろ「下流」がブームのようだけど、マーケティングの分野では「下流」なんて目新しいことじゃないなあと思い出した。そもそも、あのバブル景気の最中でも、「まだら模様の経済」という言葉があったように、「下流」もテーマだったはずだし。分厚いコトラーさんの『マーケティング・マネジメント』第4版(プレジデント社1983年)を取り出してみたら、「アメリカ主要6社会階層の特質」という表がある。原文は1978年のクレジット。1「上流階級の上位(1%未満)」2「上流の下位(2%)」3「中流階級の上位(12%)」4「中流階級の下位(30%)」5「下流階級の上位(35%)」6「下流階級の下位(20%)」と分類し、特質が述べてある。

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コメント

そのとき本の題名は知らなかったので書いてないですが、9月25日の「マーケな社会」の本文とコメントに登場していたのが、その本「下流社会」でした。著者は、以前にマーケティング専門誌「月刊アクロス」の編集長でイイ仕事をしていた三浦展さん。サイトがあります。
http://www.culturestudies.com/profile/carreer.html
いま「年収三百万円時代」とかいわれる、それがトウゼンのような世論がつくられようとしているときに、ツボにはまって売れているのでしょうか。まだ現物を見てないですが。

「2・6・2の法則」というのは、たしかもとは人事や組織論のほうから出たような記憶があります。10割のうちモチベーションの高い2割をリーダーにすると、あとの6割はついてくる、で、どうにもならない、あるいはどうでもよいオチコボレ2割が残る。このオチコボレを取り替えていれば、底上げしながら「健全」な組織が維持できる。というような感じだったでしょうか。そのリクツをスーパーの品揃えなどにあてはめようとした。というような記憶なのですが。

「8対2」は、もともとABC分析の「7対3」の法則を、売れ筋を拡大すれば市場で安定有利を確保できるというコトで、7を8にする発想だったような気がします。某全国チェーンのSスーパーは売れ筋を9割にし、これを本部決済の取り引き以外は認めない方法をとり一時は成功したように見えましたが、競合が激しくなるにしたがい、店長権限で仕入れられるモノが1割では個店の魅力づくりができず、うまくいかなくなったようです。ま、膨張している市場では、どんな「法則」も成功しやすいわけで、イチバン儲けたのは、イイカゲンな法則を考え出しては本を書き講演して歩いていたマーケティングコンサルタントの「先生」たちでしょうか。そして、いまイチバン膨張している市場は「下流」ということでしょうか。

どのみち、現場は、いつも大変です。

投稿: エンテツ | 2005/10/27 12:51

私も「知ったかぶり週報」というブログで、
下流社会という新書が話題だと知りました。
何でも上15、中45、下40らしいです。
私がDスーパーにもぐり込んだ時分には、
「2:6:2」の法則といわれていましたが。
中庸の6の一部が下流になったという
分析なんでしょうかねえ。後それから
「80:20」の原則、売上の80%は売れ筋
上位20%で形成あるいは20%の人が
残り80%の人を養っている、そういう風な
把握だったと記憶してます。もっとも
石油パニック時前のイケイケどんどんの
時代の言い草だったのかもしれないですが。

投稿: ボン 大塚 | 2005/10/27 11:45

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