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2006/01/31

喫煙文学のススメ 寺田寅彦「喫煙四十年」

先日、どこだったか忘れたが、ときどき送られてくるあるNPO団体から届いたニュースに、禁煙したら鬱になったので禁煙をやめた、という人の話がのっていた。とくに反嫌煙の話ではないのだが、ハハア、そういうことがあるのか、嫌煙は、どこか大らかさに欠けているところがあるな。嫌煙が、別の摩擦を起こし、喫煙より悪い結果をもたらしているかも知れんなあ。でもそういうのは「因果関係」がわからないということで、統計化されず、なにやら肺がんの関係だけが統計化されるんだよね。

とか、考えていたのだが、それとは関係なく、前から青空文庫の寺田寅彦さんの作品を全部読んでやろうと思いながら、なかなかできないでいる。先日、フト、これをプリントアウトして、電車の中で読むとアンガイ軽便でよいのではないかと思い、実行してみた。すると、ほんと、本を持って歩くより楽で、かつ、おれのように老眼だか近視だかワカラン男には、文字が大きくて読みやすくてよかった。

それで読んだのが、「喫煙四十年」。いやあ、おもしろかった。これは昭和9年8月「中央公論」に初出のものらしい。半世紀以上たっても、おもしろい、こういうのが「名文」なんだろうな。いや、ま、名文であるかどうかは、おれはあまり興味ないのだが。とにかく、おもしろいのだよ。

やはり、なんだね、他人さまの嗜好にアアダコウダいうのは、あんまりよくないんだよな。気をつけよ、っと。

しかし、こういう文学が、少なくなったね。みな文章に気どりすぎじゃないかな。文章に気どる前に、もっと大事なことがあるような気がする。

「喫煙四十年」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card42257.html

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粛々と飲んで宿題ふやしていますんで、コメントにまとめて返事です

きのうは塩庄さんと三軒はしごであった。飲みスケジュールを、なるべく一日おきに組んで、粛々とこなしているのだが、26日も28日もヘビー級だったので、きのうは帰ってくると着替えもせずに布団にもぐりこんで寝てしまった。塩庄さんと鶯谷の駅で別れたところまでは、話の内容も含めだいたい覚えているのだが、そのあとがゼンゼンわからない。ま、めずらしいことじゃない。

きょうは、どーんと飲み疲れが胃の周辺にカタマリになっているかんじのまま、午後イチに間に合うよう、渋谷のアルシーブ社へ。打ち合わせ。なんだか宿題もだされ、なんだかおもしろそうなことは、すぐ二つ返事で引き受けてしまうので、きのうの塩庄さんの宿題もあわせ、急に宿題がたくさんできたかんじだ。ま、めずらしいことじゃない。

コメントを、いただき、どうもすみません。ここにまとめて、返事を書かせてもらいます。それから、メールもたくさんいただいているのだけど、順次返事をいたしますので、すみませんがお待ちください。飲酒お誘いも、順次スケジュール化しますので、お待ちを。

えと、それで。三一書房の本の販売は、まだ完全な体制ができたわけではないので、入手までに時間がかかるようです。でも、私の手元に届いているニュースには、在庫処分が経営再建のためにも重要と書いてあるので、kokadaさんみなさん、よろしくお願い致します。

ああ、吸うさん、遠藤哲夫って日本には、おれ一人しかいない、つまりおれは偉大なる中国文学者漢文学者で、ここでバカをいっているのは、世を偲ぶ仮の姿。というのは、もちろんウソで、ま、遠藤哲夫なんて、ありふれた名前なんですな。エンテツも、遠州鉄道を略してエンテツだし。

somuchforさんは、初めまして、でしょうか? ありがとう、ございます。もしかすると、「純」というのは、けっきょく、加工度が高い、人手がかかっているっていうことで、あり難がられるようになったのかも知れない。アリガタミという味ですな。ま、そういう味もあっていいのだけど、それが自然の味であるがゆえにモノ本来の味、本物の味ってことになると、そりゃ、おかしいぞ。という、そういうカラクリの話しは、世の中に、たくさんあるような。

とにかく、それで、昨夜は林業が専攻なのに写真家をやっている塩庄さんと飲んで話したのだけど、もっと日本は、雑木林の再生に真剣に取り組まなくてはな。どうもね、ベトナムあたりの林の再生などには、ボランティアで行ったり、金も出すのに、日本の雑木林の再生は、あまり真剣じゃない。おれの知り合いの林業家は、日本の農業のためには雑木林を守らなくてはいけないと、自分で稼いだわずかな金で雑木林を買って、コツコツ一人で、そういうことをしているひともいるのだけど。

かくいうウチの秩父の山は、杉と檜ばかりで、これがもう花粉の時期になると、谷が黄色に染まるほどなのですよ。かつて30~40年前、杉と檜は儲かるというので、畑や雑木林を、どんどん杉や檜の「純木林」にしてしまった。それがいま間伐をやらなくてはいけない時期なのだけど、でも手入れできる人がいない。山は年寄りばっか。

ああ、まだ、かったるいので、これぐらいで。これから飲んで、シャンとします。

そうそう、最後になったけど、でれすけさんの、「私の実家では、みりんを使うともったいないと言われました。不思議ですね。」は、おもしろいね。こういうチガイというのは、あまり研究されてないけど、けっこうあると思う。オモシロイ。

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2006/01/30

「大衆食堂の研究」が買える

三一書房争議全面和解解決のニュースは、先日聞いていたが、再建に必要な、朝霞倉庫の任意売却について、返事の遅れていた都民銀行からも同意を得られた。前途多難には違いないが、再建への足がかりはできたといえるだろう。(任意売却とは、債権者が、この場合二つの銀行が債権者だったが、三一書房の在庫がある朝霞倉庫を競売にかけ債権の回収を図ろうとするのに対して、三一書房のほうで買い手をみつけて売却する方法。任意売却のほうが、競売より高く売れるのが通常で、その差額を負債の返済にあて、より負債を軽減できる。ただし、債権者である銀行の同意が必要で、2行のうちの都民銀行の同意が遅れていた)

さきほど、kokadaさんの「腰痛日記@岡山津高台」を見たら、アマゾンで「大衆食堂の研究」が買えるようになったらしい。お買い上げありがとうございます。

古本で2千数百円の値段がついていたのが、定価で買える。みなさん、よろしく~。これで「幻の奇書」ではなくなった。

三一書房労組のHP
http://www.31union.net/

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「雑」っていいよね

日本酒は雑味のないものがよい、ということになっている。いい酒の条件の、第一あるいは基本として、雑味がないこと。なのであり、日本酒好きの大多数は、そのようにいう。「ううううう、この雑味が、たまらなくよいね」という褒めかたは、邪道なのだ。

しかし、あまり大きな声ではいえないが、たしか前にも書いたことがある、おれは雑味を、けっこう楽しむのだ。「汁かけめし快食學」にも書いたが、汁かけめしもそうだし、ようするに「雑」系の料理や味覚は存在する。

かたや「雑味」を排した「純」の文化が、日本には根強くある。「純文学」なんていう言い方もあるし。ま、「純」には「純」の味がある、というていどなのだが。モンダイは「純」は偉い、優れて良いということで、「雑」を排除することなのだ。そのために、雑多な魅力が、捨てられたり見下されたりする。このモンダイは大きい。なぜなら、「純」というのは、ほとんど人工的なものだからだ。「純」は「雑」から、人工的につくられたものが、ほとんどなのだ。

日本酒の場合も、「純度」を高めるために、アレコレ手を加える。ところが、なぜか、「純」のものが「自然」であるということになってしまう。さんざん手を加えた「純」が、自然のホンモノだということになるのだ。これは信仰、「純」崇拝の宗教に近い。

それはともかく、だから日本酒好きの集まりでは、いやあ、この雑味がたまらなくよいですね、雑のよさっていうのはですね、なーんていうことは言ってはならない。すぐ、酒の味のわからんやつだと思われてしまう。ウムこの「純」ですよな、このなんでしょうか、混じりけのない、たとえれば一点の曇りもない私の心のような、がははははは、とか、シタリ顔でいなくてはいけないのが、フツウなのだ。

しかし、一昨日の夜は、ちがった。マイ盃まで用意して参加の「美人ライター」として評判らしいムラヤマさんが、おれにそっとささやくように言ったのだ。「じつは、私は、雑味も捨てがたいのです、うふふふふふ」 おれは愛を告白されたと思った。もう、それから「雑」で盛り上がったねえ。

最近は、「多様性」というクタビレタ言い方もやめ、「雑多性」にしようと思っている。

しばらく飲む日が続く。これから続々「新年会」というか。連日にならないようスケージュールを調整しているのだが。

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2006/01/29

二日酔いの後始末

では、続き。夜の11時過ぎだ。今日は、けっきょく、めずらしくも迎え酒をすることもなくデレデレ過ごし、夕方買物に行き、夜になって鍋をやり酒を飲んで、ようやく回復したかんじだ。おれには休肝日なんていうシャラクサイものはない。

さて昨夜だが、これはもう、ほんと日本酒一気飲み大会のようなものだった。って、自分で、そのように意地汚く飲んだということなのだが。

正式名称は、「第27回呑斉の市販酒を楽しむ会」だね。この日は「葛飾区四つ木「杉浦酒店」さん推薦のお酒」を飲むのである。

杉浦酒店さんが用意したのは、つぎの酒。

悪の代官(島根県) 大吟醸 斗瓶採り
             純米吟醸 山田錦
             純米吟醸 五百万石
             死神
上喜元(山形県)  特別純米酒
            翁 本醸造酒
鳳凰美田(栃木県) 大吟醸 斗瓶採り
佐久の花(長野県) 純米吟醸無濾過生原酒・直汲み
風まかせ(群馬県) 特醸 辛口純米
田从(秋田県)    山廃純米無濾過生原酒 14年度
会津娘(福島県)  芳醇純米酒 おりがらみ生酒
            雪がすみの郷 純米酒
羽根屋(富山県)  本醸造酒
鉄砲隊(和歌山県) 純米吟醸
水尾(長野県) 純米酒 金紋錦

それに忘れてメモもないので思い出せないが、あと一つ埼玉県の酒があった。16種で、すべて一升瓶、二本以上あるのが半分以上あったように思うから、はて、全部でどれぐらいあったのか。参加者は50名ぐらいだろう。

とにかく、手元には、盃が小1個に、ぐい飲み1個。一升瓶が回ってくると、それを飲み干さないと、注げない。もちろん、注がなくても、あとで注いで飲めばよいだけだが、意地汚いおれは、とりあえず注がないと、なくなってしまうのではないかと気になり、一升瓶がまわってくると、とりあえずグィっと飲んでしまって注ぐのである。料理もタップリあるのだが、食べる間もないぐらい飲む。いやあ、6時から9時まですごかったなあ。で、最後のほうでは、なんだか、まわりにグルリ若い女たちに囲まれて飲んでいるのだった。よかったなあ。けっこう、日本酒好きの若い女がいるんだなあ。「エンテツさん、好き!」なんて声もあったように思うが、酔いの幻想か?

