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2005/11/19

日本料理の未来史に向って新しい試み

おとといアルシーブ社で、むかしワレワレが発行していた「POLYCENT(ポリセント)」1981年4月の創刊1号を見せてもらい、コピーしてもらった。20年ぶりの「再会」で、さすがに懐かしい。ポリセントについては、6月13日「思えば70年代後半の会社クーデター」に書いた。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2005/06/70_917b.html

パラパラ見ると、おれが書いた文章もあって、その一つ表3の「日本料理の未来史に向って新しい試み」は、江原恵さんと生活料理研究所を開設したり、渋谷に実験店舗「しる一」を開店したりのことが書かれていて、その時期など記憶がアイマイだったところがハッキリした。これを見ると、研究所の開設と「しる一」の開店は、ほとんど同時にすすんでいたことになる。「しる一」の方は一年遅れぐらいだと思っていたのだが。

81年春というと、おれは37歳か。ま、しかし、あきっぽく転々としたおれだが、この件に関してだけは、しつこくグダグダやっているのだなあ。
ってことで、ここに転載しておこう。


 江原恵が『庖丁文化論』を著わし、日本料理の敗北を宣告したのは約七年前のことである。その時、彼は、「特殊な料理屋料理(とその料理人)を権威の頂点とするピラミッド形の価値体系を御破算にすることである。家庭料理を料理屋料理に隷属させる食事文化の形態を打ちこわして、根本的に作り変えることである。(略)料理屋料理を、家庭料理の根本に還すことである。その方向以外に、日本料理を敗北から救うてだてはないだろう。」と指摘した。
 以後、江原恵は各地を転々としながら、その持論の研究と実践に取り組んできた。最近では、愛知県刈谷市のはずれで開業した"しる一"の実験があり、マスコミなどでも紹介され、記憶に新しい。
 その彼が、東京に腰をすえ、去る二月に"江原生活料理学研究所"を開設、三月には渋谷に"しる一"を開店した。『庖丁文化論』後七年、彼の持論をかかげた本格的な活動がはじまったとみていいだろう。
 渋谷の。"しる一"では、江原恵の指導のもとで、従来の料理屋料理人ではない、見方によってはズブの素人が、料理をつくっている。街の店、スーパーなどで簡単に手に入る素材を、どうおいしい料理にするかということがテーマで、それがメニューに盛り込まれている。必要以上の「見た目の美しさ」にこだわらず、だし、スープをきちんととり、おいしさを探究することに力を注ごうというのである。また見た目には、洋風のポタージュスープなのだが、塩味には味噌を使用するなど、彼の意欲がうかがえるものが多い。
 とかく、見た目だけ豪華で美しい活造りなどに高い金を払ってしまいがちな、食べる側も考えなくてはならないことがあるはずである。"しる一"へ行って、そんな自分を発見しながら、おいしいものはおいしい、まずいものはまずいと、多くの方から批評してもらいたい。「料理にリクツはいらない、おいしければいいのである」と江原恵は言っている。
 メニューは、九品コース(五〇〇〇円)、七品コース(三〇〇〇円)、五品セット(一五〇〇円)、しる一定食(一二〇〇円)など各種。

しる一
渋谷東急本店前渋谷ジョンクルビル(黄色いビル)二階

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コメント

ワダさん、どーも。おひさしぶりです。懐かしいですねえ。いやあ、これはネットでもなければ、お互いどこにいるかわからないのだから、出会えませんよ。

それにしても、カッパちゃんとは、懐かしい名前ですね。
スズキさん、経営コンサルタントの。彼からは、一年に一回ぐらいはメールが来ます。
Mは、昨年大病してから、おとなしくなりました。

みなさんボチボチ生きて、なにかしらやっているようで。
ま、ご活躍ください。

投稿: エンテツ | 2005/12/13 12:11

ネット空間の不思議・・・。
ポリセントという文字を検索していた所、このブログに出会いました。
「企画会社」「編プロ」・・・?
江原恵さん・・・?
これって、もしかしたら、Iガ谷の「K企画」のことでは。と、ネットの都合よさで、勝手にブログの中を拝見した所、著作に「遠藤哲夫」さんのお文字が。
なんとも、懐かしいお名前でした。僕が「K企画」に、コピーライターのカッパちゃんの紹介で面接を受けに行き、採用担当としてお会いしたのが、なんとも不思議な雰囲気の遠藤さんでした。なにしろ、その出で立ちがネクタイにスニーカーでしたから、何十年も印象ぶかーく記憶に止まっていました。(決してマネをしようとは思いませんでしたが)
当時の会社の経緯は知りませんでしたが、「K企画」で、Eさんや慌しい性格のMさんと一緒に仕事をさせとただいたおかげで、とりあえず、今のところ出版関係業界の端っこで、ライターとして飯を食い続け、数冊書物を出版する事もできました。(が、出版社が不景気で倒産し、印税が100万以上パーになってしまったことも。・・・ったく、しょぼい業界だよ)
Eさんも、Mさんも今でいう「×」経験をお持ちでしたが(というか渦中におられたようですが)、当方もどういうわけか50を過ぎて「2×」となってしまい、ひーひー言いながら母親であるバーさんと暮らしています。
というわけで、懐かしさのあまりに勝手なコメントを書き込んでしまいました。
突然、お邪魔して申し訳ありませんでした。
お元気でご活躍ください。(W)


投稿: hiroshi wada | 2005/12/12 14:43

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