「雑」っていいよね
日本酒は雑味のないものがよい、ということになっている。いい酒の条件の、第一あるいは基本として、雑味がないこと。なのであり、日本酒好きの大多数は、そのようにいう。「ううううう、この雑味が、たまらなくよいね」という褒めかたは、邪道なのだ。
しかし、あまり大きな声ではいえないが、たしか前にも書いたことがある、おれは雑味を、けっこう楽しむのだ。「汁かけめし快食學」にも書いたが、汁かけめしもそうだし、ようするに「雑」系の料理や味覚は存在する。
かたや「雑味」を排した「純」の文化が、日本には根強くある。「純文学」なんていう言い方もあるし。ま、「純」には「純」の味がある、というていどなのだが。モンダイは「純」は偉い、優れて良いということで、「雑」を排除することなのだ。そのために、雑多な魅力が、捨てられたり見下されたりする。このモンダイは大きい。なぜなら、「純」というのは、ほとんど人工的なものだからだ。「純」は「雑」から、人工的につくられたものが、ほとんどなのだ。
日本酒の場合も、「純度」を高めるために、アレコレ手を加える。ところが、なぜか、「純」のものが「自然」であるということになってしまう。さんざん手を加えた「純」が、自然のホンモノだということになるのだ。これは信仰、「純」崇拝の宗教に近い。
それはともかく、だから日本酒好きの集まりでは、いやあ、この雑味がたまらなくよいですね、雑のよさっていうのはですね、なーんていうことは言ってはならない。すぐ、酒の味のわからんやつだと思われてしまう。ウムこの「純」ですよな、このなんでしょうか、混じりけのない、たとえれば一点の曇りもない私の心のような、がははははは、とか、シタリ顔でいなくてはいけないのが、フツウなのだ。
しかし、一昨日の夜は、ちがった。マイ盃まで用意して参加の「美人ライター」として評判らしいムラヤマさんが、おれにそっとささやくように言ったのだ。「じつは、私は、雑味も捨てがたいのです、うふふふふふ」 おれは愛を告白されたと思った。もう、それから「雑」で盛り上がったねえ。
最近は、「多様性」というクタビレタ言い方もやめ、「雑多性」にしようと思っている。
しばらく飲む日が続く。これから続々「新年会」というか。連日にならないようスケージュールを調整しているのだが。
| 固定リンク | 0
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
kutyaさん。どーも、はじめまして。ありがとうございます。
無垢は、シブイ男のロマンでしょうか。煩悩あっての無垢でしょうか。私のばあいは、無垢とは、ほど遠い煩悩の中で、雑な酒呑んですごす始末。
これからもよろしくお願い致します。
投稿: エンテツ | 2006/02/01 20:29
初めまして、いつも愉しく読ませて貰ってます。
雑と純、ということで頭に浮かんだのが「安吾巷談」でした。
強力なエッセイだから記憶に残ってましたが、この感性は死ぬまで必要だと思っております。
純は心、無垢がいいですね。若造の純は嫌いですが。
投稿: kutya | 2006/02/01 18:48
雑味も入って、うまいっちゅうことですね。旨みは本来そういうもの。純なるものに、つい、惑わされてしまうわが身を反省しております。
投稿: somuchfor | 2006/01/31 13:20
ですね。
本来ならナチュラルなものは「雑」であるはずなのに、なぜか「純」なものが「自然」と感知されてゆくカラクリは、一度しっかりと分析したいなぁ、と考えさせられました。
投稿: yas-igarashi | 2006/01/30 23:56