で、その女たちに送られて、一人45番街の松露へ。もう、べろんべろんでよく覚えていないのだが。とにかく松露に入ったら、80歳婆のママと若い亭主が、二人で仲良くしていたわ。ここで、やどやの若きマネージャー、マリリンに電話して、呼び出す。ボスのサワハタさんも来た。飲んだ、楽しくしゃべった。頭が痛くて気がついたら、ウチのふとんの中だった。

と、今日中に、これだけ書いておこう。

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とりあえず、二日酔い

めずらしく、頭が痛む二日酔いだ。若い女性写真家で酒豪、タケイさんに誘われ、高瀬斉さんが主宰の「呑斉会」へ。場所は中野の大将。16種類の酒を三時間で呑んだ。すごいハイーペース。べろんべろんで、45番街の松露へ。イタタタタ、頭が痛いので、続きはあとで。そうそう隣に座った方が、椎名誠さんの奥さんや木村弁護士と同級、椎名誠さんの奥さんのことを聞いたのは、覚えているぞ。ああ、しかし、こんなに頭が痛いのは、ひさしぶりだ。あたたたたた。

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2006/01/28

食育基本法が隠蔽する農業破壊

おれは、食育基本法が決まる前、法案に反対して、「国益優先で生活後回し政策を重ねた結果を、消費者のダラクといい、消費者の精神や知能の問題にすりかえたところに、いまの「食育」があるのだ。」「そもそも関係者が「食の乱れ」と騒ぎ立てる問題は、食育の欠落が原因なのか。安全性にせよ、自給率の低下にせよ、食事や料理にゆとりのない生活にせよ、ほとんどは政府と与党の政策によるものである。個別の政策で解決を図るべきことがたくさんある。消費者をダラク者あつかいして、食育でカタをつけようなんて、スジ違いではないか。」とか述べているね。

ザ大衆食「食育ナンダロアヤシゲ」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun05/syokuiku_asahi.htm

しかし、食育基本法第七条には、こうある。

(伝統的な食文化、環境と調和した生産等への配意及び農山漁村の活性化と食料自給率の向上への貢献)
第七条 食育は、我が国の伝統のある優れた食文化、地域の特性を生かした食生活、環境と調和のとれた食料の生産とその消費等に配意し、我が国の食料の需要及び供給の状況についての国民の理解を深めるとともに、食料の生産者と消費者との交流等を図ることにより、農山漁村の活性化と我が国の食料自給率の向上に資するよう、推進されなければならない。

これとほかの条項を見ると、消費者の生産者に対する理解や感謝を深めれば、「食料自給率の向上に資する」ことになるかのような文言である。

いま、誰が、どう農業を破壊してきたか、その根本を振り返ってみるのは、なかなかよいことじゃないかと思う。このことを、食育に際しては、子供たちに、よく教えておこう。

「日本では、政府の一部が他国と気脈を通じたり、有力経済人が農業そのものの追放を提唱したりする国家的分裂、危機感と危機感の衝突の中で、農業を豊かに生き生きと発展させる、将来にむけての明確な政策を今も政府は描き切れないでいる。」

これは、朝日新聞1982年7月から12月まで、毎週1回連載の特集「食糧」に加筆してまとめ、1983年6月朝日新聞社から発行された『食糧 何が起きているか』に書いてあることだ。

「政府の一部が他国と気脈を通じた」例とは。日本政府が市場開放第二弾の発表をアメリカに迫られていた時期であり、米通商代表ブロックからは、その発表に盛り込むべき品目について細かい要求(事実上は指示のようなものだ)があった。

その最後に、当時の鈴木首相に、その発表にあたり、「日本の姿勢、つまり「輸出は善、輸入は悪」という考え方の脱却を世界に向けて宣言するよう促したもので、英文の文案まで示してあった」というジケンなのだ。

これがジケンなのは、じつは、この宣言の文案は、日本の通産官僚が作成したもので、それを米通商代表ブロックの要求書に、そのまま使ったことから、バレるのだが、そういうジケン。かりに、そうでなくても、「米国の一閣僚が日本の首相をあごで使うに等しい」やり方だが。

「有力経済人が農業そのものの追放を提唱」は、当時の経団連の動きと発言が、そのままそうである。なかでも、これが、すごい。「ソニー名誉会長の井深大は、八二年三月十日東京で開いた「国際化に対応した農業問題懇談会」の席で、「農業はそっくり東南アジアへ移したらよい」とぶった。」

「「競争力を失ったものを国内に抱えておくことは国民的損失以外の何物でもない。計算すると、農家には農産物を作ってもらうより、カネを渡して遊んでいてもらった方がまだましだ。大体、農業と工業とでは、単位面積あたりの生産性で千五百倍の開きがある」と、井深はいうのである。」

ほんと、なんとまあ、すごいことを言うじゃありませんか。そして、トウゼン、「経済界の動向に自民党は敏感だ。」そして、その自民党を、ノーキョーを中心とする皆様方が日の丸の鉢巻をしめて、支持。

こうして、日本の農業が破壊された事実を、食育する必要があるだろう。

「農業を豊かに生き生きと発展させる、将来にむけての明確な政策を今も政府は描き切れないでいる。」

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銀座の「お味」に、ゾッ

kasuteraおとといの夜は、久しぶりに銀座で飲んだ。2、3年ぶりか? この前は、まだあった、マリオンの前のレバンテや食堂など戦後闇市時代の名残の一角が消え、工事壁で囲まれていた。

路地をはさんで反対の有楽町駅側、角にカレー屋がある一角は、そのままであり、有楽町駅の銀座口からマリオンの前にぬける、パチンコ屋の横のトンネルのようなアヤシゲな通路は健在だった。1965年ごろ銀座6丁目にあった会社に勤めていたときは、毎日その通路を利用していたから、そこを通ると懐かしく若い頃を思い出す。当時は、両側ともパチンコ屋で、まるでパチンコ屋のなかを通りぬけるかんじだった。

銀座で飲んだ店は、松屋の前にある「酒の穴」。銀座通りの店とはいえ、敷居の高さを感じさせる気取りはない。酒の種類が多く、いろいろな酒を吟味しながら飲んだ。そして、ウチに帰ったら、銀座文明堂の桐箱に入ったカステラがあった。なんだか、銀座の夜である。

しかし、なんとまあコケオドシの桐箱入り! 「特選 五三加壽天羅」という銘。なかには、製造職人の名前と朱印、検品職人食の人間国宝とやらの名前と朱印、宮内庁御用達が印刷された紙っぺら。なんだかなあ、食の人間国宝ってのは、こういうコケオドシをするんですかい。ま、宮内庁ってところが、こうなんでしょうなあ。こういう連中が、食育とかいって、偉そうにするんでしょうなあ。

ともあれ、中身、マズイ。たぶん、材料はよいのだろうし、ていねいに作っているのだろうが、味づくりがマズイ。甘味の使い方が、ヘタだね。以前、福岡で有名な宮内庁御用達の最上級という「たまご素麺」を食べたことがあるが、それと似たような味だ。一緒に食べたウヨクのオヤジと、天皇は、こんなマズイものをくっているのかと笑ったが。天皇は、こういう味が好きなのだろうか。甘いなあ。いかにも甘さだけを珍重したような味で、イヤハヤ。砂糖のカタマリを食べているようで、オゲッ。

だいたい、ウチには砂糖なんかなくて、日ごろ砂糖なんか、つかってない。こんなもの食べると、ほんと、ゾッとする。こんなものが「伝統」なんて、ゾッ。

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2006/01/27

農業の「民営化」

きのうの藤井さんのコメントは、「農業の民営化」についてふれている。「農業に民間企業が参入する中で、従来は農地の担保的価値を求めていた民間企業が、本格的に農業で利益を得ようとしている。後継者が減り続けている現実ですもの、農業を担う人間は農家でなくなりつつあるかもしれない。」

それで思い出したのだが、たしか、記憶で書くので間違いがあるかも知れないが、昨年の9月だったかに、民間企業の農業参入が可能になって、三井住友系だったか、とにかくどこか銀行系か商社系が投資、そのための法人を設立したはずだ。いま調べてみたけど、検索の仕方が悪いのか、みつからない。見つけたら、掲載しよう。とにかく、「民営化」、いわゆる「規制緩和」というやつであるね。

では、農業は公営だったのか? これがややこしい。農地はフツウの私有財産ではなく、農地委員会が所有を管理することで、土地は「公」が管理する状態だったといえるだろう。そして土地が「公」であれば、それに付属する農業も「公」であるといえないことはない。

民間資本の参加が可能になったということは、アメリカ資本の参加も、間接的にせよ可能というわけだ。かつて外国資本は、日本の不動産を所有できなかったが、いまでは実質できる。もちろん従来の日本の農業経営とはちがう、経営ノウハウとやらも、導入されるだろう。日本の農家が、そのマネをやって、失敗事例はたくさんあるようだが、民間企業がやれば、あるいは、うまくいくのだろうか。

後継者の育成については、地方公共団体によって、取り組みが、まったくちがってきた。その動きと、新たに参入する民間企業の農業経営が、後継者育成になるか。

以前、書いたかも知れないが。10数年前に、ある地方で農業組合法人をつくって農業経営をするタクラミで動いた。それがメインのプロジェクトではなかったが、プランニングを引き受けたプロジェクトの趣旨としても、農業経営はメリットがあることだったし、いちおう数十億のプロジェクトだったので、その少ない一部で動くことができるのだから、計画化した。というより、実際に動きが先にできて、農業組合法人設立はあとから追うカタチですすんだ。

その当時は、まだ農地委員会の権限が強かった。そこの承認か許可を得なければ、農業組合法人をつくり農業に参入することはできない。これが、かなり地域差がある。ようするに、農地委員会しだいなのだ。ま、ほとんどの地域では、余所者の参入は認められない。

地方へ行けば、士農工商がリッパに生きていて、農は「公」であり、役人と農家が、すごい威張っている地域だってあるのだ。ましてや「プランナー」なんていう、サギ師のような肩書では、罵声を浴びせられる。しかし、罵声を浴びながら生きてきた、土地もカネも学歴も何もない男は、そんなことは気にならない。罵声を浴びせて溜飲が下がるなら浴びせてくれ、だがね、モンダイは、そんなことじゃないんだぜ、と簡単にはあとに引かない。

プロジェクトのボスが、あそこはどうかねえ、という地域へ行って、下調べ。当時は、とくにオウムと疑われたり、まあ、怒鳴られたり警察を呼ばれそうになったり。

しかし、そういう地域や農家ばかりじゃないのだなあ。いるんだよなあ、新しい農業経営を追求しているひとが。因習姑息の地域もあれば、開放的な地域もある。ホント、個性いろいろ。で、ワレワレのプロジェクトはある地域に腰をすえて動き出した。

農地委員会との接触が比較的うまく進行したのは、おれもその地域に実質移住した状態だったし、また予定された資金の投資が実行されたら、完全に移住するつもりだったこともあるが。何度も、移住してくれますねと、町役場のひとに念を押された。

なにより先行して、農家と地元ローカルスーパーと組んで、双方にメリットのある取り引きが成立したことだ。これは、うれしかったね。それが比較的容易だったのは、金融優先の農協などあてにせずに、ちゃんとしたモノヅクリをやって自前で販売できる力を持った農家があって、こういうところは直取り引きにも経験をつんで理解がある、あと当時としては先進的だった宅急便を使った通販も好評だった。あれやこれやで、おれが夜中に山の中の事務所で仕事をしていると、コツコツ戸を叩き、仲間に入れてほしいといってくる農家のひとがいるぐらいだった。

でまあ、農業組合法人設立は、あとは資金だけのモンダイで、某銀行から、それが振り込まれれば、どどどどどっと動く……。しかし、アア、ここで、その資金を動かす本体のプロジェクトが、崩壊。つまり、わずかの差で、バブル崩壊前に資金を引き出せなかったのだね。そのことは、たしか前に書いたような気がする。ま、そういうこともあらあな。で、おれは一文無しに。

でも、そのときの生産と販売の仕組みは小規模ながら生きていて、いまでも機能している。つまり、やりようがあるのだ。ただし、イロイロなひとが、イロイロな立場から協力できる関係をつくらなくては無理だね。まだまだ士農工商の生産者の独善は、地方によって残存が強いし、消費者も、なんていうのかなあワガママっていうのか、まだ見た目だし広告だし、流通業者はローカル地域密着をまじめに取り組むとことそうでないとこの差は大きいし。でも、弱点をあげ罵り合っていても、よい方向は生まれないのだ。

民間企業の農業経営参入は、そういうお互いの「事情」などは無視した経営になるだろう。農家の農業ではない、消費者流通業者生産者が協力して農業をつくらないと、民間企業のノウハウが効果を発揮することになるだろう。

