奇怪「学校給食に弁当の日を設けることについて」
きのう学校給食のことについて、チョイと書いた。
はてなで、「決議「学校給食に弁当の日を設けることについて」 の議事録」を掲載している方がいる。
http://d.hatena.ne.jp/washimiya2005/
ここにたどりついたのは、どなたかのブログのリンクだったと思うが、すみません、どなたのブログからだったか、わからなくなりました。
これは、埼玉県北葛飾郡鷲宮町議会の決議だが。まったく、おどろいた手続きであり、決議だ。
なかでも、12月29日に掲載の「栗原議員による説明」は、きのう書いた稚拙の見本のようなものだ。
栗原議員は、「それは、最近の子供たちを取り巻く社会情勢の中で、父親をその子供が殺したり、自分の腹を痛めた若い女性が我が子をどぶに捨てたり、あやめたりする状況を聞くにつけ、一人の人間として、また町教育行政の一端を担う議員として責任を感じ、今自分のできることを将来を担う子供のために行動を起こすことが賢明と理解しております。これまでの社会状況を見ても、子供が父親を刺したり、母親が子供をどぶに捨てたりすることは見られませんでした。今、なぜこのような現象が起こるのでしょうか。戦後60年の歴史の中で考えられない、理解できない事態がなぜ起きているのでしょうか。考えてみましょう。」と、そういう社会状況の原因は、「アメリカは日本に対して6・3・3制を内容とする教育改革と、学校給食の制度的定着をもたらしました。その結果、65歳代までのほとんどの日本人が給食世代として、好みも心も変えられた人々となりました。」ことにあるというのである。
この議員は、何歳か知らないが、給食を食べて成長した連中は、みな「好みも心も変えられた人々」オカシイ人々だと思っているらしい。ああ、おれは給食じゃなくてよかった。だから、コイツのデタラメはわかるぞ。
こういう短絡した考えは、ときどき見かける。「町教育行政の一端を担う議員として責任を感じ」なんて言っているが、なんでもかんでも、アメリカ占領の責任にするという、典型的な無責任日本人の姿だろう。こういう無責任が日本をダメにし、いままたダメにしようとしているのだ。
たとえば、こういう社会状況、つまり大人の「児童虐待」は、アメリカに占領された日本だけの現象ではなく、それは先進国に見受けられる現象としてモンダイになっている。たとえば、これは東京新聞12月27日の記事にあった、「安定した三世代同居の家庭が減り、複雑な現代社会の中で地域や親族から切り離された大人が増え、ストレスのはけ口として子どもに八つ当たりするケースが増加」していることが報告されているが、周知のことなのだ。この議員は、そういう報告すら見てないのだろうか。複雑化する現代社会とストレスや犯罪の関係について、まったく知識がないのだろうか。
とにかく、まず「給食廃止」ありきの、稚拙の見本のようなものだ。
もっとおどろいたことに、「自分の腹を痛めた子供に対し母親がどう対応するかは、母親の責任であります」と弁当を持たせるのは、母親の責任であるとし、しかも食事の選択は「自己責任」であると、クルマの選択と同列に論じているのだ。なんというコジツケだろう。いいのか、母親たち、いいのか親たち、こんなこと言わせておいて。
ほか、こいつバカじゃないかと頭が怒りでブルブルとくるほど、おかしいことだらけ。こんなに怒り心頭で文章を書いていることなんて、ちかごろめずらしい。怒っているぞ、怒っているぞ。
とにかく、きのう書いたように、ここには、「子どものため」と言いながら、未来への希望ある食生活の構想がなにもない。大人の議員の都合で、学校給食費を削りたいだけなのだ。これ以上書いていると、頭が爆発しそうなので、これまで。
もっと「食生活とは」について考えなくてはなあ。まったく、食料品にまで消費税をかける人頭税思想のために、食生活とクルマの区別すらつかなくなっている。食料品に消費税をかけられ平然としていられる病理を改めるほうが先だよ。
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コメント
ま、全国どこでもおきそうなコトが、たまたま鷲宮町でおきたということだと思いますが。
子どもの食生活について考え、よい方向を出す機会にしたいものです。
投稿: エンテツ | 2006/01/11 10:10
あんな決議しちゃって、しかもネットでワライモノになって。この町の住民であることが恥ずかしくてしかたありません。
ご期待通り、鷲宮の親たちの中には怒っている人がたくさんいるようです。
決議の提案者は、大騒ぎになったPTAに乗込んで、親たちを前にこんなプリントを配って大演説したそうです。
http://plaza.rakuten.co.jp/washimiya/002000
投稿: 鷲宮町民 | 2006/01/11 00:33