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2006/01/27

農業の「民営化」

きのうの藤井さんのコメントは、「農業の民営化」についてふれている。「農業に民間企業が参入する中で、従来は農地の担保的価値を求めていた民間企業が、本格的に農業で利益を得ようとしている。後継者が減り続けている現実ですもの、農業を担う人間は農家でなくなりつつあるかもしれない。」

それで思い出したのだが、たしか、記憶で書くので間違いがあるかも知れないが、昨年の9月だったかに、民間企業の農業参入が可能になって、三井住友系だったか、とにかくどこか銀行系か商社系が投資、そのための法人を設立したはずだ。いま調べてみたけど、検索の仕方が悪いのか、みつからない。見つけたら、掲載しよう。とにかく、「民営化」、いわゆる「規制緩和」というやつであるね。

では、農業は公営だったのか? これがややこしい。農地はフツウの私有財産ではなく、農地委員会が所有を管理することで、土地は「公」が管理する状態だったといえるだろう。そして土地が「公」であれば、それに付属する農業も「公」であるといえないことはない。

民間資本の参加が可能になったということは、アメリカ資本の参加も、間接的にせよ可能というわけだ。かつて外国資本は、日本の不動産を所有できなかったが、いまでは実質できる。もちろん従来の日本の農業経営とはちがう、経営ノウハウとやらも、導入されるだろう。日本の農家が、そのマネをやって、失敗事例はたくさんあるようだが、民間企業がやれば、あるいは、うまくいくのだろうか。

後継者の育成については、地方公共団体によって、取り組みが、まったくちがってきた。その動きと、新たに参入する民間企業の農業経営が、後継者育成になるか。

以前、書いたかも知れないが。10数年前に、ある地方で農業組合法人をつくって農業経営をするタクラミで動いた。それがメインのプロジェクトではなかったが、プランニングを引き受けたプロジェクトの趣旨としても、農業経営はメリットがあることだったし、いちおう数十億のプロジェクトだったので、その少ない一部で動くことができるのだから、計画化した。というより、実際に動きが先にできて、農業組合法人設立はあとから追うカタチですすんだ。

その当時は、まだ農地委員会の権限が強かった。そこの承認か許可を得なければ、農業組合法人をつくり農業に参入することはできない。これが、かなり地域差がある。ようするに、農地委員会しだいなのだ。ま、ほとんどの地域では、余所者の参入は認められない。

地方へ行けば、士農工商がリッパに生きていて、農は「公」であり、役人と農家が、すごい威張っている地域だってあるのだ。ましてや「プランナー」なんていう、サギ師のような肩書では、罵声を浴びせられる。しかし、罵声を浴びながら生きてきた、土地もカネも学歴も何もない男は、そんなことは気にならない。罵声を浴びせて溜飲が下がるなら浴びせてくれ、だがね、モンダイは、そんなことじゃないんだぜ、と簡単にはあとに引かない。

プロジェクトのボスが、あそこはどうかねえ、という地域へ行って、下調べ。当時は、とくにオウムと疑われたり、まあ、怒鳴られたり警察を呼ばれそうになったり。

しかし、そういう地域や農家ばかりじゃないのだなあ。いるんだよなあ、新しい農業経営を追求しているひとが。因習姑息の地域もあれば、開放的な地域もある。ホント、個性いろいろ。で、ワレワレのプロジェクトはある地域に腰をすえて動き出した。

農地委員会との接触が比較的うまく進行したのは、おれもその地域に実質移住した状態だったし、また予定された資金の投資が実行されたら、完全に移住するつもりだったこともあるが。何度も、移住してくれますねと、町役場のひとに念を押された。

なにより先行して、農家と地元ローカルスーパーと組んで、双方にメリットのある取り引きが成立したことだ。これは、うれしかったね。それが比較的容易だったのは、金融優先の農協などあてにせずに、ちゃんとしたモノヅクリをやって自前で販売できる力を持った農家があって、こういうところは直取り引きにも経験をつんで理解がある、あと当時としては先進的だった宅急便を使った通販も好評だった。あれやこれやで、おれが夜中に山の中の事務所で仕事をしていると、コツコツ戸を叩き、仲間に入れてほしいといってくる農家のひとがいるぐらいだった。

でまあ、農業組合法人設立は、あとは資金だけのモンダイで、某銀行から、それが振り込まれれば、どどどどどっと動く……。しかし、アア、ここで、その資金を動かす本体のプロジェクトが、崩壊。つまり、わずかの差で、バブル崩壊前に資金を引き出せなかったのだね。そのことは、たしか前に書いたような気がする。ま、そういうこともあらあな。で、おれは一文無しに。

でも、そのときの生産と販売の仕組みは小規模ながら生きていて、いまでも機能している。つまり、やりようがあるのだ。ただし、イロイロなひとが、イロイロな立場から協力できる関係をつくらなくては無理だね。まだまだ士農工商の生産者の独善は、地方によって残存が強いし、消費者も、なんていうのかなあワガママっていうのか、まだ見た目だし広告だし、流通業者はローカル地域密着をまじめに取り組むとことそうでないとこの差は大きいし。でも、弱点をあげ罵り合っていても、よい方向は生まれないのだ。

民間企業の農業経営参入は、そういうお互いの「事情」などは無視した経営になるだろう。農家の農業ではない、消費者流通業者生産者が協力して農業をつくらないと、民間企業のノウハウが効果を発揮することになるだろう。

それにしても、これも前に書いたと思うが、どんな政策をとるにしても、過度にすすんだ東京一極集中が、すべての障害になりそうだ。けっきょく、荒野か。あれれれれれ。

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