それにしても、これも前に書いたと思うが、どんな政策をとるにしても、過度にすすんだ東京一極集中が、すべての障害になりそうだ。けっきょく、荒野か。あれれれれれ。

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2006/01/26

地産地消の「地」とは、なにさ

報道によると、猪口少子化相が「食育担当」であるとのことだ。で、「関係閣僚と有識者による「食育推進基本計画検討会」は19日、国や地方自治体、地域などが一体となって食生活の大切さを伝えるための「食育推進基本計画」案をまとめた。」のだそうだ。

そのなかの一つは。「学校給食を使い、子どもが食事や農業などへの理解を深めることも重要だとした。そのため、現在は全国平均で21%にとどまっている学校給食への地場産物の使用割合を、10年度までに30%以上とする目標を掲げた。」

つまり、これが食育の「地産地消」というものなのだ。当ブログ1月13日に「「食品商業 2月号」 必然か おせっかいか 食育基本法」を紹介したが、この「食品商業」2月号でおれは「市場競争では輸入品と太刀打ちできないから、とりあえず「地産地消」を錦の御旗に学校給食で国産品の消化を図ろうという姿も見える」と書いた。それが、国の旗振りで行なわれようとしてる。

かつて、アメリカに押し付けられ、ありあまる小麦粉を学校給食に押し付けた。こんどは市場競争力のない国産品を学校給食に押し付け、消化を図ろうという。これが「食育」などと誇れることだろうか。大人のご都合主義にすぎないではないか。

ま、今日は、そのことじゃない。ここで気になるのは、この「地産地消」や「地場産物」とかいう場合の「地」なのだ。これは「地域」という概念だと思うが、その地域が、いかにも幕藩体制時代の「殿様地域」しか頭に無いのではないかと思われることだ。それ以外の地域は見えてこない。

しかし実体は、地域の概念は、どんどん変わっている。交通網通信網の発達で、地球全体が一つの地域になりつつある。その動きと「殿様地域」を地域としか考えない「地産地消」のあいだには、えらいギャップがあるわけだ。そのことなんだよな、モンダイは。

ということで、ここにオモシロイ、「地域的ヒーロー 地産地消を超えて」という記事がある。このあいだから気になっているのだが。とりあえず、ここに紹介。こういうぐあいに言葉の持つ自明性を超えて、政策を構想する力が必要なんだよなあ。

それなのに、あいかわらず「殿様地域」の発想で、どうするの。だいたいね、これまでだって、「有識者」による政策なんか、ろくなもんじゃかったから、おかしくなったのじゃないか。ひっこめ、有識者。

とにかく、偉そうな有識者より、若い藤井さんの方が、エライ! 当ブログにもリンクいただいている、「ほっと一息、藤井です」ブログ。の「地域的ヒーロー 地産地消を超えて」
http://d.hatena.ne.jp/yoshiyuki1ban/20060120#p1

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2006/01/25

市井文学から植草一秀著「ウエクサ・レポート」

拙著「ぶっかけめしの悦楽」を出版していただいた、元四谷ラウンドの社長・田中清行さんが倒産再起後の第二弾は、植草一秀さんの「ウエクサ・レポート」だ。吉本隆明著「中学生のための社会科」のあとは、植草一秀さんの本を出すと聞いて、ホウ~と思っていたが。本当に、やったのだ。これぐらいの根性を、もっと大きな出版社は見せてほしいよな。出版が文化ならばさ。

しかし、植草一秀さんのジケンも、おかしなジケンだ。こんどのホリエンモンも、おなじようなものか。

んで、あいかわらず、三菱とかJRとか、死者を出しても平気の巨悪は、のさばって健在なのだよな。もちろん、ヤラセのマスコミも健在。番組改ざん疑惑の、NHKも健在。これ、植草一秀さんの鏡ジケンやホリエンモン証券法違反より、大きなモンダイじゃないかい。

一方に、陰湿な暗闘、一方に、軽く楽しくワイワイ。最悪のワルは、これで安泰。ま、荒野だよなあ~、鼻歌。

とにかく、現物は読んでないけど、市井文学HPに植草一秀著「ウエクサ・レポート」の紹介があります。
http://www.shiseibungaku.com/#

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名酒センター「蔵元を利く会」に高千代の酒が

東京・港区の名酒センターの「蔵元を利く会」、今月は、故郷南魚沼の蔵元、高千代酒造の酒だ。高千代酒造は、当ブログにたびたび登場しているが、昨年12月は「巻機の水」などに書いたように、取材させてもらった。

蔵元を利く会は、1月28日(土)17時~20時。できたて、一般発売前の「巻機・無濾過生原酒」を飲める。うーむ、これは、この寒い時期ならではの酒だ。飲みたいなあ、残念だが、この日は予定があって行けない。都合のつく方、おすすめです。

予約、参加費が必要。詳しくは、こちら「名酒センター通信」ブログ
http://bimy.exblog.jp/2457485/

名酒センター
http://www.bimy.co.jp/

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日本料理の謎

ザ大衆食のサイトに「日本料理の謎」というページを、発作的につくった。とりあえず、「伝説編」として、当ブログの関係ありそうなタイトルをまとめ、リンク集をつくった。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/labo/nipon_ryouri.htm

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2006/01/24

遠太と高利貸とアソビ

きのうは、午後イチぐらいに酒の原稿を仕上げ、メール送り。OKの返事があったので昼風呂。これで12月の始めごろから始まった酒の原稿は、2本40枚ほど書いて、ほぼオワリ、あとは来週、写真とイラストに説明をつける作業だけ。

風呂から出て、先週月曜日、南陀楼綾繁さんの取材に同行し飲んだときになくした手帳は、遠太にあり、取りに行く。ついでにチューハイ2杯と燗1本。テレビでは、むかしニュースステーションに久米と出ていた女、名前ついに思い出せず。覚える必要もないが、その女が司会する、番組がホリエモン逮捕の速報をやっていた。興味なし。ホリエモンはよくやった、踊り踊らされた、マスコミ自民党財界投資家のほうが悪いだけ。ようするに、お互いに利用しあった結果にすぎない。きっと、どこかのミッションが動いたのだろう、あのていどの証券法違反なら、たいがいの上場会社は、たたけばホコリが出る。

往復の電車で、内田百閒さんの「百鬼園随筆」(新潮社出版)の「地獄の門」を読む。高利貸にカネを借りる話。こちらも違法行為を、法のアミをうまくくぐりぬけながら暴利をむさぼる連中の話。そして借りた借金を返せなくなったときの、その連中の動き。高利貸のカネの貸し方、書類、手口など、債権の譲渡取り立て方など、青木雄二さんの「ナニワ金融道」と同じだ。百閒さんの場合、そこに、トツゼン、貸主が死んだり、取立人の妻が死んだりと、アヤシイ雰囲気をもちこんでいるところが、独特の「芸」だな。

ガキのころ知っていた高利貸、コバヤシ鉄工のバアサンを思い出した。が、そのことは、またそのうちに書こう。

とにかく、モノヅクリもせずに、金を稼ぐのは、肉体労働的なライター稼業にしても、なにかしらのペテンでありサギがからんでいる。文化的な事業や仕事に関係して、違法をしてない連中は、ほとんどいないだろう。もしいても、道義的には、やってはいけないことをやっているか、たまたまその点に関して、法がアマイだけだ。

今朝、駅にあったリーフレットを持ってきたので見ていた。北浦和の埼玉県立近代美術館「木村直道+遊びの美術」の告知だ。おもしろそう、ぜひ行きたいと思いながら読んでいると、最後にこういう文言があった。

「今日では実用や利潤ばかりを重視するあまり、もともと無償の行為であった遊びすらも消費社会のシステムに大きくのみ込まれようとしています。」

こういう言い方多いんだよなあ。たぶん知識のある文化的な方が書いているんだろうが、まったくおかしいことを言う。実用や利潤ばかりを重視するのは、経済活動としてはアタリマエなんだよ。実用や利潤のために、法のアミをくぐるように法を利用するのものアタリマエ。資本主義とは、そういうものなのだ。これは「ナニワ金融道」の青木雄二さんも、強調していたこと。

「ばかりを重視するあまり」というが、「文化」や「遊び」のほうにモンダイはないのか。モンダイは、そういう実用や利潤にのみ込まれてしまう、文化や遊びのほうにあるのだ。ようするに簡単に消費社会のシステムにのみ込まれるていどのものでしかない文化や遊びが、たいしたことないんだよ。簡単に買われ、売り物になるようなものでしかない。そんなていどのものを、「文化」だの「遊び」だのといっているほうがマチガイなのだ。そういうことなのだ。

もっとしっかり文化や遊びをやれば、そうは簡単に、のみ込まれないのだよ。おれみたいにな。もっと毅然とすることだ。つまりもっと堕落することだ。

ようするにカネがほしい、有名になりたい、売れたいという、自分をえらそうに見せたい……などの根性があるのに、ないフリをする、そこに隙があるのさ。「アーチスト」や「ミュージシャン」や「作家」を名のりながら、すぐホリエモンにすりよっていく。そんなものさ。そしてホリエモンが逮捕されるや、テレビでホリエモンのおかしいところを言ってはばからない「アーチスト」や「ミュージシャン」や「作家」。そんなものさ。

実用や利潤ばかりを重視は、資本主義社会ではトウゼンなのだ。それに耐えうる文化や遊びの重視を自らのうちに構築することだ。甘ったれた根性で文章を書く仕事をするんじゃないぜ。

今日はリッパなことを書いた。

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2006/01/23

いよいよだ。初競馬は札幌だった。

いよいよ酒の原稿も最後をむかえようとしている。あと2、3枚。取材のテープを聴き、ビデオを見ていると、ほんと、真面目で誠実なモノヅクリって、生きにくい時代だと思う。しかも、田舎で、それ以外の生き方を知らない。でも、生きにくい生き方、それ以外の生き方を知らないということは、ときに悔しい思いをしても、満足の人生のようだ。という気がしないでもない。都会の頽廃、田舎の溜息。

初めて競馬場へ行き、馬券を買ったのは、夏の札幌競馬場だった。いきなり、競馬馬の骨折、薬殺送りという場面を見てしまった。馬券は、みなハズレ。ハズレ馬券を、ぶん投げるのも、なかなか気分のよいものだなと思った。そのあとの酒も、わざわざヤケ酒の気分を出してみると、なかなかよいものだなと思った。

当時は、競馬のダーティーイメージを払拭するオシゴトのため、北海道の馬産地から競馬場を見て歩いていた。札幌から特急で函館へ向うとき、同じボックスの前の席に座ったオヤジが横浜から札幌に競馬をやりに来た人で、夏の地方巡業の中央競馬を追いかけて歩いている。札幌で200万円スッて、こんなことは初めてだったので、あわてて家のものに送金してもらった。商売は中華料理屋。など、いろいろ話し込んだ。

おれは、函館から青函連絡船で、津軽海峡夏景色を見ながら、青森にわたり、ちょうどねぷたの終ったあとで、祭りの後の静けさといった感じの青森で飲み、青森グリーンホテルだったかな?に泊まり。翌日起きたら、このまま東京へもどって出社するのがイヤになり、もう一泊、そのあと仙台へ出て泊まり。仙台から、えーと、どのルートだったかな、とにかく次は酒田で泊まって、それから新潟市の親戚に泊まり、それから糸魚川に泊まり、それから大糸線で白馬で泊まり、もっとほかへも行ったな、それも一泊づつというわけじゃなく。とかやっているうちに、2週間ぐらいすぎ、その間ずっと無断不出社で、8月の末に出社したのだった。一週間ぐらいの出張で出かけたのに、一ヵ月の旅行だった。

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2006/01/22

暴走するは我にあり 2

けっきょくどういうことが起きているかというと、最近の正しい労働者営業マンは、賃金は上がらないし、売り上げ歩合もかんばしくない。で、株をやるんだよね。営業をテキトウにさぼって、株のほうに熱中するわけだ。もう株が気になってしかたない。一日中パチンコ台の前にいるように、パソコンや携帯をにらんでいる。すると、ますます売り上げ歩合を稼げない、その悪循環。これ、小泉竹中改革の結果。

