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2006/02/23

価値ある本。再び『廃村と過疎の風景 2』のこと。

haisonさきほどちょこっと書いたが、きのう浅原昭生さんにいただいた『廃村と過疎の風景2』のことだ。この本を、なんの気なしにパラパラ見ていたら、引きずりこまれ、仕事をほおりだして読んでしまった。これは、素晴しい本だ。本を読んで、これほど感動というか興奮したのは、久しぶりだ。

これはタイトルの通り、廃村と過疎の風景だが、埋もれた暮らしの「発掘」作業といったほうが適切だろうと思う。(その意味では、拙著「大衆食堂の研究」や「汁かけめし快食學」と似た方向性かな)

浅原さんは、おれと同じ浦和の住民で、都内に通うサラーリーマン。1巻は知らないが、この2巻は、「2001年2月から2005年4月まで、4年3ケ月の廃村・過疎集落への旅を主軸にまとめたもので、北は北海道から南は沖縄まで」「取り上げている廃村(冬季無人集落、高度過疎集落を含む)は86か所、過疎集落は21か所」

写真と文章で綴られたそれは、この日本という土地で繰り広げられる暮らし営みについて、圧倒的な「事実」を提供する。

そして、浅原さんが、旅しながら、なぜこのようなものに興味をもったのかふりかえったり、出会ったひとたちとの語らいや、あるいは彼がいつも持って歩いている習いたての沖縄三味線を廃墟のなかで取り出して弾く、そこでかんじたことを述べる。それは、いわゆる「文学的」な表現ではないし、そのための工夫などあえてせずに淡々と書かれたように思われるが、それが、とても素晴しい。いやあ、ほんと、久しぶりに、胸にキュンときましたぜ。

浅原さんは、彼が「タイムマシンの廃屋」と呼ぶ、奥多摩の峰という土地の廃屋で、戦前の年賀状をみつける。その話しは、こうだ。

以下引用……

この廃屋に過去をさかのぼるタイムマシンのような風情を感じ、ここで拾った戦前の賀状は、その後の廃村探索のシンボル的な存在となり、「廃村と過疎の風景」の冊子の表紙にも使わせていただきました。

廃屋からものを持ち出すことはマナー違反であり、この賀状をどのように扱えばよいか、いろいろ悩みました。いちばん考えやすいのは、峰を訪問したときにそっと元の場所に戻すことですが、いつか朽ちてしまうであろう廃屋に戻すことも得策とは思えません。
複雑な思いがこもった賀状を携えて、、、、

……引用オワリ。

三たび峰を訪ねた浅原さんは、そこの駐在所で、かつて廃屋に住んでいた主が老人ホームで健在であると知り、会いに行く。そして、1920年生まれの、その老人から1時間半ものあいだ話を聞く、、、、

これは過去の捨てられた村や家の物語ではない。イマの日本の話なのだ。つまり浅原さんは、こう書く「見知らぬ時代、見知らぬ地域、見知らぬ生活へのアプローチすることにより、狭くは日々の暮らしのこと、広くは日本のことを見出せたらよいなと思います」であるが、彼は、それを大上段にふりかざさない。告発とか、糾弾というものではない。

ようするに、廃村や過疎の風景を見ることは、その片方にある、過密の都会を見ることになるのだ。そういうカタチをつくってしまった、現在の日本を見ることになるのだ。

この本は私家本で、デザインという類は最低限のものでしかない。本文は、ワープロで打って、あいだに写真を置いたていどのブッキラボウのものである。あるいは、それが、そのように廃村や過疎を語るにふさわしいのかも知れないが、こういうものこそ、出版社が手がけるべき本ではないかという気もする。

つまり、この本はまた、現在のお上品でお繊細な「感動的表現」にみちた、だが中身はうすっぺらな、その中身に見た目だけよいデザインをほどこし、それを「付加価値」に高い値段をつける、寒々とした商業出版界の現実までも、映し出す。

アサハラの思いが伝わる。よくやった、アサハラ! がんばれ、アサハラ!

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コメント

一気に読めた。
こんどは浦和で三味線。

投稿: エンテツ | 2006/02/25 08:20

いや~,こんなに素早く書評をまとめていただけるとは・・・
どうもありがとうございます(^_^;)
今度は浦和で飲みましょう!

投稿: アサハラ | 2006/02/25 01:27

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