家事労働
今日が原稿締め切りの『食品商業』の連載、3月号のお題は「家事労働」だ。「家事」というのは、かなり日本独特の概念ではないかな、と思う。片方には「国事」という言葉があって、男は国事、女は家事という関係で成り立っていた概念だろう。
これで日本は、間に合わせてきた。つまり、国事と家事はあったが、生活は、なかった。おかしなことだが、そうだったのだ。
それは、「国体」が天皇にあった近代に関係するが、それはともかく、実際、いま、「家事とは」と聞かれたら、思いつくままに簡単に答えられるだろうが、「生活とは」と聞かれたら、家事とほとんど同義になるか、なかなかうまい答えがみつからないのではないだろうか。
だとしても、不思議ではない。日本の生活の歴史は、戦後に始まったのであり、戦前は家事に解消されていたのだ。そして、その家事は国事に服従するものでなければならなかった。
家事は生活にはちがいないが、生活のすべてではない。生活の一部の作業だ。そういうふうに戦後は自由に考えられるようになったが、家事に生活を解消する考えは、ある種の習慣や文化として定着していたから、そう簡単に変わるものではない。
かくて、家事は女がするものというリクツが、たびたび蒸し返される。食を、味覚と栄養に矮小化し、食通やグルメというと、とかく男が張り切り、女は栄養に頭を悩ます構造も、この歴史がもたらしたものだ。一貫して欠けているのは、生活なのだ。食い倒れを語っても、グルメを語っても、栄養を語っても、そこから生活は見えてこない、未来の生活を構想することはできない。
ということは、今回の原稿には、詳しく書かなかったが、ま、今日の締め切りに間に合わせて送り。はて、酒の原稿20枚に向うのだった。うへっ、月曜日までに20枚。売れないがゆえにフリー、のライターであるおれにとっては、このようにシゴトが重なるのは、まったくめずらしいことだ。おそらく、もう二度とないと思って、エンジン全開でやってしまおう。ブワワワワワワワ~
| 固定リンク | 0
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
うへ~、ムチですか。
今回の原稿は最後の一言、あれは前からどこかで書きたかった暴走発言で、がまんしていた屁を放ったときみたいに、イイ気分です。
次の号は、その最後の一言を、たくさんの人に見て欲しいですね。
って、まだイマの号が書店にあるから、そっちが先ですが。
投稿: エンテツ | 2006/01/21 01:18
こんばんは。『食品商業』の近藤です。
遠藤さん、早速のご紹介ありがとうございます。過激な発言は、ぜひ、小誌の玉稿のほうでお願いします。
ご覧の皆さん。1月16日から書店(大きいところだけで残念ですが)に並んでいる2月号も面白いですよ~。
投稿: 近藤昌 | 2006/01/20 22:32