この先は、どうなるでしょうか。損したら、会社のカネ使い込みとかでしょうかね。むかし、ありましたね、ギャンブルで身を持ち崩し、カッパライ、強盗、殺人。そこで、むかしは、競馬会などは、ダーティーイメージを払拭するキャンペーンをやったのですが。

ギャンブルな人生も、いいものです。

株は、むなしい。
馬なら、馬が美しい、走りが美しい、ロマンがある、賭けてみようかという気持になってもおかしくない。
ボートだって、そうだ。
競輪だって、そうだ。
株に、美しさがあるか。

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暴走するは我にあり

わからないタイトルだ。なにしろ、酒の原稿で暴走中だ。

きのうの吸うさんのコメント関係するのだが。むかしから、あったことだが。なんだか最近は、めちゃくちゃ。もうメディアを私物化しているとしか思えないような、評論家のたぐいとか。

あっ、どういうことかというと、自分がプロデュースしたりコンサルティングしている事業や商品を、これはオレの仕事ですと紹介するんじゃなくて、報道的というかジャーナル的というか評論的というか、そういう装いで紹介する。

そういう馴れ合い癒着、どこの業界でも平気になったね。●●テレビの●●は、おれのいうこと聞くよ、とかさ、●●新聞の●●には、おれのほうからこういう頼み方すると書いてくれるよ、とかさ。こうすると、週刊●●のアイツはよろこぶんだよね、とかさ。そういうことを自慢そうに話すやつ。捜査のためとかいってヤクザと仲良くし馴れ合う刑事みたいなの。

ま、評論家なんて、みなスポンサーつきで、スポンサーの有利になるようなことしか言わないし。とくに規制緩和とかで、大学の先生連中なんか、最近はヒドイもんじゃないの。もっと「評論家」に厳しくなろう!

ああ、おれもスポンサー、ほしい。あなたのために尽くします。

ホリエンモンを叩くなら、経団連の奥田と小泉にも、キッチリおとしまえつけさせるんだぞ、そこの腰抜け評論家。

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2006/01/21

たかが煮物で人生まで考える

ふう、半分、約10枚書いたぞ。資料や、録音テープやビデオで確認しながらだから、意外に時間がかかるなあ。最近はトシで根気が続かないし。気分転換。

先日、煮物をしたのだけど、いつも使うホーローの鍋、内側が白いやつ、それを使わないで、新しい内側になんだろ黒い加工してある厚手の鍋をつかった。

んで、ダシとって、醤油味をしようと、醤油を、いつも使っている、お玉に一杯入れた。いつもだと、それで色加減を見て、あとどれぐらい足すか決めるのだけど、ところが、鍋の内側が黒いから、色加減がわからないのだよ。あわてたねえ。手馴れたことなのに、そういうことがあるんだよなあ。

それで人生まで考えてしまったよ。おれはおなじ鍋で煮物をつくるようなことばかりしてこなかったか、って。ま、本当は、あんまり考えなかったけどね。煮物は、うまくできた。

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ゲロめしの行方へは

12月22日「はたして、ゲロめしの写真は?」で書いた週刊朝日の取材の結果は、来週発売の号に掲載の予定だったが、なんだかおれはほとんど興味のないジケンの連続で世間は大騒ぎしているから、そちらのネタが優先でふっとんでしまった。先のび掲載の可能性がなくはないが、これだけジケンが重なると、期待はできない。ま、めずらしいことじゃない。記者の方には、関心を持っていただいただけでも、ありがとう、だけど。

売れないがゆえにフリー、のライターのめぐりあわせって、だいたいこんなもん。おれなんか、ガキのころからそうだった。でも生きて、食っているんだなあ。酒も飲んでるぜ。あっ、食わせて飲ませてもらっているのか、どうも、ありがとう。

しかし、メディアは、どこもおなじようなジケンばかり追いかけて、ま、追いかけるのはいいけど、どうせ独自の突っ込みをやれるわけじゃなし、どこも上面なでて騒ぐだけ。それで楽しんでいる連中が多いのだから仕方ないね。荒野だからね。

荒野を暴走するワタクシは、せっせと酒の原稿を、着々、いま20枚分の5枚ぐらいは書いたか。イイ調子。予定どおり仕上がるだろう。と、余裕のブログ。

しかし、なんだね、おもしろいのは、なんてのかな、たとえば新聞でいうと「学芸部」「文化部」系とかは、それに「生活部」系も、おれの書いていることなんか、まったく無視なんだけど、社会部系とかはちがうんだよね。

いまの「学」とか「芸」とか「文」は、そのカタチになっていることが重要で、内容や社会性なんかどうでもよいわけだからね。だいたい、高尚なインテリ相手だしさ。クソクラエだよ。それに食育基本法ハンターイなんてやっていたら、生活系にも相手にされない。グルメを虚仮にしているから、エンターテイメント系にも相手にされない。

そういう学芸部だの文化部だの、その周辺の「評論家」だのを頼っている出版業界も情けないね。先がないのはトウゼンだね。ま、同じ趣味の仲間で自己満足泥船鍋を突いているようなもの。とか、書くと、ますます立場は悪くなる。

シゴトにもどろ。コツコツやるだけ。飲むときはガンガンだけど。シゴトはコツコツで、飲むのはガンガンだと、赤字だなあ。ま、成功したかったら、マスコミに逆らわないこと。マスコミのご意向を読みながら、ものを言うこと。

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2006/01/20

家事労働

今日が原稿締め切りの『食品商業』の連載、3月号のお題は「家事労働」だ。「家事」というのは、かなり日本独特の概念ではないかな、と思う。片方には「国事」という言葉があって、男は国事、女は家事という関係で成り立っていた概念だろう。

これで日本は、間に合わせてきた。つまり、国事と家事はあったが、生活は、なかった。おかしなことだが、そうだったのだ。

それは、「国体」が天皇にあった近代に関係するが、それはともかく、実際、いま、「家事とは」と聞かれたら、思いつくままに簡単に答えられるだろうが、「生活とは」と聞かれたら、家事とほとんど同義になるか、なかなかうまい答えがみつからないのではないだろうか。

だとしても、不思議ではない。日本の生活の歴史は、戦後に始まったのであり、戦前は家事に解消されていたのだ。そして、その家事は国事に服従するものでなければならなかった。

家事は生活にはちがいないが、生活のすべてではない。生活の一部の作業だ。そういうふうに戦後は自由に考えられるようになったが、家事に生活を解消する考えは、ある種の習慣や文化として定着していたから、そう簡単に変わるものではない。

かくて、家事は女がするものというリクツが、たびたび蒸し返される。食を、味覚と栄養に矮小化し、食通やグルメというと、とかく男が張り切り、女は栄養に頭を悩ます構造も、この歴史がもたらしたものだ。一貫して欠けているのは、生活なのだ。食い倒れを語っても、グルメを語っても、栄養を語っても、そこから生活は見えてこない、未来の生活を構想することはできない。

ということは、今回の原稿には、詳しく書かなかったが、ま、今日の締め切りに間に合わせて送り。はて、酒の原稿20枚に向うのだった。うへっ、月曜日までに20枚。売れないがゆえにフリー、のライターであるおれにとっては、このようにシゴトが重なるのは、まったくめずらしいことだ。おそらく、もう二度とないと思って、エンジン全開でやってしまおう。ブワワワワワワワ~

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2006/01/19

「コクがあるのにキレがある」という、お笑い

雑誌『談』編集長によるBlog「「コクがあるのにキレがある」というなぞ」を読んで、笑ってしまった。

ホント、このフレーズは、実体があるようでいて、じつにアイマイなわけわからん、いかにも日本語なのだ。

「コク」という単語にしても、『汁かけめし快食學』の「コクという日本人の証明」でも書いているが、日本的な観念の所産なのだ。だけど、これを観念的な表現、あるいは観念的味覚と思っているひとは少ないだろう。

「コク」は、なぜか、日本人にとっては具体的な味覚であり、具体的であれば観念的ではないとする、その具体的とは自分がわかった気になればよいのであるとする、これまた日本的な観念があって、ややこしいことになっているように思われる。どこをかきまわしても実体など出てこない。だから、「コクという日本人の証明」なのだね。

とにかくか、であるからか、そこでは、実体は、問われない。具体的と実体的とは違うのだということも、問われない。日本語と日本文学は、そのように便利であり、ワレワレ日本人は言葉と言葉で構築したイメージの洞窟のなかで、なにかわかった気で気分よくしていられるシアワセ。それが、「コクがあるのにキレがある」なのだ。

このモンダイは、たしか以前、『談』編集長の別の雑誌のオシゴトで放談し合い、記事になったものがあるような記憶があるが、さがしてみよう。

ま、とりあえず、これからもう一本、酒の原稿を書かなくてはならないのだが、なにしろ酒の話というのは、まさに「コクがあるのにキレがある」といった高次なナゾナゾの世界なので、バカの壁より言葉の壁や観念の壁をブチやぶるのに、苦労がいりますなあ。ああ、そんな苦労なんか、したくない。酒飲みたい。

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どっちも味噌汁

misosiruあらためて、こうやって並べてみると、ずいぶんちがう色だなあ。
左は、富津の「味はな」、右は、木更津の「とみ」。どっちも千葉県人の味噌汁だが。左の家族の子と、右の家族の子が結婚したら、どうなるか? ま、仲が良いうちはよいが、険悪になると味噌汁の色と味がモンダイになりかねないような。

はて、あの人は、どんな色の味噌汁を食べる人なのだろうかと考えてみても、ほとんど知らない。ミステリアス~

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2006/01/18

富津市金谷「味はな」と木更津市「大衆食堂とみ」

先日来話題にしている二つの食堂、写真だけだが、ザ大衆食のサイトに掲載した。

富津市金谷「味はな」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/ajihana.htm

木更津市「大衆食堂とみ」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/tomi.htm

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2006/01/17

豚太郎→遠太→豚太郎、いなかっこいいオムライス

「ナンダロウアヤシゲな日々」に書いてある、昨夜は南陀楼綾繁さんと、三河島の豚太郎→東日暮里の遠太というハシゴをした。ところが、綾繁さんと遠太の前でわかれ、三ノ輪から上野に出るため地下鉄に乗ったところで、ダウンジャケットの内ポケットに入れておいた手帳がないのに気づいた。

豚太郎と遠太で、それを脱いでいるから、そのとき落ちたのだろうと思い、ハテどちらかと考えてみると、豚太郎では、ジャケットが何度もイスから落ちて、投げ上げたりしていたから、そこでポケットからポロリといった可能性が高いと判断、上野から再び常磐線に乗り豚太郎へ。しかし手帳はなかった。ま、まだ始まったばかりの今年の小さな手帳だから、無くなっても困らない。ってことで、ついでに豚太郎に腰を落ち着けて飲んでしまった。見た目は近寄りがたい外観だが、オヤジも常連たちも気さくで、なんだか話がはずんだ。でも、なにをしゃべっていたか覚えていない。かなりディープな話だったような気がするから、酔って覚えていないとは、手帳無くすより、モッタイナイ。とにかく、安いし、いい店だ。

tomi_omuってことで、関係ないが、千葉県木更津市の「大衆食堂とみ」の、オムライス。このなかのめしには、カモボコが入っていた。それで思い出したが、むかしはヤキメシも、カマボコが入っていたな。チキンライスは高級品だったのだ。

なかにカモボコ。ディミグラスソースなどはつかわずに、ケチャップという。「大衆食堂とみ」のオムライスは、いなかっこいい!

