未成年者飲酒禁止の歴史そして柳田國男
よく調べ、よく検討を加え、よく思考された本といえば、うふふふ、拙著『汁かけめし快食學』ばかりじゃない。青木隆浩著『近代酒造業の地域的展開』(吉川弘文館、2003年)のなかの、「第三章 飲酒規範と未成年者飲酒禁止法の制定」を読んだだけだが、これは、なかなか、なかなか、いやあ素晴しい。奥付によると、青木さんは1970年生まれ。やはり、なんだね、これまでは、イイカゲンな口からでまかせの学者や書き手が多かったが(とくに飲食系に多いような気がする)、だんだん素晴しい人が出てくるね。
いまは誰もがアタリマエと思っている、未成年者の飲酒禁止、あれはいつごろどう生れたか、根拠のあることなのか、あるいはどういう根拠にもとづいているのか。
ナニゴトも時代と歴史の産物であるように、飲酒もそうであり、未成年者の飲酒禁止の根拠など、普遍的には存在しない。では、ワレワレ現代に生きる者にとって、飲酒とはなんじゃらホイ。近代の酒造業、酒税法の成り立ちや飲酒をめぐるアレコレ、健康、禁酒運動、家父長制など、あるいは飲酒の「伝統」の真相、飲酒のコンニチを明らかにする。
柳田國男の著作からフンダンに引用があり。すっかり忘れていたが、柳田國男さんは『明治大正史 世相篇』で「酒」について書いていた。手元にある講談社学術文庫版では、第7章が「酒」で、「酒を要する社交」「酒屋の酒」「濁酒地獄」「酒無し日」「酒と女性」といったぐあいだ。禁酒運動が盛んだったころ、柳田國男は、何を訴えたかったのだろうか。
ってことで、柳田國男さんについて考えることにもなる。俗にいわれる「柳田学」なるものは何か、「経済史学者の藤井隆至は、柳田学が生活苦を解決するための学問であり、『明治大正史 世相篇』を社会政策学の書と正しく位置づけながらも、第7章「酒」の章を「交際論」と解釈するにとどまった」と。「柳田学」を化石のように言う人がいるが、そして化石化する脳みそもあったとは思うが、柳田國男は、まだまだオモシロイ。
とくにおれのような非長男系家系の田舎者にとっては、柳田國男が、生まれながら背負った、つまり田舎の次三男坊が背負った「宿命」から発するメッセージは、コンニチでも生きている。ようするに、日本は、まだ依然として、「長男文化国家」なのだ。ま、家父長制が崩壊して、まだ半世紀かそこらだから仕方ないが、その残滓弊害が自覚されてないから、モンダイなのだな。
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