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2006/01/19

「コクがあるのにキレがある」という、お笑い

雑誌『談』編集長によるBlog「「コクがあるのにキレがある」というなぞ」を読んで、笑ってしまった。

ホント、このフレーズは、実体があるようでいて、じつにアイマイなわけわからん、いかにも日本語なのだ。

「コク」という単語にしても、『汁かけめし快食學』の「コクという日本人の証明」でも書いているが、日本的な観念の所産なのだ。だけど、これを観念的な表現、あるいは観念的味覚と思っているひとは少ないだろう。

「コク」は、なぜか、日本人にとっては具体的な味覚であり、具体的であれば観念的ではないとする、その具体的とは自分がわかった気になればよいのであるとする、これまた日本的な観念があって、ややこしいことになっているように思われる。どこをかきまわしても実体など出てこない。だから、「コクという日本人の証明」なのだね。

とにかくか、であるからか、そこでは、実体は、問われない。具体的と実体的とは違うのだということも、問われない。日本語と日本文学は、そのように便利であり、ワレワレ日本人は言葉と言葉で構築したイメージの洞窟のなかで、なにかわかった気で気分よくしていられるシアワセ。それが、「コクがあるのにキレがある」なのだ。

このモンダイは、たしか以前、『談』編集長の別の雑誌のオシゴトで放談し合い、記事になったものがあるような記憶があるが、さがしてみよう。

ま、とりあえず、これからもう一本、酒の原稿を書かなくてはならないのだが、なにしろ酒の話というのは、まさに「コクがあるのにキレがある」といった高次なナゾナゾの世界なので、バカの壁より言葉の壁や観念の壁をブチやぶるのに、苦労がいりますなあ。ああ、そんな苦労なんか、したくない。酒飲みたい。

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