ほんと、「癒し」はアブナイよ
かつて『ターニング・ポイント 科学と経済・社会、心と身体、フェミニズムの将来』(フリッチョフ・カプラ著 、吉福伸逸(ほか)訳、工作舎、1984年)という部厚い本を読んだあたりから、ちょいと、そのケにはまっていった。
「はまった」といっても、なんでも、とりあえず、本だけじゃなく「現場」をみる「やってみる」という体験主義で行動するのでありまして、それから1990年前後、どんどん、やりましたな。「ホリスティック」にも首をつっこみましたな。「癒し」もちろん。
で、けっきょく、はまらなかった。90年代「癒し」がブームになっていくころには、オサラバしていた。そして、「気どるな、力強くめしをくえ」が生れた。
「知のWebマガジンen」の「癒しが危ない 野村一夫」は、おれが体験して感じたこと、「癒し」をめぐることばや概念のカラクリを、うまく書いている。
http://web-en.com/
そこにも書いてあるように、高学歴の人や、本を書くような「知的」な人、マジメな人が、この流れに棹をさしやすい。オウムや新興宗教などに見られるが、もはや、そういう特別の集団や組織のことではなく、どんどん雪崩をうったように、「癒し」な概念にはまっている、ほんと、アブナイ。
健康、美女、「美しい」「可愛い」に甘い。そういう風潮。アブナイ。
女性に受けようなんてのも、アブナイね。
美酒もアブナイね。アブナイ、アブナイ。
タバコは吸わないがネコやイヌは好きである。アブナイ。
最近、「感謝」や「深謝」という言葉をつかうようになった。アブナイ。
最近、「自己発見」や「自分さがし」や「自己表現」や「自分のことば」を意識するようになった。アブナイ。
「人間らしさ」より「自分らしさ」を意識する。アブナイ。
政治界や芸能界のウラ話が好き。アブナイ。
ハーブや香、サプリメントや健康飲料などに抵抗がない。アブナイ。
健康は考えるが幸せは考えなくなった。アブナイ。
ひとの弱点が許せない、嫌いになる。アブナイ。
農業にあこがれる。アブナイ。
精神的なことにあこがれる(プラトニック、ストイック、純情、純愛、純粋)。アブナイ。
えーと。忘れた。
はまらないためには。
ようするに、批判精神を失わない。批判される精神を失わない。
つねに根拠を求める。
わからないことが多くてもヨシとする。
生老病死に逆らうような健康は望まない。
ひとから聞いたり、本で読んだりしたことは、大事にしない。
体験、直接知りえたことから出発する。
孤独を苦にしない、ヨシとする。
酒を飲み泥酔する。
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コメント
おっ、生きたいたのか。もうクタバッタかと思っていたよ。
投稿: エンテツ | 2006/01/11 10:05
「卑しい」は推奨
投稿: 吸う | 2006/01/10 15:00