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2005/11/27

東京に働く人々

昨夜はBOOKMANの会だった。バカンスに関する歴史やアレコレ、なかなかオモシロイ発表だった。BOOKMANの会は、ほとんどが本づくりや販売に関わっている本好きの人たちで、こういう人たちは、なんでもよく知っているし、それぞれ自分のシマを確立している。だから、集まりも2,3年になってくると、タイクツや不満で、出席するのもメンドウになって、なにか新しいことをやろうとなる。いまがその時期のようだ。ま、おれの場合はライターとして本に関わる以外は特別な思い入れはないし、あまり本を読まないバカだし、ズボラでノンビリだから、なんでもどうなろうとオモシロイ。

その話しはともかく。

『東京に働く人々』(監修・松島静雄、編者・石川晃弘・川喜多喬・田所豊策、法政大学出版局、05年11月18日発行)を図書館から借りて読んでいる。

東京神田神保町の書肆アクセスで、「東京者(とうきょうもん)」というブックフェアを12月3日までやっている。これは、青柳隆雄さん、南陀楼綾繁さん、堀切直人さんの3人が選んだ「東京本」をそろえて販売するというものだ。そのカタログを先日、書肆アクセスの店長畠中さんにいただいた。

これは、トウゼン、その3人の好みの選択であるから、それはそれでよいのだが、「東京本」「東京人」という言葉が踊るとき、そのワクからいつも抜け落ちている東京をかんじる。今回も、また、なのだが、ま、文学的虚構の東京も、コンニチの東京の一面なのかも知れない。

今回のカテゴリーは、「浅草」「まち」「ひと」「時代」という分類であるが、リストアップされている本を見ると、やはり、たとえば東京南部に関わる本や作家は、ほとんどない。蒲田生まれ育ちの、だが浅草イメージの小沢昭一さんが、関係あるといえばあるぐらいだろうか。

かつての浅草の繁栄から現在の東京の繁栄を支えた「東京に働く人々」が、どうやら「庶民文化」という観念を通してはみえるようだが、かなり希薄な存在になっているのではないかと思われるのだ。あるいは、「南部労働者」や「葛飾労働者」を、「アカ」とみる偏見の伝統が、まだ根深くあるのだろうか。

しかし、浅草を語るとき、そこに憧れ慰めを求めた南部労働者や葛飾労働者、また荒川をこえた埼玉になるが川口周辺の労働者をヌキに語られること自体、おれとしてはフシギだ。とても偏った「東京観」をかんじるし、「東京に働く人々」への無関心をかんじる。

ってえ、ことで、小関智弘さんの『春は鉄までが匂った』(ちくま文庫)を、おれは「東京者」の本として、加えたい。帯に「町工場に生きる心意気」とある。

いきなり話がそれてしまった。この『東京に働く人々』を、借りてきたのは、新刊コーナーにあったそれをパラパラ見たとき、つぎのような文章が目にとまり、オモシロイと思ったからだ。これは、「営業職の労働時間問題」でサービス残業が多い実態を分析してのもの。

「正邪の判断を別とすれば、営業職の「サービス残業」の実態はある程度似通った状態になっているのである。これは基準法の精神からみれば問題だが、サービス残業は大企業などでも常態化しているとの指摘もあるのだから、一種の日本的な「文化」を形成してしまっているともいえる。あるいはそれなりに公平感だけは実現しているので、いわば「社会的」安定を保っているともいえるかもしれない、などと皮肉も言いたくなる結果ではあった。」

この本は、「労働現場調査20年の成果から」と副題にあるが、東京労働研究所が創立の1978年4月から廃止の2001年3月まで23年間の調査研究活動をまとめた。ようするに、東京の暮らしの根っこのところが、みえるのだな。

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