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2006/01/16

いなかっこいい

「いなかっこいい」というのは、「田舎」と「かっこいい」をあわせた牧野伊三夫さん作の造語。今回の古墳貝塚をめぐる最中のクルマのなかで聴いていたロックだと思うが、そのよさが、なんとなく田舎くさいところがよいんだよね、ということから話がはずんで、牧野さんが発したのが「イナカッコイイんだよね」という言葉だった。それをある人は、大雑把のなかの繊細とも言った。

「洗練」「かっこいい」というと、イコール「都会風」が常識のようになっているが、雑のままの洗練、田舎くさいままの洗練があるのだ。それは、貝塚や古墳から発掘された、土器や装飾品を見てもそうだが、じつに見事な洗練や美感覚がみられ、しかし、いわゆる都会風とはマッタクちがう。ま、トウゼンといえばトウゼンで、貝塚や古墳のころには都会などはなかったのだ。ゼンブ田舎暮らしだったのだ。

紀元前の縄文期と紀元後の貝塚の時代とは、4千年から5千年ぐらいの間がある。最後に行った千葉市の加曾利貝塚は、紀元前4000年ごろの貝塚が、そのまま地表に露出していて、そこが公園と博物館になっている。歩く道路わきは貝のかけらだらけ。つまり6000年前ぐらいに人びとが生活していた地表を歩く。ってことだから、今回は、縄文中期紀元前4000年ごろ、紀元後数百年の古墳時代、そして紀元後2千年の現代を一緒に見てきたわけだ。おれの興味としては、トウゼン食生活で、出土品の多くは、それに関係している。

すると感じるのが、都会風とか都会的センスなんてのは、ごく新しい幻想にすぎないのだなあ、ということだ。とくに日本の場合は、文字や文学の歴史は新しく、しかも生活からの必要性ではなく、統一国家の支配の必要性から始まっている。つまり支配の中央である都会、その貴族から始まっている。それがまた貴族的な「都会風」を流行らせ、庶民的な田舎風を見下す風潮をつくったと思うが、そして洗練に対する誤解も広がった。

この都会風は、見た目のよさであり、内容がない希薄である、観念的である。貴族的で、生活くさくてはいけない。都会的な新しさだけをヨシとしてきた。その結果、鉄筋の足りない、だけど見た目はよいマンションを洗練させたりしたが、文学は鉄筋が入っていなくてもモンダイにならない。上辺の言葉づかい、文章がよいかどうか(都会的かどうか)の感覚的なモンダイで、是非が判断される。日本人独特の観念的な味覚の発達は、このことに関係ありそうだと思った。

ま、とにかく、「いなかっこいい」を、とらえなおしてみたいと思った。大衆食堂も「いなかっこいい」のだ。いやあ、しかし、木更津の大衆食堂とみは、ほんとイナカッコイイよ。大衆食堂とみのオバサン、味はなのオバサン、富津岬荘のオバサン、千葉の女性もイナカッコイイ。

これからは、「いなかっこいい」を評価の基準としよう。

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内房線浜金谷駅前「味はな」だけの「海藻とろろ野菜ラー飯」

ramesiきのうチョイと書いた、「味はな」だけにしかないと思われる汁かけめし「海藻とろろ野菜ラー飯」。名前の通り、「ラーメン」の麺を飯に変えたもの。だけど、それだけじゃない、海藻のトロミがあるのだ。これだけとりあえず紹介しよう。

店内の説明書きによると、味はなのご夫婦の開店当初からのまかないごはんをメニュー化したものだそうで、「中華丼とは違い、当店の特性和風ラーメンスープに荒布(アラメ)と呼ばれているトロミの出る海藻をいれ御飯と混ぜてお召し上がり下さい。お茶漬け、雑炊、おじやと味が変化します。片栗粉のトロミと違い海藻特有の海の香りがして混ぜるほどトロミが出て今までに味わった事のない美味しさだと思います」

この店は、「海藻ラーメン」が名物で。これはラーメンに、荒布(アラメ)を入れている。正確には荒布のワカメかメカブではないかと思われるが、これを数センチ角ぐらいの大きさの固まりに冷凍したものがのっている。食べているうちにそれが溶け混ざりトロミが出て、ラーメンがとても美味しくなる。野菜ラー飯は、麺のかわりに、野菜をタップリとめしを入れたものだと思えばよい。クッパの雰囲気にちかい。

おれは、ヅケ丼を頼んだので、これを食べてないが、食べたナカバンさんは、この説明書きにあるとおり、食べながら混ぜるにしたがい味が変化しトロミが出て、とてもおいしくなると言ってよろこんでいた。

エライ! 味はな。「海藻とろろ野菜ラー飯」この「ラー飯」ってのが、エライね。750円。

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2006/01/15

牧野伊三夫編集長『四月と十月』古墳部と、古墳貝塚大衆食三昧

tomi画家の牧野伊三夫さんが編集長の『四月と十月』の美術系同人グループには古墳部があり、そのみなさんほか総勢14名、房総の古墳貝塚めぐりをしてきた。ほとんどは20代30代、ジジイはおれだけ、北九州から参加のひともあり。

14日朝7時過ぎに家を出て、京急久里浜駅集合、クルマに分乗して、フェリーで金谷。金谷神社を見て、金谷駅前の大衆食堂「味はな」で昼食。ここにしかないと思われる素晴しい汁かけめし料理があった。

のち風雨が強まるなか、富津の弁天山古墳へ。富津岬荘に泊まり。横殴りの雨と雷のなか露天風呂に入り、宴会、夜中3時ごろまで飲みまくり泥酔記憶喪失。

今朝、よい目覚め。朝風呂に入りめしくって出発。晴れ。富津岬で遊んでから、木更津の金鈴塚古墳の遺物保存館と金鈴塚。のち、ザ大衆食「入ってみたい大衆食堂」にリンクがある、「大衆食堂とみ」へ。いい食堂で、めしをガツンとくって、千葉の加曾利貝塚博物館へ。で、解散。

古墳貝塚のこと、シッカリ学習した。二つのイイ大衆食堂に入れたし、十分に飲み食いしたし、いいベンキョウになったし、すごい濃厚大満足な二日間だった。

うう、しかし、疲れた~。若い連中は元気だなあ。
詳しくは、「味はな」と「とみ」のレポートと一緒に、近日中にザ大衆食に掲載するつもり。

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2006/01/13

「食品商業 2月号」 必然か おせっかいか 食育基本法

15日発売の「食品商業」2月号が届いた。連載「食のこころ こころの食」、今回のテーマは、「必然か おせっかいか 食育基本法」。

今回から、執筆者3人が揃った。ので、誌面に掲載されているプロフィールを紹介しよう。

清水信次さん
1926年4月三重県津市生まれ。43年12月、大阪貿易学校卒業。45年9月、清水商店設立。56年9月、㈱ライフコーポレーション設立、代表取締役社長に就任。88年、代表取締役会長兼社長に就任。99年7月、日本スーパーマーケット協会初代会長に就任(現任)。

渡辺征治さん
1965年宮城県石巻市生まれ、現住。フリーライター兼米農家。仙台でコピーライターを勤めた後、ルポに転向、代々のコメ作りも手伝う。自然と農村漁業、そのまわりの衣食住を主題に、月刊『家の光』(JAグループ家の光協会)、季刊『住む。』(農文協)等に執筆。

そして、おれ。

おっ、「連載 激論エッセイ」とな。うーむ、なかなか、こういう顔ぶれで、同じテーマについて書くって、おもしろいねえ。それぞれ思ったとおりに書いているから、違いが出ているし、そして、食に向き合うものとして、やはりどこかに共通する問題意識があって……、いいねえ。

清水さんの見出しは、「世の乱れの根底に食の乱れ、食育にこそ喜びを見出そう。」
渡辺さんの見出しは、「読めば「それで?」なのだけど法制で動くものもある、か。」
おれの見出しは、「政策が生んだゆがみを「心の問題」にすりかえるな。」

どこか、本屋で見つけて、読んでくれ。


ライフコーポレーションのHP
http://www.lifecorp.jp/

渡辺征治さんのHP「ストリームバンク~北上川の畔から」ブログもあるよ
http://www.streambank.info/

ついでに参考、ザ大衆食「食育ナンダロアヤシゲ」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun05/syokuiku_asahi.htm

しかし、なんだね、「大衆食」だの「大衆食堂」だの言っていると、なんとなく食育大賛成!っという雰囲気でな、むかしながらの大衆食堂こそ、いまこそ食育ですよ、とか言っていると、食育はよいビジネスチャンスで、実際おれのまわりじゃ儲けているやつがいるけど、こうもあからさまに異議を唱えていたのでは仕事が来ないね。でも、もっとなんだね、この『食品商業』のように反対も含めて議論にしなくては、食育も深まらないでしょう。

批判する精神、される精神から、未来が生れる。なんてね。

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2006/01/12

酒飲み川柳大募集!!だって

「酒とつまみ」が、酒飲み川柳大募集しているぞ。
http://blog.livedoor.jp/saketsuma/archives/50323530.html

ガンガン、応募してちょうだいよ。おれは、応募じゃないけど、お手本となる秀作を、酒とつまみホームページの掲示板に書き込んできたよ。もちろん酔っている! がははははは。おい、酔っぱらいたち、酔ったら川柳つくれよ。

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未成年者飲酒禁止の歴史そして柳田國男

よく調べ、よく検討を加え、よく思考された本といえば、うふふふ、拙著『汁かけめし快食學』ばかりじゃない。青木隆浩著『近代酒造業の地域的展開』(吉川弘文館、2003年)のなかの、「第三章 飲酒規範と未成年者飲酒禁止法の制定」を読んだだけだが、これは、なかなか、なかなか、いやあ素晴しい。奥付によると、青木さんは1970年生まれ。やはり、なんだね、これまでは、イイカゲンな口からでまかせの学者や書き手が多かったが(とくに飲食系に多いような気がする)、だんだん素晴しい人が出てくるね。

いまは誰もがアタリマエと思っている、未成年者の飲酒禁止、あれはいつごろどう生れたか、根拠のあることなのか、あるいはどういう根拠にもとづいているのか。

ナニゴトも時代と歴史の産物であるように、飲酒もそうであり、未成年者の飲酒禁止の根拠など、普遍的には存在しない。では、ワレワレ現代に生きる者にとって、飲酒とはなんじゃらホイ。近代の酒造業、酒税法の成り立ちや飲酒をめぐるアレコレ、健康、禁酒運動、家父長制など、あるいは飲酒の「伝統」の真相、飲酒のコンニチを明らかにする。

柳田國男の著作からフンダンに引用があり。すっかり忘れていたが、柳田國男さんは『明治大正史 世相篇』で「酒」について書いていた。手元にある講談社学術文庫版では、第7章が「酒」で、「酒を要する社交」「酒屋の酒」「濁酒地獄」「酒無し日」「酒と女性」といったぐあいだ。禁酒運動が盛んだったころ、柳田國男は、何を訴えたかったのだろうか。

ってことで、柳田國男さんについて考えることにもなる。俗にいわれる「柳田学」なるものは何か、「経済史学者の藤井隆至は、柳田学が生活苦を解決するための学問であり、『明治大正史 世相篇』を社会政策学の書と正しく位置づけながらも、第7章「酒」の章を「交際論」と解釈するにとどまった」と。「柳田学」を化石のように言う人がいるが、そして化石化する脳みそもあったとは思うが、柳田國男は、まだまだオモシロイ。

とくにおれのような非長男系家系の田舎者にとっては、柳田國男が、生まれながら背負った、つまり田舎の次三男坊が背負った「宿命」から発するメッセージは、コンニチでも生きている。ようするに、日本は、まだ依然として、「長男文化国家」なのだ。ま、家父長制が崩壊して、まだ半世紀かそこらだから仕方ないが、その残滓弊害が自覚されてないから、モンダイなのだな。

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2006/01/11

お茶づけ海苔 永谷園創業者死去

報道によると、永谷園創業者の永谷嘉男氏が、昨年12月28日に死去されていたそうだ。82歳、意外に若かったのだなあという印象を持った。というのも、永谷園の「お茶漬け海苔」といえば、高校生のころから、ときどきやっかいになって、ま、いまでもときどき買い置きしておくのだが、むかしからの古いツキアイだからねえ。

創業者が生きておられたのにもオドロイタが。ってことは、お茶づけ海苔の発売が、1952年のことだそうだから、創業者が29歳のときということになるか。お茶づけ海苔は、当時としては先進の乾燥技術をつかった、インスタント食品のハシリだったのだし、創業者は、まさに若いベンチャーだったのだな。

永谷園のお茶漬け海苔は、歌舞伎絵の包装の高級品だった。高校生のとき、丸美屋の「のりたま」が発売になって、こちらは普及品というかんじの割安感があった。どちらもやっかいになっていたが、のりたまのほうは、オトナになってからは、あまり食べた記憶がない。

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東京農大で小泉武夫さん

きのう。取材で、アルシーブ社佐藤真さんと経堂にある東京農業大学へ、小泉武夫さんと会った。なにしろ酒の話だから、こちらも嫌いじゃない。ワア~と盛り上がり、なぜか、スゴイものをもらってしまった。

0110小泉さんお薦めの一本である、琉球泡盛・八重泉(沖縄県石垣市)。それから、めずらしい、というか初めて、清酒粕でつくったカストリ焼酎の古酒、鏡花水月(松本市岩波酒造)桐の箱入り1985年もの。さらに、ダシによいというハブの皮の干物。いやあ、ほんと、どうしてこんなにもらってしまったんだろう。うれしいね。また小泉さんに会いに行きたい!

