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2005/11/09

「三丁目」を呑む

きのうの続き。といきたいのだが、チョイと昼酒赤ワインをやりすぎて、気分じゃない。

気分といえば先日、葬式の「お返し」についてきた清酒を飲んだら、これが糖類添加で、すごいマズイ。糖類添加でも、もっとうまくやれないのか、と言いたいぐらいマズイ。しかもラベルには「芳醇清酒」とある。「全国新酒鑑評会 多数回「金賞」受賞蔵」とある。これが地元埼玉の蔵で、地元のひとが葬式に使った酒だ。これじゃあ、埼玉の恥だし、清酒の恥だし、葬式の恥だ、と思いたいぐらいマズイ。しかし、これがだね、冷蔵庫でキッチリ冷すと、まあなんとか飲めるんだなあ。ま、最終的には、そのようにして飲み、満足してしまう、低レベルなワタクシなのです。

近代日本食のスタンダードなんて書くと、えらそうだが、ようするに近代日本食のフツウってことだね。フツウを語ることは、難しい、恥ずかしい。特別なもの、特別なこと、特別なひと、そうでないとね。ホラ、男どもを例にすると、美人やブスあるいは才女やバカ女は簡単に話題にできても、フツウの女は話題にするのが難しいわけですよ。

ドコドコのダレダレがつくったものといったぐあいに、ドコドコのダレダレが特別でありアリガタイ存在なら、簡単に語ることができる。恥ずかしさはない。しかし、そうでないものは、たとえば自分の手製の料理などは、「つまらんものですがどうぞ」とかいって差し出す、すると片や腹の中で「つまらんものならだすな」と思ったりする。つまらん話だ。つまらん文章ですみません。そうして、フツウは埋没するのだった。

それは、そもそもの根源は日本語や日本文学の成り立ちにまで関係すると思うが、ともかく、近代日本のジャーナリズムは事大主義権威主義の権化である。「ジケンは、あるもんじゃなく、つくるもんだ!」てな精神が、記者が放火する根底にあるかもなあ。自分のガンを「報道」するジャーナリストもいるし。なにせ「演出」というヤラセに麻痺している業界だからなあ。事大を追いかけていたこともあって、フツウを語ることは、ますます難しくなった。汁かけめしナンテ、あんなもの、ってわけですよ。よく本になったなあ。それは、いつでもそこにありながら、「発見されなければならなかった。つまり、ことばに出されるまで見えなかったのである。」

そのように、3丁目はフツウの庶民の日常の食事でもある。というのが、きのうの「三丁目漂流記」の話だな。もちろん、我田引水の解釈によるとだが。

続いて、海野さんのお言葉の断片拾ってみよう。

以下引用……

《3丁目》は、《界隈》という、境界をはっきり引くことはできないが、お互いにあのあたりとわかるあいまいな地区に属している。ここで、なぜ1丁目、2丁目ではなく3丁目なのかを考えてみよう。1と2は対立関係にある。3はその対立とは別のものあるとともに、2者の対立を仲介する《第3者》である。《1丁目》は街の中心であり、お役所がここにある。《2丁目》は新宿2丁目のように、特に悪所であったりする。《3丁目》は堅苦しくもなく、悪所でもなく、いちばん庶民的で親しまれる界隈なのである。

……引用オワリ
どうも昼酒はだるい。調子が出ないから、海野さんのお言葉の断片を、さらに羅列して、本日はおわり。

「だが、古びた、あやしげな横丁にこそ、発見されるべき、都市の新しい魅力がひそんでいるのだ。」

「《50年代》《昭和30年代》への関心は、荒廃し、汚れて、猥雑な、失われた街への記憶を呼びもどし、現代都市への新しい見方を呼び出した。沈んでいた《3丁目》が浮上したのである。」

この最後のところは、チョイと???だけどね。
ついでに。海野弘さんも東京生まれなのだが。いまハヤリの《50年代》《昭和30年代》への関心は、主に東京生れの人たちによる東京の記憶の掘り起こしであるところが、イマイチだと思う。明治の、上京者の手による『東京学』ほどのおもしろさがない。と思うのは、自分が上京組だからだろうか。謙虚。

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