夜は経堂の太田尻家でデートの約束があったので、このいただいた酒を持って、渋谷のアルシーブ社へ。かなり久しぶりに会ったオオシロさん、アンドウさん佐藤さんと、さっそく飲む。八重泉は、43度、これをストレートで、水もツマミもナシで飲む。うーむ、うまい、きく。すっかり、いい気持になり、また経堂にもどる。

さらにまた、太田尻家で飲む。

泡盛がきいたのか、今朝は、めずらしく、胃がやけたかんじが残っている。

取材の様子は、雑誌『談』編集長によるBlogに。
http://dan21.livedoor.biz/archives/50297775.html

小泉武夫さんの肩書。東京農業大学教授。農学博士。応用生物科学部 醸造科学科 発酵生産科学研究室。

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2006/01/10

ほんと、「癒し」はアブナイよ

かつて『ターニング・ポイント  科学と経済・社会、心と身体、フェミニズムの将来』(フリッチョフ・カプラ著 、吉福伸逸(ほか)訳、工作舎、1984年)という部厚い本を読んだあたりから、ちょいと、そのケにはまっていった。

「はまった」といっても、なんでも、とりあえず、本だけじゃなく「現場」をみる「やってみる」という体験主義で行動するのでありまして、それから1990年前後、どんどん、やりましたな。「ホリスティック」にも首をつっこみましたな。「癒し」もちろん。

で、けっきょく、はまらなかった。90年代「癒し」がブームになっていくころには、オサラバしていた。そして、「気どるな、力強くめしをくえ」が生れた。

「知のWebマガジンen」の「癒しが危ない 野村一夫」は、おれが体験して感じたこと、「癒し」をめぐることばや概念のカラクリを、うまく書いている。
http://web-en.com/

そこにも書いてあるように、高学歴の人や、本を書くような「知的」な人、マジメな人が、この流れに棹をさしやすい。オウムや新興宗教などに見られるが、もはや、そういう特別の集団や組織のことではなく、どんどん雪崩をうったように、「癒し」な概念にはまっている、ほんと、アブナイ。

健康、美女、「美しい」「可愛い」に甘い。そういう風潮。アブナイ。
女性に受けようなんてのも、アブナイね。
美酒もアブナイね。アブナイ、アブナイ。

タバコは吸わないがネコやイヌは好きである。アブナイ。
最近、「感謝」や「深謝」という言葉をつかうようになった。アブナイ。
最近、「自己発見」や「自分さがし」や「自己表現」や「自分のことば」を意識するようになった。アブナイ。
「人間らしさ」より「自分らしさ」を意識する。アブナイ。
政治界や芸能界のウラ話が好き。アブナイ。

ハーブや香、サプリメントや健康飲料などに抵抗がない。アブナイ。
健康は考えるが幸せは考えなくなった。アブナイ。
ひとの弱点が許せない、嫌いになる。アブナイ。
農業にあこがれる。アブナイ。
精神的なことにあこがれる(プラトニック、ストイック、純情、純愛、純粋)。アブナイ。

えーと。忘れた。

はまらないためには。

ようするに、批判精神を失わない。批判される精神を失わない。
つねに根拠を求める。
わからないことが多くてもヨシとする。
生老病死に逆らうような健康は望まない。
ひとから聞いたり、本で読んだりしたことは、大事にしない。
体験、直接知りえたことから出発する。
孤独を苦にしない、ヨシとする。

酒を飲み泥酔する。

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2006/01/09

カゴにのらない、カゴもかつがない

きのうはブリのあらが大量に安かったので、ブリ大根のつもりだったのが、途中でブリ鍋に方向がかわり、とにかく、今朝まで残るほどあった。そこで今朝は9時ごろから、これを温めツマミとし、酒のチビチビ飲み、うつらうつら低酔しながら思考する。

きのうの栗原議員は70歳すぎらしい。おれより年寄りだから許されるというものではないが。ようするに、世の中は、かごにのる人、かつぐ人、そのまたわらじをつくる人というオハナシがあるらしく、たしか、松下幸之助さんのオハナシにも、そういう話があった。そういうふうに世の中や人を決めてかかっていた時代があったし、いまでも、そういう考えが通用する。この栗原議員のばあいが、そうだ。「スーザン・ジョージ女史のお話」が、こんなふうに利用されてしまうというのが、笑えるね。

ラグビーは好きなスポーツだ。サッカーは見るだけ、ラグビーは、お遊びていどだったが草試合をするていどには、ちょとやった。いまでも、野球のキャッチボールよりは、ラグビーボールのパスのほうがうまくやれるだろう。最初はパスの練習から入って、一応すべてのポジションを練習し、連携やサインのプレイを覚えてとかして。それほど詳しい知識はないが。

ラグビーやサッカーは、球を中心に攻守の状況がドンドンかわる。自分のポジションは決まっていても、時々の役回りは変わる。ま、たとえば、自分はフォワードだから、バックスのシゴトはしなくてもよいというわけにはいかない。誰でも、球を持ったら、走る。走りながら、ゲームの組み立てを考え、そのまま走り続けるか、パスするなり、ラックやモールに持ち込む。ほかの連中も、この球をもっているやつは、いったいどうするつもりなのか考えながら、といっても瞬間的な判断だけど、動く。

もちろんチームとしての、やりようというのはあるし、ゲームを組み立てる主役はいるのだけど、とくに草試合などは、テキトウにあいているところに参加させてもらっていることが多いから、そんなことはよくわからない。球を持ったら、声をかけ、自分でゲームを組み立てちゃう。それがオモシロイのだなあ。ほかのやつが球を持った場合でも、そいつがパスしてきそうなところへ、うまく移動できて、ピッタリのタイミングでパスを受けたときの快感なども、なかなかよい。

とにかく、誰か特定のひとがゲームを組み立て、それに従って動いていればよいということではない。ゲームを組み立てる主役はいるのだけど、つねに自分の頭の中でゲームを組み立てていないと、球が動くたびに複雑かつスピーディーに状況が変わるのにあわせてプレイできない。リクツとしては、そんなかんじでプレイをしていた。カゴをかつぐひと、のるひと、といった関係では、うまくやれないし、おもしろくならない。

複雑な社会においては、そういうことじゃないだろうか。原稿を締め切りまでに書くのも、約束ごとだからというのではなく、あるいは原稿を頼む人と書く人ということではなくて、一緒にゲームをつくる関係で、うまいタイミングでスパッとパスを通す感覚でやりたいものだなあ。でも、そのためには、主体の力量ってのが必要だし。力量は不足でも、原稿にむかってからではなく、いつも原稿を書いている感覚、いつも球が来なくてもゲームの組み立てを考えている感覚があれば、ちったあ違うような気もするが……。酒飲みながら、

って、ああ、心地よい酔いで何を書いているのやら。ま、ようするに、この話しは、誰が料理をするか、どう食べるか、この複雑化するめんどうな社会で食生活をどう構想するかということに関係し、それがいま書こうとしている原稿のテーマにも関係するもんでね。

「家事の分担」という意識を、社会でも家庭でも、どう捨てるかだな。それは、主体を中心とした生活を、どうつくるかということでもあるだろうな。

うちは、あまり分担意識がないと思うのだが、いいことばかりとは限らない。いま野菜が高いものだから、それぞれが安いのを見つけるとすぐ買ってしまうから、冷蔵庫のなかに入りきらない野菜になって、これを食べきらなくてはならない、めんどうなことになっている。ま、単なる貧乏性なのかも知れないが。てなことを考えたりした、朝酒でしたとさ。

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2006/01/08

奇怪「学校給食に弁当の日を設けることについて」

きのう学校給食のことについて、チョイと書いた。

はてなで、「決議「学校給食に弁当の日を設けることについて」 の議事録」を掲載している方がいる。
http://d.hatena.ne.jp/washimiya2005/
ここにたどりついたのは、どなたかのブログのリンクだったと思うが、すみません、どなたのブログからだったか、わからなくなりました。

これは、埼玉県北葛飾郡鷲宮町議会の決議だが。まったく、おどろいた手続きであり、決議だ。

なかでも、12月29日に掲載の「栗原議員による説明」は、きのう書いた稚拙の見本のようなものだ。

栗原議員は、「それは、最近の子供たちを取り巻く社会情勢の中で、父親をその子供が殺したり、自分の腹を痛めた若い女性が我が子をどぶに捨てたり、あやめたりする状況を聞くにつけ、一人の人間として、また町教育行政の一端を担う議員として責任を感じ、今自分のできることを将来を担う子供のために行動を起こすことが賢明と理解しております。これまでの社会状況を見ても、子供が父親を刺したり、母親が子供をどぶに捨てたりすることは見られませんでした。今、なぜこのような現象が起こるのでしょうか。戦後60年の歴史の中で考えられない、理解できない事態がなぜ起きているのでしょうか。考えてみましょう。」と、そういう社会状況の原因は、「アメリカは日本に対して6・3・3制を内容とする教育改革と、学校給食の制度的定着をもたらしました。その結果、65歳代までのほとんどの日本人が給食世代として、好みも心も変えられた人々となりました。」ことにあるというのである。

この議員は、何歳か知らないが、給食を食べて成長した連中は、みな「好みも心も変えられた人々」オカシイ人々だと思っているらしい。ああ、おれは給食じゃなくてよかった。だから、コイツのデタラメはわかるぞ。

こういう短絡した考えは、ときどき見かける。「町教育行政の一端を担う議員として責任を感じ」なんて言っているが、なんでもかんでも、アメリカ占領の責任にするという、典型的な無責任日本人の姿だろう。こういう無責任が日本をダメにし、いままたダメにしようとしているのだ。

たとえば、こういう社会状況、つまり大人の「児童虐待」は、アメリカに占領された日本だけの現象ではなく、それは先進国に見受けられる現象としてモンダイになっている。たとえば、これは東京新聞12月27日の記事にあった、「安定した三世代同居の家庭が減り、複雑な現代社会の中で地域や親族から切り離された大人が増え、ストレスのはけ口として子どもに八つ当たりするケースが増加」していることが報告されているが、周知のことなのだ。この議員は、そういう報告すら見てないのだろうか。複雑化する現代社会とストレスや犯罪の関係について、まったく知識がないのだろうか。

とにかく、まず「給食廃止」ありきの、稚拙の見本のようなものだ。

もっとおどろいたことに、「自分の腹を痛めた子供に対し母親がどう対応するかは、母親の責任であります」と弁当を持たせるのは、母親の責任であるとし、しかも食事の選択は「自己責任」であると、クルマの選択と同列に論じているのだ。なんというコジツケだろう。いいのか、母親たち、いいのか親たち、こんなこと言わせておいて。

ほか、こいつバカじゃないかと頭が怒りでブルブルとくるほど、おかしいことだらけ。こんなに怒り心頭で文章を書いていることなんて、ちかごろめずらしい。怒っているぞ、怒っているぞ。

とにかく、きのう書いたように、ここには、「子どものため」と言いながら、未来への希望ある食生活の構想がなにもない。大人の議員の都合で、学校給食費を削りたいだけなのだ。これ以上書いていると、頭が爆発しそうなので、これまで。

もっと「食生活とは」について考えなくてはなあ。まったく、食料品にまで消費税をかける人頭税思想のために、食生活とクルマの区別すらつかなくなっている。食料品に消費税をかけられ平然としていられる病理を改めるほうが先だよ。

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知的な文芸的な、「実業」や「現業」に対する偏見か?

『食品商業』1月号から連載が始まって、この15日には2月号が発売、20日には3月号の原稿の締め切り。

『食品商業』という雑誌を知らない人が、たくさんいる。おれの古いツキアイの人だと、ほとんど知っているか、商業界で出している雑誌だよというと「ああ商業界ね」とわかる。ま、ようするに業界誌あるいは専門誌であるから、それはトウゼンなのだろう。

しかし、オモシロイのは、商業界の雑誌を読んでいるか知っているひとには、たとえば『文學界』や『群像』や『新潮』や、あと何かな、『芸術新潮』とか『美術手帖』? 音楽雑誌、散歩雑誌、オシャレ雑誌、ま、とにかくそういう文化的文芸的芸術的?……非実業的非現業的な業界誌や専門誌を知っているか読んでいる割合は高いが、その逆は、ほとんどナイ。おれが「ライター」という肩書をつかいだした近年に知り合った、わりと下世話に詳しいベテラン編集者でも、商業界を知らないひとが多い。

おれのまわりのことだけど。

いったい、「リアリティ」や「知識」とは、なんなのだろうか。

交通や郵便や、現業関係が、どんどん簡単に「民営化」されるのは、そういう「文化的」背景があるのかも知れない。実業や現業、そこで働く労働者に対する偏見は、意外に根強いように思うのだった。

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2006/01/07

「改める」のか「よく改める」のか

けっきょく、浅草へは、行かなかった。あれこれソレコレ、用があって大宮へ行き、ついでに「いづみや」に寄ろうと思っていたのに、それもできず。

おれは、前にも、それらしきことをチョイと書いたが、学校給食は改めたほうがよいという考えを持っている。それは、なるべく無くす方向ということになると思うが、しかし直線的に無くすのがよいかどうかのモンダイではなく、よりよい食生活のスタンダードを構想するなかで、無くすかどうかを決めるべきだろうと思っている。つまり、それを構想すれば、おのずと無用の方向が出てくるという考えだ。

しかし、近頃の「給食廃止論」は、まず最初に「廃止」ありきなのだ。それが制度の改革であるという前提だ。それは、ようするに「民」から税金をとりながら「民」にかけるカネは削りたいということにすぎない。そこには、なんの想像力も創造力も、構想もない。じつに稚拙な政策であり、ようするに、イロイロなリクツをつけての丸投げなのだ。だから、なんでもいい廃止のためのリクツを並べ立てる。日本の政治家や役人や御用知識人、お得意の、ご都合主義だ。市民に自己責任を押し付けるだけ。コレ、「小さな政府」を主張する小泉改革の特徴というか、いま改革をいうものたちの特徴だ。

切り捨てることなど、誰にでもできる。モンダイは、食生活を、どうよくするかの構想を持って、給食をやめるかどうかなのだ。「大きな政府」だって「小さな政府」だって、税金を払っているのは市民なのだから、市民生活がよりよくなるようにカネがつかわれるよう考えるのがカンジンだろう。

ま、ついでに、どうせ流れは決まっているのだけど、「憲法改正」モンダイについても同じことがいえる。おれは学校給食を改めるように、憲法も改めたほうがよいと思っている。でも、ちかごろの「憲法改正」の主張は、あまりにも稚拙で、とてもこの連中と「改正」を主張したいとは思わない。いまの憲法を徹底するほうが、まだマシだ。

国民投票法だっけ? あれは、このすぐの通常国会じゃなかったかな。そして、そのあと数年後には「憲法改正」、これは既定の路線だろう。そこに、どんな未来が構想されているのだろうか。いまのところ戦争ヤル気しか見えない。あるいは、アメリカに従い威をかり、中国と韓国・朝鮮に威張れる「強い」日本か。何を妄想しようが勝手にどうぞだが、しょせん「憲法改正」は、アメリカの政策や制度と整合性をとるだけで終わるのさ。そして日本の首相は、アメリカの知事以下になるのだ。いまでも似たようなものだが、もっとその統治が「有機的結合」状態になるってことかな。

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2006/01/06

南魚沼コシヒカリは雪の下の雪まつりにはなぎら健壱も登場

h18好評のザ大衆食「稲刈り寸前 魚沼コシヒカリ風景 in 南魚沼」に掲載の、同級生クボシュンさん撮影の写真だが、ほぼ同じ位置から元旦に撮影した写真が届いた。クリック地獄で写真拡大。秋の実りの風景と雪景色を比べてみてくださいよ。

すでにマスコミが報道のとおり、この冬の新潟は大雪だ。いまからふりかえると南魚沼地方は、おれが訪問し12月13日「高千代酒造へ」に載せた雪景色写真のころから、ずっと降っているのだ。

しかし、たまたま元旦は晴れで、クボシュンさんは眺望絶佳の坂戸山へ登り、この写真を撮って送ってくれた。写真中央の川は魚野川、左奥は、苗場山。

この雪のおかげで、いい水、いい米、いい酒があると言っても、いくらなんでも降りすぎ。でも、おれがガキのころは、だいたいこんな感じで、小学生のころは電線をまたいで学校へ通った。

いまは、これだけ降っても自動車の通行が可能だが、むかしは半年は雪の下。生魚なんかないから食えなかったよ。大根と野沢菜の漬物が主菜。

たのしみといえば、日々の酒(だからみな大酒飲みになる)と、2月の神社の祭。この祭は、「さいの神」というやつで、一晩中神社の境内でかがり火が燃え、餅まきがあって、大変混雑した。それが、だんだん発展し、おれが高校を卒業し上京する1962年ごろには、町中で取り組む「六日町雪まつり」に。そして平成大合併で「南魚沼市雪まつり」になった。いまでは、冬でも刺身は食えるし、六日町の大衆食堂的蕎麦屋の万盛庵じゃ、春の山菜の冷凍したやつを、ほとんど春の味と香りで食べられる。

ってことで、今年は、南魚沼市になってからの初めて雪まつりで、地元じゃ張り切っているようだ。2月11日(土)12日(日)、プログラムを見たら、両日のメイン会場には、なぎら健壱さんも登場する。ってことは、六日町に泊まるのだな。

札幌の雪まつりのような華々しさはないが、札幌より雪深く、まさに「雪国」という風情のなかの雪まつりは、今年のように雪が多いほど、また一段と味わい深いだろう。雪のないところにいると、大雪で大変だろうと思うが、土地の人間は大雪に驚きこそすれ「やっぱ雪がないと雪国じゃねえて」というかんじで、アンガイ平気で元気なのだ。おれも地元で暮しているときは、そうだった。雪の中でこそ、雪国の人情は濃くなる。

ま、一度は、この大雪のなかの祭を体験することをオススメします。町中に温泉はあるし、きのこがタップリ入ったあったかいけんちん汁や野沢菜漬で地酒を飲むなんて、サイコーだて!

東京からだと2時間弱で着ける。上越線が動かなくても、新幹線で越後湯沢駅に着けば、バスで移動できる。祭専用のバスも動くらしい。新幹線つかえば日帰りでも十分たのしめるよ。

ああ、書いているうちに、いますぐ行って、温泉に入って、うめえ酒を飲みたくなった。

南魚沼市六日町観光協会のサイト。クボシュンさんが撮った、おなじ写真が載っている。
http://www.yukiguni.ne.jp/mkanko/

雪と「闘う?」、万盛庵の萬ちゃんのブログ
http://www.doblog.com/weblog/myblog/38673

おらとこの方言も勝手に登録されている、ゆきぐにネット
http://www.yukiguni.ne.jp/

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2006/01/05

悩める膳と盆とランチョンマット

前から悩んでいることがある。考えても、わからない。このことについて、うまく書く方法がみつからない。その原因は、日本料理のモンダイであろうが、その深部は日本語と日本文学のモンダイのような気もする。

とにかく悩みだけを書いておこう。

以前、ザ大衆食のサイトで「あなたも評論家」ということで、「ニッポンのめし考 写真を見て」を掲載した。そして、二枚の写真について、はくぶんさんとすーさんからいただいた、ご意見というかコメントを紹介し、そのままになっている。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/hon/meshi_kou1.htm

この二枚の写真で、おれがイチバン気になっていたのは、写真左、小学校の給食には、ランチョンマットがわりと思われる紙の上に食事がセットされ、一方、写真右、ホテル宮又の朝食は、お盆のうえに食事がセットされていることなのだ。

モンダイは、それがナゼ気になるのか、うまく表現できないことなのだが……。これは、ゼッタイ、日本の食事文化に関わるオモシロイことなのだということまでは、ひらめいている。

同じような例を、あげよう。

一つは、ザ大衆食の「リンクの花園」からリンクしている、アメリカ留学中の澤田さんのサイト「たべ~素人による料理入門」だ。

この「お品書き」のページを見てみよう。
http://www.geocities.co.jp/Foodpia/2192/oshinagaki.htm
その写真だが、「どんぶり物」と「和定食」だけは、お盆にセットして撮影している。おそらく、食べるときも、お盆にのせた状態で食べているのだろう。これは、日本を離れることによって、より日本の伝統が意識された、ということになるのだろうか。そうとも考えられる。わからない。

それでは、もう一例。ときどき拝見している、みそがいさんという方がやっとられるのかな?「みそがいの防戦一方」というブログには、「今日の晩飯」が載っていて、とても教えられることが多いのだが、その写真では、どんな食事であろうとランチョンマットにセットされている。ついでにいえば、何枚ランチョンマットをもっているのか数えたことはないが、ランチョンマットをよく取り替えて撮影している。楽しい食事だ。
http://misogai.way-nifty.com/

おもしろいんだなあ。

なんだ、そりゃ、お盆があるかないかだけの違いじゃないか、と、見てしまうと、日本文化の話にはならないでおわってしまうのだが。お盆があるかないかだけのことじゃないと思うね。

というのは、ここに「膳」という言葉を置いてみると、オモシロイと思う。

「膳」という言葉をおくと、ランチョンマットにセットされた食事も、お盆にセットされた食事も、おなじ「膳」なのであると、説明がつく。盆は道具で、膳も盆と同じ意味で使われることもあるが、膳は様式を指す言葉でもあるからだ。

ザ大衆食「「定食定義研究」の研究」にも書いたように、「膳」や「御膳」は、たぶん近代になってから普及した意味アイマイな「定食」という言葉にとってかわられたことで、ますますその様式としての意味が失われていったのかも知れない。

ランチョンマットは、モノとしては伝来のものである、と考えてよいだろう。そして、失われた膳の意味を代行しているのかも知れない。積極的な言い方をすれば、膳の伝統は、近代のランチョンマットの上の食事に生きている。ちょいと、こじつけだろうか。いやいや深層のところでは、そうかも知れない。しかし、ちゃぶ台が普及する段階で、膳の様式は崩れているとも言えるからなあ。

ま、悩んでいることなので、うまくは書けない。わが家は、テーブルの上にランチョンマットでセットしているので、食事のたびに、このことをチト考えるはめになり、そして飲んでいるうちに忘れてしまう。

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2006/01/04

初仕事できず、「新・国際社会学」などを読んだりして

「年明けに」という原稿が一つあった。「年明け」とはいつか、たぶんみな自分の尺度でしか考えていないだろうから、テキの仕事始めのころをさすのだろう。しかし、テキの仕事始めはいつかわからん、聞いてなかった。が、来週月曜ぐらいだろう、ま、とにかく書いておこう。早くあげて損をすることはないし、迷惑をかけるわけじゃなし。と、始めようとして気がついた。何枚書くのか、わからない。調べるが、思い出そうとするが、わからない。どうやら、むこうも言わなかったし、こちらも聞かなかった、という関係だったようだ。これじゃ、書けない。なんだか、うれしい。

そこで、昨年末に届いた、五十嵐泰正さんから頂戴した「新・国際社会学」(梶田孝道編、名古屋大学出版会)と、関東社会学会「年報社会学論集」の別刷「都市における多様性をめぐるいくつかの断章」を、パラパラ見る。

「新・国際社会学」は、いかにも学術論文集というかんじの横組で、300数十ページもあるね。そのなかで、五十嵐泰正さんが書いているのは、「第Ⅱ部 国家を横断する主体と現実」の「第7章 グローバル化の諸力と都市空間の再編  グローバル都市・東京の「下町」から」で、これは、「年報社会学論集」の別刷と内容的に関係し重なっているところもある。

おれが五十嵐さんに初めて会ったときとイキサツについては、3月25日「横丁路地そして東京や「下町」を考える」に書いてある。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2005/03/post_35.html

「国際社会学」ってのは、「国際社会・学」と「国際・社会学」とから成る、らしい。帯には、「グローバリズムの逆説を理解するために」である。「国際化」あるいは、いまふうには「グローバリズム」というのか、それらの社会変動は、「商業化や近代化というよりは、リスク化社会であり、再帰的な近代化であり、第二の近代である」、それは「家族、労働、環境、福祉等の分野におけるこれまでの自明性が崩れ「流動化」(Z.バウマン)が支配的となった社会」であるという見方が、オモシロイ。

日本の食生活など、まあ、流動化もよいところだ。しかし、あいかわらずの直線的な頭で近代化を考えているひとも少なくない。昔はよかった昭和はよかったと言って、「スローライフ」や「スローフード」や「地産地消」はたまた「感謝」だのと、お題目をとなえていればコトは片づくかのような幻想が、けっこうたなびいている。これまでの自明性は崩れているがゆえに、崩れた自明性にすがる気持は、わからないわけじゃないが、いつまで寝ぼけたことを言っているんだい、と悪態つきたくなるのも事実。

流動的で複雑になっている現実を把握する、視点、立場、姿勢、論理など、そういうものがアイマイなまま、上っ面のコギレイな言葉や表現に流されているうちに、まあおかしなことになって、イイコトやっているつもりが負の方が肥大し、じつは何かを排除することにつながるといったこともある。

それは80年代なかごろから目立つようになったと思う。とくに文化的なイベントなどをきっかけに、街から猥雑なものを排除する流れが「自然」にできあがり、そして知的であるがゆえにオシャレ、上級な上質な上品な街ができ、地域の不動産価値があがる、あるいは下落に歯止めがかかる、不動産屋がよろこび儲ける、それを地域の個性づくり、「活性化」「街づくり」「地域おこし」とか言うわけだ。そのために「多様性」や「個性」を主張する文化人風な人たちのイベントが、どれだけ利用されてきたか。もちろん、文化人風の人たちも、地域「ニーズ」を利用し売名のチャンスにしたのだけど。

いまの「下町」ブームも、それの延長線ともいえるが、なにやら文化的なイメージが高くなるにつれ、本来そこに住み暮し地域の個性や文化と伝統を担ってきた下層労働者のイメージは排除され、ま、たとえばだが、池波正太郎といった、さまざまな文化人をもって地域が語られるようになる。これは小規模ながら、下町酒場のブームなどにも見られるのだが。そこにあるのは「個性」や「伝統」でも「文化」でもなく、ある種のつくられたテーマパークなのだと。そして実際、地域のイメージが上昇し不動産価値が上がると、もとから住んでいた下層労働者は住めなくなっていく。

ま、ついでにいえば、1980年代中ごろか後半、そういう「活性化」「街づくり」「地域おこし」ってのは、おかしいじゃないかと疑問をもった、暴走するプランナーおれとフクチャンは、新しいスタイルのイベントを開発しようと取り組んだのだが、やはりうまくいかなかったね。そのフクチャンは、もう40歳半ばか?毎年年賀状が来るが、今年は「ビジネスでがんばっています」とあった。そう、見た目のよい口先きれいごとの文化イベントなんかより、誠実で真摯なビジネスの方が、ずっと大事なのだと、おれたちはそのとき悟ったのだった。

ところで五十嵐さんは、そうした状況の背景を、東京、上海、シンガポールといった、国際都市間競争から掘り起こしていく。とくに、シンガポールのチャイナタウンと東京の上野・浅草を比べて論じているところがオモシロイ。「「多様性」から排除される<多様なもの>」、なかなかオモシロイ。

五十嵐泰正さんのブログ「まだまだこんな風に生きてみたい」は、よく生きているらしく、ちかごろあまり更新がない。
http://yas-igarashi.cocolog-nifty.com/

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大衆食の会

大衆食の会参加者からいただいた年賀状やクリスマスカードには、どれにも「もう大衆食の会はやらないのか」という、抗議や落胆の気分が伝わる文言があった。そういえば昨年は、一度もやらなかった。ちょうど10周年の10月にやろうと思っていたが、8月に始まった義父の病気手術騒動にふりまわされてね。と、いいわけ。

年賀状といえば、ご無沙汰しているうちに結婚したやつ、初めてのガキが生れたやつ、初めてのガキが腹に入ったやつ、まだ結婚しないやつ、いろいろだった。しかし、イチバン驚いたのは、おれと同じトシの知人から届いた喪中の知らせで、父上がなくなったとのこと。20年ほど前に何度かお会いしたことがあるのだが、まだ生きていたのかとオドロイタ。享年91。去年は、とにかく、揚羽屋の亭主が亡くなったのがショックだった。年が明けると、まず、いつごろ揚羽屋へ行って亭主と呑めるか予定を考えるのが楽しみだったのに……。でも、今年も揚羽屋へ行こう。

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2006/01/03

浅草待乳山聖天 大根まつりに行こう!

11月3日の「高麗(コマ)と浅草」で紹介した「寄雛庵菓子日記(きすうあんかしにっき)~気軽においしく楽しく~」のおさかなさんが、1月7日(土)の「大根まつりに行こう!」とHPをつくっていた。ごらんください。そして「大根まつりに行こう!」、そして、そのあとは木馬亭で浪曲を。この日は、玉川美穂子さんが1時半から登場する。行きたいなあ。

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雑穀料理の元日 キビ入りおこわ

kibi元日は、バアサンが炊いた、キビ入りおこわを食べた。キビ入りおこわってのは、初めてだ。ただの赤飯じゃツマラナイからと、バアサンは、キビを入れた。黄色い彩りもいいし、味も香ばしくなる、正月らしくていいじゃないかというのだ。いつも炊いているおこわだが、このようにチョイと変化をつけてみようという料理のココロが楽しいし、食卓も楽しくなる。

キビは地元産、埼玉県小鹿野町の農家が生産したものだ。いまでは、キビをつくる農家は少ない。輸入物が圧倒的な勢力を占めている。だが、バアサンがいうには、この地元産のキビは、ほんとうに味も香りもよいのだそうだ。

そのおこわを、口に含みかみしめるとホンワカ香ばしい甘味がした。「うまい、うまい」と言いながら食べると、バアサンは、こんげなキビなんか、こうやってコメにまぜて食べるぐらいならちょうどよくてうまいし、いまじゃアレルギーにいいとかで人気らしいけど、小さいころはこればっかり毎日食わされて見るのもいやだった、と言った。彼女の、昭和の、キビを毎日食べなくてはならない生活は、貧しさ以外のなにものでもなかった。だが、『汁かけめし快食學』にも書いたが、その貧しかった雑穀食にも、あるものをできるだけうまく食べる工夫として、「つつっこ」や「えびし」などの味わい豊かな料理が生れたのも事実だ。

ちかごろ、雑穀ブームらしい。それはそれでよいことだろうが、あるものをおいしく食べる精神を失って、健康によいアレルギーによいといった「打算」の健康志向や栄養学で飛びつくと、痛い目に会うかも知れない。植物性ならアンシンという神話があるようだが、植物性食品だって発がん性物質を含んでいるし、アレルギーにもなる。そもそも日本でアレルギーが問題になったのは、たしか、北海道かどこかの児童の「突然死」が、蕎麦のアレルギーが原因だったからではなかったか。

ま、それはともかく、近年一時は鳥のエサでしかなかった、この黄色い実は硬く、これを子供のころから毎日食べていたらアゴが発達しそうだと思いながら、よく噛み噛みし、ひょいとバアサンの顔を見ると、頑丈そうなアゴをしていた。10年前に乳がんの手術をしたが、その後はどこも悪くなく、ますます元気なのは、やはり雑穀食のおかげか? いや、それだけじゃないだろう、ありふれたものをうまく食べて生きる「力強さ」のおかげじゃないかと思うのだった。

よく、人間は自然によって生かされている、だから自然に感謝しなくてはいけない、というような全宇宙を理解している神様のようなことを言って、まさに神様になったかのごとくイイ気になっている独善をみかけるが、とんでもないことだ。人間が自然のものを生かし料理することを覚えてこそ、人びとは生き延びてこられたのだ。むしろ、いま必要なのは、自然に感謝する精神より、自然から得たありふれたものを生かし、生きる、力強さだろう。

ザ大衆食「つつっこ」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun/tutuko.htm
ザ大衆食「えびし」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/ebishi.htm

黍(キビ)
http://www.hana300.com/kibi00.html

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2006/01/02

悪態のない迎春

どーも、忙しくて忙しくて、もうホント、仕事でねえ、ブログを書く間もありませんでした。いやははは、酒呑むのも仕事のうちだから、ツライねえ。日ごろ仕事が足りないから、ナマケモノの節句働きで、一生懸命働いてましたよ。

そのあいだに、「さらにロクデモナイ年へ」に、コメントをいただきました、吸うさん、はくぶんさん、ありがとうございます。この「さらにロクデモナイ年へ」にコメントくださったかたは、今年は、きっといいことあります。よかったね。といっても、今年も、身銭切れば酒が呑める、というだけのことでしょうが。

ああ、初詣は、名もなき、しかし、ようするに由緒古い神社でありながら、明治政府アンド国家神道の都合で廃され統合され、しかし、なんとか本殿だけはそのまま残っている、明治神宮なんかよりはるかに古い伝統ある、小さな神社にお参りしてきましたよ。

ほんと、古い建造物で見事な彫り物がほどこされた小さな本殿は、小さな田舎町のはずれの裏のほうに捨てられたようにあって、誰もお参りしている人はいませんでしたが、松や竹や藁などだけの、簡素な飾りがチャントあった。都心のエラソウな権力主義者や権威主義者で、にわかに参拝がふえている神社なんかと比べたらかなり貧相だけど、いかにも長年にわたり人びとの魂を宿し続けてきた佇まい。ここにこそ、権力欲や支配欲とは関係ない、人びとの信仰や神があるはずだ。そこの小さな木箱、賽銭箱ですね、そこへチャリーンと10円玉1個投げ入れて、お参りした。

すると、神様の声が聞こえました。

おまえも、もうトシだからなあ、ちったあ悪態をつつしめよ、そしたらもうちっとは、ひとに嫌われないで、うまくやれるだろう。

そこで、おれは、こう答えた。

はーい。

こうして、悪態のない、素直な年が明けたのです。

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